グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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モンベルで犬のトレーニング備品のお買い物

トレーニングに使う道具を買いに行きました。

アウトドアショップのモンベルです。

購入したものはこちらです。

dav
コードなんですが、多少加工を施していろんな用途で使っています。


犬の生活や管理の中では、この紐の形状のものはたくさん使われます。

係留するための道具として

散歩中の道具として

呼び戻しのトレーニングの道具として

その他、もろもろいろんな道具を生活上で、管理上で、
そしてトレーニングの道具として使用することになります。


どのような道具にも共通した基準があります。
安全に、効果的に、犬にストレスが少なく使用できるものです。

先日、知人が犬用のリードを開発中ということで、いろいろと要望を述べさせてもらいました。

安全で効果的な道具を使用するのは、
一時的に利用する道具の場合は、早くその道具を取り去るためです。
そして犬にもっと自由を与えるためです。

ずっと必要な道具は、ストレスのないものを使いたいものです。

モンベルのコードは、15年以上使っています。
犬たちの自律と自由を達成するために。

Posted in 日々のこと

福岡で犬語セミナー開催しました。

福岡で平日クラスの犬語セミナーを開催しました。

いつもは参加者の多くが純血種犬と暮らす飼い主さんですが、
今日は、参加者の全員が雑種犬、いわゆるミックス犬たちと暮らす飼い主さんたちでした。

さらに、その犬たちの年齢も17歳、14歳、13歳と高齢犬たちもたくさんいました。
3頭とも若いときから知っている犬たちなので、感慨深いものがあります。

犬たちと飼い主さんが重ねてきた日々の重さがとても深いものであることと、
犬が高齢になっても、まだまだ犬のことを学ぼうとするその姿勢に頭が下がります。

犬が高齢になると、知りたいのは犬の病気のことばかりになってしまいがちです。
犬のことを知りたいというよりも、病気を探して病名を見つけて、
そしてその病気を解決するための方法ばかりに偏ってしまうことがあります。

高齢になれば、どんな犬もそれぞれにどこかに不具合は出てくるものです。
体に不具合がでなくても、脳の問題や行動の問題などいろいろと不具合は出てきます。

高齢になっても病気に焦点を当てすぎずに、
犬といっしょに過ごすお互いの時間を大切にしたいなら、
犬に対する理解について、思いを向けていかれるといいでしょう。

犬が高齢になっても、こうしたセミナーに参加される方々を見ていると
犬たちは深く愛されているのだろうと感じることができます。

動物を愛するということはどういうことか、
愛することは「理解すること」であると思うからです。

ビデオの教材になるのは、グッドボーイハートで撮影したものが中心になります。
しかし、実際には一般的な家庭の犬の日常の行動は、とても良い教材になります。
ビデオ撮影に協力してくださる方がいたら、ぜひお願いします。

月ちゃん

Posted in 日々のこと, 犬のこと

マンションのペット委員会主催セミナー行いました。

ここ15年くらいで、マンションでペットと暮らすことは一般的になりました。

ところが、マンション内でのペットにまつわるトラブルは以外に多いのです。

マンションは共有部分もあるだけでなく、一番近いご近所さんです。

トラブルを未然に回避し、お互いに快適に暮らすために
分譲マンションの多くは、ペット飼育者で構成されるペット委員会をつくっています。

今回は、ペット委員会が毎年主催するあるマンションのセミナーに講師として伺いました。


昨年に引き続いてのセミナーでしたが、昨年と同じテーマを取り上げて欲しいというご希望がありました。
セミナーのテーマは「被災時に備えるペットのケア」です。

普段は犬のしつけ方やトレーニングの指導を中心としていますが、
マンションのセミナーでは、猫の飼い主さんも半分以上です。

犬や猫と暮らすにあたり、被災に備えてやっておきたいいろいろについてお話ししました。
参加者の方々は熱心に耳を傾けられていて、具体的な質問もいただきました。


こうして、マンション内のペット飼育者がいっしょになって勉強する機会も
大変貴重なものです。

ペット可マンションでのペットのための勉強会の開催が一般的になれば、
ペットに関するトラブルも減ることでしょう。

ペットに関するトラブルは、犬や猫のストレス表現でもあります。
トラブルを起こしているのは、犬や猫ではありません。

犬や猫と暮らす価値観は人それぞれだと思いますが、
みなが楽しく安全に暮らすための共通ルールの確認だけは、おすすめします。

クール寝顔

Posted in 日々のこと

犬の衝動的な行動は危険であること:庭先に出現したウリボウを想う

今朝、七山校で窓を開けているときに、動物がまた栗を拾って食べている風景を見ました。

最近、落ちている栗やら柿などの食べ物を、いろんな野生動物たちが食べにきています。

最初は「ああ、また何か動物が来ているのね」と単純に思ったのですが、いつもと違う感じに一瞬注目してしまいました。
アナグマかと思ったその小さな動物の背中に、縞々の模様が入っていたからです。

窓の向こうにいた動物は、よく見るとウリボウでした。
ウリボウはイノシシの子供です。
瓜のような縞模様の柄をしているのでウリボウという愛称で呼ばれています。

ウリボウを見かけたらすぐに次のものを探します。
お母さんイノシシです。

ウリボウの柄がある年齢のときには、母親のイノシシといつもいっしょに行動しています。
ひとりで行動できるようになると、親離れをして単独行動をするイノシシ。
そのころにはこのウリ柄がなくなっています。

母親イノシシは5,6頭のウリボウたちを引き連れて行動しています。
移動の際には母イノシシを先頭しにして、一列に並ぶように歩いているのを見たこともあります。


この窓の向こうにいるウリボウは、母イノシシからはぐれたのでしょう。
この年齢で母イノシシの群れから離れてしまうと、ひとりで生きていくのは困難なことです。
それなのに、まだ母イノシシから離れたことを気づいていないのか、のんきに栗を食べています。


ウリボウがひとりで生きていけない理由は、自律に必要な学習を終えていないこと。
自分の身を守る防衛行動が不足しているために、他の動物に襲われやすいことです。
ウリボウを食べる動物は、タヌキ、イタチ、キツネ、トンビ、カラスと山の中にたくさんいます。

ウリボウが母イノシシから離れてしまった理由は、ただひとつです。

母イノシシが移動するときにそれに気づかなかったのです。
何かに夢中になっていたか、栗を食べるのに夢中になっていたのかもしれません。
もしくは、栗拾いをするうちに母イノシシから自分が離れた可能性もあります。

母イノシシは移動の際に多少はウリボウの集合を待ちますが、
すべてのウリボウを集合させることはできません。
なにしろ、1頭の母イノシシが数頭のウリボウを管理しているのです。

1頭の自分勝手な行動をするウリボウを捜していたら、他のウリボウまで危険にさらしてしまいます。

母イノシシの動きをよくみていなかった衝動的に行動してしまったウリボウは
そのまま置いていくことになるのです。

こうした衝動的なウリボウは、他の動物に食べられたり、餓死してしまいます。

そのためこうしたウリボウが子供を残すことはなく、この遺伝子は受け継がれません。


これが動物の遺伝の仕組みです。

動物はより安全に行動できる動物の遺伝子を、次の世代につないでいきます。
そうすることが種の継続につながるからです。
衝動的な動物は途中で死に絶えてしまうため、自然界では遺伝子を残せません。

厳しいと感じられるかもしれませんが、これが自然界の動物のしくみです。


そこで犬のことを考えます。

犬はとても衝動的に傾いています。

なぜなら、犬の繁殖には人の「好み」が反映されて人為的な繁殖がくり返されているからです。
純血種の犬は、まさにこの好みのために繁殖された犬たちです。

これらの犬は囲われた敷地や室内で飼うことを前提にしています。
衝動的であっても野生の世界のように、淘汰されてしまうことはありません。

人の好む犬の外見は、小さいもの、鼻の短いもの、脚の短いもの、毛質の異常なもの、大きすぎるものが
多くなっています。
これらの形質は犬という動物からはかなりかけ離れているため、遺伝的には非常に危険な濃い血液で作られています。
そのため精神的にも身体的にも、不健康な犬ができてしまいます。

本来の自然な動物であれば危険な衝動性も、淘汰されることなく犬たちの中に残されてしまいます。

犬は急に走り出したり、走り回ったり、とびついたり、ギャンギャンと吠えることが多くなりました。

めったなことで声を出したり急に走り出したりすることのない野生動物のような慎重さはなくなっています。

それだけに犬は自分では安全を確保することが難しくなっています。


犬を飼う人はこう考えるかもしれません。

犬は人に飼うために生まれてきた動物なのだから、囲いの中で安全であればそれでいいのだと。
犬は走り回ったり、とびついたり、ギャンギャンと吠えている方が可愛らしいのだと思うかもしれません。

犬の身になって考えるとどうでしょうか。
環境の変化に驚いたり敏感になったり、ストレスを抱えやすくなっている犬の立場に立ってみます。
衝動的な行動がくり返されて学習行動となり、いつも脳がハイになっている犬の立場に立ってみます。

やはりこれは、とても大変な生き方になってしまうと思うのです。

すでに繁殖されてしまい生まれてしまった犬たちには、
少しでも環境整備を通して、落ち着きを取り戻すための方法を身につけていってください。
それが犬のストレスを軽減させる方法であり、犬が安心を獲得する方法です。

これから犬を飼う方には、興奮しやすく衝動的な犬ではなく、落ち着いて自律する力のある犬を求めて欲しいと思います。

繁殖をする側は、犬を飼う人が求める犬を繁殖させているだけです。

興奮しやすく衝動的な犬は、走り出したり突然攻撃したりします。
よく吠えたり奇声を発したりします。

こうした犬を迎えて悩んでいたとしても、それを繁殖した方のせいにしても何も変わりません。


人為的な繁殖による犬の内的な質の変化について、犬を求める飼い主の方々もいっしょに考えていただければと思います。


dav

Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

七山秋の風景:犬とのトレッキングで栗拾い

七山校の自然教室に参加される方に、ぜひこの季節七山の野菜やさんで手に入れてほしいものがあります。

まず新米。

次に栗です。


栗は果物のひとつなのでしょうか。
寒暖の激しい七山の山の中で育った栗は格別おいしいです。
余分すぎる甘みもないけれど、栗の味がしっかりとします。


実は尾歩山へトレッキングに行く途中に栗の落ちているところがあります。
お隣の畑の栗林からこぼれおちた栗たちです。

そのほとんどはアナグマやイノシシが夜になると食べにきています。
パソコンの横の窓からその気配をうかがうことができます。

ぐふぐふと臭いをとる音。
そして、こりこりと何かをかじる音。

あー、落ちている栗を食べているのだろうなと思って聞いています。

うちにも小さな山栗があり、オポはその栗を食べていました。

でもトレッキングクラスで歩く犬たちはあまり関心を示さないようですね。



先日、犬たちとトレッキングクラスでその道を通ったときに、
野生動物たちが食べ残したのか、元気そうな栗をいくつか拾いました。

dav
ズボンのポケットが思ったよりも重くなってしまい、
なんだか、たくさん拾った気持ちになりました。

拾った栗を早速ゆでていただきました。

おいしい!


こんなにおいしいものを育ててくれるなんて、
自然の力ってやっぱりすごいなと感じてしまいます。

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育てるではなく育つ

育つには育つことに必要な環境が整っていること

バランスを崩しやすい自然環境で自ら育った栗の実

おいしい、うれしい、そして何よりも、有難いです。



栗は新聞紙に包み一週間くらい冷蔵庫に保管しておくと、甘みが一層増します。

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※犬にゆでた栗をそのままあたえると消化不良を起こすこともあります。
拾って栗を食べる犬たちは生のまま食べています。
アナグマもタヌキもイノシシも生のまま食べています。
なんでも加工すればいいというものでもありません。

栗を犬に食べさせる必要はありません。
犬が関心を示すものが犬が一番必要としているものです。
自然な食べ物で臭いを嗅がせて「食べたい!」というものを捜してみてください。



Posted in 日々のこと

秋の山の手入れが始まります。山のボランティア募集しています。

秋の準備で活発になる山の動物たち。

準備の必要のなさそうな犬たちも、北風を受けるとなんだかソワソワと元気なのは、
動物として生きてきた時代の記憶からでしょうか。


この季節、山の家を守るためにはいろいろとやらなければいけないことがあります。

そこで9月から12月まで月に1回程度の山のお手入れ日をつくることにしました。
空いている時間でちょっとでは、もう片がつかなくなってきたからです。

ちゃんと向き合おう

ちゃんと戦おう

ちゃんとやるべきことをしよう

ということで気持ちも新たに山の手入れを始めます。


とはいえ、ひとりでは力不足なので、お手伝いの方を募集します。

9月は20日水曜日の9時30分から開始します。
お昼まで、時間のある方はお昼後少しだけお手伝いください。


グループクラスに参加資格のある犬で飼い主さんの自己管理のできる犬は
お手入れに同行OKです。

プライベートクラスにしか参加できていない犬たちは、
交代でお庭に出したりしてください。
クレートで待機ができない犬は参加できません。

犬を同伴させられる方(受講生に限る)は、事前にご相談ください。


本来なら、山の手入れのときに犬がそばに見張り番をしてくれるととても心強いものです。
とはいえ、これはなかなか大変な仕事ですので、できなくても大丈夫。

せっかくお山に来るのだから、犬もいっしょに来たいという気持ちは大切です。


9月の山の手入れは、まだ刈り終えていない草刈りと、竹笹の手入れが作業内容になります。


現在2名が参加予定です。

4名まで募集します。

尾歩山2017年9月

尾歩山2017年9月





Posted in 日々のこと, お知らせ

自然災害の中に見る人災:今自分にできることをただするだけの地味な日々

昨年の熊本地震など身近なところで災害が続きます。
九州北部豪雨で亡くなられたすべての人と動物に哀悼の意を表します。
被災された方々にはお見舞いを申し上げます。
愛する方を失った方々の辛いお気持ちが一日も早く癒されますようにとお祈り申し上げます。
梅雨明けまであとわずかな時間ですがこれ以上の被害が拡大しませんように。


● 自然災害のたびに報じられる「記録的」という言葉への違和感

 身近な地域での災害は特に身にしみると同時に情報も入りやすくなります。テレビ報道やインターネットのニュースを通してくり返し流される被災地の映像と、被災の状況は原因について語る専門家やコメンテーターの言葉に違和感を覚えることも多いものです。その違和感を覚える言葉に「記録的豪雨」という言葉があります。確かに記録的豪雨なのだと思います。気象庁が観測を始めてからはということです。ですが長い地球の歴史を見れば、わたしたちが知らない寒冷時代もあったのです。自分たちの知らない気象現象や気温や雨の量や大地の揺れを記録的と報道されてしまえば、記録的だったのだから仕方がないのだという印象操作をされてしまい、人は考える力を失ってしまいます。自然災害といっても、その災害の中に人災が含まれているのであればそれを正しく認識した上で自分たちの態度を改めるべきです。

 この災害で印象的だった破壊された自然の映像は、山崩れした斜面と大量に流された木肌を削られた流木の山ではないでしょうか。流された木々は大半が針葉樹です。樹木の太さは映像から推測するしかありませんが、ここ20年くらい前に植林されたものではないでしょうか。インターネットニュースの中では科学者の先生が「この災害は人災であることを認めるべきだ。植林したものの手入れを怠ったせいで、細い木が流れて山が崩されている」という旨のコメントをされていました。わたしも同じだと感じます。

 自分には森林や災害に関する専門的知識はありません。科学的に説明をすることもできません。あくまで自分の感性に応じてあんな山では崩れてくるのが当たり前ではないかと思うのです。正確にはそう考えたり気づけるようになったということです。都市部のアパートに生活しながら、休みの日にふらりと犬との山歩きに出かけるくらいでは、ここまで深く考える機会を持つことができませんでした。自然に近い犬という動物と向き合いながら、その犬が本来活き活きと生活していて持てる機能を十分に発揮できる山という場に寄り添いながら時間を過ごした結果、やっと気づいたことです。


● 山で暮らせば必然の山の手入れという地道な雑事

 実はこの気づきはグッドボーイハート七山校との出会いが始まりでした。現在この七山校の裏山の尾歩山を犬と歩いている生徒さんはこの山がすでに森になりはじめている風景を見ることができます。ところが、ここはもともとは荒れ果てた杉林でした。最初にこの家と山に出会い購入について検討したとき、不動産の方に境界線にラインを示してくださいとお願いしました。そして実際にオポを連れて山の境界線を歩いてみたのです。山を歩いているときも山の上から下を見下ろしたときも、これは自分には無理だなと思いました。なぜなら、杉林は手入れをされておらず細い杉は倒れ、枝打ちされていない木々の間には日光が当たらずにじめじめとして、この杉林は危険だとなんとなく感じたのです。この辺は勘です。あの犬のオポも移動がスムーズとは行きませんでした。湿気が多くぬかるんで土が不安定な歩きにくい山だったのです。

 そこで不動産の方に率直にお返事しました。「裏山があの状態では家の購入は無理です。山のことはわかりませんが怖くくてとても住めません。」と申し上げました。そうしたら不動産の方がなんと地域の森林組合の頭となる方を引き合わせてくれました。森の専門家による見立てと提案は次のようなものでした。手入れされていない杉林は伐採する方がいい、家が近いし斜面があるので広葉樹を勧める、造林事業の助成の一部が使用できるので少し出たししてされませんか、ということでした。もちろん、作業をしてくださるのは森林組合やその下請けの森の専門家の方々です。費用の一部をわたしが負担すれば、山を生き返らせることは可能だということだったのです。

 こうした経緯があり七山校を購入することが決まり、当時不調だったオポはやっと山へと引っ越すことができました。杉林を伐採したあとは広場みたいになってしまいましたが、その後造林していただいた1メートルくらいの広葉樹たちが次第に育っていきました。同時に雑草も大量に生えてしまい下刈りは大変な作業でした。植え替え後二年目の写真がこちらです。

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 植林が2007年ですから今年の秋で10年を迎えます。最初の一作年までは専門家の方に下刈りの作業をお願いしていましたが、いよいよ今年からは山の下刈りを自分で始めるようになりました。木々が育って植生が少し変化してきたのが明確にわかったのが今年に入ってからです。10年という月日は木にとってはわずかな時間かもしれませんが、10年たってひとつの段階を迎えたことが実感できることはうれしいことです。その変化した森はこんな感じです。

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 風景の中にオポがいなくなったことはさびしいのですが、オポの過ごした山がまだ元気でいてくれていることがありがたいこです。写真で見ると下刈りももう少しガンバレという感じですね。この10年山の手入れを続けてきたのはわたしひとりではありません。犬と共にこの山に訪れるたくさんの犬と暮らす人々が、手に鎌や鋏を持ってなれない山の手入れをお手伝いしてくださいました。そうした人々の支えがなかったら、この地道な作業に途中で音を上げたかもしれません。その支えの時間があるからこそ、今でもあと10分だけ、あと20分だけがんばろうと奮い立って草刈りをやり続けられる自分がいます。その自分もいっしょに育てていただきました。ありがとうございました。


● 災害の起きるまえにできることを今することと、動物たちが生きる場を返すという姿勢

 災害が起きる前に備品を準備したり事前の知識を身につけてパニックにならないことも現実的な問題であり現実力です。また、災害が起きてしまったあとに、人や動物たちのために何かできることはないかと行動を起こしたり活動をされる方々には感謝します。災害の起きるたびに自分には何もできないという気持ちでもやもやしてしまうことも多少はあることです。それでも、今目の前に自分に課せられた大切なことに向き合っていくべきだという思いの方が強いです。

 災害に向き合って物事の本質を見極め、わたしたち人という動物が自然にしたことのお返しがきているのだと謙虚に受け止める姿勢を持っていたいのです。視野を時間的にも拡大させてみて、今自分たちの身の回りに災害予備軍があることを気づいて取り組んでいけないでしょうか。人にとっても犬にとっても、自然災害が発生したときにそれをできるだけ拡大させないために、今できることを考えて、現実的にそのことに向き合うことが最も建設的な対処の方法だと思います。

 その今取り組めることが、自分にとっては山の手入れなのです。森林の専門家のようにチェーンソーで杉林を伐採したりするような荒業までできるようになれるとは思っていません。ただ手入れしていただいた山を維持し続けるにも相当の体力、労力、気力が必要なことをこの10年を身をもって知りました。たかだか1000坪くらいの山の手入れにフーフーいっているのですから、この日本の山を活き活きと保つためにはどのくらいの労力がかかるのかわかりません。

 さらに山がこうして荒れ果ててしまい、梅雨時の雨量によっては山崩れが起きてしまうことを、知っている人が少なすぎます。山の境界線である里山に住む人がいなくなり、山を利用しなくなったからであり、山に出入りすることがなくなってしまったからです。被害を受けた地域は里山よりももっと低い場の田園地区がほとんどです。里に人が戻って山の手入れをすることができないなら、他の地域の方が入っていって自分たちでやるしかないのでないでしょうか。

 こうした活動は人にとっての利益だけではありません。野生動物や犬たちにも恩恵はたくさんあります。里山が復活すれば、里山で活き活きと生きる犬が復活します。森が健康になれば野生動物たちが活き活きと暮らせる場が戻ってきます。じめじめとした暗い杉林には動物は食べ物もなく住むこともできないのです。動物たちの生きる場を奪ったのはわたしたち人という生き物であることを、動物を保護する活動をする前に認めておくべきです。

 この自然豊かのように見える七山でも、山を歩いているとあそこもここも荒れ果てています。いつか七山から滑り出した木々が唐津の住宅地を襲う日が来ないともいいきれません。自分ひとりがちょっと草刈りをしたくらいでは追いついていないことは十分に承知の上です。それでも、わたしはやりたいと思います。地味で誰も気づかずに対した役にたたなくても、自分が大切だと思うことに向き合いたいからです。

 ときどき爽やかな風が頬の横を通り抜けます。一日中エアコンをつける必要のある部屋にいる犬たちを思います。きっとわたしが犬ならちょっとくらいブヨに刺されたて痛い思いをしても、この土の上に伏せて過ごすことを選びます。人の価値観で良かれと思ってやっていることが犬にとっての真の愛情に達しているのかどうかを向き合うには勇気が必要です。でも、このことにもそろそろ向き合える人がでてきそうな予感がしています。自分の気づきと同様、誰にでも変化には時間が必要なのでしょう。ただその時間を今は待っているところです。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

グッドボーイハート七山校の風景

 なかなか雨が降らず、カエルの声にも元気がありません。
数日前に博多でも唐津でもセミの声を聞いたときには、ついに梅雨は終わってしまったのかと思いました。

 お山に向かう入り口の草は、水不足なのかいつもより勢いがなくつい草刈の手を休ませてしまっています。そうしたら台風と同時に大量の雨。活き活きと伸びる雑草との戦いがまた始まりそうです。とりあえず数日は見なかったことにしてしまうのでしょうが、問題解決を先送りするに過ぎません。しかし、取り組むにはそれなりの体力が必要です。体力と気力のないときに刃物は持たないが自分で決めた山の手入れのルールです

 屋外の環境整備も大切なことですが、室内の環境整備も大切です。お掃除や家具の設置などはほとんど自分の感覚でやっています。気持ちがいいように、心地よいように、来られた方がリラックスできるようにと、もともと感受性第一の仕事なので気になったら夜中でも掃除やレイアウトの変更を行ってしまいます。

 先日、リンパマッサージを教えていただいた先生が風水も見てくださるとのことだったので、少し関心がありご指導を受けました。風水にもいろんな流派があるということですが、自然の力の作用や助けによって空間が整えられていくという原理はとても不思議なものです。空間作りにはいつも自分の感覚を優先してしまうのですが、古くから伝えられている風習のようなものをとりあえずやってみて身に付いたら続けていくというのも自分のスタイルです。

 風水では自然の元素である、火、水、風、土、木、山といった言葉がでてきてとても興味深くお話しを聞きました。実はグッドボーイハートのマークの中にも、自然の5大元素がはいっています。今まで気がつかなかったという方はぜひ捜してみてください。このロゴは自分で手描きでデザインしたものをデザイナーさんにイラストレーターで書いてもらったものです。七山に学校を開校するときに、自然とのつながりについて犬と共に学ぶことがテーマだったのでこのようなロゴに変化しました。

 さて、今回風水鑑定で教えていただいた内容と自分で少し考えていたことを元に、部屋の使い方を少し変えてみることにしました。そのためパソコンの前の風景が変わりました。

dav
目の前が土と草。
こんな風景で窓からは風と共に土と草の臭いがただよってきます。
ただの草の風景のように思えますが、実はいろんな生き物がやってきます。
スズメや小鳥たちが虫を食べている、カエルが跳ぶ、蛇がのぼっていく、蜂が飛んでくる、そしてアナグマもこの斜面を登ったり降りたりしています。もうこのくらいでは驚かなくなりました。

気になるのはどちらかというと草が伸びているというでしょうか。どうも仕事をさぼっているような気がして居心地の悪いものです。

ヒーリングとカウンセリングのためのお部屋が移動しました。
整理整頓が終わったらまた写真でご紹介します。

七山校も博多校も不思議なご縁が続いて出会った場です。どちらもみなさんがたくさん学び豊かな時間を過ごしていただけるよう、これからも大切にしていきます。博多校では不定期のセミナーを開催しています。次回は7月30日の犬語セミナーです。

dav

Posted in 日々のこと

博多での習慣:住吉神社に参拝しました

 グッドボーイハート福岡から歩いて2分のところに住吉神社があります。久しぶりに参拝に出かけました。
 小学生の低学年から思春期までをこの地域で過ごしたので、住吉神社はとてもなじみのある場所です。小学生時代の夏休みの朝の体操も住吉神社で行われていました。今考えると、とても崇高な場所で体操をしていたのだと感慨深いものがあります。

 以前、博多にオポという犬と暮らしていたときは、散歩の途中にときどき神社の中を通行させてもらいました。犬と歩けば排泄をするし多くの犬が通って同じことをすれば環境が乱れます。だからできるだけ犬の散歩では歩かないようにしていたのですが、どうしてもこの気の良い場を通らせていただきたいという切羽詰まったときには、神社内の遊歩道の一部を歩かせていただきました。

 今日神社を参拝すると、目立つところに犬の散歩を禁止する札が立てられていることに気づきました。散歩で立ち寄る犬が増えすぎて神社の環境が乱れてしまうからでしょう。残念ですが仕方のないことです。でも、この立て札から違うメッセージも受け取りました。犬が増えすぎている、だからここに入ってはいけない、同時に犬はもっと広い野原や森に出かけなさいという風にも受け取れました。

 住吉神社には懐かしい思い出もあります。中学生の時に柴犬を飼っていました。犬の訓練士になりたいと決めたのは、その柴犬との時間があまりにも充実していたからです。その柴犬が一度短時間の家出をしました。そのとき自分はすでに訓練所に勤務していたときの出来事だったので、両親に後から笑い話として聞かされたのです。
 その柴犬が見つかった場所が、家から出て片側3車線にも及ぶ大通りを渡った住吉神社でした。犬が住吉神社で見つかった話を聞いたときはよく事故にあわなかったなとビックリしましたが、当時はもっとゆっくりした時代、犬も急に走り出したりすることはありませんでした。道路でも車をみながら歩き始めるくらいのことはしていたので、人と暮らす動物の環境への社会性の育ちやすいゆるやかな時代だったのでしょう。懐かしい昭和の思い出です。

 まだ住吉神社を参拝されたことがない方には、ぜひ参拝されることをお薦めします。言うまでもなく神社の中は明らかに外界とは気配が違います。どんなに鈍感な人でも周囲の気とあまりにも違うので、神社に足を踏み入れたとたんに流れてくる清浄な気配に気づかないわけはありません。気持ちがいいと感じる気の世界に敏感になると、犬にとって必要な環境にも敏感になれます。

 住吉大社大楠 ※写真は公式筑前國一之宮住吉神社ホームページより引用しました。

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今年もサクランボの花が咲きました

グッドボーイハート七山校の母屋のすぐ横にあるさくらんぼの木。

森の専門家にも「樹勢がない」といわれ、手の施しようがないほど木肌も荒れているのに、
この花が最後かなと見守り続けて数年になります。

木の根が道路と家にはさまれてしまい伸びることができず、
家の屋根にかかる枝を切り落とす必要があって、育てる環境が整わないまま日々がすぎます。

さくらの木なので枝を落としてもそこから新芽は出てきません。

花がつかなかったら根元から切るしかないかな…と悩みながら、つぼみを見続けていました。


つぼみは見事に開花しました。

mde

また悩みつつ手をいれながらお付き合いすることになりそうです。

さくらんぼの実が落ちると、山からアナグマたちがその実を食べにやってきます。
黒くなって発酵した実は、黒犬のオポもおつまみとしてよく食べていました。

さくらが見られるのは一瞬だけ。
裏山の山桜もこれから開花を迎えます。

年をとって弱ってもそれに見合った花は咲かせることが、木にとっては存在の意味なのかなと思った一日でした。



dav


Posted in 日々のこと