グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬の起源

ロシア地域で氷河期の子犬の死骸が見つかったというニュースをラジオで聞きました。
約1万2千年前のものとのことで、発掘物による犬のものでは今までの最古と同じくらいのようです。
近くには火で焼いた形跡もあるらしく、人が近くにいたのではないかということでした。

犬科の動物が人の近くで生きるようになるまでには、とても長い時間を
かけたのではないかというのが私の推測です。
いろんな見方がありますが、人が繁殖によって改良したから犬になったとは思えません。

研究者ではありませんから科学的な根拠はありません。
ではなぜそのように思うのかというと、実際の犬の行動を通してそう思うのです。
犬は人為的な繁殖や異なる生活環境で過ごしているため、その能力の個体差は
大変大きくなっています。
ですが本来彼らが最大に持っていた能力というのは、人の手を借りずに生きていくために
十分なものだったのではないかということです。

オオカミとイヌのDNAは99%同じという資料を読んだことがありますが、
それに使われたイヌは実際にはどのようなイヌだったのかが知りたいところです。
純血種だったのか、ミックスだったのか、どのような地域のイヌであったのかも。

イヌの学名はCanis lupus familiaris
飼いならされたオオカミという意味ですが、Canis lupusはタイリクオオカミの学名。
イヌはその亜種ということになります。
分類学ではいろいろと説もことなり絶対ではありませんが、
要するにタイリクオオカミとイヌはあんまり変わらないよね、ということです。

本当に「飼いならされた」んだろうか。
本来の能力を失ってきただけではないのだろうか。
という疑問をもってしまいます。

「飼いならされた」というのはあまりにも人主体である気がします。

1万2千年前の子犬の死骸の検体について犬達は知りたがらないことでしょう。
人って本当に不思議な動物ですね。


明日のクラスの準備のために七山に移動してきました。
帰宅するとあちこちからウィーンという草刈機の音が聞こえます。
私もたまらず刈りバサミを抱えて山に入りました。

あと何万年もたって人類が滅亡、もしくは人間が激減したときに
森の中に潜んでいたイヌがこのわんこ山に下りてくるという妄想をしながら
せっせと刈りこみ作業を行いました。

何万年も先のことを考えたりするのも人間だけですね。

Posted in 日々のこと, 犬のこと

教師として

数年前まで講師を務めさせていただいたペット系の専門学校に伺いました。
グッドボーイハートの活動再開をかねてのごあいさつです。

専門学校の講師は13年ほどさせていただきました。
最初は基本的な犬の飼育に関する概論などを講義する形式でした。

その後に、ゼミ形式で家庭犬のしつけトレーニングをテーマに行いました。

ゼミ形式の方が、短い授業の間に学生の個性に触れながらいっしょに考え
いっしょに学ぶという形に近いため、私にはこちらの方があっていました。

学校に生徒さんの犬をお預かりする形でしたので、大変なことでしたが
ゼミ生たちはみなまじめに丁寧に犬達に接していました。
学びの態度もきちんと持っていた学生たちであったことも犬に伝わっていたようです。

そして、そのゼミ生たちと保護犬を預かるクラブを作っていただきました。

時はまだ保護犬の預かり先が少なく、ボランティアさんと話しているときに
学校のスペースに預かり学生たちがお世話をする形はどうだろうかと提案したのです。

今思えば、学生にとっても、学校にとっても、大きな責任を担うことです。
私の担当していたゼミ生たちが、あまりにも真剣で感性も高く責任感も強かったため
なぜか「彼らとならいっしょにやっていける」と感じて火がつきました。
前例のないことだったのに、学校の方で許可がいただけたのは奇跡でした。

保護犬の預かりの環境としてベストとはいえないという葛藤もありましたが、
そのクラブ活動を通して、学生たちなりに一般の預かりではできないことも
成し遂げていたように感じています。
もちろん、私はこのクラブを通してたくさんすぎるほどの学びを得ました。

講師をやっているときはただ夢中で、伝わらないことへの行き詰まりや
先へ進みたいことへの焦りなど、若い人たちを相手にしているといろいろと悩みも多かったです。
ですがその悩みすらも、自分を成長させてくれるチャンスであったことを感謝しています。

卒業生の中には、同じ意志のもとに日々活躍している人々がいます。
ドッグトレーナーにはならず、違う職業や主婦として家庭を支えている方もいるでしょう。
それでも、それぞれのステージで人として学び続けていることには変わりありません。

共に学ぶ機会を得られたということは、特別の出会いであったような気がします。

たくさんの勇気をありがとうございました。






Posted in 日々のこと

撤退

お気に入りのアウトドアショップに立ち寄りました。
大きめの軽いリュックを探しているからです。

ドギーテントクラスのときに、テントまで持っていく荷物をいれたいのです。
テントは分けられるものは分けて、それぞれに負担します。
あとは各自、自分のシュラフと断熱材(いわゆるシュラフマット)を運びます。

実は、私は適当なリュックを持っていません。
しばらくテント泊をしなかったので、今までどうやって運んでいたのかも覚えていません。

先日のクラスのときも、スポーツ店などでもらうビニールバッグにいれて運びました。

ですが、やはりバランスが悪いのです。
たいした山道ではないけど、こういう小さな油断が事故につながります。

生徒さんたちはきちんとリュックを使っています。

そう「山歩きは道具が大事」と再確認しました。
私にとってはわんこ山が庭なので、気軽に考えていたのですね。


お目当てのショップでウロウロと探していたら、これかなと思うものがありました。
携帯リュックなので、折りたためるポケッタブルタイプです。

22リッターのを広げてみましたが、少し小さいです。
店員さんに「30リッターのものはありますか?」と尋ねると
持って来てくれました。

広げてみたり、背中にからってみたりしました。
商品の使い心地を吟味している私に、店員さんがこう言ったのです。

「ベースキャンプに荷物おいて、ピークを目指すときとかに使えますよね。」

何?

イメージしてみました。

ベースキャンプ → → → グッドボーイハート七山校で
ピーク → → → テント場ということよね。

なぜか少し、赤面したいような気持ちになりました。


「このリュックすごくいいと思います。今度、きっと、買います。」
と店員さんに言い残して、とりあえず撤退しました。

このリュックを使う資格が一旦取り下げられたように感じたのです。
勇気ある撤退だったと思います。

それで、今のところ資格を得るための他のイメージを膨らませています。

非常時用のリュックにも使える。
一泊の講演旅行にも使える。
七山で野菜を買い込むときに使える。

あとひとつ思い浮かんだら、その資格を得たと判断して再チャレンジです。




Posted in 日々のこと, クラスのこと

マイベッド

犬は自分のベッドが好きです。

ベッドの形や硬さや肌触りも犬によって好みはいろいろ。

「なんどもベッドを買い換えたのに、穴を掘ってしまって
全部ダメにしてしまうんです。」というケースや
「たくさんのベッドを与えたのにそれには全然上がりません。」
というときには何か理由があるものです。

小型犬用のベッドを作って使っていただけそうな方にもらってもらいました。

羊毛のベッドパッドの少し大きいものがあって
自分のベッドのサイズに合わせたら、端の部分が余り、
それがちょうどいくつかの小型犬用のベッドになりました。

ウールのベッドなので暖かいかなと思います。

ベッドをプレゼントしたワンコの飼い主さんが
写真を送ってくださいました。

犬の方がベストな形で使ってくれたようです。

まるちゃんとベッド

Posted in 日々のこと, 犬のこと

本来の味

料理が得意ではなく、さほどがんばってもいないのですが、
料理家の渡辺有子さんの本をめくってみました。

料理の作り方ではなく、日々のことを写真と数行のコメントでまとめた本です。

使われている食器
紹介された朝食
お友達と食べているオヤツ

どれも自分とは縁のない世界のようなもので
これが欲しいなとか食べてみたいという気持ちもありません。

それでも、なんだかいいなぁと感じてしまうのは何故だろうかと考えていました。


本から感じるもの・・その人が目の前に出会ったものに接している態度のようなもの。
そんなものに惹かれてしまうのかもしれません。

そんな気持ちを受け取ると
さっき買ってきたごぼうと人参とこんにゃくに
きちんと向き合って、本来のおいしさを台無しにしないようにと
ちょっとばかり思ってしまいます。


犬ももちろん加工品よりも、そのものが好きですね。
きれいに混ぜてしまうと食べてしまうものも
ひとつずつになると、食べるものと食べないものがあります。

今日のワンちゃんは小松菜を生で食べるといわれてました。
食べる犬もいるし食べない犬もいる、そんな食材ですね。
他にもちんげん菜とかブロッコリーとか葉っぱの野菜は個体差があるようです。

食べたがらないものは無理して与える必要はないでしょうが
偏食してしまう犬は確かにいます。

本当においしいものをおいしいと感じられる力、
食べることが大好きな動物だからこそ大切にしてほしいです。

渡辺有子さん




Posted in 日々のこと

犬とテントで過ごしたときに見た夢:動物の楽しい化かしなのか?

夢をわりとよく見ます。

昔からではなかったけど、いつからでしょうか?
少し時間に余裕のできたころからだったかと思います。

実は先日テントクラスのときテントの中で寝ているときにも
夢を見ました。

夢の内容はこんなものでした。

テントの中に私達がいて、犬もいっしょです。
起き上がって座った状態でいます。

テントの横を幼稚園生の一群が列をなして通り過ぎていきます。
それほど多くはなく、5、6人だったでしょうか。

テントの中からはその姿が透けてみえるのだけど
向こうは私達に気づいていません。

子供達が通り過ぎるのを、テントの中の私たちはお互いに気づいているけど
あえて声を出さず気配を消しているような感じでした。


夢分析というのもあります。
夢の意味がすごくわかりやすいこともあるし、
なかなかわからずそのままになることもあります。

幼稚園生は誰だったのか。
山の話の流れでいくとタヌキなのでしょうか。

「山怪」という本を読んだことがあります。
タヌキとキツネは人を化かすといいます。

キツネの化かし方は少々恐怖が伴い
タヌキのは冗談みたいなものが多かったです。

幼稚園生のような好奇心で私達を眺めていたとしたら・・・。

真実がわからなくてもこうして考えているだけで楽しくなります。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

山の手入れのルール

七山校の裏山の手入れや家の修理は力仕事の連続です。

失敗を重ねながら、安全に作業するためにいくつかのポイントがあることに気づきました。
1  良い道具をよく手入れして使うこと
2  やる気があるときにすること
3  余計なことを考えないこと
4  作業後のケアを十分にすること


先日、1つ目のルールを守れず、山の手入れ中に転倒してしまいました。

普段用の靴下を履いた上に長靴をはいていて
靴下が靴の中でズレてしまったのですが
バランスが悪いところで作業していたので気づいたけど
そのままにして作業を続けました。

それでバランスを崩して倒れたところが
自分が刈り込んだばかりの竹の上だったのです。


転倒したのは8年ぶりでした。

1回目の転倒ははげしく、崖を後ろ向きに3メートルくらい落ちました。
それからすごく注意深く作業するようになったのです。
1回目の転倒のときは、作業に見回り番犬をしていたオポが見ていたので
立ち直りも早かったのですが、今回はひとりで痛みに耐える感じです。

なぜかやりきれなさも強く感じられます。
大きなアザがふたつもできてしまいました。

4つ目のケアについてもしばらく怠っていました。

使い慣れていない道具、
特に刃物を扱うときは筋肉を使うだけでなく緊張を伴います。

寝る前に体の緊張をほぐしておかないと、なかなか寝付けないとか
寝ているようで朝になっても体がだるいというように
体が負担を抱えたまま雪だるま式に疲労がたまってしまいます。

疲れたまま作業をするとまたそれが怪我につながります。
今回の転倒も少しその影響もあったのかも、とさらに反省を重ねます。

日々のケアも復活させました。

8年前の転倒のときのオポの表情を思い出しました。
なんと言葉をかけていいかわからないような表情。
かわいそうに、でもないし
がんばれよ、でもないし
何してるの、でもないし

言葉を失ったといったらいいのかな。

今回はオポが見てなくてよかったという気持ちもあったけど
もしかしたらどこかで見ていたりして・・。

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Posted in 日々のこと, 自然のこと

昔の知恵

鍋を焦がしました。

たまに、いやときどきこういうことが起きます。

大体は、クラスの後。
さっきあの行動をしていたときに周りはどのような状況だったのだろうか…とか、
あの行動に対応する方法として提案したこと以外にできることはないだろうか…とか、
そんなことで頭の半分以上を占拠されている状態でごはんを焚き始めたときに起きます。

炊飯をするのに電気炊飯器を使わずにガスを使っています。
水や火加減は毎回同じようにするべきなのに、
水の量を間違ったり火を弱めるタイミングを見失ったり
ガスを止めたときなのか焦げ臭いなと思ったらダメですね。

こげ落としにはほとんど重曹を使います。
ですがこの季節には別のものが使えます。
暖炉の灰です。

子どもの頃に台所の洗い場の隅に豆腐をいれるプラスチックのいれものが置いてありました。
その中に灰色のねっとりしたクリームようなものが入っていました。
母が鍋を洗うときにそれを使っていたのを思い出しました。

さすがにかまどの時代ではありませんが、庭でちょっとしたゴミを燃しても構わない時代でした。
そこででた灰を水に浸して使っていたのだと思います。

なんでも身近にあってゴミだと思われそうなものを道具に変えてしまう。
それを便利に最後まで役立てるというのは知恵ですね。

それにしても、鍋を焦がさないよう「今」を生きることをまだまだ学ぶ必要がありそうです。

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しだれ梅

昨日はどうしても日のあるうちに七山にたどり着きたくてあわてて移動しました。
福岡は5月の陽気かと思えるようなとても暖かい日だったからです。

しだれ梅が花を開いているはずだと確信していました。
どうしても早くその花を見たかった。

咲いていました。
しかも2つも。

まだ小さなしだれ梅。
今年は咲かないかもしれないよ、といわれていたので
あまり期待はしていなかったけれど、
小さなピンク色の花を咲かせました。

花は自分のために咲きます。
人を喜ばせるためではないと思っています。
自分の命を輝かせるために咲いているのだと。

それでも「ありがとう」と思います。
その美しさに気持ちが救われるからです。

自分を輝かせるのは自分しかありません。
自分が輝くことで周りが喜んでくれるのであれば
こんなにうれしいことはありません。

だから、がんばって自分の花をしっかり咲かせなければ、と思うのです。

中年期にはいってくるといろんなことが若いときのようにいきません。
枯れた花になるだけなのかなと落ち込むこともありますが、
木を見ていると木々は花をつけなくなるともう終わりのような気がします。
もしくは、太陽が当たらない、空気が汚れていると
花をつけなくなることがあるようです。

もともと咲かせる気がなくあきらめているのと、
咲かせようとがんばったけど咲かなかったというのでは大きく違います。
終わりを決めるのは自分ではないように思えるのです。
だから終わるまでがんばることができるのだと。

しだれ梅を見ながら心のシャッターを押しました。
みなさんに届きますように。





Posted in 日々のこと, 自然のこと

伝わる言葉

グッドボーイハートのホームページを改定している途中ですが
チラシも新しくすることになりました。

グッドボーイハートのチラシは最初から自分でつくっていました。
はじめはパソコンで文字をうって自分で書いたイラストを貼り付けたもの。
その後は印刷所での処理に困るということから
自分で文字とイラストを書いたあとレイアウトを指定し、
イラストレーターなどのソフトに取り込んで版下を作ってもらうようになりました。
面倒ですができるだけ自分の言葉で伝えたいという気持ちからこうなりました。

ホームページでもチラシにしても、作る困難さというのがあります。
「グッドボーイハートとはこういうドッグスクールです。」
ということを伝えたいのですが、チラシでは文字数が限られているし
ホームページは文章をたくさん掲載できるのに、言葉で伝わるのか
という不安や葛藤が生まれてしまいます。

たとえば「てにをは」がちょっと違っただけで受け取るニュアンスが
違ってきますし、受け取り方も様々です。

それでも、伝えるために大切にしていることがひとつだけあります。
今日、そのことで共感を得る出来事がありました。

信号待ちをしていて建設途中の複合ビルの中の垂れ幕の広告を見ました。
垂れ幕にはこう書いてありました。

「オープン日は晴れますように。」

本当よね。と感心しました。
すごく伝わってきます。
なぜなら、これは真実のメッセージだからです。
本当に「晴れてほしい」という気持ちが伝わってきます。

私がチラシやホームページで伝えるときに大切にしているのはこのことです。
「真実を述べよう」ということです。
文章を書いている私はライターではありません。
なかなか良い言葉が思いつかないこともあります。
それでも、つたない文章ですが真実をチラシの中に盛り込みました。

みなさんにも新しいチラシを見ていただきたいです。

ちなみに、複合ビルのオープン日は4月21日になっていました。
どなたが決めたのか分かりませんが、
21という数字の力をご存知の方なのかなと思いました。

「晴れますように」という言葉からも
自然にはかなわないという思いも伝わってきます。

どんなところになるのでしょう。
ちょっとだけ楽しみです。








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