グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬の屋外テラストイレにペットドアをつけて犬も飼い主も快適に暮らそう。

グッドボーイハートでは室内で生活する犬たちにも、屋外トイレの習慣をおすすめしています。

今回は繰り返し説明している屋外トイレの必要性と、テラストイレを快適にするペットドアの設置についてお話します。

犬にテラストイレの利用をおすすめする理由

戸建てで庭付きの家であれば、犬が庭で排泄できるように環境を整えます。

マンションなどの庭のない場合はテラスやバルコニーに犬用の排泄場所を設置していただくように指導します。

犬用のテラストイレの設置は、人側の視点にたった衛生面にもなりますが、むしろ犬の立場にたって考えた上での提案です。

犬が自分で行動できる範囲内に排泄場所が「屋外」にあることが犬の脳の構造に影響を与えるからです。

犬は自分で活動できる空間と、群れで活動できる地図=散歩、を自分の脳の中にナビとして装備しています。

「▶」この印が犬自身で、空間の中を動いている動物なのです。

その自分で活動できる一番遠い屋外空間に排泄をするのが犬の習性です。

それが庭であり、テラスであり、バルコニーです。

日本の庭のない生活事情の中では、バルコニーといっても洗濯物を干す程度のスペースしかないことも多いのですが、それでも外空間であることには間違いありません。

犬の脳内は、閉ざされた空気の空間が室内で、空気の循環の多い人のにおいが薄い空間を屋外と認識しています。

屋外空間に排泄場所があることで、犬が自分で歩いていける場所に屋外が入ります。自分のマップに屋外空間が入れば自然とそこが排泄場所になります。

もちろん、犬によってはテラスに排泄場所を設置してそこで排泄することができても、より近い別の空間に排泄をすることを好むこともあります。

散歩コースの中に排泄場所を作ると、柴犬や洋犬種の大型犬は散歩のときにしか排泄をしなくなることもあります。

犬の性質や飼い主の生活環境によって犬が何を選択するのかは様々ですが、より安定した選択を促すためにも室内トイレを取り去りテラストイレへ移行する環境整備はトレーニングの必須項目です。

テラストイレにすると犬が排泄にいく回数は数回しかありません。

室内トイレで一日7回8回と排泄にいっていた犬が、テラストイレでは3回程度になります。

排泄を我慢しているのではなく、排泄行動とはその程度のものだということです。ナチュラルな排泄行動とはむしろテラストイレの方なのです。

テラストイレで排泄をする生後6ケ月のチワワのシュートくん。



写真は子犬のころからトレーニングを受講されているチワワのシュートくんのテラストイレとテラスの遊び場です。

そもそも人工芝の上でも排泄しても構わないというスタンスで設置されましたが、ペットシーツが排泄場所で人工芝が遊び場所となっています。

テラスが温かいのでシュートくんはよくテラス遊びをしています。

おもちゃも自分でテラスにたくさん持っていきます。

テラストイレの利用を快適にする網戸用のペットドア

そのテラストイレを利用するために1日3回、テラスドアを開けてあげることが億劫なこととは思えませんが、夏場に一気に蚊が室内に張り込むことに抵抗を感じる方もいるでしょう。

その不快さを解決してくれるのがテラスの網戸用のペットドアです。

犬用のテラストイレに設置した網戸用のペットドア



トイレトレーニングが進んだ結果、ペットドアを設置されたコテツくんとテツくんの排泄場所の写真を掲載させていただきます。

室内でマーキング合戦となっていた2頭の犬くんたち、現在ではテラストイレに自分たちで行くようになり、夏場の虫対策のためにペットドアを導入されました。

これは小型犬用のペットドアです。

大型犬用のペットドアはないのですが、自作で作られた生徒さんもいます。

バルコニーに設置されたDIYのペットトイレと、排泄場所につながる人と犬が兼用するドア。



この写真はラブラドル・レトリバーのサクちゃんのテラストイレです。

テラスに抜けるところにもともとドアはなかったのですが、開いたままだと虫が入ってくるという理由でドアを自作で設置されました。

下部分はビニールが垂れ下がっており、メイちゃんドアとして利用しています。

オポも同じようなビニールのくぐりドアを作っていたので説明して、さらに素晴らしいものになりました。

人のために考えるのか、犬のために考えるのか。

犬との暮らしにまつわるいろんな整備について、人の立場にたって考えるのか、犬の立場にたって考えるのかで意見が分かれるところです。

わたしは、まず犬の立場に立って考えるところからスタートするようにしています。

なぜなら、犬の暮らしについてのことだからです。

犬の生活環境が犬の習性にあっていることが大前提だと考えるからです。

その中には思うようにいかない諸々の飼い主側の事情もあります。

そんな中で、持っている環境をうまく使いできるだけ犬の習性にあった生活環境となるように考えて工夫していく、それが飼い主としての勤めです。

犬の立場にたって考えたマンションでのテラストイレ、犬の室内の吠え対策にも必要なトレーニングです。

追伸ですが、犬のトイレトレーニングにおやつやフードなどの食べ物の使用は絶対にダメです。

犬の排泄行動は犬の習性にそって自然に引き出されるように教えましょう。

関連記事→<犬のこと>犬は境界線の上に排泄(トイレ)をする動物です。

関連記事→<犬のこと>子犬のトイレのしつけは将来にわたり犬の行動に影響を与えます

 

Posted in クラスのこと, 犬のこと

クレートの熱さ対策に。ソフトクレートにするならどのサイズがおすすめですか?

移動中に車のエアコンをLO全開にする季節になりました。

訪問レッスンでご家庭の状況を見ると、エアコンをつけている家庭もあるしまだ窓を開けたままにされている家庭もあります。

家の作りや周囲の環境などで室内の温度は様々ですが、そろそろ犬の居場所を快適に保つための温度について考える時期です。

クレートトレーニング中の場合は、クレート中の温度が適温に保たれるように環境整備をお願いします。

そのひとつの方法として、ハードクレートをソフトタイプのクレートに変える方法があります。

ソフトタイプのソフトクレートは周囲はナイロンのネットで多くを覆われていて通気性が良いです。

隠れるのが目的のクレートの通気性が高すぎると犬が落ち着かなくなりますが、ソフトクレートのネット部分は網戸のように網目が細かくサークルのように穴があいているような通気はありません。

日本の網戸の仕組みはよくできたもので、網戸ひとつで安心感があります。

ソフトクレートも同じような仕組みです。

さらにソフトクレートは真四角にできているものが多く、サイズ的にもハードクレートよりも大きなものを利用できます。

以下のソフトクレートを利用している犬たちは、ハードクレートトレーニングが終了してから次のステップとして使っています。

体重11.2キロのはるちゃん。ソフトクレートLサイズ。



体重13キロの小鉄くん。クレートの奥行は70センチ。



体重6キロのシュナウザーのきいろちゃん。クレートMサイズ。



どこ犬たちもハードクレートよりソフトクレートの方がお気に入りです。

 

こんなに利点の多いソフトクレートでも、犬の状態や状況によっては使用できないこともあります。

ソフトクレート導入をおすすめしないケースは以下のとおりです。

ハードクレートでの練習を初めて間もない場合。

犬がハードクレートに入るのを嫌がる。

犬がハードクレートに入ったあとに騒ぐ。

犬がハードクレートに入ったときに戸口をカリカリする。

犬がハードクレートの戸口部分を咬む。

などハードクレート内でまだ落ち着かない行動をしているときには、ソフトクレートの導入はおすすめしません。

それでも、この夏場少しでも早くソフトクレートに変更をしたいというときには、他の生活管理も合わせて頑張っていきましょう。

ソフトクレートが犬にとって快適な居場所になるようにするのは、ただクレートに入れるだけではありません。

クレートは犬にとって最も大切な巣穴に相当するテリトリーです。

巣穴を持つということは、犬にとってとても大きなことなのです。

最初のステップをきちんと上がっていきましょう。

サーキュレーターで暑さ対策をしている13才のトイプードルちゃん。クレートトレーニングは13才からスタートしました。



関連ブログ記事→

暑い!夏場のクレート対策にはサーキュレーターが大活躍する。

<犬のこと>犬は湿気に弱い動物:この季節「湿度管理」に気をつけてください!

<おすすめのアイテム>クレートトレーニンの最後はこれで「ソフトクレートを買ってください!」

 

 

 

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ゴールデンウィーク中に飼い主のパーソナルスペースを奪った犬たちの闘争行動が止まらない。

ゴールデンウィーク明けのレッスン、犬たちにもいろんな行動の変化がありました。

お預かりクラスを体験した犬たちは、どの犬も「以前より落ち着いています。」と言われ、実際、若い犬ほど驚くほど落ち着いたなと感じる良い結果が出ていました。

ところが、ゴールデンウィークを飼い主と自宅でまったりと過ごした犬の中には、ゴールデンウィークが明けてから、吠える、噛みつく、暴れるなど荒れた行動が増えてきましたというご報告もありました。

飼い主側は「ゴールデンウィークが終わって相手をされなくなったから犬の機嫌が悪くなっている。」のだと、とても人間的な分析をされるのですがこれは少し違います。

犬の機嫌が悪いというのが、犬の精神的な状態が不安定であるという意味であればここは間違っていないのですが、犬の機嫌が悪なる理由が少しずれているようです。

結論からいうこういうことです。

ゴールデンウィーク中に飼い主のパーソナルスペースを犬に奪われたのてはいませんか?

グッドボーイハートの生徒さんたちなら、上の質問に即座にイエスor Noが答えられるはずです。

飼い主のパーソナルスペースとは、自分の個人的な領域のことです。

自分の領域とは全く知らない他人に立ち入ってほしくない身体的なスペースや距離感のことをいいます。

街を歩いているときに、横断歩道で止まっているときに、他人が自分にどのくらいまで近づくのを了解できるでしょうか?

もしくは室内で、来客が自分にどのくらいまで近づいて話すことを了解できるでしょうか?

室内での会話であれば、対面してテーブルの間分、大体60センチくらいは離れています。

横に座って話すときには、最低でも30センチくらいは離れていないと落ち着かないでしょう。

このキープしている自分の領域がパーソナルスペースです。

家族となるともっと近くなり、来客の半分くらい、隣に座って話すなら15センチくらいもあれば十分です。

でも、家族間であってもお互いの膝の上に乗ったり、肩に手をかけていたり、腕を組まれたりすると、自分のパーソナルスペースに家族という他者が侵入してくるという「形」になります。

この形ですが、飼い主と犬となるとまったくもってべったりの関係になり、ほとんどいつもくっついている状態であったり、犬はいつも飼い主の膝の上や飼い主の体のどこかに乗っているような状態になっていることがあります。

飼い主に抱っこされる犬、それって分離不安では?

この飼い主のスペースの上に乗ってくる犬は「飼い主と離れると不安=分離不安」傾向が強く、精神的にはかなり不安定な状態です。

行動としては飼い主の体の上に乗っかるだけでなく、飼い主が動くとついて歩くという行動も入ります。

トレーニングクラスを受講するご家庭の犬にもこの「分離不安傾向の犬」がとても多く、行動を改善するために「飼い主とは少し距離をとって休んだり過ごしたりすること」はレッスンの大切なルールのひとつです。

レッスン受講中の飼い主と犬はお互いのパーソナルスペースをお互いに侵さないようにしながら、適切な距離を保って過ごしていたはず…です。

しかし、ゴールデンウィーク中にその飼い主と犬のパーソナルスペースの境界線があいまいになってしまい、なぜか飼い主の膝の上や飼い主の足元、飼い主の膝の横に犬がいる時間が長くなってしまったり、犬が自分に付きまとうこと日常が戻ってきたのではないでしょうか?

外出の少ないゴールデンウィークはおうちでまったりとソファに寝転びながら体を休めて過ごした飼い主も多いことと思います。

「いつの間にか体の上に犬が乗っていたことがある」という状況になっていることもあります。

飼い主さんによっては「寝ている間じゃないんです。」といわれ、

飼い主さんの弁明では「ソファで寝ている間ではなくソファで気絶してしまうのでいつの間にか自分の体の上で犬が寝てしまうんです。」らしく、気絶しているのなら対応のしようがないのだという主張のようですが、そんなことは犬には関係ありません。

分離不安の犬は飼い主がいなくなると不安行動をします。

飼い主が安心できる我が家で無防備に休むのはあたり前のことですが、その無防備さによって飼い犬に自分のテリトリーを完全にとられてしまうなら、犬にしもべのような扱いを受けたとしても仕方ありません。

犬の方は「飼い主のテリトリーとった!」と勝利したゴールデンウィークがあけると、自分が占領しはずのテリトリーが勝手に仕事に行ってしまうのですから、何それ!と荒れてしまい、いつもはしない悪さに走ってテーブルに手をかけたり、甘噛みが復活したり、排泄を失敗して赤ちゃん行動を繰り広げるなど、飼い主さんのいう「機嫌の悪い」行動を繰り広げているだけです。

犬は、今日は特別とか、お休みの日だからいいのとか、お誕生日だから…といったイレギュラーが苦手です。

特に飼い主と犬とのスペース配分は、飼い主と犬の関係性をそのまま示したものでもあります。

だから今日も明日も明後日もいっしょ、それが一番落ち着くのです。

そして、お互いの領域を侵さない、さらに大きな領域を取り仕切るのは犬ではなくご主人である飼い主の方だということをわかるように伝えていかなければいけないのです。

道を間違えたと気づいたなら、元居た場所まで引き返せ。

帰り方がわからず迷子になりそうなら、ガイドとして私を呼んでください。

ゴールデンウィーク明けも訪問レッスンが続いています。

ガイドとして引き続き頑張ります。

オポ広場で緑に囲まれるサンタくん、はじめてのお泊りクラスで。

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厳しさを求めるようになると犬も成長アップ。厳しいGW後半戦へ突入!

前回のブログで「服従することの尊さ」についてアニメの鬼滅の刃を借りて書きました。

中学校で経論をされている生徒さんから「中学生の男子学生は、社会的に厳しくされることを喜ぶ傾向がありますよ。」と教えていただきました。

小学生までは大人から優しくちやほやされていた子供たちが、中学生になると大人から厳しくされることを求めている、なんとなくわかりますね。

厳しくされるというのは、厳しく必要な行動を要求されているということです。

つまりは、自分がその集団の中で必要な存在なのだと感じられますし、同時にその集団の中で上にあがっていきたいという上昇欲求も高まるはずです。

男子にはその傾向が特に強く、女子は少し違ったかたちの競争ではあります。

それでも青年期、もっともっとと自分を磨いてきた経験を皆さんもお持ちではないでしょうか?

そんな青年期の犬たちとともにゴールデンウィークを七山のオポの学校で犬たちと合宿生活を送っています。

新しいお泊り犬たちも含めて、夜中の3時にクレートをがりがりする音で目覚める、鳴き吠えが続く、ごはん食べないとか、排泄なかなかしななどといった小さな抵抗もあり。

お預かりが慣れている青年期のオス犬たちの抑えきれないエネルギーを満足させつつも抑える必要があり、一方で一番年上になったメス犬ちゃんの自由奔放な行動に振り回されたりもしています。

はじめてのトレッキングの生徒さんたちもたくさんいらして下さっています。

その隙間に、チェーンソーで薪のカット、草刈とテンションが上がりすぎて夜も眠れない日々が続いています。

今はアドレナリンが出ているから感じない背中の痛みも、ゴールデンウィークが終わったあとにドッと押し寄せてくるのでしょう。

ゴールデンウィークのお預かり合宿も後半戦に突入しました。

元気な犬たち、負けなくない私、厳しいですが辛くはありません。

犬たちとともにこうして学び成長する場所と時間があって良かったとただそれだけ。

甘やかされることが本当に犬の精神にとって健やかなことなのかを考えます。

ですが、厳しくするというのは家に閉じ込めておくことではなく、屋外に共に出て自然の中で戦うことです。

合宿後半戦に突入、最後まで全速力です。




 

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実はカッコいいはずの服従行動はなぜ敬遠されるのだろう。

長らく続いたお預かりのクラスを終えて福岡の自宅に戻ると、長いマテをしていたダンナくんからある要求がありました。

こんな年齢でお恥ずかしい話ではありますが、ふたりして小さな子供たちが喜ぶアニメ、そうあのキメツのアニメを見ることになりました。

そのアニメをみながら犬のある習性について考えていました。

 

このアニメに出てくる剣術のつわもの達は「柱」と呼ばれ、その「柱」と呼ばれる剣士たちが仕えている主人が「親方さま」です。

剣士たちの主人に対する態度や姿勢、話す言葉など、すべてが服従行動。

小さな子供たちは剣士たちのこの服従行動を見て、格好悪いとは思わないはずです。

むしろ、強い親方様に自ら使える服従的な姿勢は、カッコいい、こんな風に誰かのために礼儀正しく使える強い自分になりたいと思うのではないでしょうか。

この服従行動ですが、犬を考えるときに絶対に必要な行動なのです。


犬と人との関係を表現するいろんな言葉があります。

ペット、いや犬は家族の一員という言い方がありますが、もっと具体的に飼い主としての自分と犬はどのような関係なのでしょうか。

犬は力のあるものに服従する習性を持っています。

その犬という動物の習性をうまく活用(利用かな)できたことで、人は犬を他の動物とは全く違う方法で飼うことができるようになりました。

飼い主と群れというタッグを組んだ犬は、紐につながれていなくても逃げることもないし、飼い主のテリトリーを守る番犬となることもあります。

群れの中で力のあるものに従う犬の習性を「服従」といいますが、この言葉は犬と暮らす日本人にはあまり好まれていないように感じることがあります。

服従行動という言葉を聞くと、可哀そうと感じられることもあるようです。

犬にフセをさせることについて「悪いことをしていないのになぜさせるのか?」と尋ねられたこともあります。

犬にフセを要求するのは、犬に罰を与えることではありません。

犬にフセを要求するのは、犬に対して落ち着きなさいと服従性行動を引き出させるためであって、深読みすれば「私はあなたを必要としていますよ。」という意味なのです。

逆に犬の頭を撫でまわすことに関しては、犬が喜ぶと思われているようですが、先のアニメの中に出てくる親方さまは、命をかけて戦う剣士に対して「おりこうさんだね」といって撫でまわしたりするでしょうか。

相手を認めて手を出すときにも親方様だったら、部下の頭に手を置く程度です。

服従的な行動はわたしたち人の社会でもほとんど見られなくなってしまったため、時代に合わない嫌悪的なものとして遠ざけられているようです。

その服従行動は本来ならとても礼儀正しくカッコいい行動であるはずなのですから、犬には自信を持ってやってほしいものです。

あとは、服従したいと犬が思える主人=飼い主という存在が必要です。


 

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マツコ・デラックスさんが大好きな猫を飼わない理由を深く考える。

ほとんどテレビを見る習慣がありませんが、見識のある方の意見を聞きたくてたまに見る番組があります。

そのひとりがマツコ・デラックスさん。

知識がすごいというだけでなく、ものの見方が深い、最もだと思うことが多いので話の中で学ぶべきことが多い方です。

そのマツコさんが、番組の中で「大好きな猫を飼わない理由」を尋ねられ、答えた内容が本当にごもっともな内容でした。

犬を飼いたい方、すでに犬と暮らしている方にもご紹介したくてこちらに記載します。

マツコデラックスさんのことばはこちらから

「猫を飼うくらいでは、この怠惰な人間が矯正できるとは思っていないの。

猫が幸せあって思える状態にしてあげられない気がする。

自分が都合よく癒されたいときは、わーってやるけど、じゃそれ以外…

ねこだっていやされないといけないじゃない。

その状況っていうのを、物理的にも精神的にも作ってあげられる自信がまだないし、なかなかに踏み切れない。」

こういうご意見でした。

大好きだからこそ相手を理解し思いやる気持ち、どうでしょう。

自分が犬に癒されたいときにはわーって犬に近づき、触って、抱っこして、抱きしめて。

自分が癒されたいときは、犬の背中をなでたり、首元を触ったり、犬をずっと見ていたり。

癒されたいと思っていなくても、多くの時間、犬を眺めたり見たりしてしまうのは、そのことが結果として癒されているからなのです。

結局、犬と暮らしている方のほどんどは犬によって癒されています。

逆に、犬が癒される状況っていうのを作ってあげられるかと考えている飼い主がどのくらいいるでしょうか?

もしかしたら、飼い主に抱っこされたり、触られたり、キスをしたりすることが犬にとっての癒しと勘違いされているのかもしれません。

ただ、マツコさんのこの言葉の中にあるように、人が癒される犬や猫に対する行為で犬や猫の方が癒されるということはないということです。

では、犬や猫という動物が癒される状況ってどんな状況なのでしょう。

猫のことはわかりませんが、犬のことだったらどうでしょうか。

一日の人と暮らす時間の中で犬が癒されている時間は、どのような場所でどのように過ごすことなのでしょうか?

そう深く考えてしまうと犬を飼うことができなくなってしまいます。

実際に犬を飼ったけれどその犬が他界したあとに犬を飼うことができない飼い主の中には、この疑問にぶつかった結果、犬が癒される状況を準備することが今はできないという結論にいたる場合もあるでしょう。

すでに犬との暮らしが始まっているなら「犬が癒される状況ってなんだろう」と深く考える必要があります。

なぜなら、癒しを求めている犬が目の前にいるのです。

その犬の癒しのためにおすすめしたいのは、自然の中で過ごす時間です。

とりあえず、まずは自然の中でゆっくりと過ごす時間を持ってみて下さい。

犬の動きや表情の中に都会で見るのとは違う何かを見つけられるようになれば、いつのまにか犬と自然の風景の中にいる時間が長くなっていきます。

新緑のまぶしい季節です。

ぜひお出かけ下さい。

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雨が苦手で散歩をしない犬、雨でも元気に遊ぶ犬たち、いったい何が違うの?

今日は一日よく雨が降りました。

雨でもトレッキングクラスに来きてくれた犬ちゃんがいます。

いつも福岡の都心で土のにおいを嗅ぐ生活から離れているためご機嫌斜めな犬ちゃん。

少しでも癒しを感じられる時間を過ごしてほしいと、飼い主さんが犬ちゃんを連れてやってきました。

まれに「雨だと嫌がって散歩に行きたがらない」とか「雨だと外を歩きたがらない」という犬の話を聞くことがあります。

特に柴犬に多いようで、雨の日は脚が濡れるのを嫌がって全く歩こうとしないというのが飼い主さんの言い分です。

ところが、この雨の日、トレッキングに来た犬ちゃんも柴犬でした。

この柴犬ちゃんの飼い主さんの話を聞くと、自宅周辺の散歩は雨の日にはショートカットするらしいのです。

なのに、七山では降り止まぬ雨の中、本当にすごく雨が降っているのに、草の中を一気に歩きだしていきます。

飼い主さんもその姿を不思議そうに見ていました。

雨が苦手だと思っていたけれど、都会の雨が苦手なだけで、自然の中では雨でも活動したいという欲求がでたということです。

預かり中で泥遊びをしていた犬ちゃんも柴犬くんたちでした。


水たまりの中に自分から入っていって草をひろってみたり、水を前脚でかいてみたりして自由に遊んでいます。

実は私も、七山では雨の中を歩くことを苦に思うことはありませんが、街中では雨の日に外を歩くことが好きではありません。

わたしの中では、苦手なものがより苦手になるという気分です。

犬がどのように感じているのかはわかりませんが、同じような気分なのではないでしょうか。

活動が広がる場所で犬たちは成長し発達し、そして癒されます。

土のにおい、草のにおい、きれいな空気、自然の中でふる雨音には、ただただ癒されるばかりです。

天気がいろいろでもトレッキングクラスは開催しています。

犬と山。

もっともっと近くなりますように。


 

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おやつがあればできるオスワリがなぜ散歩中にできないのか?

家庭訪問レッスンで、犬に何を教えているのかを飼い主さんに尋ねると「オスワリはできます!」とのことでした。

犬にオスワリをどのようなときにさせていますか?

と質問すると、おやつを与えるときにオスワリをさせているということでした。

それで、散歩中にオスワリを定期的にできるように練習をして下さいということになったのです。

ところが、散歩に出ようとして玄関の戸口のところでオスワリをさせようとしても、もうオスワリをしません。

「おやつがあるとできるんですけど…」と飼い主さん。

おやつがあってもできるオスワリが、おやつがないとできないのでは犬のしつけとはいえないのです。

犬の方は「オスワリとはおやつをもらうときにする合図」と覚えてしまったのかもしれませんね。

それで、もう一度「散歩中のオスワリ」の合図を新たに教えることになりました。

散歩中のオスワリの合図は、移動のときには私があなたをリードしていますよと伝える意味があります。

散歩中のオスワリの形は「座って見張る」の形ですが、飼い主側が犬に合図という形で要求をしたらそれに応えて下さいね、と伝えるのが散歩中のオスワリの合図です。

トレーニングを開始するまで散歩中のルールを伝えていなかったことと、飼い主と犬の関係性を伝えきれていなかったため、犬の方はなかなか役割交代に応じてくれませんでした。

リードでオスワリを伝える練習を私が最初にやってみて、次第にオスワリに応じるようになってから飼い主さんに交代しました。

今まで頑としてオスワリをしなかった犬ちゃんが、リードの合図に応じてオスワリをするようになりました。

リードはふんわりと持って、犬の体重が少し後ろにかかりように操作しているだけです。

リードのショックや首輪のチョークなどは不要です。

飼い主さんご家族も犬のオスワリの姿を見て、感動されていました。

リードを持っている飼い主本人は「犬と気持ちが通じ合った感じで心地よいです。」と言われていました。

その感覚を飼い主がリードで感じられるようになるということは、犬も同じような感覚をリードを通して感じているはずです。

オスワリの本当の目的と意味とやることの価値を知れば、毎日の散歩の練習にも楽しくなります。

できるようにさせる。

できることを繰り返すこと。

犬のしつけの基本を押さえて、練習頑張って下さい!

グッドボーイハートの訪問レッスンで、散歩中にオスワリする犬ちゃん

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日差しに当たりたい季節に犬を庭に出してあげましょう。

週末は花見にでかける車で渋滞にはまりましたが、季節が良くてきれいな若葉や花を見たいという気持ちがまだ人間の中にあるということにホッとしています。

福岡に小さな庭があるので週末は預かりの犬ちゃんたちを遊ばせながら庭木の手入れを楽しみました。

庭木の手入れに集中しはじめると、犬の行動が一辺してしまうのことが不思議です。


私が何もしないでただ座っていたり、スマホをいじっていたりすると犬たちは私にまとわりついたり走り回ったりして落ち着きません。

ところが、高枝切ハサミを持ち出して作業を始めると、落ちてくる草木をにおったりと周囲の探索が始まります。

私が庭木の手入れという形で環境に影響を与えているのがわかるようで、切った枝葉が地面に落ちるたびににおいを嗅ぎに行き、口に入れてみることもあるし、運んで調べていることもあります。


2頭の犬たちはそれぞれに自分の今やっていることに集中しはじめて、お互いにちょっかいを出したり、逃げることもなくなります。

庭にひとつだけ出していたピンクのボールには全く興味を示さず、ただ人工的なおもちゃはそこに置かれたままです。

犬の行動の安定を引き出すために何ができるのか、犬が自然に興味関心を持つものを提供するためには何を準備すればよいのかをいつも考えていますが、答えはやはりここにあるようです。

犬の脳がゆっくりと動き、犬の中に幸せや豊かさが広がっていくのは、犬がずっと暮らしてきた土の上、草の香り、木々に囲まれた空間。

その中で、得意の犬の鼻を使って調べ、何かを探し歩きながら自分の頭の中に地図をつくっていくこと、これこそが犬が「大丈夫」と思える瞬間です。

暇そうな犬の時間をトリートボールやおやつ探しゲームで埋めようとすると、犬の脳内は食べ物で埋め尽くされてしまいます。


都会の庭はすぐに乾燥してしまうので、野菜や花をなんども植えましたがなかなかうまく育ちません。

七山の手入れはもっと時間がかかるため、忙しいを理由に進まないことばかりです。

でも、犬が自分のそばにいてうろうろとしてくれていると、できなかったことも進むようになるから「やる気」はやっぱり犬が与えてくれているのかな。

そんな犬たちのために、この季節や庭に犬を出してあげて下さい。

庭のない方は、そろそろ庭を持っているご実家に帰省したり、もしくは山歩きに出掛けましょう。

家を買うなら庭付きしか考えられないし、新しく建てるならやっぱり庭を作って下さい。

すべては犬が犬として、人と暮らしていくために。

飼い主としてできることはまだまだたくさんあります。

Posted in 日々のこと, 犬のこと

犬に求められるのは原始的(プリミティブ)もしくは斬新さなのか?

犬にはいろんな形、色、柄、サイズがあることが犬を飼うことの楽しみにもなっているようです。

犬は他の動物と比較しても多種多様に変化した特別な動物であるようです。

犬の繁殖に対して人為的な介入がなされているということを含めても、ここまでいろんな形を生み出す種類の動物が他にあるでしょうか。

そのいろんな形をした犬も、そもそもは世界各地区に存在したイヌという人の介入なしに生活していた動物から発しています。

そのイヌが人為的な繁殖によって特別の形やサイズに系統づけられて「純血種」として作り上げられたのは今から200年ほど前です。

純血種の繁殖は、はじめは「目的別」に、つまり犬をどのような目的で人のために活用するかということを目的に作られていました。

しかしその犬の役割は機械にとって代わるようになり、犬にはその用途として働く必要がなくなってきます。

純血種の繁殖はそのまま「人の求める形への犬の進化」に変えられていきます。

それは主にヨーロッパ地域で始まり、洋犬種の「純血種」としてそれぞれに定義づけられました。

定義付けたのはケンエルクラブという貴族のクラブでした。

今皆さんのそばにいる、様々な種類の洋犬の純血種はまずここで純血種という血統として位置づけられその後は同じ種類の純血種同志の繁殖が繰り返されているのです。

同じく日本でも柴犬保存協会や四国犬保存協会といったグループによって、日本の純血種を作り上げ、現在でもその種を保存できるように努められています。

その一部がペットとして飼い主の元にわたり生活を共にしているわけです。

純血種の繁殖にはいくつかの目的があったと思いますが、これらは以下の二つのどちらかを選択された結果です。

ひとつは原始的であること。

原始的とは、イヌという家畜化される前の日本でいうところの山犬としての性質をできるだけ残していこうという選択です。

原始的な繁殖を目指したものが日本の純血種、柴犬、北海道犬、紀州犬などそれぞれの地域の特徴を残した地域に根付いた山犬の末裔です。

以前ブログでもご紹介したとおり、日本オオカミの遺伝子構造に一番近い動物が柴犬であるという論文からも、その繁殖の目的がうかがえます。

逆に、イヌらしからぬ形を求められた繁殖もありました。

毛の抜けないプードル、ほとんど毛がないイタリアングレーハウンド、鼻のつぶれたシーズー、背中の曲がったボルゾイ、ふわふわの毛のビジョンフリーゼなども、すべて人が求めたからこそできた純血種なのです。

つまりは、人が犬に何を求めるのかによって、犬の形や機能は大きく変わっていくのだということです。

日本でとても流行っている豆柴犬などは、柴犬としての原始的で犬らしい形が好みだけれど、性質としてはおとなしくお人形さんのようであってほしいというわがままな人の欲求によって生まれた種類の犬です。

確かに豆柴は形は和の犬で、中身は機能性が低く管理しやすいペットとなったことでマンションでの飼育もできるようになりました。

しかし私はこの状態に少し複雑な気持ちを抱くのです。

人はなぜ犬と暮らしたいと思うのでしょうか。

犬を抱っこしていると自分が安心し安らげるから、犬が自分にとって癒しの道具になるからでしょうか。

それとも、犬という動物の能力や機能性の高さを知り、その機能が発揮されることに喜びを覚えるからでしょうか。

もしくは、犬の機能性を自分の生活の一部として役立てたいという目的を持っているからでしょうか。

犬に斬新さを求めすぎると犬は犬という動物としての機能性を失うことになり、もはやいつか犬ではなくなってしまうかもしれないということを、私は不安に思っているのだと思います。

この国内においては、犬は人の介入なしに繁殖することはなくなってきました。

野良犬や野犬といった存在もなくなり、餌付けされている野犬たちも近親交配状態に陥っています。

犬を愛するみなさんが「犬がかわいい」と思うからただ飼うのだというとてもシンプルで幸せな気持ちはぜひそのまま大切にしていただきたいと思います。

犬としての機能が落ちていったとしても、可愛ければよいではないかという意見もひとつの価値観です。

ただ、ひとつだけ知っていただきたいことがあります。

失っていく機能の中に、犬が最も大切にしている「群れ」のシステム、そしてそれを維持するための「コミュニケーション」もあるのだということです。

どんな動物にとっても最も大切なもの、それは「コミュニケーション」であると私は思うからです。

彼ら犬から、コミュニケーションの機能と群れを維持する機能を奪いたくないのです。

ひとりひとりが犬を知って犬を見張ることで、犬がこれからどのように変化していくのかを歴史を見届けられるでしょう。

私は見届けていきます。

犬の末路までずっといっしょに。

柴犬、雑種犬、豆柴犬たち

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