今年は涼しくて気持ちがいい!と言えるのは山の方です。
日光が柔らかく風が冷たいので日中もなんとかしのげます。
そんな七山でトレッキングクラスを開催しました。
2頭の生後5ケ月齢ほどの子犬たちです。
飼い主さん同士がお知り合いだということで、子犬を対面させることになりました。
他の犬に会うということは子犬を緊張させます。
特に緊張感が高いのはご家庭での生活環境がまだ整っていないときです。
ある程度家庭での生活が落ち着いてから対面させた方が良いのですが完全に落ち着くのを待っていると子犬は成犬になってしまいます。
そこで今回の対面の機会となりました。
犬と犬を対面させるときのルールを説明する。
犬同士の状態を確認しながら接触をさせる。
そのときの犬の行動について飼い主に説明し、犬がどのような状態であるのかを理解していただく。
これが対面クラスの目的です。
行動は一瞬にして終わってしまうので細かいシグナルを見分けることは難しいのですが、ある程度の犬の大きな動きだけでも、犬の状態を説明することはできます。
犬はただ遊びたいのではありません。
犬は自分の安全な居場所に関心があります。
それが相手とどのように変化していくかに関心があるのです。
犬が飛び跳ねているのを見て遊んでいるとだけ思わずに、犬は遊びを通して何を学んでいるのかを考えていくと面白くなります。
人側は面白く観察が続き、犬にとっては人の理解が進むことで社会性が発達します。
こうした対面を細かく見ていただくのが犬語セミナーです。
コロナ禍で今は開催しておらず、オンラインでも開催したいと思いつつも知識も技術もおいつかず実現できていません。
何か新しいことを始めるというのは活力が必要ですね。
犬たちの新しい出会いにもかなりのエネルギーが投入されたようです。
対面後はいっしょにトレッキングに行きました。
これから仲良くなりそうで楽しみですね。
先輩犬たち、よろしくお願いします。
Author Archives: miyatake
生後5ケ月の子犬たちの対面レッスンを開催しました。
【愛玩犬】と【赤ちゃん】犬は全く別物だということをご存じでしょうか。
先日のブログ記事で平岩米吉先生が書籍「犬の生態(築地書籍出版」の中で「犬の用途と種類」について紹介されていることを書きました。
その「犬の用途と種類」の中に【愛玩犬】という種類があることもご紹介しました。
平岩先生の【愛玩犬】について記されたことをここに引用します。
愛玩犬(あいがんけん)
どんな犬でも家族の一員として飼われている以上、愛情の対象にならぬものはありません。しかし、一般には、他に重要な役目もなく、ただいつも飼い主のそばにいて、そのさびしさや退屈をまぎらわらす遊び相手となっているものと、特に愛玩犬と呼んでいます。
したがって、愛玩犬はほとんど小型で、優しいものか滑稽なものに限られ、プードル、ポメラニアン(肩の高さ10センチ)、ペキニーズ、(肩の高さ10センチ)、チワワ(体重一キロ)、狆といったようなものになります。
もっとも、なかには、ボルゾイのような大型のものでも本来の猟犬としての使命を失い、その美しい姿だけをあいされるようになったものもないではありません。
犬の生態 平岩米吉先生著書 より引用
犬が人のそばで役割を持っているとすれば、愛玩犬もまた役割を持っているということであり、その内容なここに書いてあるとおりです。
飼い主のさびしさや退屈をまぎらわすためにいるというのは、実際のところ事実であると思います。
犬がかわいいからそばに置いておきたいという人側の都合は、結果として人の気持ちを救ってくれる存在となっているのは、どなたも認められることですし、それは間違っているとは思いません。
むしろ、人の寂しさをまぎらわすために人のそばにいてくれる動物として犬に感謝すべきだと思います。
ただ、大きく間違っていると感じるのは、愛玩犬と赤ちゃん犬を混同していることです。
平岩先生のいう愛玩犬とは、犬としてきちんと成長した小さな犬や姿の美しい犬のことです。
ところが、今たくさん見られる犬たちは愛玩犬ではなく赤ちゃん犬です。
赤ちゃん犬とは、すぐに吠えたり、トイレを失敗するのでおむつをしていたり、散歩中におもらしをします。
赤ちゃん犬は飼い主がいなくなると騒いだり、留守中に家具をかじったり、布を噛んでひきちぎったりします。
赤ちゃん犬は、すぐにキュンキュンというし、飼い主に飛びついてきます。
赤ちゃん犬は、嫌なことがあるとすぐに唸るし、かみつくこともあります。
赤ちゃん犬は、他の犬たちと上手なコミュニケーションがとれず、走り回ったりするけれど普通に会話ができません。
とりあえず赤ちゃん犬は赤ちゃんなので、人のいうことはききません。
つまりはしつけができるような状態にありません。それが赤ちゃん犬です。
愛玩犬として育てるのであれば、きちんとした犬に育てなければなりません。
赤ちゃん犬として扱われている犬は、成長する機会を与えられることがなく、ひとつの犬格として尊重されていないのです。
飼い主としの責任は犬を愛しかわいがることですが、犬を育てることもまた飼い主としての役割です。
平岩先生が現代の小さな犬たちの行動を観られたら、どのように評価されるのかと思います。
愛玩犬でもいいのです。人を救うすばらしい役割だと思います。
立派な愛玩犬に育てていきましょう。

山岳犬・番犬を務めるきいろちゃん
犬が人と暮らす本来の役割って何だろう。
古い書籍を見直すと当たり前すぎることなのに新しい感銘を受けることがあります。
今回は平岩米吉先生の「犬の生態(築地書館発行)」の中に思うことがありました。
犬の訓練士になりたいと思った中学生か高校生の手にした本で、当時の私にとってのバイブルでした。
人はなぜ犬を飼うようになったのか?
犬の歴史について考えると「犬はなぜ人と暮らすようになったのか」という疑問がわきます。犬側からは答えが難しいなら人側から考えます。
すると「なぜ人は犬を飼うようになったのか」という疑問に変わります。
犬があたかも自分の意志で人のそばにいるように考えがちですが、犬は馬と同じように人に飼われることになったイヌ科の動物なのです。
犬に飼われていない遺伝子学的に一番近い動物は野生のオオカミということになりますね。
人が犬を飼うようになった理由は、犬の習性を人の生活に利用する価値があったこと、そして、犬が人に馴れやすく人の言うことに従う動物であったことです。
では、人は犬の中にどのような価値を見出したのでしょうか。
犬にはどのような仕事があったのか?
犬の利用の価値は犬の従順さと高い適応性によって幅が広がり、犬は実に様々な仕事をして人を助けるようになりました。人は犬を様々な用途で利用したのです。
「犬の用途」とは犬がどのような仕事に割り当てられるのかを言います。
冒頭の書籍「犬の生態」の中には「犬の用途と種類」という章があります。
犬の用途の表には犬種ごとに用途別の名称割り当てで記載されいています。
猟犬
番犬
闘犬
そり犬
愛玩
牧羊犬
軍用犬
競争犬
救助犬
警察犬
水中作業
とこんな風にあります。
例えば柴犬の欄には「猟・番」
ゴールデンリトリバーの欄には「猟」とあるのです。
現代の犬たちはどんな役割を持っているのだろうか?
しかし、ゴールデンリトリバーを猟犬として飼っている方はほとんどいません。さらに、柴犬を番犬として飼っている人もかなり少なくなりました。
では、現在では犬たちは何かの役割を果たしているでしょうか?
今や身近な犬は猟犬ではない、番犬ではない、この犬たちは家庭犬だと言いたいところです。
しかし平岩先生の「犬の用途の種類」には家庭犬という欄がありません。
一番近いもので「愛玩犬」という種別はあります。
でも家庭犬と愛玩犬は違いますね。
家庭犬とは実に曖昧な言葉ですが、人が飼う犬はすべて家庭犬です。
飼い犬という言葉が否定的にとらえられるようになったため、愛護の観点から飼い犬を家庭犬と言い換えるようになっただけなのです。
では、みなさんの家庭犬は愛玩犬ですか?
私と暮らしていた犬は番犬だった。
私も犬と暮らした経験があります。小学生からお勝手の横に犬小屋があったシロ。
シロは立派な番犬でした。
中学生のころからいっしょに暮らした柴犬の名前はコニー(洋犬の名前ですみません)
コニーもまた番犬として、そして室内ではネズミを追う猟犬として活躍しました。
訓練士になってから迎えたラブラドルリトリバーのオポ。
オポは番犬として非常に力のある犬でした。
テリトリーの番犬、そして私自身のガードドッグでもあり、七山ではガイドドッグとして活躍していました。
どの犬たちもとても優れた番犬で、役割を果たしてくれたことに感謝しています。
そして同時に、彼らは私の家族の一員でもありました。
当然のことながら愛情を注いでも注ぎきれないほど大切な犬たちでした。
終わりに…犬の用途は犬の能力だと思う
犬をただかわいがるものだと思っている飼い主さんにはなじみのない「犬の用途」という言葉に抵抗を感じられる方もいるとは思います。しかし、犬が人にとって役立ったという歴史があることが前提で今の犬たちはこうして私たちのそばにいるのです。
そしてその人にとっての用途は、犬にとっての役割であり、そこには働く犬たちの姿がありました。
ところが現在、人と暮らすほとんどの犬の用途は「愛玩」になっています。
ただかわいがるための存在、それが「愛玩」なのです。
能力の高い犬たちに役割がないことは彼らの生きがいにもつながりません。
犬の用途という言葉、私にとっては犬の能力と置き換えることができます。
犬は優れた、素晴らしい動物なのです。
彼らの人生の中で、その役割を発揮させてあげてください。

子犬を外に出す時期は子犬の社会化形成に影響する。
先日ブログに受講生の声を寄せて下さった生徒さんと話しているときに重要な話題に触れられました。
その話題とは「感想文には入りきれなかったけれど、一番悩んだのは子犬のはるをいつ外に出すのかということでした…。」ということでした。
子犬をいつ外に出すのかという悩み
多くの方がそうであるように、子犬のワクチン接種が完璧に終了してしまうまで待つと、ワクチンプログラムにもよりますが、長い犬になると生後5ケ月まで屋外には出せないということになります。ところが、室内で生活している子犬をいつから屋外で活動させるのかは、子犬の脳の発達つまり子犬の社会化に直結しています。
子犬の脳の発達のしくみや社会化のしくみについて考えるとき、子犬の脳を良い状態に整える刺激のない室内では、子犬の適切な社会化が実現しないことは考えればわかることです。
ワクチンが終わるまで外に出せないという考え方は10年前に比べるとずいぶんと弱くなってきました。
なぜなら子犬に対するワクチン接種が始まった当初は、3回のワクチン接種が終了して1週間が終わるまで絶対に外には出してはいけないという指導が起きた結果、犬の社会化形成が遅れてしまい吠えたりかみついたりする犬が増えてしまったからです。
この問題が表に出始めた結果が間違った「抱っこ散歩の推奨」につながってしまったというまた違う問題を発生させました。
しかし、一方でワクチンの回数が2回となった病院もあり、以前よりは少し早めに子犬が外に出るチャンスを得られましたが、それでも子犬の社会の機会としては遅すぎます。
感染症を恐れて子犬を室内に閉じ込めた結果、子犬の脳の発達や精神の発達になんの影響も及ぼさないというなら、好きなだけ室内に閉じ込めても問題ありません。
子犬を出す時期を問題にするのは、子犬の性格形成、脳形成において決定的な影響を与えることだからこそアドバイスする側の私としては引くに引けないところなのです。
ということで、はるちゃんの飼い主さんと「子犬を外に出す時期」について私が早く出すようにといい、飼い主さんが迷うという時期がありました。
結果としてはるちゃんの飼い主さんははるちゃんを自分の計画よりも相当早い時期に適切な場所で過ごさせ始めたのです。
結果として、はるちゃんの社会化形成は進み始めました。
飼い主さんは「この年齢まで屋外に出さなかったとしたらと今考えるとぞっとします。」と言われいました。
私が子犬の屋外活動を開始する時期についてなかなか譲らなかった理由がわかってくださったようです。
いつも子犬を見るたびに「この犬がこうしてこの環境の中で社会化を形成するのか」と考えるときに、やはり同じようにぞっとしてしまい尽くす手はないのかと悩むことしばしばだからです。
子犬のワクチン接種のこと
子犬のワクチン接種は狂犬病予防ワクチンのことではなく、感染性の高い犬の病気の複数をワクチンとした混合ワクチンのことです。数の少ないものだと3種から多いものだと9種まであります。(数はもっと増えているかもしれません。)
この中で子犬期に感染しやすい病気はジステンパーやパルボウイルスでしょう。
病気を正しく恐れることはとても大切なことなのですが、私たちも今感染症と戦っている最中なので言えると思いますが、正しく恐れることとただ恐れることには大きな違いがあります。
他のワクチン接種と同様に、子犬にワクチン接種をしても感染する可能性はゼロにはなりません。
ストレスにより免疫力が低下すれば子犬は病気にかかりやすくなります。
ではストレスにさらさなければいいのでしょうか?
だとしたらガラスの入れ物の中にいれて子犬を飼育しなければいけませんね。
むしろ、ストレスにたいする耐久力を持たせることで子犬の免疫力を上げることができます。
ワクチン接種をして子犬を室内に閉じ込めて子犬を守ってしまっても、子犬の脳は発達を阻害され、子犬期に発達の機会を失った機能性の低い脳をもつ犬になってしまいます。
今子犬が目の前にいるなら
子犬についての質問を上げます。子犬は日光に当たっているでしょうか?
子犬は風にふれているでしょうか?
子犬は土の上を歩いているでしょうか?
子犬は草の匂いを嗅いでいるでしょうか?
子犬は虫と遊んでいるでしょうか?
子犬は空から雨が降ってくることを知っているでしょうか?
子犬は刻刻と天気が変わっていくことを知っているでしょうか?
どれも子犬の社会化に必要な素材です。
「犬の社会化ってなに?」
もう一度考えて下さい。

小枝で遊ぶ子犬の小鉄ちゃん
犬の3歳の扉を開けるとそこに待っているのは…。
お預かりクラスをたびたび利用してくれている犬ちゃんの飼い主さんから「3歳を迎えました。」とご連絡をいただきました。
子犬のころから成長を見守らせていただき、七山では我が家のように過ごしてくれているので、あの子犬だったあのコが3歳になったとなると感慨深いものがあります。
「三歳の扉」が犬にとってとても大切な扉であることは、グッドボーイハートの初期のころからずっと言っています。
犬が3歳の扉を自分でちゃんと開けたかどうか、それが犬の行動に如実に表れるからです。
犬の3歳というと人間では20代後半くらいでしょうか。
ともに社会の中でいっしょになって戦える年齢なのです。
もう一方的に守られる存在ではなく、自律した確固たる自分を持っているということです。
精神的には強くなり、興奮することも少なくなり、幼さよりもたくましさが感じられるようになります。
それが3歳の扉を見事に開けた犬の姿です。
誕生日のすぐあとにお預かりクラスを利用して七山に来てくれました。
子犬のころから成長を見てきたダンナくんも「なんか、今までと違うな。あまり興奮しないし、すごく落ち着いて見える。何か変わった?」
とその犬ちゃんの変化にすぐに気づきました。
「3歳になったんだって。3歳の扉を開けたんだよ。」と説明をしました。
3歳というのは3年です。
石の上にも3年ともいいますね。
そして3年は千日。
子犬のころから3年間、飼い主さんと続いた生活の数でもあるのです。
千日、毎日変わらぬ気持ちで向き合い続けた結果が3年がたち、ここにお互いの関係性が出来上がったと言えますね。
長いようであっという間だったと思います。
今までずっと楽しかったように、これからもずっと飼い主さんとの日々を充実させていくのでしょう。
七山では私たちのお供として、これからもよろしくね。
パピートレーニングを受講して:初めての子犬はるちゃんの育児日記は飼い主さんの成長の証。
クラスを受講された生徒さんからいただいた「受講生のコトバ」。
今回はパピートレーニングクラスを受講された黒柴犬のはるちゃんの飼い主さんからいただきました。
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「いつかは、犬と暮らしたいね」が私達夫婦のいつもの会話でした。
そして、犬を迎えたらやりたいこと、お世話やしつけについて色々と夢を膨らませて話していました。
「初めて犬を飼うのでパピートレーニングは必ず受講したい」というのが、その中の一つに入っていました。
そして、今年の春、念願かなって柴犬の女子を家族に迎えることになりました。
ただ、問題は、どのスクールにお願いするかということでした。
グッドボーイハートを選んだ理由は、
HPの「犬との暮らしはきっと楽しいずっと幸せ」という言葉に惹かれたのと、
犬とトレッキングができるクラスがあったことです。
自然の中で犬と一緒に活動できることにとても魅力を感じたからです。
そうして子犬を迎えて4日目に、宮武先生に初めてお会いしました。
私なりに、子犬を迎えるために環境を整えようと、動画投稿サイトでかなりの時間を費やし、子犬専用の部屋にサークル、ケージ、クレート、トイレスペースなど用意していました。
しかし、私が用意したものの中で必要だったのは、クレートと水飲み用の器くらいでした(笑)
なぜその他の用具が、私たちの暮らしの中では必要ないか、
トレーニングを通じて理解することができました。
それは、私が思っていた「犬と暮らすための環境を整える」という概念を覆すものでした。
太古から犬が受け継いでいるDNAや習性に基づいた行動ができる環境を整えるだけで、しつけはできるというものでした。
実際、ご褒美のおやつをあげることも大きな声で叱ることもなく、トイレトレーニングやクレートトレーレングをすることができました。
もちろん、すべてがスムーズにいったわけではありませんが、今思い返すと、私たち家族が一貫したルールで犬に接することができるように後押ししてくださった先生のおかげです。
プライベートレッスンなので、前回のレッスンから次のレッスンまでの間に生じた問題や困りごと、日々の状況など相談して、現状での課題と対策を教えていただき実践するという形で進めていってもらいました。
毎週のように、新しい問題が発生して頭を抱える日々でしたが、それは、犬(はる)の成長と捉えて、一緒に頑張ることができました。
先生から当初、「はるちゃんは、相当な甘えただねぇ」と言われるほどでした。
例えば、雨が降ると外に出られない、庭で係留するとキュンキュン鳴いて家に入りたがるなどなど…
可愛かったですが、今では、庭で雨に濡れながら排泄をして急いで帰って来るようになりましたし、夕暮れから寝るまで自分から庭で過ごせるようになりました。
どの問題も原因となる環境や私達の対応を変えるだけで、犬はメキメキと成長するので、先生の的確なアドバイスに感謝しています。
現在は、散歩のトレーニング真っ最中です。
リーダーウォークをマスターできるよう頑張っています。
毎回、散歩中の人や犬に飛びついて行こうとリードを引っ張りあいこしているので、まだまだ時間はかかりそうですが、はるを信じて一緒に成長出来たらと思っています。
そして、念願のトレッキングに参加して、自然の中でのはるの行動をみたいです。
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「子犬を迎えようと思っているのでパピートレーニングをお願いします。」
というメールをいただいたのは、はるちゃんを迎えられる一ケ月も前のころでした。
子犬が来るかなり前から子犬のカウンセリングクラスをご予約されたので、相当な準備で子犬のはるちゃんを迎えられるのだとその覚悟を感じました。
カウンセリングではるちゃんと対面し、事前に準備された環境や子犬との接し方を見てから、早速最初のアドバイスをさせていただきました。
生徒さんのコメントにもあるとおり、飼い主さんがネットで入手された情報を遠慮なく次々と覆していく私にびっくりされたことでしょう。
子犬期の生活環境と接し方、つまり子犬の環境整備は子犬の生涯にわたって影響を与えるため、どうしても譲れないという部分が多く大きく改変することをお願いしました。
せっかく準備された高価なペット用品も「これ使いませんね~」と撤去してしまい申し訳なかったです。
はるちゃんの子犬期の生活管理表は少し前のブログでご紹介しました。
管理表を見てもわかるとおりとても細かい観察力ではるちゃんの行動をチェックされていました。(この管理表を見てたくさんの生徒さんが救われました!お礼。)
レッスンのときにお渡ししたプリントは書き込みのあるポストイットが大量に張られており、毎回レッスンのときにはるちゃんの変化を飼い主さんから聞くことを楽しみにしていました。
よくなったこともあるし、成長と共に出てくる新しい行動もありました。
私にとってはどの行動も楽しく微笑ましいものでしたが、飼い主さんにとっては新しい箱が次々と空いていくような驚きと同時に戸惑いも感じられることがあったと思います。
その箱を開けることを恐れることなく、クラスを通してはるちゃんが犬として成長していく姿を見守ってこられた強さとはるちゃんへの真実の思いに感動しています。
はるちゃんの表情が弱々しい子犬から凛としてキリリとした表情に変化していったあるときに、やっと犬として人と生きていくことを決意できたのだなと感じました。
はるちゃんがこれからトレッキングクラスを通して成長していく姿をきっと皆さんも目にされることになると思います。
もうすぐトレッキングデビューしますのではるちゃんのこと、よろしくお願いします。
犬の生活環境を整えること:お庭やテラスの目隠しで犬の安心&安全を確保せよ!
犬のトレーニングクラスというと、犬にオスワリやオテを教えることから始まると勘違いされている方がまだまだ多いようです。
犬のトレーニングクラスの始まりは、犬がどのような年齢や状態であろうと変わりません。
犬を迎えたらまずしなければいけないのは、犬が安心して生活していけるように犬の生活環境を整えることです。
例えば子犬の場合には、安心して眠れる場所や排泄場所の確保、犬が安心できる接し方などを身に着けることがトレーニングの始まりです。
犬の環境整備では、犬が安心して活動できるように、ベランダやお庭周辺を整えることも必要です。
今日は、この中で飼い主さんが案外気づいていない犬を不安にさせる環境についてお話します。
それは、お庭やテラスと屋外との境界線の環境です。
庭やテラスから通行人が犬にむかって話しかたり手を出してなでたり、指を突っ込んできたりするようなことはないでしょうか。
通行人が犬に対してこのように接して来られるのは、テラスや庭の低い柵や通気を考えて設置された網の柵が多いようです。
犬がテラスに出ているときに、テラスの向こうから犬を見ていたり話しかけたりする人がいると、犬は大変不安定になります。
もちろん、見たり話しかける人は犬が好きな人なので悪気はないのですが、犬にとってはこの境界線越しに接する行為は、曖昧さにつながり不安を感じさせます。
犬は柵越しに話しかけられると、柵に向かって立ち上がったり、キャンキャンと吠えたり、鼻をならしたり、排泄をしたりするかもしれません。
これらの行動は、犬がその環境で不安を抱えているというシグナルです。
日常的によく来る来客で、室内でも会うことがあり、その人のことを犬が熟知している場合には穏やかな接触ができる場合もあります。
しかし、あまり知らない人や同じマンションの人やいつもそこを通る人で、人側は犬に愛着を持っていても、犬の方が同じであるとは限りません。
実際に、このような曖昧な柵という境界を越して接してくる人に対して、犬が噛みついたという例は少なくありません。
柵を越えて接した人に対する噛みつきの事故は100%人の方がルール違反で犬は悪くないのです。
でも人の方がかみつかれるまでは「今までは喜んで撫でられていた」と主張することで犬が豹変したと思われてしまいます。
犬はずっと同じ主張を繰り返していて結果として噛みつきに発展しただけなのです。
この問題は「境界線があいまいであったこと」。
ただそれだけのことです。
犬にとっての自分の敷地と外部の敷地とでは、直接触れることができない、直接見ることができないことではじめて「境界線がある」と認識されるのです。
中には明らかに外側の人が気づいていないのに、犬の側から外が見えることでわんわんと吠えてしまう場合もあります。
目隠しは境界線をはっきりと作り、犬に対して自分のテリトリーが安心かつ安全であるということを理解させる方法です。
写真は、黒柴ちゃんのご家庭のテラスに作っていただいた目隠しの境界線です。
この境界線があることで、柴犬ちゃんは鼻ならしや立ち上がりや飛びつく行為がなくなりました。
こうした工夫が、本当に犬の立場にたって考えることなのです。
ということは、犬のトレーニングクラスとは「犬の立場にたって考えることを学ぶこと」なのです。
犬のマナーパッドというおむつに違和感がなくなっているのは危険信号です。
犬のマナーパッド、つまり犬のおむつは犬が老犬や病気のときに犬が汚れないように犬の快適性を考えて利用するものだと考えていたのですが、世間ではどうやら違うようです。
つい最近、世界的にメジャーな某ショッピングサイトで犬アイテムを探していたときに、偶然見つけた動画に驚愕しました。
その驚愕した動画とは、犬の玩具(おもちゃ)の紹介動画でした。
トイプードルが人が投げる犬用おもちゃを走って取りに行き口にくわえては持ってくるという動画を繰り返し再生したものです。
そのプードルがなんとマナーバッドをはめているのです。
マナーパッドをはめたままボール遊びをしています。
きれいなスタジオのようなところで床が滑っているのも気になるのですが、マナーパッドが強烈すぎました。
数秒の短い動画なのでその間に犬がマーキングすることもなかなか難しいのではないかと思うのですが、写真スタジオで排泄されるのは困るということなのでしょう。
トイレのしつけができていない犬にボール遊びを教えるとは、驚きしかありません。
子供のおむつを外せないまま計算ドリルをさせているようなものです。
これだけマナーバッドが一般化してしまうということは、犬はもはやトイレのしつけはできない動物だとみなが思っているということでしょうか。
犬についての価値観がどんどん変化していくこの違和感をもし自分だけが持っているのだとしたら、と考えるのもまた怖いことです。
犬が完全に崩れてしまう前に、繰り返しですがいいます。
正常な犬におむつは必要ありません。
正常で健全な犬に排泄のトレーニングができないのであれば、やり方が間違っているか犬の生活環境にかなりストレスがかかっている可能性もあります。
犬にかかる最大のストレスとは、テリトリーに対する不安感と、人や他の動物(犬や猫との社会的な対立構造です。
気づいたら変えてあげましょう。
変えるのは犬ではなく環境の方です。
犬がかかってはいけない一番怖い病気とは何なの?
毎日がウイルスとの戦いの日々となってしまった「マスクをする動物」である人間たちを犬がどう思っているのかと考えています。
先日、訪問レッスンのときに小学生から質問を受けました。
「犬がかかってはいけない一番怖い病気ってなんなの?」
という質問でした。
そうだね、一番怖い病気は狂犬病だね。
質問者はどうやら狂犬病のことを学校で聞いたことがあるらしく「噛みついてくるようになる病気があるんだって」と言っていました。
そうそう、その噛みついて狂ったようになる病気のことを狂犬病というです。
狂犬病になってしまうと100%死んでしまうという恐ろしい病気なのだということを説明しました。
同時に、狂犬病には予防するワクチンがありすべての飼い犬が接種することが法律で義務付けられています。
定期的なワクチン接種で狂犬病の感染を予防することが可能で、人を守る法律であると同時に犬を守るワクチンでもあります。
狂犬病は犬からすべての哺乳類に感染するため、ネコなどが感染していても決して不思議ではありません。
人に蔓延したすべての感染症は野生動物から始まっているということらしいのですが、犬は野生動物とは見られないため、クリーンだと思い込みすぎなのはあまりにも危険です。
もちろん犬は適切な管理で、人に感染する病気を予防し、衛生に保つことで共に生活をすることができます。
人間との生活も長く、人にも自然と犬がもつ細菌にたいする抗体もついてくるでしょう。
それでも赤ちゃんや小さな子供さんとの接触には十分に注意してほしいのです。
ただし、人の生活に犬を組み込むために必要以上のシャンプや被毛の刈り込み、消臭剤の利用、投薬のし過ぎやお洋服や靴下、マナーパッドなどなど、動物の尊厳を奪うようなものを使用することはやめましょう。
お互いに尊重と敬意を持つことができる距離とそれに必要な環境があることがまず優先事項なのです。
今回の質問を受けたことで感じたこと。
感染しないようにする行動を教育することが、子供に対して病気について考えを巡らせることになっているのだなということ。
自分の周囲にあるものに対して小さな疑問を抱くことはとても大切なことで、次は正しく理解することです。
正しく恐れるということが大切なのでしょうが、動きのわからないウイルスについては専門家の方々もそれぞれ意見が違います。
あとは最後には自分自身で考えるという姿勢は絶対に必要だと思います。
犬のしつけ方についても同じです。
いろんな方法や考え方があるけれど、最後は自分でも考えることを忘れないでください。
映画「グレース・オブ・モナコ」の中に見る純犬種犬の行動と役割
映画を見るときにも映画の中に出てくる犬の行動がいちいち気になって仕方がないのは、もはや職業病だとは思います。
スクリーンの中の犬の姿があまりにも擬人的のときは嫌悪感がしてみるのを止めることもあります。
日本のテレビ番組で犬を見る気にならないのも同様の理由です。
しかし、中には映画の中で犬という動物について明確に記されているものもあります。
少し前に見た映画「グレース・オブ・モナコ」に出てくる犬もそうでした。
この映画はグレース・ケリー・モナコ王妃の自伝的ストーリーです。
ハリウッドの映画スターであったグレース・ケリーがヨーロッパのモナコ王の王妃となったことはまだ歴史に新しく覚えのある方も多いかと思います。
映画の舞台はモナコ王室で当時の貴族たちのきらびやかで豪華な生活を映画としてみることができます。
細かく再現することに意味のあったこの映画では、当時の貴族が飼う純犬種の姿もまた正確に再現されていると感じたのです。
最初に登場した犬はスパニエル系の大型犬2頭です。
グレース・ケリー王妃が貴族として作法を学ぶために通った貴族の家にその犬はいました。
最初にスクリーンに出てきたときの犬の姿は「フセの姿勢」。
2頭とも尾を振ることもなく顔を動かすこともなく、微動だにせず「フセてマテ」の待機状態で室内の暖炉の横当たりにいました。
犬の伏せている部屋で貴族の男爵がグレース王妃と会話をしています。
知らない人が見たらきっと「置物」だと勘違いされると思います。
場面が変わると城の庭部分を男爵と王妃が一緒に歩いています。
その横を先ほどの2頭の犬たちが駆け抜けていくのです。
庭では一定のルールを守れば活動を許されているということなのでしょう。
生き生きと走り抜けていく姿が非常に気持ちが良く「仕事終わった!さあ遊ぼう。」という雰囲気が出ています。
別のシーンに登場したのは、トイプードルです。
王室の子供が大人の会議中に地面に座ってトイプードルと遊んでいます。
トイプードルはまるで玩具、子供を傷つけないようにしつけをされている様子に見えます。
怯えもなく、小型犬特有の表情のなさはありますが、緩やかに動きを表現しています。
もちろんトイレシーツなどありませんし、マナーパッドなどしていません。
犬という動物を考えるときに、まずは犬という動物であると考えるのが始まり。
そしてその枝として純血種という犬について考えてみる必要があります。
純犬種犬は人が必要としたために作られた人為的繁殖による犬種です。
使役犬としてのはじまりはあったものの、現在の純犬種として系統立てたのは貴族の利用によってです。
貴族そのものが血統と純血にこだわる必要のある存在ですから当然のことです。
純犬種は系統事に役割と形が決められていました。
まさに貴族の階級制と同じようなものです。
純犬種はヨーロッパではひとつの文化であり伝統でもあるのです。
形と用途の両方が受け継がれているのかどうかは実際に見たことがないので不明ですが、その文化の中にいた犬の姿をこの映画では見ることができました。
この映画に出てくる犬の姿を日本人なら「かわいそう」というかもしれません。
しかし小さな室内に閉じ込められている犬を見てヨーロッパの犬を飼う方が目をそらしているとしたらどうでしょうか。
貴族のように純犬種を飼うことを進めているのではありません。
実際にはそんなにスペースもないですし、そんなことを言ったら犬は飼えません。
しかし犬のことを理解せずに犬を幸せにすることはできないというのは真実です。
犬は屋外の動物であり、犬の習性を崩さない、その上で犬を活用してきたという意味では純犬種という文化をもつヨーロッパの人々の中に学ぶこともあります。
しかし文化も永遠ではありません。
純犬種が生まれて200年近くがたとうとしています。
繰り返される人為的繁殖にどこかでひずみが生じるころです。
犬と暮らすなら犬のことをたくさん学んでください。
それは犬との暮らしを楽しくすることに必ずつながっています。