社会現象かもしれないなと思うほどに「お留守番できない犬」たちのご相談が続いています。
ネットでも検索すれば出てくるような有名なワードになってしまった「分離不安」という状態になっている犬たちが増えているということです。
犬の分離不安の代名詞ともいえる行動が「留守番ができない」です。
飼い主の留守番中に、吠える、排泄する、破壊行動をする、部屋を走り回る、遠吠えする、排泄にまみれる…などなど。
最近は留守番カメラもあり犬の留守中の様子が鮮明に記録されるようになりました。
そのことで今まで知りえなかった「留守番中の犬の様子」を見て、びっくりしている飼い主も増えているようです。
留守中に吠えでご近所に迷惑をかけるとか、留守中に部屋が排泄で汚されるといった問題がきっかけで犬の分離不安行動を解決したいというご相談を受けることがあります。
問題と向き合うきっかけはどんなにささいなことでも構いません。
なぜなら解決したいと思っているのは飼い主よりもむしろ犬の方だからです。
犬の行動の傾向の中に分離不安傾向がたくさん見られるなら、犬はかなり強いストレス状態にあるのです。
生活の基盤である食べることや寝ることすら楽しんでいない状態になっていることもよくあることです。
分離不安状態にある犬は飼い主にまとわりつきますので、コミュニケーションは十分に取れていると思うならそれは勘違いです。
分離不安状態にある犬は飼い主にコミュニケーションを求めているのではなく、飼い主に執着している状態だからです。
この分離不安ですが、大変強いレベルまで上がっていくと自己破壊行動となることもあり大変危険な状態です。
少しでも何かおかしいと感じられることがあったらすぐに解決のために動き出してほしいのです。
どんなに大変な分離不安状態でも改善できると私は信じていますが、いくつかの大切なお約束があります。
解決にたどり着いた犬と飼い主の傾向があるからです。
まず、飼い主の犬に対する責任という愛する気持ちが必要であること。
問題に取り組んでいるのは犬ではなく飼い主の方なので、困難が生じても乗り越える覚悟と決意があること。
そしてもしご家族でこの問題に取り組むなら、家族間での堅いチームワークが必要です。
この3つがそろっているなら、あとは専門家を信頼していっしょのチームとして犬の安心をつかみ取ってください。
それにかかる時間はすぐの場合もあるし、少し長くなることもあります。
結果良ければすべて良しということでしょうが、犬の成長はもっと素晴らしいものがあります。
結果よりも経過で起きている自分と犬の関わりの小さな変化を喜べる人こそ、犬との暮らしをより豊かに変えていける人です。
犬は人の10分の一の長さを生きています。
犬は幸せになるために生まれて来たはずです。
Author Archives: miyatake
犬の分離不安を絶対に解決するために必要なこととは。
犬の個々の性格は子犬の時期ほどわかりやすい
今週は柴犬の子犬2頭がお預かりクラスを利用して七山に来てくれました。
生後4ケ月と生後5ケ月。
人の年齢に例えるなら小学校の4年生と6年生くらいでしょうか。
数日のお預かりの時間を利用して、少しずつ距離を近づけるようにしながら接触をはかりました。
短いお預かりだったので無理はさせたくありませんが、同年齢の子犬をいっしょにお預かりする機会は貴重な時間なのでつい欲が出てしまいます。
一頭の犬くんは初めてのお預かりだったこともあり、自然環境の中で自分の中にはいってくるいろんな情報の処理や湧き上がってくる好奇心で体の動きも混乱気味で落ち着くのにはかなり時間がかかりました。
片方の犬くんはもうなんども七山を訪れていて環境の把握も早く余裕があります。
彼の視線は新米で同世代の犬くんの方にくぎ付けとなってました。
なんとか接触をさせつつ興奮を抑えつつ、動きもはやく興奮も高いので途中介入も楽ではありません。
しかしこうして同じ環境の中で子犬を見ていて思うのは、同じ犬種の月齢もさほど変わらない見た目はよくにている2頭の犬の表情や行動はかなり違いがあるということです。
犬の性格形成には大きく二つの要素が影響をしています。
いわゆる「氏か育ちか」というもので、性格形成に影響を与えているのは「遺伝的要因」と「環境的要因」のふたつに分けられます。
一般的に言われるように純血種の場合には「犬種」としての独特の行動の特徴があります。
これは遺伝的要因と言われるものですが、遺伝的要因は犬種だけではありません。
やはり子犬の親やその親といった代々受け継がれてきた行動の特徴というのがあり、それが子犬の個性となっているのです。
特に子犬のころは環境要因(飼育の環境や飼い主の接し方や経験など)の影響がまだ少ないため、遺伝的な要素がある程度わかりやすい時期です。
2頭の柴犬の子犬たちの行動や表情、動きのパターンなどを観察していると、思い白い発見がたくさんあります。
同じ柴犬という純血種として出やすい行動のパターン、親から受け継いだであろう個々の性格の質など似ているところ、似ていないところを比較しながら見ることでより子犬の個性が鮮明になってくるのです。
生後2ケ月から5ケ月齢くらいのころが一番個体としての性質(性格)がわかりやすいのです。
犬の個体の性質を個性と呼ぶなら、犬の個性がわかればわかるほど、その犬が必要としている社会経験などの環境の準備もわかってきます。
お預かりクラスはあっという間に終わってしまいましたが、犬の近くで、少し離れて、すごく離れて観察し、接し方を変えて観察し、考えてを繰り返していたことで自分は満足するとともにかなり消耗しました。
若い頃に比べると経験が増えて知識もたくさんあり惑わされるようなこともなくなってきたはずなのに、情報処理能力が衰えてきたということでしょうか。
子犬たちの成長が楽しみです。
手作りの犬小屋を見て思う、犬との暮らしを楽しむということ。
梅雨の晴れ間なのでしょうが、長い晴れ間が続いていて犬たちも心地よい時間を過ごせているようです。
最近、訪問レッスンに伺ったご家庭で手作りの犬小屋や犬の休憩小屋を見せていただきました。
マンションのテラスに設置されたヒノキ素材のすのこを器用に組み合わせた小屋を犬ちゃんは気に入っているらしく、レッスンの途中でも小屋に入って休む姿を見ることできました。
別のご家庭では、手作りの犬小屋が仮設置状態で犬ちゃんにとってはお試し住居といった様子を拝見できました。
こちらの小屋の方は塗りたてのペンキの匂いに反応して若干の警戒を示している犬ちゃんに「イメージと違う」と試行錯誤する飼い主さんの姿もありました。
こうして居心地の良い犬の居場所を自分の住まいの中に提供しようと工夫したり時間を割いたりすることこそ、まさに犬と暮らす楽しみのひとつではないかと思うのです。
相手の立場にたって、どうやったら犬が心地よい時間を持てるのだろうと考えること。
犬にとって必要な空間とはどのようなものなのだろうかと考えること。
そうすることが、結局は「犬ってどんな動物なんだろう」と考えるきっかけを与えてくれます。
この空間づくりによる犬の安定は、おやつやおもちゃを与えて犬を喜ばせることとは根本的な違いあります。
心地よい時間は犬だけのものであり、飼い主がその場所で犬が得られる満足を奪うことはできません。
そしてその犬の心地の良さを犬を遠くからみながら「気持ちが良さそうだな」と感じてうれしくなる程度です。
そういえば、私も中学生のときに柴犬が家にやってきたときに、スヌーピーのあの赤い屋根の小屋の中に入ることを願って、父の知人に頼んで手作りの小屋を作ってもらいました。
その赤い屋根の小屋に犬が寝る姿を見ることはなかったので、犬小屋としては今一つだったのでしょう。
犬の訓練士となった今では当時の私に教えてあげたいことがたくさんあります。
犬には犬として過ごす時間が必要なのです。
風のとおる場所、ひとりになれるスペース、太陽にあたりながらの日向ぼっこ。
大切な時間をみなさんのご家庭でどのように過ごすのか考えることを楽しんで下さい。

ヒノキの小屋でくつろぐ犬ちゃん
競争馬を蹴ったと非難する前にもっと深読みしてほしいこと
競馬の競争馬を見るのが好きになったという方からテレビ中継された競争馬の話を聞きました。
ところが馬の話は最近あったらしい事件のことになりました。
競馬のテレビ中継でパドックに入るのを嫌がる競争馬を引いている人が馬を叩いたり蹴ったりするシーンが放送されたらしいのです。
競馬は賭け事だけでなく馬が好きな人が見るスポーツでもあるので、その光景を見て嫌悪感を覚えるのは当然のことでしょう。
しかしこの話を聞いて私はもう少し別の考えもあってはいいのではないかと思いました。
私ならこうも考えます。
競馬馬、中央競馬ではサラブレッド、地方競馬では昔は農耕用として使っていたが今は使われなくなって行き場がなくなったような地方のばん馬なども使われています。
どちらも馬ですが、馬は存在する動物の中でも野生では存在せず家畜としてしか生きていないと言われる動物です。
野生馬を食い尽くしたのは私たち人間であって、それほど人にとって馬の活用価値は高かったのでしょう。
移動から農耕から軍事にいたるまで、万能だった馬も活躍の場を失って、私たちが一番目にするのが競走馬となりました。
人が利用する動物のことを家畜というのですが、馬は家畜なのです。
家畜という言葉の響きはあまりよくないと感じられるでしょうが、これが事実です。
家畜は人が様々な形で利用するものであって、競走馬は人に馴れ人のいうことを聞いて競馬をする馬のことを言います。
競走馬として優れていれば、繁殖馬として生涯を豊に過ごすことが約束されます。
でももし競走馬として価値がなかったとなれば、その馬は馬肉になる可能性も十分にあるのです。
競走馬として走ることを拒否してしまえばこの先はないと、もし私がその馬を育てた職員だったら蹴ってでも馬を走らせたいと思うかもしれません。
そうでなければ生きる場がのない馬を「なんとしても走れ」と思う気持ちが虐待なのでしょうか。
実際のこの事件の当事者の方がどのような思いでいたのかはわかりません。
しかし、家畜という動物の世界は華やかな世界だけではないという、裏側があるということを知ることにも価値があると思います。
先日おすすめの本として「快楽としての動物保護」という本を紹介しました。
動物を保護したり愛護する歴史や背景は実に複雑なもので、人が利用する動物の販売から利用にいたる背景もまた単純ではありません。
馬と同じように犬もまた、純血種の繁殖から販売、また雑種犬の保護から飼育にかけても、うまくいっていない問題はあまり表面に出ることはありません。
しかも犬は馬よりもずっと小さな動物にされてしまい、どんなにうまくいっていなくても室内になんとかかくし通して飼うこともできるサイズになってしまいました。
私の犬のことを理解したいという気持ちが、他の動物、なかでも人が強くかかわる動物への関心に向いていきます。
もちろん今目の前にわが犬がいる方は、まずは足元の犬の立場にたって考えることを優先させてください。
かわいそうという気持ちを捨てて、犬を尊重するという姿勢を飼い主が持つことです。
「犬のしつけ」を今できない理由は増えることはあっても減ることはない。
犬を飼ったのであれば次の二つは絶対に必要なことです。
1.人に馴らすこと。
2.人の言うことを聞くようにすること。
この二のことを実は「犬のしつけ」といいます。
犬のしつけというとすごく特別な犬にすることのように思われるのですが決してそうではありません。
犬のしつけは、言うことを聞かない犬にするものでもないのです。
犬を人に馴れさせることと、犬が人の言うことを聞くようにすること、は犬が人と安心して生きるために犬にとってむしろ必要なことなのです。
この「犬のしつけ」ですが、犬に問題が生じる前の子犬のころから始めると決めた方は、犬のしつけがすごく進みます。
ですが犬が1歳近くになってしまって吠えが激しく出始めた後や、2歳近くになりすでに人にかみつきが出てしまった後となると、子犬のころのようには行きません。
犬に問題行動が出てしまうと「この犬の行動は本当に良くなるだろうか。」という疑問が生じてしまい、なかなか犬のしつけに取り組むことができないようです。
ですが本当にそうでしょうか。
カウンセリングに伺ったときに「本当によくなりますか?」とよく聞かれます。
答えは「犬には問題はありません。飼い主さん次第ですよ。」です。
私次第ならやるしかないと決意を固める飼い主と、本当によくなるのだろうかと疑問を感じてしまう飼い主では当然のことながら犬の変化は違います。
前者はよくなり、後者はあまりよくなりません。
「本当によくなりますか?」の言葉の裏には、やらない理由を探してしまう飼い主の心理が働いているからです。
私にも同じようなことがあります。
例えばダイエット、本当にやったら結果が出るのかな?と思っている段階で「やらなくていい理由」を探しているのです。
ドッグスクールやしつけ教室に実際に通い始めてからも、人はまだ「やらないていい理由」を探してしまいます。
犬のしつけは行動の変化と習慣化です。
繰り返し練習や毎日の積み重ねが必要なので、根気のない方には向きません。
グッドボーイハートではたくさんの飼い主さんが犬とのより良い関係を実現してくれています。
みなさん根性があるなといつも感心させられます。
だから私も生徒さんのことを最後まで諦めません。
できるように説得はしませんが、逃げる理由は聞きません。
生徒さんができるようになるまで付き合う覚悟でいます。
やらなくていい理由は月日とともに増えていきます。
もう犬が5歳になるからもういいよとか、自分も年をとってきたから楽をしようとか、
子供が成長して忙しいからなど、やらなくていい理由は増え続けていきます。
少しでも「何か違うかも」とか「犬が落ち着いていないと感じる」のであれば、今日から犬のしつけを始めて下さい。
でもそのときはユーチューブやしつけ本に頼らずに、しつけの専門家の指導を受けて下さい。
全国各地どこででも犬のしつけの指導を受ける環境が整っています。
犬について知らないことをたくさん学んでください。
犬の方にはやらない理由もできない理由もありません。
犬と真剣に向かって、より良い関係を見つけて下さい。
グループトレッキングクラスを開催しました。
早い梅雨入りで慌てましたが晴れてよかった。
週末は七山でグループトレッキングクラスを開催しました。
新しい犬さんたちも参加して、ドキドキのスタートとなりました。
グループトレッキングクラスにご参加の生徒さんは、家庭訪問の環境整備のトレーニングを終えた方ばかりです。
プライベートトレッキングクラスで練習していただき、その後にグループトレッキングクラスに参加可能となります。
グループの頭数は5~8頭くらいが通常ですが今回は少しだけ多い頭数となりました。
犬たちが規律正しく同じ方向を向いて同じ速度で移動するいわゆる集団行動となります。
もちろん、山の季節によって変わる温度、空気、匂い、景色を犬と共感していただきながら気持ちよく過ごしていただくことも大切です。
グループクラスは多少緊張感がありますが、他の犬とのこうした行動も都会ではなかなか実現できないものです。
グッドボーイハートならできるオリジナルスタイルのトレッキングです。
山歩きの後は少しだけ犬と犬の対面のお勉強もいたします。
今できていることが犬の状態です。
焦らずせかさずゆっくりと取り組んでいただくこともとても大切なことです。
来月も開催しますので、ご参加の方はご連絡下さい。
「犬が尾を振ると喜んでいる」など…人間はなぜ間違いを犯すのだろう。
犬についての間違った情報が山のようにあって、ひとつひとつ修正しているだけでレッスン時間の大半を使ってしまうことがあります。
例えば「尾を振っているので喜んでいるんです。」という犬に対する間違った情報などがたくさんあるからです。
犬が尾を振っていると喜んでいるということを教科書で習ったわけではないのに、なぜそう思っているのでしょうか。
おそらく「誰かがいった」「どこかで聞いた」「ネットに書いてあった」ということでしょう。
ところが数の原理というのはすごいもので、長い間にたくさんの人に知れ渡った情報は、どんなに間違っていてもそれが正しいということになってしまいます。
犬が尾を振るのは喜んでいるときでもあるし、攻撃的になっているときでもあります。
ということは尾を振っている犬から噛みつかれても、犬の方が正しいのであってかみつかれた人間の方は間違っています。
犬は興奮したりテンションが上がったり、気持ちや体に動きのあるときに尾を振ります。
攻撃する前にも尾を振ることがあるし、餌を食べているときに尾を振っているからといって手出しして噛まれないという保証はどこにもありません。
体を触ったときに尾を振った場合にも、喜んでいると思ってどんどん触るとかみつきに転じることもあり、犬は急変したのではなく、興奮した状態がただ続いているというだけのことなのです。
こうした「犬についての間違った情報」が広がってしまうのは、誰かがいったというあいまいな情報をうのみにしてしまうという人が大多数だということでしょう。
また、専門外でわからないことはひとつでも減らしておきたいだから入ってきた情報をまず受け取ろうというということや、ネットで調べたとしても間違った情報がたくさんネットに掲載されているのですから修正のしようがないという現状もあります。
犬がこれだけ身近な動物になっている現在、犬と暮らしていない人も常に犬に接する機会があります。
子供のころからの犬についての正しい理解について学ぶ機会を提供すべきです。
ところが現在では幼児教育における犬についての勉強は「犬とのふれあい教室」といった「動物をかわいがり保護する学習」になっています。
日本では小型犬や愛玩化された大型犬の数が多くなったからかもしれません。
犬は本来は動物であり、犬という動物や個体についてよく知らなければ気安く抱きしめたりなでたりすべきでないということを教えられることが無くなってしまいました。
犬に対する正しい理解を求めるのは、人にとっての安全という利益であると同時に、犬自身にとっての安心な暮らしにつながっています。
今こそ思い込みや間違った情報の繰り返しを捨てるために、メディアや曖昧な媒体から知識を得ることを止めて、自分で考える機会を持てる学びの場所を選んでください。
グッドボーイハートは飼い主さんが自分で考えるドッグスクールです。
気安く答えを出さないので生徒さんからは「もやもやする」と言われることがあります。
なぜ答えを出さないかというと、私と犬の関係ではなく、生徒である飼い主さんと犬のあくまで個人的な関係のことだからです。
グッドボーイハートでは「もやもや」がクリアになる瞬間を楽しんでいただくことが飼い主さんの楽しみになっています。(ですよね!)
気長に付き合うと味のあるドッグスクールというと伝わりにくいでしょうか。
真剣に学びたい飼い主さんが集まるドッグスクールであることは間違いありません。
グッドボーイハートはいつも真剣勝負で、犬との暮らしを楽しく!を目指します。
おすすめの本「快楽としての動物保護」信岡朝子著・講談社選書メチエ出版
久しぶりに「かじりついて読んだ本」をご紹介します。
題目の本ですが「快楽としての動物保護」信岡朝子著です。
著者の信岡朝子氏は比較文学がご専門の文学研究学者であるとのことです。
博士課程論文に筆を加えられたとの内容が同書の「おわりに」のところで紹介されています。
本書を探したのはアマゾンで偶然見つけたのですが、この題名にすごく心を揺り動かされました。
動物保護か決して快楽と同等とは思ってはいないのですが、動物保護は動物ために必要なのではなく、人のためにあるのではないかと常々思っているからです。
さらに、本書のサブタイトルとなっている「『シートン動物記』から『ザ・コーヴ』へ」にも大変ひかれました。
映画「ザ・コーブ」は日本のイルカ漁を取り上げて話題になった映画ですが、同時にその後にこたえるように作られた映画「ビハインド・ザコーブ」を見たあとも、思うことがたくさんあるのだけれどなかなか言葉にはできないもどかしさのようなものがありました。
動物を助けたい、救いたいという単純な気持ちで起きている動物保護活動。
純粋で単純な気持ちであるはずのものも、莫大な歴史の流れの中に取り込まれており、私たち人類の歴史上の活動であることは間違いないと思います。
それは咲いている花をただ眺めてきれいだと思うだけの単純な気持ちとは違うからです。
この本のどこがいいのかを一言でいうことはできませんが、とにかくたくさんの方に読んでいただき、たくさんの犬と暮らす人がそれぞれの頭の中で考えていただきたい本なのです。
本の中に出てきた様々な動物にかかわきた方々から私はたくさんのことを学んできました。懐かしい名前もたくさんありました。
犬と狼について語る平岩米吉先生、オポの名づけとなったエルザの本の藤原英司先生、チンパンジーとコミュニケーションをするジェーン・グドール博士、イルカの脳の研究をするリリィ「博士、熊を負った星野道夫氏、そして尊敬するローレンツ博士…。
本を読みながら自分の頭の中の歴史を追うように夢中になって読みました。
この本は動物保護を否定するものではありません。
ただどんな歴史の中にも「良かれと思ってやったけれどやはり違っていた。」ということはあると思います。
自分自身の動物に対する愛、また世界の中での大きな動物保護活動という力についてもう一度考える機会にしていただける本だと確信しています。
読まれた方、感想を聞かせてください。
みなさんと語り合いたいです。
犬に噛まれる事故は他人ではなくて飼い主や家族に起きる
いつもお話しているのですが、犬はかみつく可能性があるという動物であるということを決して忘れずにいて欲しいのです。
それは、犬が危険な動物であると言っているのではなく、犬の能力として持ち合わせているということです。
人が他の動物や他の人を殺傷する可能性があるのと同じことです。
「犬が人にかみつく可能性がある」という一般論を特に私が言わなければいけなようなことでもないと思うのですが「あなたの犬もかみつく可能性がある」というと否定される方がほとんどです。
ところが「うちの犬がかみつくわけがない」とほとんどの飼い主が思っています。
室内飼育犬の飼い主には特にこの傾向があります。
こんなに小さくてかわいい犬が、こんなに可愛らしい犬が人にかみつくはずない、と思っているからこそ一緒に部屋の中で暮らしているのでしょう。
しかしその愛する犬が「いついかなるときにも絶対にかみつかない」という保証はどこにもありません。
そんなことを言われたら、犬とでは室内では一緒に暮らせないと訴えられることでしょう。
だからこそ、絶対とはいかなくてもかみつきの確立を限りなく99.999%に近付けるために犬のしつけという犬との関係作りが必要です。
犬が噛みつく理由にはいろいろとありますが、特にひどい傷をおうようなかみつき事故に関しては、「噛まれた人の方が境界線を越えたから」という理由がほとんどです。
夫婦や家族の喧嘩も同じことではないでしょうか。
境界線を越える=一線を越えて踏み込まれた、と感じたときに対立が生まれます。
この境界線ですが、日ごろからはっきりしていないと犬は常に飼い主とは対立の状態なので不安定な行動を繰り返します。
お互いが安心して暮らしていくための「人と犬の関係づくり」が必要なのです。
関係づくりには時間がかるため、犬を飼うための一定の規則と管理は犬を飼育する上では絶対に必要なことです。
犬に噛まれたのが家族であったら他人であるよりもまだましですが、家族であっても噛まれた人の心には傷が残ります。
同じように噛んだ方の犬にもトラウマが残ってしまいます。
曖昧な関係を犬は好みません。
境界線を作りそれをお互いに守ること、犬のトレーニングの基本です。
雨の日に外を眺める犬の姿がいとおしい
やっぱり雨になりました。
まだ梅雨入り宣言されていないようですが、雨降りのときの風の感じからすると梅雨のようです。
福岡では窓を開けたり庭に出たときにだけ感じる風の感じ、七山ではいつも外気との接触があるのでずっと外にいるような感覚で風を感じます。
福岡では得られなかった季節の肌触りが七山では感じられるのです。
お預かりクラスのときに雨がふると私も犬もガッカリではあります。
ただ雨だからこそ見られる犬の様子や表情というのもあります。
犬によってはクレートに戻りたがる、雨でも外に出たがる、降り続く雨をじーっと見ている犬もいます。
子犬や若い犬で社会的に安定している犬ほど、降り続く雨の風景をじっと見ているようです。
ひとつひとつの雨であっても、風の流れでにおいも音も変化していきます。
雲も流れているので強く降ったり弱く降ったりする雨を眺める犬の姿を、かわいいなと思いながら観察しています。
かわいいと思うのは犬の姿形やカットのスタイルのことではなく、表情もありません。
どこがかわいいのかうまく表現はできませんが、かわいいというよりはいとおしいと感じてるのかもしれません。
自分ではどうしようもない今起きている状況に対して、一秒一秒受け入れつつそして結果として変化を待っている犬の姿。
動物としては当たり前の姿なはずなのに、こうすればこうなる的結果を求める考え方しかできなくなった人間にとっては、純粋で貴重な姿です。
小鳥が鳴き始めました。
もうすぐ雨が弱まります。
動物が教えてくれる風景が自然の中にはあります。