何度拝見しても吸い込まれ、背筋を正され、考えさせられるこの記録映画をまた観ました。今回で三回目、いや四回目だと思います。
良心の実弾「医師・中村哲が遺したもの」
中村哲先生の活動は、福岡在住の方ならきっと耳にしたり目にしたりしたことがあると思います。もしくは、福岡市中央区の春吉にある「ペシャワールの会」という名前にきっと聞き覚えがあると思います。
この映画を見る以前の私も中村先生のことをほとんど知らないけれど、福岡の医師の先生が医療行為が受けられないどこか遠くの外国の地で医療活動を行っているらしい、すばらしい先生が世の中にはいるのだな、という程度の認識でしかありませんでした。
2019年の12月に中村先生がアフガニスタンのテロの銃撃によって亡くなったというニュースを聴いたときも、そのご葬儀がいつも通行する道路わきにある斎場で行われていたのを知ってその出来事を少しだけ身近なこととして感じたものの、素晴らしい人が殺害された不幸な事故だと思う程度で心にとめることもありませんでした。
しかし、このドキュメンタリー映画“良心の実弾「医師・中村哲が遺したもの」”を観たとき、どのように表現していいのか迷うのですが、心が震えるというか、深く心に何かが刻みこまれたという感覚を覚えたのです。
同時に人としてあまりにも自分が何もしていない存在と思えてしまい申し訳ない気持ちにもなりました。比較させていただくことすらおこがましいことで、中村先生が稀有な存在であることは十分承知の上で、私は何をやっているのだろうと落ち込んでしまうのです。
この映画から学ぶべきことを言葉で語りつくすことはできないのですが、あえていうなら二つあります。一つ目は、アフガニスタンの人々の過酷な身体状態が汚れた水であると知った中村先生が、自らがやることとして選択したことの大きな視点です。
同じことを知った優れた別の人なら、汚れた水が原因ならミネラルウォーターを大量に送るという行動に移るはずです。世界中から寄付を集めればある程度のミネラルウォーターを定期的に送ることは十分に可能ですしすぐにできることです。ところがここから先生の発想が「きれいな水をつくる」という井戸掘りの方向に向かっていくというその道の選択に圧倒されるのです。
二つ目はその選択肢に向かってなんのためらいもなく動き出す中村先生の中にある動力のすごさです。きれいな水があったらいいなというのは当たり前のことですが、そう簡単ではなく成功する可能性が非常に少ないことをなぜやろうという気持ちになるのか、そしてその方向に何のためらいもなく動くことができるのか。いや、なんのためらいもなくという言い方もあっていない気がします。
映画の冒頭部分で中村先生がいう言葉が耳に響きます。
No discussion, just practice.
私の受け取りでは、ノーディスカッションというのは他者との議論が必要ないということではなく、自分の中での議論することはもうないということではと。自分の中で良く起こる「これをした方がいいよね、いやできるわけないさ」というやりとりはもう必要ないということだと自分に言われているです。
議論がないなら実行あるのみですから、取り掛かれそうすればいつか達成するということなのでしょう。そうであっても絶対に必要な動力の奥にある深い力を中村哲先生の眼力に感じるのです。中村先生の眼には優しさを超える厳しさがあります。動画の中にもありましたが、中村先生と共に活動をされた方々は、先生と共に生きることができたことが人生の幸せだと感じられるはずです。
また、中村先生が対峙した相手が人ではなく自然環境であったことも、この動画をグッドボーイハートのみなさんに観ていただきたい理由です。人が触れる環境の中では、どのような環境も人の手の入らぬものはありません。みなさんが犬と歩く山も犬と遊ぶ川も、気持ちよく心地よいと感じるそのすばらしい自然環境も、きっと誰かが整備を続けている環境であるはずだからです。そしてそのことを決して忘れずに、いつかみなさんも得る方から与える方に変わっていただきたいのです。その日のためにも、ぜひこの動画をご覧になって下さい。
細かな事では、川から水路に水を引き込むことに何度も失敗を繰り返されたあと、朝倉にある山田堰(やまだぜき)という江戸時代に農業用に作られた堰にヒントを得られて取り組まれる姿には、人が自然の中で取り組んできた知恵が時と距離を超えて受け継がれていく流れを感じて感動しました。福岡県民なら身近な風景が見られる動画でもあります。
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