グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<クラスのこと>月日と共に緩やかに変わる犬の姿と行動を見逃さない

毎月トレッキングクラスを受講しにきている犬ちゃんといっしょにトレッキングをしました。

もう数年この七山で犬ちゃんの姿を見ているので、少しずつ変わる山の景色といっしょに犬ちゃんの成長も見てきました。

少しの時間だと変わったような変わらないような犬の行動も、長い月日の中でみるとずいぶんと変わったな、大人になったのだなと感じられるようになります。

犬と人は一緒に暮らしているのに流れている時間の幅がずいぶん違います。

若かった犬があっという間に年を取ってしまうことも仕方ありません。

犬は3才で30才くらいの大人なのに、人は3年経つてやっと仕事ができるようになるくらいなのです。

人が毎日をだらだらと過ごしているうちに犬はアッという間に成犬になり、中年になり、そしてシニア犬になっていきます。

犬は人の7倍の速さで生涯を生きていきます。

犬にとっては当たり前の時間が、人にとっては足りないと思ってしまう。

犬は10年しか活動期間がないのです。

その10年の間のどのくらいの犬としての社会的な時間があるのでしょうか。

週に1回でも月に1回でも、ゼロではありません。

トレッキングに来てくれた犬ちゃんは毎週のように飼い主さんと山歩きに出かけているそうです。

若いときは歩けたところが難しくなってきた。

前よりも探索して堂々と歩けるようになった。

尾歩山ではこれまでできあかった排泄が適切にできるようになり飼い主さんとの距離感も良い感じになってきました。

時間をかけてできるようになったことこそ、本当の成長だと思います。

時間をかける価値のあることなら結果ではなく経過に価値があります。

かけた時間の分だけ犬にとっては価値のある時間だったということになります。

だとしたら飼い主にとっても価値のある時間であったはずです。

こうして過ごした時間は記憶に深く残り思い出の日々となっていきます。

犬とのトレッキングはそんな時間になりえるのです。

共有する場所、共有する時間、そして共有する感覚。

共感とはそんなことではないだろうかと犬ちゃんと飼い主さんをみながら感じました。

トレッキングの中、山頂で休憩するクールくん



 

 

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<自然のこと>野生動物にもある仲間意識が消えゆく犬たち

犬たちとトレッキングクラスで尾歩山を歩いていたときのことです。

木々の上からガアガアとカラスの威嚇する声が聞こえます。

あきらかに「こっちにくるな」という低い鳴き声で数羽が私たちに向かってないています。

動物の死骸とかゴミかなにか餌でも持ち込んでいるのかと思って少し進むと、数m先に木の根元にうずくまるカラスを発見しました。

羽ばたきをぎこちなくして数メートル移動したが、明らかにケガをしている様子でした。

体を休めている傷ついたカラスに近付くなと仲間のカラスから威嚇されたのでした。

ケガをしたカラスが少し脇に移動してくれたので、わたしたちは犬を連れてそのまま山道を通過しました。

犬たちもカラスを追う気配を見せなかったので仲間カラスの襲撃を受けることはありませんでした。

それにしても、野生動物たちの群れの仲間意識の高さには驚かされます。

カラスといえば都会のごみ捨て場ではごみを奪いあっているカラスの姿しか見たことがなく、こんなに仲間意識が高い動物だったのかと感心しました。

自然環境の中では敵が多く、同じ種同士は結託しなければ生き永らえないのでしょう。

またゴミなどの資源を奪いあうよりも、力を合わせて大物を狩ることで食べ物を得ているためより仲間を必要とするのでしょう。

イヌ科動物も人が犬に関与するまでは犬同士が守りあう存在だったのでしょうが、人から餌をもらうようになってからは餌やテリトリーを奪い合うように変化してしまいました。

犬同士が本当に力を合わせるという姿を見ることはなかなかありません。

それでもトレッキングクラスの最中は野生動物に対しての恐怖からかグループ制が少しだけ高まります。

梅雨入りまでカウントダウンですが、梅雨の合間も社会性を育てる機会を山歩きで作っていきましょう。

 

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<犬のこと>犬にリードをつける意味をご存知ですか?

なぜ犬につなぐ引き紐のことをリードというのか?

犬と散歩するときに使う紐(ひも)のことを「リード」と呼ぶのをご存知でしょうか?

犬のレッスンのときに「リードをお持ちですか?」と尋ねると、わかる飼い主と分からない飼い主がいます。

「リード???」となったときには

「散歩のときに使う紐ですがお持ちですか?」と言い換えます。

そうすると「あー、あの紐のことですね。」といって本当に紐のようなリードを持ってこられます。

世代によっても分かれるようで、年配の方になるとほとんどの方が引き紐という方が通じます。

なぜ日本では引き紐といわれている犬につける“ひも”が“リード”と言われているのかをご存知でしょうか?

和製英語のリードですが、そもそもはリーシュという英語からきています。

リーシュは紐という意味でリーシュコードというのが正式につなぐ紐という意味です。

リーシュコードがリードと聞き取られてそうなったのかもしれません。

犬のリードは紐以上の意味を持つ

犬の散歩用の紐はリーシュからきていて、海外のペットコーナーでもリードではなくリーシュといわないと通じません。

でもリードという言い方はとても都合が良いものです。

リードといえばリーシュよりもリーダーするのリードを想像させてくれます。

犬にリードをつけて歩くというと、紐をつけて歩くという表現よりも、犬をリードしながら歩くのだと意識づけてくれることもできます。

犬に紐をつけて歩くというと、犬の紐をもったまま犬の後ろをついて歩く人の姿を想像してしまいます。

犬にリードをつけて歩くというと、犬の前を人が歩く姿を想像しませんか

この後者の歩き方が犬を落ち着かせることのできる犬の散歩の姿なので、積極的に犬のリードという言葉を使っていただきたいと思います。

散歩のときに犬にリードをつける意味

散歩のときに犬にリードをつけて歩くのは犬が逃げてしまうのを防止するためではありません。

犬と安全に散歩という社会的な活動を行うために、犬をリードしながら散歩をするための道具が犬のリードです。

犬が安心して安全に飼い主といっしょに散歩に行くというのは犬にとって大切な活動です。

犬を安心させるためにリードが必要であり、そのことで結果として犬と人は安全に散歩をすることができます。

特に都会の散歩となると刺激の多い空間を縫うように歩いていかなければいけないこともあります。

危険な横断歩道を渡ったり、自転車がわきを通行したり、車も人の横を通ることもあります。

急に猫が飛び出してきたり、子どもが走ってきたり、他の犬とすれ違ったりと、犬にとっては興奮する出来事がたくさんおきます。

犬がリードを通して人の動きを知り、人に沿うように歩くようになれば犬にリードの意味を伝えることに成功しています。

でも犬がリードに反発したり、リードをひっぱったり、リードを噛んだり、地面に寝転がったり、後ずさったりするような行動をするときには、犬はリードを持っている人に従うことに抵抗を示しています。

人はこの姿を見て「リードという紐」が嫌なのだと誤解します。

真実は違います。

犬が嫌がっているのは「リードを持っている人に従う」ことなのです。

犬はなぜリードを持っている人に従わないのか

なぜ犬はリードを持っている自分に対して従ってくれないのだろうか。

犬が悪いのでしょうか?

いえ犬は決して悪くありません。

犬は正直に目の前に起きていることに正しく反応しているだけです。

だから犬に対してカッとなったり怒ったりするのは止めましょう。

飼い主としてもうひとつランクアップすれば、犬は人と共に軽やかにリードをつけて歩いてくれます。

その日が来るのは明後日かもしれないし、一年後かもしれません。

どちらにしても楽しみです。

小手先のごほうびはもう使わずに、飼い主として真剣勝負で挑みましょう。

犬もきっと真剣に向き合ってくれるはずです!

犬のリード歩行は大切なトレーニング

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<犬のこと>飼い主にとっていいことでも犬にとっていいことではないとは?

前回のブログで紹介したダンナくんも賞賛したパンク町田さんが言った事をおさらいします。

飼い主にとっていいことでも犬にとっていいことではない。

この言葉ですが犬の飼い主にとってはとても重い言葉なのです。

本当にこの言葉を受け取れる方、この言葉の意味のわかる飼い主ってどのくらいいるでしょうか?

例えば、犬のトイレ場所問題についてもこの言葉が当てはまります。

室内のトイレシーツの上で犬に排泄をさせるのは、飼い主にとっていいことではあるが犬にとっていいことではない。

犬の排泄場所問題についてはブログ記事にもいくつか書いていますのでご覧になってください。

大切なことなのでリンクを貼っておきます。

関連記事→<犬のこと>とても大切なことなのに見逃してしまう「犬はどこで排泄をするのか」

関連記事→<犬のこと>犬は境界線の上に排泄をする動物です

関連記事→<犬のこと>飼い主さん自家製のペットドアでベランダへ排泄にでるご機嫌なメイちゃん

関連記事→<犬のしつけ方>オスワリやオテができるのにトイレができない犬たち

関連記事→<犬のこと>子犬のトイレのしつけは将来にわたり犬の行動に影響を与えます

関連記事→<犬のしつけ方>犬の社会性に大きな影響を与える犬用のケイジとサークル使いの注意点

こうしてリンクを貼ると結構記事がありました。

ではこれはどうでしょうか?

犬を抱っこすることが飼い主にとってはいいことであっても犬にとっていいことではない

犬を抱っこすることは飼い主にとっていいことであって、犬にとってもいいことであると思っているのなら、すでに犬は犬として生きることを尊重されていません。

なぜなら親犬ですら犬を抱っこすることはありません。

親犬は子犬を運ぶときには首元をつかむようにして運びます。

それが犬を大切に扱う親犬の行動です。

自分がいかに強くあなたを守れるべき存在であるかということを子犬に知らしめることが、子犬が親と安心して暮らすことのできる「犬として」の伝え方だからです。

逆に飼い主が犬を抱っこすることで起きる犬にとってのデメリットはいくつも上げることができます。

適当な過去記事がなかったので後日ブログでまとめてみます。

飼い主さんが今やっている行動を説明するときに、直接的に避難しているように感じられて傷つかれることもあると思います。

でも遠回しに言ったとしても伝えたいことは同じなのです。

だったらダイレクトに伝えて私のことを嫌いになっても全く構いません。

それが事実だということを知っていただき、飼い主と犬の関係が改善することで犬が犬として生きる権利を獲得されるのであれば自分はそれが一番大切なことだと思っているからです。

飼い主にとっていいことでも犬にとっていいことではない。

自分が犬にしている行動の中で探してみてください。

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パンク町田のテレビ番組で犬のこと見たんです。


パンク町田さんがテレビで犬の調教



家庭訪問トレーニングの帰り間際に飼い主さんが「パンク町田の番組で首輪のことを…」と語りはじめて「ああ、あのことか」と昨日のダンナくんとの会話を思い出しました。

パンク町田さんとは動物行動学の専門家兼タレントさんらしく、地上波のテレビ番組をほとんど見ることのない私は一度もパンクさんを見たことがありません。※詳しく知らずにすみません。

私のように知らない方のために説明すると、パンク町田さんはオオカミやトラや鷲なども調教するほどの動物に通じている方らしいです。

そのパンク町田さんがかみつきのあるプードルを調教するというテレビ番組が放送されました。

犬に関する地上波テレビ番組を見ると怒りが出るので見ないようにしていますが、録画した番組を「見たくない」という私の前で一から十までダンナくんが説明を始めました。

プードルは飼い主に噛みつくようになっており、その噛みつき矯正するためにやったことが散歩の練習だったらしいのです。


パンク町田の犬の散歩で訴えたこと



パンク町田さんはその噛みつくプードルの散歩で、首輪をつけて歩くことと、飼い主の前ではなく横を歩かせるようにというルールを教えたらしいのです。

ダンナくんがいうには、いつも私が言っていることと同じことだったから、パンク町田は案外、犬のことが分かっているのだろうなと感心したというのです。

翌日生徒さんからも、こういわれました。

「先日、トレーニングのときに首輪をつけられるようにならないといけないとおっしゃったじゃないですか…。

パンク町田がかみつくプードルに、首輪で歩けるようにならないといけないといっていて…先生も同じことを言われたいたなと思ってびっくりしました。」

私はパンク町田さんと私が犬について共通の理解をしているかどうか全くわかりません。

ただ、散歩のルールとしてパンク町田が訴えた以下の二つのルールは絶対です。

1 首輪をつけて散歩に行けるようになること。

ただし子犬のときはハーネスで十分です。

生後1才くらいまでに首輪で行けるようになると良いです。

2 散歩のときは人の横を歩けるように、人の前を歩いてはいけない。

これは小さいころから教えたいことですが、できるようになるのは数ヶ月たってからでしょう。

むしろ生後6ケ月くらいまではできていても、その後再びできなくなってしまうので再度教える必要があります。

パンク町田さんは矯正の首輪を使ったようですが、テレビのように短時間でさせる場合には致し方ないでしょうか。

時間をかけるのであれば矯正首輪は必要ありません。


犬にとっていいことと飼い主にとっていいことは違う



さらにダンナくんは熱く語りました。

「パンクがいったんだよ。飼い主のあなたがやっていることはあなたにとっていいことであって犬にとっていいことではないって…。

あいつ結構わかっとるんやなと思ってビックリした。」

パンク町田さんに対して上から目線のダンナくんもどうなんだろうと思いますが、常日頃から私の弟子として犬の世話をしていればそうなるのも仕方ありません。

本当にパンク町田さんの言うとおりです。

犬を抱っこして甘やかす行為は、飼い主がやりたいことであって、犬にとっていいことではないのです。

飼い主が犬を甘やかす行為はむしろ犬にとってデメリットでしかありません。

不安定な飼い主の育て方によって犬は「噛む犬」になってしまうのです。


犬のしつけも新しい時代に入るのか



パンク町田さんのような主張は、少し前の時代には通用しませんでした。

犬の首輪をつけて人の横を歩かせるのが犬にとっていいことなのだと言い切れる人ってなかなかいなかったのです。

以前なら犬がかわいそう、犬が喜んでいないと、たくさんのクレームが来たかもしれせん。

でも社会が変わり始めているようです。

パンク町田さんのように正直に真正面から向かっていく人がテレビ番組に登場できるようになったこともひとつの流れとしては歓迎します。

そこでみなさんに質問です。

なぜ犬にハーネスではなく首輪をつけて歩けるようにならなければいけないのでしょうか?

この質問に答えられる人は、犬のことがかなりわかっています。

グッドボーイハートの生徒さんは最先端を行くから、きっと答えていただけると期待しています。



首輪で散歩の練習





 

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<犬のこと>夢見る老犬くんを横目に変化のための準備作戦を練る

気持ちのいいお天気が続いています。

外出のたびにマスク着用で気分もうっとおしくなりがちです。

マスクをつけて歩いている人々を犬はどのような気持ちで見ているのでしょうか。

見かけからはわからなくても、感情の変化は臭いとなって伝わります。

人々の変化は臭いとなって犬にバレバレなのかもしれません。

そんな犬たちに、少し気分転換する時間をつくるのも良いかと思います。

昨日は老犬くんが七山に遊びに来てくれました。

ゆっくりと年齢を重ねる中では体にもいろんな不具合が起こります。

老いの変化は付き合っていくしかないのは、人も犬も同じことですね。

老犬くんはお庭を少し散策したあとテラスで寝始めました。

風の運んでくるかおり、ウグイスのなき声、とゆっくりと時間がすぎる七山で

少しリラックスしたのか寝言をいって寝ています。

飼い主さんとはこれから起きる環境の変化についての準備の打ち合わせをしました。

犬のトレーニングのクラスを受けるメリットは、すでに起きてしまった問題を解決することだけではありません。

もっと高いメリットは、これから起きる変化を事前に予測して対応できることです。

その変化とは、外側の環境の変化であったり、飼い主の内面の変化であったり、犬の成長の変化であったりといろいろあります。

犬は、というか動物そのものは変化に対して敏感です。

良い方向に変化するのであっても、変えることには抵抗が起こります。

犬が変化に抵抗したり、適応せずにストレスを感じる行動を起こしたときに、どのように対応すればよいのかを事前に準備するのも犬のトレーニングクラスの目的です。

作戦会議も広々としたノーコロナの七山だと頭の回転もさえてきます。

人生にはいろんな変化がある、だとしたら楽しめるものは楽しむしかありません。

老犬くんは寝起きの顔で帰っていきました。

犬の老いを喜ぶことはなかなか難しいですが、年をとったな長生きしてくれてありがとうという気持ちは伝わると思います。

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Posted in 日々のこと, 犬のこと

<犬のこと>犬には悪気はない問題行動だからややこしい

先日ある本を読んでいてこのブログ記事の題目を思いつきました。

その本というのは池谷さんという薬学博士の書いた古い本です。

脳の仕組みは動物の行動に影響を与えるので、気楽に読める本は常に手元に置いています。

優しい言葉で書いてるのですが内容は自分などにとってはかなり難しいもの、それでも日常生活に当てはめてある説明には興味を惹かれます。

池谷博士というと脳の海馬の研究者として有名だということはご存知の方もいらっしゃるでしょう。

その池谷氏の本にあった行動のしくみ。

その行動は無意識にしているのか意識していしているのかということです。

その犬の行動が無意識なのか意識的なのかを考えたことがあるでしょうか。

犬に意識などあるのかといのうがはじめの反論になりそうですが、意識的行動、無意識行動は脳内からくる行動です。

犬と人では脳の構造は違いますが、犬にも脳がある、であれば犬にも意識はある、ということは犬にも無意識の行動があるということです。

ここではその前提で話を進めます。

本の文書中ででききた日常的な人の無意識行動の例は「箸を使うこと」でした。

箸を持つときに筋肉の動きを考える人はいない、

でも箸は生まれたときから持てたのではない。

箸を使うことを小さいときに覚えてそれを繰り返し毎日何度も練習するうちに箸が使えるようになり、その後無意識で箸を使うようになったのです。

だからそのことに集中しなくてもその行動をしてしまいます。

そのような無意識行動は、実はつねに犬の中に起きています。

何かをきっかけに始まった行動で犬が同じ行動を毎日何度も積み重ねるようにしていくと、その行動そのものが無意識的に始まります。

犬が意識的に行動を起こしていることを改善したり修正したりすることはさほど難しいことではありません。

むしろ犬の行動改善において難しいのは、この無意識的行動の方です。

しかも無意識的行動は、脳の奥深くとつながっていると考えてください。

箸を使う行動のように、学習によって得られた無意識行動ですら脳の機能の中で成り立っています。

箸を使う行動はその行動の結果食べ物を口にするのですから、人にとっては報酬と結びついていきます。

無意識の行動の連続で食べ物が自分の口に入ってくる。

犬にも同じようなことが起きています。

犬がある行動をしたときに何かの報酬を得ると、報酬脳が刺激されます。

そうすると再び同じ行動が起きる、これを繰り返すと次に行動が起きるときには犬の方で「これをやろう」という意志はほとんどないのです。

どのような行動がこれに当てはまるかというと、犬が日常的に繰り替えす行動に焦点を当ててみるといいでしょう。

ボールを追う

自分の脚先をなめる

床をなめる

家具をかじる

排尿をする

こうした小さな行動が繰り返されるときには、行動のきっかけには理由はなく、ただ無意識的に報酬を求める行動が起きているということになります。

犬には悪気はない、だからこそ「これはダメなことなのだ」と道徳観に訴えても労力の無駄ということです。

人側の強い反発が有効なのは、その行動を起こした数回以内に限ります。

だからこそ犬のしつけは子犬のうちからがいいのです。

犬が無意識な行動を繰り返すことは、ただ経験を重ねる経験学習をしていることになるからです。

それは人にとって良いことでないことの方が多いし、同時に犬にとっても利益のないことがほとんどです。

動物の脳は自分を破壊するためにあるのではない。

犬の脳は自分を壊すためにあるのではないはずなのですが、犬にはストレス行動が多い。

無意識の世界は本当に奥深くからやってきますので図りようもありませんが、飼い主としてできることは犬が出す行動はすべてシグナルとして受け取り、適切な手伝いをするべきだということです。

やることがたくさんありすぎで飼い主としては混乱するかもしれません。

しかしむしろその方が、本当に犬に向き合っていると言えます。

答えが簡単に出るわけはないのです。

だから犬と関わるというのはどこまでいっても面白いのだと私は思います。

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<犬のこと>とても大切なことなのに見逃してしまう「犬はどこで排泄をするのか」

犬のしつけを考えるときは、犬が動物として維持し続けるように協力することが飼い主もしくは犬を管理するものの務めです。

犬が動物として維持し続けること

果たしてどんなことだと感じるでしょうか。

犬のしつけ方が犬に負担をかける理由は「人にとって利点があるのか」という観点から考えすぎることです。

人にとって都合が良いという部分と、犬にとって不都合だという部分が重なってしまう場合には、もう一度犬にしてもらいたいことを考えなおすべきです。

犬のしつけ方の向かうべき方向を再構築するということです。

犬という漢字の中央に人という文字が入り込んでいるわけですから、犬はかなり昔から人と共にあったことは想像できます。

そのために人から受けるべきいろんな強制に対して、反発したり攻撃したり許容したりしてきたでしょう。

犬のペット化が急速に進んでしまった現代では、犬はもはや人との折り合いをつけることすら難しくなりました。

犬は人のいいなりになるしかないのです。

だからこそ、犬にとってどうなのかということを考えてほしいのです。

前置きが長くなりましたが、この姿勢こそ大切なものです。

ここがぶれてしまうと形だけが先行してしまいいつまでも魂が入りません。

そして題目に戻りますが、そう考えると「犬がどこで排泄をするのか」と考えたときに答えは明らかです。

犬は屋外で排泄をする動物なのです。

室内トイレは人の都合でしかないことをまず知る必要があります。

また犬は歩きながら排泄をたれ流したりはしません。

犬には散歩中にも適切な排泄場が必要です。

犬の排泄はテリトリーの境界線を示す方法として毎日使われています。

サークルの中で犬にトイレをさせることは、犬に対してあなたは囚われの身なのだと言い聞かせているようなものです。

犬を早くサークルから解放してあげてください。

犬があなたの家族であるならなおさらのことです。

犬はそもそも自由であることを体感する権利をもつ動物なのです。

もうこのことを理解できる人が本当に少なくなったと感じています。

本当に犬のことが知りたいという方、犬のストレスを向き合って解決したい方は、
今からでも大丈夫です。

真剣勝負でいっしょにがんばりましょう。

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<犬のこと>犬の行動が不安定なときは管理を厳しくが犬のしつけの基本

今日から以前の日常生活が戻ってくるという方も多いでしょう。

都会の犬たちにもまた以前の生活が戻ってきます。

都会の犬たちの生活のパターンとは長い留守番と活動量の少ない生活です。

犬の行動は欲求が満たされているほどストレスが低く、欲求不満にいたるほどストレスが軽減されるのは人と同じです。

ステイホーム週間から本来の日常生活に戻る今回の生活のパターンは、犬にとって欲求不満に陥ることになります。

あくまでステイホーム週間に犬と向き合って時間を過ごした飼い主に限ってのことですが、グッドボーイハートの生徒さんたちならきっとそうされたのだろうなと想像しています。

一生懸命向き合ったのに日常が戻ってくるのが犬にストレスを与えると考えると違和感や矛盾を感じるかもしれません。

だったらステイホーム中も留守番させておけば良かったのかと考えてしまうかもしれませんが、それは違いますので安心してください。

もし間違った接し方をしたとしたら、ステイホーム中にお互いの境界線を踏み越えて、ダッコ(抱っこ)生活、ハグ生活、べったり生活をしていた場合に限ります。

犬との距離感を保ちながらより良い関係を作るために時間を作られたなら、そのことは必ず将来うれしいお知らせとしてかえってきます。

さて、生活のパターンの変化で犬の行動や多少不安定になるということは予測しましょう。

行動に現れなくても食欲、身体的反応にも表れることがあります。

下痢だったり皮膚病だったりすることもあります。

普段から社会化力が少し低めの犬たちは耐久力がなく反応も多少強いことも覚悟しましょう。

その上で、飼い主が今やってあげられることははっきりしています。

犬のしつけの基本ですが、犬の行動が不安定になったときには管理を厳しくするということです。

管理を厳しくするというのは今飼い主さんが利用している犬を管理する道具を上手に活用するということです。

ハウストレーニング、トイレトレーニング、散歩トレーニング、合図に応じるトレーニングを習慣化できている犬はこれらの管理を強めてください。

最初に管理をはじめた状態が強い状態で、行動が安定してくると管理を緩める、だけど行動が不安定になると再び犬の管理を強めるというのが犬のしつけの基本です。

本当は私たち人間も同じような習性をもっていますので自分に当てはめて考えてみても理解しやすいと思います。

特に日本人は歴史的に統率の中に入るとまとまりやすい民族のようで、危機感が強まるときほど法律や規則で強く管理される方が行動は安定します。

今回の自粛生活にもそのような傾向がありました。

だれかに管理されているルールがあるのだという上で活動するのが社会なのです。

ただ同時に従うことで自分の生命も保持される守るものがいるのだと感じることも必要です。

これはごほうびと罰の原理ではありません。

人と犬が社会的な動物だという原則にのっとって実現する社会なのです。

犬を過剰に叱ったりほめたりする必要はありません。

しっかりと犬を管理してあげ、そして保護すること、それが飼い主としての役割です。

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<犬のこと>今こそ学べる犬にも必要なソーシャルディスタンスで犬を尊重しよう!

連日のテレビやラジオで求められる新型コロナウイルス感染防止のための三密を避けるマナーとして広がった「ソーシャルディスタンス」

人と人との距離をどの程度あけたらいいのか具体的な行動で毎日練習することになりました。

例えば分かりやすいのはスーパーのレジに並ぶときです。

レジの前の床面にはシールの位置はお互いに約2メートルくらいの距離が保つように配置されています。

2メートルを離れること、これが相手とのソーシャルディスタンス(社会的距離)です。

今まで社会的距離という名前を知らなかった人たちにも行動制限とともに認識が広がりました。


このソーシャルディスタンスですがそもそもパーソナルスペースを基に考えられています。

パーソナルスペース(※パーソナルバブルとも呼ばれる)は個人の守るべきスペースのことで、この範囲内に他人が入ってくると違和感を感じるスペースです。

人では両手を広げが範囲がパーソナルスペースになりますので前後左右に1メートルの円を描いたスペースを考えましょう。

ソーシャルディスタンスとはこのパーソナルスペースが重なりあわない距離のことですのでぎりぎり2メートルです。

普段はレジに並ぶときでも前の方との距離が1メートルくらいの感覚で並んでいたと思いますので、この状態ではお互いのパーソナルスペースが重なっています。

しかし社会的に必要がある場合、たとえばエレベータの中などの密接空間では、パーソナルスペースの中に他人が入ってくることを了承するように脳に伝える機能があります。

このパーソナルスペースの獲得はとても大切なもので、上記のように密接な状態でも安全だと判断できる人はそもそもパーソナルスペースをきちんと獲得している個人の場合です。

パーソナルスペースを獲得するという意味を説明するためには日常生活を例に挙げます。

みなさんが広い道を歩いていたとして、自分のパーソナルスペースの中に急に他人が接近してきたら違和感を覚えると思います。
そうであれば自分のパーソナルスペースは獲得できています。

逆にパーソナルスペースよりも遠い場所に他人がいるにも関わらず脅かされていると感じてしまうときにはパーソナルスペースが獲得されていません。

個人を中心とした円形の防御機能が崩れているために、どこまでを守ればいいのかわからなくなっているのです。


そして犬のことですが、犬のもちろんパーソナルスペース、ソーシャルディスタンスがあります。

犬は人と同じく同種で社会活動をする動物です。

社会活動をする動物にはお互いの距離感を適切に保つスペースが必要なのです。

それがパーソナルスペースです。

犬の場合にはどの程度の社会的距離が保たれているかということですが、空間の広い屋外で活動する動物である犬の場合にはパーソナルスペースは人よりも少し広めに感じます。

パーソナルスペースは個体の大きさにも影響を受けますので一概にこのサイズとはいいがたいのですが、屋外で知らない犬同士が距離を縮めずに相手を観察できる距離は8~10メートル近くです。

犬は人よりも俊敏なため1秒でかなりの距離を移動することができます。

8メートルの距離感は相手の犬がもし動き出したときに自分も反応して交わすことができるそんな距離感です。

同じグループの犬同士の社会的に安心でいる距離は2~3メートルくらいです。

狭い室内ではとても保てる距離ではありませんが、犬にも「人のエレベータの中の原理」が働くため、部屋の広さに応じてパーソナルスペースを狭くして維持するやり方があります。

しかしあまりにも部屋が狭すぎると常に誰かとスペースがかぶさっている状態になります。

自分のベッドやハウスといった固定のテリトリーで境界線を維持することでその狭いスペースでのストレスから解放されています。

日本のような狭い部屋の中に犬と共に暮らしたいのであれば、小さいころからクレート(ハウス)や犬用ベッドでひとりで過ごせるようにするパーソナルスペース確保の練習はなくてはならないものです。

犬を育てる段階でこのふたつのスペースで犬がみずからパーソナルスペースを守る方法を身に着けるチャンスがなかった場合、犬によっては飼い主のスペースにつねに張り付く分離不安行動が身についてしまいます。

飼い主の足元に寝そべる

飼い主のうしろについて回る

飼い主の外出で騒ぐ

こうした行動が見られたときにはすでに分離不安というパーソナルスペースが獲得されていない状態に犬が陥っています。

犬は飼い主のスペースを自分の逃げ場として利用していますので、飼い主への執着がはじまりその行動はやがて攻撃性へと発展していきます。

こうなった場合に対応法ですが、飼い主側が相当の覚悟をもって分離に取り組まない限り問題を解決することができません。

トレーニングの際にも多少のお預かり時間で分離のきっかけをつくっても、帰宅するとすぐに犬は飼い主のスペースに潜り込んでしまいます。

犬の方に問題があるように思えるこうした行動も、自分のスペースに潜り込ませてしまう飼い主のパーソナルスペースという境界線の甘さの方に問題があるだけです。

論理的に考えると決して難しいことではないのですが、人もパーソナルスペースを獲得できていないもしくは失いかけている場合にはこの問題はとてもつもない時間を必要とします。

先ほどの話に戻りますが、日本人自体が小さな家や部屋といった(犬でいうハウス)空間を利用したパーソナルスペースの維持を持っているだけで、個人としては大変緩いなと感じます。

私は人の専門家ではありませんが、身近な犬たちに分離不安が多いのは犬種や生活環境といった問題の他に、都市環境の日本人のスペース問題があるのではないかと真剣に考えています。

なぜなら家と広い庭のある開放的な七山のような田舎地区で悠々と外飼いを謳歌している犬たちに分離不安のような行動を見ることができないからです。

長くなりましたが犬の分離不安行動はパニック行動や自己破壊行動につながるものです。

この問題は犬たちにとってはデメリットでしかないのにそれを解決する方法は飼い主の環境整備と飼い主本人のスペース確保の問題につながってしまいますので問題が起きるまえに、絶対に犬のしつけとしてやっていただきたいことはただの三つです。

トイレトレーニング、ハウストレーニング、ベッドでの待機トレーニング

この三つができればあとは追いつきなんとかなります。

そして常に犬のパーソナルスペースと犬と他人、犬と犬のソーシャルディスタンスには注意を払いましょう。

これは犬と社会的な関係を築いていくうえでの最も大切なマナーなのです。

私はもうこれ以上犬が壊れてしまうのを見たくありません。

どうか犬を尊重しましょう。


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