グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

トップページ
お電話でのお問い合わせ
お問い合わせフォーム

<クラス>雪が降ったら犬が変わる、今年最後のテントクラス開催しました

寒い週末になりましたが、七山では雪は降っていません。

毎月テントクラスを楽しみにしている老犬たちと、テントクラスを開催しました。

雪が降ると交通が不便になり困るのですが、雪が降るのを期待している気持ちもあってなんだか複雑です。

雪が降るというのはなぜかテンションが上がることなのです。

犬も雪が降ってくるといつもと違う表情や行動を見せてくれます。

積雪するととてもはしゃぐ若い犬のいるけれど、年を取ってくると派手さはないけど深みのある感覚に変わっていくのでしょうか。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
そんな雪の中の犬の姿を見たいという気持ちもあって、雪を期待してしまいました。

今回ははずれでしたが、七山では年に数回積雪しますのでぜひ七山トレッキングクラスに起こしいただきたいです。

人の力だけで犬をなんとかしようと思っても限界があります。

動物が本当に変化していけるのは人がつくったルールだけではなく、それを取り巻くもっと大きな環境だと思うのです。

その大きな環境とは、自然という人の力では支配できない力であって、自然が持つルールの中に人も犬も入っているのだということを知らしめてくれるもののひとつとして雪の中で謙虚になれるのが動物というものではないでしょうか。

テントクラス中、部屋で暖がとれるようにと暖炉をいれていました。

DSC_0548
生徒さんのおひとりが「この暖炉と毛布があったらずっとここで過ごせるというきもちになれる、無敵ですね。」とおっしゃいました。

結局、火を扱えるようになったことで人は幸せにもなったけれど、やりすぎてしまって不幸にもなったのかもしれません。

自然の中で思いを巡らせるいろんなこと、犬との暮らしに役立てていただければと思います。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

Posted in 日々のこと, クラスのこと, 自然のこと

<クラス>老犬たちのトレッキングクラス

グッドボーイハートの活動は、季節が変わるようにこれまで形を変えて移り変わってきました。

はじめに家庭訪問形式のトレーニングスタイルから始まり、次に通学できる学校を博多駅近くにつくり、その後は山での勉強と七山へ移り、今は家庭訪問クラスを七山のクラスを併設する現在の形となりました。

グッドボーイハートの設立が2000年からなので今年で18年目です。

たくさんの出会いを頂くと共に、共に学んだ仲間たちとの別れも始まっています。

今日は12歳~15歳まで、子犬のころからグッドボーイハートで育った犬たちと生徒さんたちと共に山歩きを楽しみました。

紅葉
老犬たちのペースでの山歩きなので気負うこともなくゆっくりまったりと呼吸を深めながら歩きます。

山にはきれいな空気があるし、スペースはいっぱいあるし、時間もたくさんあります。

老犬たちの山を歩く姿を見ながら「元気に過ごしてくれているようでよかった」とただほっとしてしまいます。

同時に、犬たちの生きる時間を変えることはできないけれど、今日一日ができるだけゆっくりした時間になるようにと深く呼吸するようにしています。

犬と人は生きている時間の長さが違いすぎます。

犬は人の十分の一しか生きていないのですが、犬たち自信は生きるのに必要な時間を十分にもちあわせているはずです。

でも、その犬の時間の多くを奪ってしまうのは、わたしたち人間の方ではないでしょうか。

人は忙しく呼吸もあわただしく犬たちをせかしてしまいます。

山にいるときはせめてゆっくりと呼吸をしながら、時間の流れがゆっくりなりますようにと思うのです。


2007年に七山に来てからずっとなり続けている柚子の木にたくさんの実がなりました。

柚子の実を生徒さんが取ってくださったので、みなさんのおみやげに持ち帰っていただきました。

山で犬と過ごすことは本当に地味な特別なことではありませんが、山で過ごしている犬たちはなぜか幸せそうに見えてしまいます。

老犬もこれから移動や歩行が困難になり、山で過ごす時間も少なくなってしまうかもしれません。

それでもきっと彼らは、ここで過ごしたことを体に記憶してくれていると思います。

本当に良い季節。

飼い主さんたちには、犬と共に山の空気を吸いに、山歩きに出かけてほしいです。

ダンスタンとゆず

Posted in クラスのこと, 自然のこと

<犬のこと>昆虫を追いかけて遊ぶ子犬は犬らしくありませんか?

ずい分と涼しくなり少し気持ちが楽になってきました。

福岡でも朝晩はエアコンの要らない日もあり、七山では衣替えを完了しています。

気温差の激しい七山では新米がすでに出回っています。

毎年の当たり前のことなのですが、お米ができるとうれしいのは日本人として長い間受け継がれた血なのでしょうか。

犬たちにも長い時間をかけて犬として受けついできたものがあるはずです。

それは感性だったり、行動に現れたりするものです。

もえりえちゃんお庭1
犬も人も成長と共に、硬い価値観を持ち始めます。

価値観は場合によっては自分の身を助けることもあるけれど、時として行動を極端に限定させてしまうことがあります。

つまりワクワクと興味関心のあることがなくなってしまったり、他人が多数で寄り集まる価値観に流されたりして、自分の感性をなくしてくということです。

犬も子犬のときには好奇心旺盛でワクワクと行動を起こすものです。

七山でお預かり中の犬の行動を観察していると、柔らかい土の上をこの季節に這ったり飛んだりする虫を追いかけるのに夢中です。

土の中に逃げていく昆虫を片前脚で押さえ、逃げられると再びジャンプして追いかけて、よーいドンとまた前脚を上手に使います。

逃げられてしまうと深追いはせず、また新しい獲物を見つけてはちょっかいを出して遊んでいます。

蝶々が飛んできたときには空中戦となるため、頭上を見ながら走り回り、転んだり吠えたりと空中の生き物は手に負えないことも学ぶのでしょう。

こうして子犬期を過ごしていても、子犬はいつか成犬となり昆虫には興味を示さなくなっていきます。もちろんこれも普通に子犬が発達したという経過なのです。

子犬が昆虫に口をつけようとしたり前脚で触れようとすると、汚いから止めさせたいという気持ちになる飼い主もいるかもしれません。

犬の口は人の手にあたるため、なんでも口にいれて確認しようとします。

そういった意味では人の赤ちゃんも同じような行動をしているのを見かけます。

こうした行動は意味のないもので、飼い主にとってはやって欲しくない行動なのかもしれません。

養老孟司、池田清彦、奥本大三郎ら先生方が記された「虫捕る子だけが生き残る」という著書があります。人も最初に関わる捕りたい生き物は昆虫なのです。

犬は昆虫をつぶさに研究するために捕るわけではありませんが、虫との関わりをとおして脳の発達を促進する機会を得ていると私は考えています。

科学的な説明は科学者の方にお任せするとして、犬の行動を日々観察していてそのように感じるからです。

好奇心が消えてしまう子犬のころに、小さなお庭でもいいので虫と対話する機会を子犬に与えてください。

お庭がない場合には、山遊びに最適のこの季節を逃さず活用しましょう。

秋は本当に長いです。いろんなことを学ぶのには十分な時間があります。

それでも秋は犬には多くても10~13回くらいしか来ません。

私達は70回くらいは来るのでしょうか。

犬には1回の季節が大切なときなのです。

空預かり庭3

Posted in 犬のこと, 自然のこと

<犬のしつけ方>「犬が木を食べても大丈夫なんですか?」はい、犬は枝遊びが大好きです。

先日ある生徒さんのクラスのときに、子犬ちゃんが紙のオモチャで遊んでいるのを見ました。

とても気に入っているらしく少し食べているようだが排便の状態がよくなったと飼い主さんもおおらかに見守ってくださっていました。

そうですね。紙はパルプなので元の素材は木ですから、子犬が遊んで噛んだりその一部を食べてしまうのはよくわかります。

枝が好きなら七山からたくさん持って来てあげますよということで、その子犬ちゃんに小枝をプレゼントしました。

とても気にいってくれたようで、小枝を噛んで遊んでいます。

らら小枝2
らら小枝3

子犬は庭遊びをすると、よく小枝を拾ってきたり口にくわえて遊んでいます。

木の皮をはがして食べたり、ガリガリを枝をかじってその一部を口に含んで食べています。

庭に落ちているような木は水分も多く、がちがちに感想した家具よりもよほど安全です。

ほおって置けば土になってしまうようなものなので、ある程度は発酵していてほどよく菌もはいっています。

木に良い菌がふくまれているので、それもいっしょに食べることができるでしょう。

らら小枝4
人の方も知らないうちにこの原理を利用しています。

クロモジという樹木をご存知でしょうか。

七山の山にもたくさん生育している樹木で、楊枝として使われています。

茶菓子をいただくときに使う高級な楊枝です。

クロモジには殺菌作用があり、そのために楊枝として使われてきたようです。

昔の人が爪楊枝で歯磨きをしていたのもその理由からなのかもしれません。

らら小枝5
犬は特に知識はありませんが、枝をかじったり細かくして食べたりします。

危険なジャーキーやガムよりもよほど安全で健康てきです。

ところがよく「犬に木をかじって食べているのですがいいのですか?」と聞かれることがあります。

いや、犬はよく木をかじって食べています。

危険な食べ方は、硬すぎる木をかじることや、犬にストレスがたまっていて大量に木をかじって食べてしまうことです。

らら小枝6
どんな遊び道具もストレス過多の状態の犬には危険性があります。

同じ行動をくり返したり執着行動が出るため、なかなか止めることができないからです。

こういう場合を除けば、犬は自然素材のものでよく遊びます。

犬はそもそも屋外の動物ですし、土を掘ったり木をかじったり草を食べたりするのは本来の犬らしい行動です。

犬が犬らしく過ごせる時間がどんどん少なくなっているようです。

犬が犬として自然に遊んでいた道具が身近になくなってしまったからです。

犬が自然に遊ぶことを人が止めるようになってしまいました。

犬が土の上を歩くのを汚いといわれるようになりました。

人の価値観がこれだけ変わると、犬はこれからどうやって生きていけばいいのでしょうか。

犬が自然と親しむ姿を見ると少しほっとします。

犬は自然の生き物であることを犬が教えてくれる気がします。

らら小枝1

Posted in 犬のこと, 自然のこと

<山と犬>秋のお手入れ無事に進んでいます。

わずかに紅葉し始めている静かな尾歩山。

秋の深まりをみせながら、夏に騒いでいたいろんな生物たちはほとんど姿を消しています。

大きな女郎蜘蛛と蜂が最後の活動をしているくらいです。


やっと、落ち着いて山の手入れができるようになりました。

とりきれていなかった蔓を払いながら、木々が育つ環境整備の応援です。


山の手入れのときにも、犬がそばにいてくれるとなぜか安心します。

手入れに夢中になっていますから、周囲の危険を教えてくれる役割を担ってくれるからです。

そうした自分の役割に気づく犬たちは、飼い主の方をじっとみたりそばによってきたりはしません。

鎌や鋏をもって活動していますので、人のそばでは危険もあります。

犬たちは人の作業を邪魔しないように、少し離れたところで周囲の気配をとりながら、ときには山の斜面に落ちているイノシシやウサギの落し物を食べたりしながら、ゆるやかに過ごしています。


私達ヒトの方もしっかりと山の恵を拾って降りました。

dav
オポが食べていたので気づいた椎の実。
ほんのり甘くて生でもおいしくいただけます。

dav
皮も食べられるらしいあけび。
私はあまり得意ではありませんが、生徒さんがペロリと食べました。

dav
山の甘柿。
柿はたいてい渋柿で、甘柿は1本だけです。
すでに熟したものは、お手伝いしてくれた犬くんがしっかりいただきました。

熟した柿が落ちてくるのを待つのは、オポのお得意芸でした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

山が育つと動物が暮らす場ができるのが、ただうれしいのです。

山が育つと犬たちが生き生きとなるようで、ますますうれしいのです。

七山から離れた福岡の土地にも、活力ある山の空気が届くと思えるからです。


夜に七山から福岡まで移動するときに、動物たちとの遭遇が増えました。

ウサギ、アナグマ、タヌキ、イタチなど。

秋から冬にかけて活動が活発になる野生動物たちです。

わたしたちヒトも、そしてイヌも活動期の季節といえるでしょう。


また来月も山のお手入れ行います。

Posted in 犬のこと, 自然のこと

ヒト科ヒト属<おすすめの本>ヒトとして:松沢哲郎氏著書「想像するちから」

 京都大学霊長類研究所という研究機関があります。チンパンジーの研究を行っている施設です。
おそらく多くのみなさんが名前を聞いたことのあるチンパンジーの「アイ」がいます。ここでアイと向き合いながらチンパンジーとヒトの研究を行っているのが松沢哲郎氏です。

 最初に松沢哲郎氏とアイの実験を見たのは、テレビのドキュメンタリー番組でした。1980年代のことではなかったかと記憶しています。小さなころから、動物のなかでも特に犬に関心があったものの、他の動物に関心がなかったわけではありません。それでも、正直に言うと動物を使って実験をしたりする研究はあまり好みませんでした。

 しかし、そのドキュメンタリー番組に出てきた松沢氏とアイの様子にしばらく釘付けになるように見ていたのを覚えています。その映像の一場面が今でも脳に焼き付いています。それはアイが順番にボードを押すと果物がでてくるという報酬ベースの実験でした。なぜ、そのふたりの姿が忘れられない映像になったのか特に疑問も抱いていなかったのですが、松沢氏の著書「想像するちから」を読み、改めてその実験の対象になる動物に対する愛着の深さを思い、実際に心揺さぶられるものがありました。

 松沢氏はこの著書の中で、チンパンジーをヒト科の動物として扱っています。その数は1頭、2頭ではなく、ひとり、ふたりと称されます。オス、メスではなく、男性そして女性と称されています。チンパンジーはヒト科ですからヒトと同じように称するという氏の姿勢が表現されています。

 生物には分類学という学問がつきものです。さまざまな形質や行動、そして現在では遺伝的に区別された分類学の中で、人はヒト科ヒト属ヒトに分類されます。動物分類学上では、ヒト科は四属あります。ヒト属のほかに、チンパンジー属、ゴリラ属、オランウータン属です。この4つの属がヒト科であり、学問的にはヒトにもっとも近い種ということです。現在のゲノム解読によると、人間とチンパンジーは遺伝的にきわめて近く、ほとんど同じ生き物であるとも記されています。

 チンパンジーが研究の対象となるのは、ヒトのことを研究する必要があるからです。同じ理由でジェーングドール博士もチンパンジーの研究を行っていました。ジェーングドール博士の場合には、アフリカの森をホームベースとして、松沢氏の場合には霊長類研究所をホームベースとして、チンパンジーの研究を通したヒトの研究が行われているのです。しかし私には、その両者ともにチンパンジーという動物に対する尊敬の気持ちと態度とそれ以上のものを感じてしまいます。

 この本をすべての方に読んでいただきたいけれど、時間のない方のために一文だけ引用してご紹介します。

引用ここから・・・・・・・

 一日の終わりに疲れてテレビをつけてると、チンパンジーが面白おかしいことをしている。それを見て、人があっはっはと笑う。
 それは人間としてよくない。
 チンパンジーを見世物や金儲けの道具にしてはいけない。母親や仲間と離れて暮らすと、チンパンジーの挨拶や性行動ができなくなる。
 覚えておいてほしい。テレビに出てくるチンパンジーの顔は肌色だ。あれは子どもの特徴だ。こともは肌色の顔をしていて、大人になると真っ黒な顔になる。つまり、テレビの番組やコマーシャルに出てくるのはみんな子どもである。本来は母親と一緒にいなければいけない年齢の子どもだ。そうしたチンパンジーを、いろいろな理由をつけて母親から引き離している。
 ビジネスのために、無理やり子どもを母親から引き離す。あるいは獣医さんが「いやぁ、子育て放棄しちゃって」と勝手は判断をくだして引き離す。どんな理由があっても、たとえ死にいたったとしても、チンパンジーの子どもを母親や仲間から引き離してはいけない。彼らには親や仲間と過ごす権利がある。それを踏みにじってよいという権利は人間の側にはない。
 チンパンジーは絶滅危惧種だ。どんどん数が減っている。レッドリストに載っていて、絶滅が危惧される生き物を、ぺっとにしてはいけない。エンターテイメント・ビジネスに使ってはいけない。

引用ここまで・・・・・・・・・・・・「松沢哲郎著書 想像するちから」

dav

 松沢氏のこの著書の文章はどれもおだやかで冷静なものなのですが、上記に引用した部分だけには特別な強い思いを感じられました。

 動物の行動を面白おかしく笑ってしまう、犬に対してもそんなことが日常的に行われています。ブログでもインスタグラムでもユーチューブでも、人はいつも動物を笑いものにすることで自分たち人間が優位にたとうとします。自然を支配して動物を支配する権利までも得ようとするかのようです。実際ペットたちはそのような立場にあることを認めざるを得ません。しかし、その中でも自分の犬だけはと思うことができます。

 松沢哲郎氏は施設の中のチンパンジーを対象に研究をすすめられています。施設の中では自然の中に暮らすのと同じ幸せを得ることはできません。そのため、施設の構造そのものを工夫してチンパンジーがよりチンパンジーらしく生活していけるようにと改革をすすめられてこられた方です。
ペットとして迎えた犬たちにも同じような思いで、犬として生きることを一歩でも進めていこうという気持ちは間違いではないと勇気づけられます。

 この著書で知ったのですが、松沢氏は山登りが生活の一部で、年に120日間を山に登っていたということです。自然のなかで暮らす、そういう生活をしたいということも記されていました。その気持ちが哲学を目指していた松沢氏が心理学から人を解き明かす学問にふれ、結果、チンパンジーの研究施設にたどりついたというのです。松沢氏とアイの姿を見たときに、その中になんともいえない自然でつながる対話のエネルギーを感知できたのであれば、わたしもまんざらではなかったのかもと自分を認めてあげたい気持ちにもなりました。

 この本の中には、まだまだ犬との関係を深める話題があります。また少しずつ紹介させていただきます。

IMG_0855
グッドボーイハートお薦めのの本はこちらかもご覧いただけます。

グッドボーイハートの本棚

Posted in 本の紹介, 自然のこと

犬の衝動的な行動は危険であること:庭先に出現したウリボウを想う

今朝、七山校で窓を開けているときに、動物がまた栗を拾って食べている風景を見ました。

最近、落ちている栗やら柿などの食べ物を、いろんな野生動物たちが食べにきています。

最初は「ああ、また何か動物が来ているのね」と単純に思ったのですが、いつもと違う感じに一瞬注目してしまいました。
アナグマかと思ったその小さな動物の背中に、縞々の模様が入っていたからです。

窓の向こうにいた動物は、よく見るとウリボウでした。
ウリボウはイノシシの子供です。
瓜のような縞模様の柄をしているのでウリボウという愛称で呼ばれています。

ウリボウを見かけたらすぐに次のものを探します。
お母さんイノシシです。

ウリボウの柄がある年齢のときには、母親のイノシシといつもいっしょに行動しています。
ひとりで行動できるようになると、親離れをして単独行動をするイノシシ。
そのころにはこのウリ柄がなくなっています。

母親イノシシは5,6頭のウリボウたちを引き連れて行動しています。
移動の際には母イノシシを先頭しにして、一列に並ぶように歩いているのを見たこともあります。


この窓の向こうにいるウリボウは、母イノシシからはぐれたのでしょう。
この年齢で母イノシシの群れから離れてしまうと、ひとりで生きていくのは困難なことです。
それなのに、まだ母イノシシから離れたことを気づいていないのか、のんきに栗を食べています。


ウリボウがひとりで生きていけない理由は、自律に必要な学習を終えていないこと。
自分の身を守る防衛行動が不足しているために、他の動物に襲われやすいことです。
ウリボウを食べる動物は、タヌキ、イタチ、キツネ、トンビ、カラスと山の中にたくさんいます。

ウリボウが母イノシシから離れてしまった理由は、ただひとつです。

母イノシシが移動するときにそれに気づかなかったのです。
何かに夢中になっていたか、栗を食べるのに夢中になっていたのかもしれません。
もしくは、栗拾いをするうちに母イノシシから自分が離れた可能性もあります。

母イノシシは移動の際に多少はウリボウの集合を待ちますが、
すべてのウリボウを集合させることはできません。
なにしろ、1頭の母イノシシが数頭のウリボウを管理しているのです。

1頭の自分勝手な行動をするウリボウを捜していたら、他のウリボウまで危険にさらしてしまいます。

母イノシシの動きをよくみていなかった衝動的に行動してしまったウリボウは
そのまま置いていくことになるのです。

こうした衝動的なウリボウは、他の動物に食べられたり、餓死してしまいます。

そのためこうしたウリボウが子供を残すことはなく、この遺伝子は受け継がれません。


これが動物の遺伝の仕組みです。

動物はより安全に行動できる動物の遺伝子を、次の世代につないでいきます。
そうすることが種の継続につながるからです。
衝動的な動物は途中で死に絶えてしまうため、自然界では遺伝子を残せません。

厳しいと感じられるかもしれませんが、これが自然界の動物のしくみです。


そこで犬のことを考えます。

犬はとても衝動的に傾いています。

なぜなら、犬の繁殖には人の「好み」が反映されて人為的な繁殖がくり返されているからです。
純血種の犬は、まさにこの好みのために繁殖された犬たちです。

これらの犬は囲われた敷地や室内で飼うことを前提にしています。
衝動的であっても野生の世界のように、淘汰されてしまうことはありません。

人の好む犬の外見は、小さいもの、鼻の短いもの、脚の短いもの、毛質の異常なもの、大きすぎるものが
多くなっています。
これらの形質は犬という動物からはかなりかけ離れているため、遺伝的には非常に危険な濃い血液で作られています。
そのため精神的にも身体的にも、不健康な犬ができてしまいます。

本来の自然な動物であれば危険な衝動性も、淘汰されることなく犬たちの中に残されてしまいます。

犬は急に走り出したり、走り回ったり、とびついたり、ギャンギャンと吠えることが多くなりました。

めったなことで声を出したり急に走り出したりすることのない野生動物のような慎重さはなくなっています。

それだけに犬は自分では安全を確保することが難しくなっています。


犬を飼う人はこう考えるかもしれません。

犬は人に飼うために生まれてきた動物なのだから、囲いの中で安全であればそれでいいのだと。
犬は走り回ったり、とびついたり、ギャンギャンと吠えている方が可愛らしいのだと思うかもしれません。

犬の身になって考えるとどうでしょうか。
環境の変化に驚いたり敏感になったり、ストレスを抱えやすくなっている犬の立場に立ってみます。
衝動的な行動がくり返されて学習行動となり、いつも脳がハイになっている犬の立場に立ってみます。

やはりこれは、とても大変な生き方になってしまうと思うのです。

すでに繁殖されてしまい生まれてしまった犬たちには、
少しでも環境整備を通して、落ち着きを取り戻すための方法を身につけていってください。
それが犬のストレスを軽減させる方法であり、犬が安心を獲得する方法です。

これから犬を飼う方には、興奮しやすく衝動的な犬ではなく、落ち着いて自律する力のある犬を求めて欲しいと思います。

繁殖をする側は、犬を飼う人が求める犬を繁殖させているだけです。

興奮しやすく衝動的な犬は、走り出したり突然攻撃したりします。
よく吠えたり奇声を発したりします。

こうした犬を迎えて悩んでいたとしても、それを繁殖した方のせいにしても何も変わりません。


人為的な繁殖による犬の内的な質の変化について、犬を求める飼い主の方々もいっしょに考えていただければと思います。


dav

Posted in 日々のこと, 犬のこと, 自然のこと

おすすめの本:「岐路に立つ自然と人類」今西錦司著、生物の見方が変わり世界が広がる本

 今日お薦めする本は、日本に生き物たちと暮らすすべての日本人に読んでいただきたい今西錦司先生の本です。

書籍名 岐路に立つ自然と人類
著者 今西錦司
発行 アーツアンドクラフツ

岐路にたつ
● 今西錦司先生という生態学者

 生態学という学問はもちろん専門分野なので、ノーベル賞でもとらない限り世間から注目されることはありません。ノーベル賞は科学的な裏づけがあって評価されるものです。今西先生の研究は細かくみるのではなく、生物全体を抽象化しておおきく全体からとらえるという視点から立っていると感じています。そのため、抽象論だとして見逃してしまうこともあるかもしれません。しかしその見方や考え方にはひとつの哲学があり、ほんとうに惹かれてしまうのです。

 今西先生の専門分野や生態学、文化人類学ということらしいですが、生態学から文化人類学へ以降した経過についても、この本の中に述べられています。また人のことを知りたいと思って入った文化人類学という学問さえ、西洋の細分化やその偏った見方に対して常に警笛を鳴らしていらしたようです。

 「私は人類学をやろうと思って、生物学をやったのではない。生物学をやっているうちに、人間のしていることも、現象的にはどうであろうと、また人間がこれに対して、どのように好き勝手な理屈をつけようと、その根底には、生物の生活を支配している法則が、やはり人間だの生活も支配しているのではなかろうか。つまり、人間だけが、他の生物から切り離された特異なものでなくて、生物といい、人間といっても、それらはともに、同じ地球のうえで、同じような運命にしたがわなくてはならないのではなかろうか、というように思われだしたのである。」(本文より抜粋)

 というように表現されているのですがこれはあくまで抜粋です。このあとに続くまた最もだ思われる今西先生の持論にワクワクすると同時に、この時代にこのようなことを述べられた先生の言葉に対して、大勢は耳をかさなかったのだろうかという不思議な気持ちにもなりますが無理もありません。当時は、といいますか今でも、学問については西洋に習えの姿勢が強いのです。実験室の中で起きていることがすべてで正解で、実験室の中で起きていることは再現性が高く科学的に評価されてしまうからです。そして、研究の目的が自分が本来知りたいことではなく、他者や多くの人たちに評価されることに変化してしまえば、みな実験室に帰っていくということでしょう。


● 「岐路に立つ自然と人類」カバーコメント

 この「岐路に立つ自然と人類」は今西錦司先生の著作やコメントやらを集めて一冊の本としてまとめられています。発行が2014年で先生が他界されてから、22年もたったあとに出版されました。そのカバーコメントにはこのようにあります。

 「実験室のなかの生物(生命)ではなく、自然に生きる生物を、生物全体社会として環境もふくめ思考した今西錦司ー。
 21世紀の科学の閉塞的な状況を予想した今西錦司は、登山家として自然に関わるなかから、細分化・専門家する生物学に対して、自然に生きる生物自体を対象とする「自然学」を唱えた。本書では、その「今西自然学」の主要論考とエッセイを収載する。」

 今西錦司先生のいろいろな考え方の側面に浅く触れ、自然や生物といったものに対する見方に幅を持たせるための導入書としては、とにかく多くの方に読んでいただきたいという内容です。

 たとえば、ダーウィンという名前は多くの方がご存知です。生態学を学んだことのない方でも、生物に興味がなくても耳にしたことがあるでしょう。そのダーウィンが唱えた生物の進化論についてあらたな見方を提唱されています。また、ダーウィンの進化論が持てはやされたあと、実験室の中の科学で行われた進化を研究する遺伝子的な学問の中で、遺伝子が突然変異して進化するという見方についても厳しく論じられます。

 「だからダーウィンのように、進化は現在も進行中であるという見方に、そのあまま賛成しがたいばかりか、遺伝学者のように、実験室内で突然変異がおきるからといって、それをそのまま自然でもおきているかのように要請するのは、事の順序を誤るものとしなければならない。とくに、その突然変異がでたらめなものである、というにいたっては、もはや自然を侮辱し、これを冒涜するものであるといっても、過言ではない。われわれの自然は、好きこのんでそんな無駄な気まぐれをしない自然である。自然には、自然によってたつ経済があり、種社会にはまた種社会で、それを維持していくための、経済というものがあるかである。」

 と最のことを、整然と述べられていて感嘆してしまうわけです。

● 登山家の今西錦司先生

 本の中には、今西先生は一時自然に対置されるものとして人工を選んだけれども、西欧流の考え方では、自然に対置されるものは人間であるといわれています。全くそのとおりだと思います。そしてその上で、先生は「しかし、私は、人間もまた自然である、と思うようになった。」と続けられています。

 今西先生は学者としてすばらしいだけでなく、生涯を通して山を愛した登山家でした。山に対する言葉や山で感じたことなどの言葉も紹介されていることで、今西錦司先生という方が自然とどのように過ごしてこられたのかを知り、感動を覚えます。先生は、自分は長く自然の中ですごしすぎたかもしれないがともの述べられていました。自然に過ごす時間がながければ、思ったり知りえたことがあってもそれを著作として残す時間はなくなるのです。しかしそうした自分と自然の時間を削ったところで、机の上で何が学べるというのでしょう。

 蒙古の遊牧民族の家畜化と西洋の家畜化の違いや、人が人として育つことの環境についてなど、犬との暮らしに絶対に役立つ見方や考え方が満載です。これは一度に読める本ではありませんが、手元においていつも見返して今西先生を感じられる本の一冊です。

 愛犬をしつける本や、ほめて育てる犬のしつけなどという本をもう捨ててください。そして、犬や動物、そして人間を自然のひとつとしてみる、今西錦司先生のような本に触れていただければ、きっと今日からのあなたと犬の関係は確実に変化していきます。

・グッドボーイハートのお薦めの本はこちらからもご覧いただけます。
GoodBoyHeartの本棚

dav

Posted in 本の紹介, 自然のこと

どの季節を生きているのか:犬との暮らし時間の差を越えるために

先日あるご家庭で「一番暑い夏は越えましたね。もう秋ですからね。」というと
「少し季節が早いのですか?」と尋ねられました。

お尋ねの理由はわかります。福岡では、また夏まっさかりというほどの暑さなのに、
もう秋ですからねというのは不思議ですね。

理由は、週の半分くらいを七山に戻って過ごしているからです。

実はわたしも七山に来たばかりのとき、山の手入れについて土地の方とお話しているときに
季節の違いを知りました。
自分が夏だと思っていた8月の中旬は、山の人にとっては秋の始まりなのです。

単なる価値観の違いではなく、肌を通して季節の違いを感じます。

8月7日に立秋を過ぎて、七山ではすっかり秋の風を感じられるようになりました。

まだ蝉の声が一日中響いてはいますが、ツクツクボウシの声が聞こえるようになりました。
この声を聴くと秋が近付いているというお知らせを受け取ったような気持ちになります。

棚田の稲穂は頭をしっかりと下げています。

栗や柿の実は枝がたわむほどになり、いくつかは青いまま落ち始めています。
雑草は夏枯れを終わり、まだまだ最後のひと葉を広げようとします。

山の斜面にオオスズメバチが巣を作ってしまい、山歩きのコースの変更を迫られました。
これが最近の一番の山の悩みです。
ハチは10月にかけて巣を大きくしていきますので、ハチの数が増えるのはこれからです。
これも季節の流れです。

この季節の移り変わりは、街中のファッション店の季節の先取りと同じ速さですが、
肌を通して伝わってくる感覚は全然違います。

この季節感を全身で味わえるようになって、やっと私も8月のこの季節に秋が始まったと
思えるようになるのに何年もかかりました。

犬たちが季節を情緒的に受け取っているのかどうかはわかりません。
ただ、犬たちが太陽や風の移り変わりを毎日感じていることは確かです。

過去にも未来にも執着しない犬という動物ですから、冬のことをうらやむこともありません。
早く涼しい秋になればいいなと思うこともありません。
ただ、今日の一日を体で感じることが彼らのできる最大のことであり、そして最も有意義なことです。

こうして外気にあたって季節を感じることが動物の幸せであると思えるようになったことは、七山という土地で過ごす時間をいただいたことで体が学んだ大切なことです。

考えると自分にとっては約50回(ここは曖昧に)の夏を越したということ。
犬たちは多くて10数回の夏を越すだけです。
犬の寿命を考えると、犬によっては6回、7回、8回の夏だけだとしても不思議ではありません。

しかし、これはやはり回数ではないと思うのです。

どんな夏をどういう風に過ごして越したのか、やっぱり毎日の生きる質を思います。

人と比べるとほんのわずかな回数しかない犬たちのそれぞれの季節が、自然とともにあり、季節を体感できるものであるための環境作りは決して簡単ではありません。

でも、どんなことも思わないと変わりません。

まず、犬にとって大切なことは何かを思い、考え、そしてそれを実現しようと願い、行動する。できなくても今日できることをひとつやってみる、そのくり返しです。

犬の生きる時間の短さを思うと、なかなか人の成長は追いつかないのですが、
気づいて変化しようとする飼い主と共にいるだけで、犬は気持ちが楽になるのではないでしょうか。

活発なハチを横目に、秋はやっぱりお山のシーズンです。

クウーちゃん山登り

Posted in クラスのこと, 犬のこと, 自然のこと

ヤマカガシと犬のオポのこと:犬がヘビに咬まれないようにするためには?

 夏休みで子ども達が活動中です。小学校高学年の子どもが毒ヘビにかまれたことがニュースになっています。自然環境の中で野生生物に接してケガをすることもありますが、大事にいたらないように注意をすると同時に、もっと深く自分たちに起きていることを考えてみます。


● 毒蛇はどんなところにいるのか?ヤマカガシはなぜ咬みつくのか?

 先日子どもたちが咬まれたヘビはヤマカガシというヘビでした。ニュースではものすごく恐ろしい毒ヘビだという印象を与えるような表現をされていましたが、ヤマカガシはずっと以前から日本の山里に生息しています。というわたしも、ヤマカガシという生物をしっかりと認識して見ることができるようになったのは、七山に移転して山歩きをするようになってからです。

ですから、ヤマカガシという生き物が山里遠く生活する人々にとっては、その存在すら忘れられてしまうような存在であることも理解しています。

 ヤマカガシという名前のカガシとは古語で蛇という意味があるそうです。昔はヤマカガチとも呼ばれていたそうですね。カガシや案山子とも関連があるという情報もありましたが、正確に確認できませんでした。いずれにしても、ヤマカガシは古来から山の中に生息する山を守る生物として認められてきたことは確かのようです。
蛇は山の神様ともいわれる存在なのです。そのヘビを毒物として遠ざけずに、古くから山に生息する生き物としてその存在をありがたいとまでは思えなくても、ただそこにあるものとして認める姿勢はもっていたいものです。

 ヤマカガシは確かに毒を持ちます。奥の牙に毒性をもつため、強く咬まれることがなければ、つまり軽い威嚇で前の牙が当たる程度であれば大丈夫ということもできます。ただ攻撃には攻撃をという姿勢を持つのは生き物の生き残る手段です。ヘビも種類によって多少の気質の違いはあるでしょうが、ヤマカガシの場合は「激しい」といわれることもあります。
でもヤマカガシの一番の手段は、やっぱり逃げることなのです。毒性があるのも、相手を殺戮することが目的ではなく相手を一瞬ひるませておいて、そして自分は逃げるための防衛の道具です。

 今回の子どもたちのヤマカガシに咬まれたいきさつは、ヘビを捕まえたり手で掴もうとしたとニュースにはありました。ヘビを捕まえて持ち帰ろうとする子どもさんの気合には敬意を表します。咬まれた子どもの方は良い勉強になったということでしょうが、今の世の中ではなかなかそうはいかないようです。
病院では毒ヘビに咬まれたときの血清があり、ほとんどが血清で対応されることになります。ですがこれもショック状態に陥ることもあり、必ずしも安全な処置とはいえないものです。


 犬の場合はどうでしょうか?犬が毒ヘビに咬まれるなどと想像しただけで、ぞっとされることでしょう。実際に犬がマムシに咬まれたあとの回復力の速さは、人がかなうようなものではありません。やっぱり犬なんだなと思うような回復を果たします。しかし、犬によっては犬だから大丈夫ということでもありません。大丈夫ではない犬はどのような犬かというと、まず薬を多様している犬です。薬の使用は動物の免疫力を落とします。特にステロイド系の薬を使用している動物にとって生物の毒は要注意です。

 また純血種の犬たちは免疫力が低いため要注意です。純血種というのは遺伝子の小さなプールの中で繁殖を続けていますので血が濃いということです。雑種が環境に対して抵抗力を強めて進化していくのに対し、純血種は生物学的に限られた枠の中で育てられたものです。当然のことですが免疫力は弱くなっています。
その親犬やさらにまた上の犬たちもずっと予防薬やワクチン接種を続けていれば、さらに免疫力は弱くなります。こうしたくり返しが続いていますので、純血種の犬が生物の毒に対応できるのか、もはやわかりません。純血種の犬たちはそれごと自然の生態系から切り離されていく存在だと思うと、とてもさびしくなってしまいます。


● ヤマカガシは本当に怖いのか?ヤマカガシと犬のオポのこと

 そのヤマカガシと犬のオポの実話です。

 その日、わたしとオポはいつものとおり裏山(尾歩山(おぽさん))を散歩していたときのことです。山の一部に急なところがあり、ゆっくりと歩いていたのですが急に視界が広がったようになった場に出ました。

 わたしの前を歩いていたオポのすぐ前に、長いものがパッと立ち上がりました。それも突然出てきた感じだったのですが、見るとヤマカガシが高く首をあげています。いわゆる鎌をあげるという状態です。鎌のような形になっていました。

 いっしゅんのことでしたが、わたしもオポも立ち止まりました。ヤマカガシはその位置からオポまで飛びかかることのできる生き物です。もちろん、わたしも大変緊張していて思考を失ってしまいました。数秒そうしていたあと、わたしが後ろに数歩下がるのと同時に、オポも向きを変えずに後ろに数歩下がりました。その瞬間、ヤマカガシもすっと後ろに下がるように消えていったのです。

 そしてまた数秒がたったでしょうか。オポはゆっくりと前歩いていた速度と同じ速度で進み始めました。ヤマカガシがまだそこにいるなら、オポが前進するわけはありません。オポを信頼し、わたしも共に進みました。もちろん、ヤマカガシはもうそこにはいませんでした。

 私達の登場でビックリしたヤマカガシが鎌を上げ、私達の後退を受けてヤマカガシも逃げる選択をしたということです。山の中ではこうした突然の遭遇が一番怖いのですが、そのときにも冷静さが必要です。

 オポは都会暮らしでヘビに咬まれたことも、ヘビの臭いをとりにいったりしたこともありません。むしろ都会暮らしのときに山や川に遊びに行っていたときは、興奮が高く近くにヘビがいてもあまり見えてないように行動していてハラハラとしたこともあります。

 そのオポが七山で暮らすようになっていろんな急激な変化が彼の中に起こりました。そのひとつが野生生物に対する配慮と反応です。配慮というと擬人的な臭いがありますが、気遣いというよりも、環境の全体を捉えて刺激を求めない行動ということです。

 そうした自然環境とのかかわりの中でオポは自然に野生生物に対する態度を変えていきました。オポにとって鎌をあげるヤマカガシという生物は、図鑑で学んだりネットで知識を得たりする必要のない対象です。生きているものがいる、相手が防衛、攻撃の臭いを発していれば、まず近付かない、脅かさない、距離をとるという自然な反応です。わたしが「あれはね、ヤマカガシといって毒があるから近付いてはダメよ」と教えることもできません。

● 犬に対して「ヘビには近付くな」と教えることができるのか

 こうしたオポのしたような犬の反応を他の犬に望むことは、現実的ではありません。ずっと都心で閉じ込められて生活している犬に、いきなりそれを要求するのはフェアではないと考えるからです。ただ、本来犬に備わっている機能性として、いつかあわられてくれたらいいなと思いつつ希望を持って進むしかありません。犬の持つすごい本能という機能性と能力を引き出すための方法は、あります。

 それは、自然の中での過ごし方にあります。トレッキングクラスで取り入れている過ごし方は、自然の環境に沿うやり方です。そしてわたしたち人の方も、少しずつ自然との距離を縮めながらお互いの距離というのをはかる必要があります。そして周囲にあるものを感じたり認めたりすることから始めることしかありません。それはゆっくりと歩くということです。

 若い人たちが森の中で音楽フェスティバルを行ういわゆるフェスというスタイルが楽しいというのはよくわかります。自分も若いころに一度行った事があります。わたしはあまり楽しくなかったのですが、開放感があって周囲の自然に癒されながら激しい音楽を聴きたいという若者の単純な欲求です。
 でも今は音響設備も発達しています。ステレオやマイクを使って人工的に人の声ではあり得ない音を作り出してしまいます。映像を見ていて思うのは、その音を聞かされる森に住む動物たち、昆虫たち、木々や草、そして山そのものはどう受け止めているのかということです。願わくば、そのフェスティバルのために木々を切り倒すことだけは止めて欲しいと思います。

 犬は大騒ぎするようなフェスティバルにいっても喜びは得られません。自然のリズムが犬のリズムなので、ゆっくりと響き渡る音響を使わないピアノや笛やヴァイオリンには耳を傾けてくれるかもしれません。

 犬に沿うように過ごし方を変えてもよし、人の過ごし方が変化してそれに犬たちが沿うてくれてもよし。いずれにしても、自然を丸ごと感じることが自分の身を守ることにつながっていきます。そして、その過ごし方は、不思議ですが家庭の中にも流れていきます。

 くれぐれも、興奮しやすく走り出してしまう犬を山に連れていくときには、まず動きの制御を忘れないようにしてください。そして環境を知るためには、犬を連れていろんな山に行くのではなく、同じ場所に何どもでかけて庭と思えるほど、その土地を身につけるようにされることをおすすめします。それは、あまり楽しいことではないかも知れないけれど、その変化しない環境の中に楽しみが見つかったときが最高に楽しいのです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA  

Posted in 犬のこと, 自然のこと, オポのこと