グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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三度草履がなくなったこと

今月に入りブログを継続してご覧いただいている方は、
草履紛失にまつわる事件の成り行きを見守ってくださっていることでしょう。
野生動物や山の中の生き物に関心の高い知人やブログの読者からは、
「あのあとどうなった?草履はまたなくなりましたか?」と聞かれます。
最後の草履がなくなってからしばらく動きがなかったため、草履事件はひとまず決着がついたように思えていました。犯人が結局どの種だったのか、どこへ草履を持って行ったのか、なんのために草履を持っていったのかなど、事件は謎を含んだまま終わりと告げたように思えたのです。しかし、今日次の動きがあったことを確認しました。

三度、草履がなくなっていたのです。
しかも、草履の持って行くパターンが今までとは違うものになっていたのです。
テラスには二つのドアが離れてついているのですが、その各ドアの前に草履がひとつずつ置いてあります。片方には赤い250円の草履、片方は青い100円の草履でした。
なくなっていた草履は、その片方ずつなのです。赤いのが片方、青いのが片方なくなっていました。

この休戦期間がはじまったのは、片方に絹糸をつけられた草履が1足なくなってからでした。小さな絹糸の衝撃が動物の行動に警戒心を芽生えさせたのだとしたら、それ自体がすごいことだなと思っていたのです。この絹糸をつけた草履がなくなるまでは、いつも1足、つまり2個の草履がいっしょになくなっていました。一晩で1足を持っていくという行動だったのです。ですが、今回は2足のうちの1つずつがなくなっていました。数日確認していなかったので、一晩で2個なのか1晩で1個ずつなのかがわかりません。絹糸をつけていたときは片方だけだったので、絹糸の学習から片方ずつしかもっていかなかったとしたら、高度な関連付けの学習行動です。今まで一度に1足だったのが、片方になった理由が絹糸かどうかもわかりませんが、行動の変化が見られたことは確かでした。その上、直前まで犬たちがテラスですごして臭いつけをしていたのに、野生動物がテラスに接近したということも再度の驚きでした。

もうひとつ足跡がありました。その足跡とは、柿の実の一部が食べられていたことです。
ずっとテラスの下においてあって、テラスをウロウロする犬たちが目もくれないような熟した柿でした。
熟した柿。オポならすぐに見つけてその前で四つ脚でまっすぐとたち、柿を見つめ続けて私が来るのを待つ姿が想像できます。一般的には、柿を食べるかどうかは犬にも個体差があるようです。食べる犬もいれば関心を示さない犬もいる。食器に入れたり手で差し出すと食べるけど、という犬もいるでしょう。
この足跡を残した容疑動物が、草履犯動物と同じかどうかは不明です。

不思議な草履紛失事件。一体犯人は誰なのか。野生動物は何を考えどのようにして草履を持ち出したのか。
謎は深まるばかりですが、この野生動物との不思議な距離感と動物への好奇心は、人という動物の特権であるような特別な気持ちがします。

ぞうり

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消えた草履をひとつ発見

この秋、七山校のテラスの草履が次々をなくなっていく事件が続いています。
経過については以下のブログ記事をご覧ください。
ブログ記事 ぞうりを探していること
ブログ記事 消えた草履事件:容疑動物浮上

その4足、計8個の草履のうちのひとつが、今朝発見されました。
見つかった草履は3足目になくなったピンクの草履の片方です。
見つかった場所は、裏の倉庫の外側の端っこ部分、木と家に挟まった状態でした。
少し力をいれて引き抜くとやっと取り出せました。
このピンクの草履がなくなった日も、倉庫からのものの出し入れをしました。
そのときは気がつかなかったのか、もしくはそのときはここになかったのかは不明です。
草履には、動物の歯型がついていました。鋭利ですがそれほど大きな歯ではないようです。
体重は10キロ未満といったところでしょうか。

この倉庫の下ですが、過去にいろんな動物が居場所として使っていたことがあります。
最初に気づいたのは、アナグマが巣穴として使っていたときでした。
ため糞をする場所が作業室の隣で悪臭対策が必要となったことが、巣穴を見つけるきっかけになりました。夜ごそごそと巣穴に出入りする音も聞こえています。その数ヶ月後に、子アナグマが倉庫のすぐ横で昼寝をしながら日にあたっているのを見かけるようになりました。そして、部屋越しに顔を見たり声をかけたりしても、臭いや気配に鈍感なのかジーっとこちらを見ている有様で、非常に鈍感な動物なのではないかという印象を受けました。

次に倉庫下の穴を活用していたのは野猫でした。家を持たない猫だったようで、後ろのオポの水のみ場で水を飲んでいたり、ねずみをとったりしてしばらく暮らしていましたが、近くのメスの発情期になわばり争いを始めるようになり、結果この場所から去っていきました。

その後、巣穴を使っている動物はいないと思っていたのですが、また新たな動物が巣作りを始めているのかもしれません。アナグマなのか、タヌキなのか、キツネなのか…。
アナグマが使っていた場所ですし、アナグマは家の周辺でよく昆虫を食べています。すぐ近くで見ていてもあまり気づいていません。場所から考えるとアナグマ説が有力になりますが、アナグマはイタチ科です。それよりもタヌキかキツネのイヌ科動物の方が行動としては妥当性が高いと思うのです。実はタヌキはあまり見かけることがありませんでした。オポのアナグマに対する反応と、タヌキに対する反応は明らかに異なるものであり、タヌキの方も犬の気配にはアナグマよりは敏感なのでしょう。
動物の攻撃性は同種に向けられるものの方が厳しいものです。同種の動物はテリトリーが重なったり近づくことを避けようとします。同じ環境の中で得られる資源を奪い合うことになるため、テリトリーは明確にしておくことがその争いを避ける方法だからです。
犬同志であれば、テリトリーが重なっていたとしても、順位付けるという方法がありますので「ここはオレの島だ。」といわれてしまえば、劣位のものは「すみません。」といって引き下がるしかありません。

犬とタヌキは似て異なるもの。互いに近づかない方法がお互いのためといえます。

草履の片方が見つかったことで、草履事件の容疑動物が増えてしまいました。
またこれから観察を続けて絞り込んでいきます。
どんな動物もその自然な行動を観察することで学ぶべきことはたくさんあります。

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犬と野生動物の関係:オポとキツネの不思議な風景

夜中から降り出した雨のため、草履消失事件の容疑動物の再現を見る張り込みは空振りに終わりました。
容疑動物としてキツネが浮上した経過については、昨日のブログをご覧ください。

キツネの話をすると「え?九州にキツネっているんですか?」という反応をよく受けます。
キツネといえば想像するのは北海道の大地。暖かな九州にキツネが生息しているということを知る方はいても、実際にキツネを目にしたことがある方は少ないのではないでしょうか?ここ七山でも唐津地区に近い地域の方にお尋ねしたところ、同じように「七山にキツネっておるとかいな」という答えでした。

わたしがはじめてキツネを見かけたのは、七山の樫原湿原(かしばるしつげん)を夜遅くに七山へ向かって車を運転していたときです。雪が地面に残るような季節でした。車をゆっくりと走らせると追いつかないのがわかっているのか、明らかにゆるやかなスキップという足取りで前進を続けたかと思うと、突然止まって振り返り、そして見事に山中へ消え去っていくという風景でした。その歩行する背骨のまっすぐで揺れのない美しい動作にうっとりとしてしまいました。同じ場所で4回ほど遭遇したのです。

七山校のテリトリー内でキツネを見かけたのは1回だけです。わたしが気づいたのがその1回であったとしても、先方はなんども訪れていることは間違いありません。その1回は、オポがキツネを見送る風景となりました。

場所は戸口を出た先にある動物たちとの境界線の内側、オポのテリトリーの中です。季節は春から秋にかけてです。冬は戸口を閉めてしまうため、戸口のあく「ガチャ」という音に反応して動物たちが去っていきます。戸口をあけている季節は、音もなく庭に出るので動物たちが逃げ去る影を目撃ことができます。そして、このときある事情でいつもは持たない懐中電灯を手に持ってオポについで庭に出ました。

そのとき、車のある位置よりひとつ高めの段から山の境界線にかける坂を、音もなく動く動物の気配に気づきました。オポは少し鼻先をそちらに向けており、私は懐中電灯を当てました。そこにいたのがキツネだったのです。

オポは他の野生動物に対しても大体同じように接していましたが、キツネに対してもやはり同じように接していました。相手がテリトリー内から後退し茂みに入っていくのを見ているというのがオポの行動でした。その野生動物を見ている行動が見届けているというふうに感じられるのです。もちろん視覚だけではなく全身の感覚でそれを得ているということです。後退を確認すると藪の中でガサガサと逃げていく動物を追い立てたり吠えたりすることはありませんでした。さすがにキツネはガサガサと音を立てることもなく、影のように藪の中に消えていきました。

野生動物に対するこのオポの反応は、引越しした当初からではなかったと思いますが、わたしがオポと共に動物達に会うようになった山暮らし1年後には、ほぼこのような行動で安定を見せていました。オポ8歳のときです。
そういえば、オポの隣犬だった里山犬が動物を追いかけているのを見たことがありません。安全確認の必要な情報だったら臭いを追いにいくはずなのですが、山中でたくさん嗅いでいる臭いのうちのひとつだったのでしょう。わたしが得ていない山の情報を、オポという犬がたくさん持っていることに勇気づけられたものです。

樫原湿原にしかいないと思っていたキツネを庭で見かけたのはこの1回限りでした。そのキツネ(まだ容疑中)が七山校を再来。しかも草履を4足も持っていったという事件は犬という動物の結界の強さを思い知らさせる事件です。草履をくわえていく姿を目撃できれば、その行動の意図へのヒントが得られると思うのですが、今日も雨なのでまた待ちぼうけになりそうです。

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消えた草履事件:容疑動物浮上

数日前に「ぞうりがなくなったこと」についてブログで紹介しました。
草履紛失事件が始まった1回目の出来事です。
1回目と書いたのは、そのあと3足の草履がなくなったからです。消えた草履は合計4足になりました。

続いてなくなった3足ですが、3日連続して毎日1足ずつなくなったのです。
1足ずつというのは、テラスにおいてあったのが1足しかなかったからでしょう。

最初にブログで紹介したときに一番有力だった紛失の理由は、私がボケたのではないかということでした。
どこかに置き忘れたのではないか?どこかに持っていかなかったか?捨てたのではないか?部屋の中においていないか?車の中に置いていないか?
ちょうどクラスのある朝に1つ目の草履セットがなくなったことに気づいたので、相談した生徒さんたちから、可能性のあるあらゆる質問を受けました。まったく思い当るところがないのですが、覚えてますか?とくり返し聞かれると、自分の記憶にも自信がなくなってしまうという曖昧さを体験しました。
ところが、今回3足が連続してなくなったことが、明らかに私の置き忘れではないことを証明してくれました。

2番目になくなったブルーの草履は、前回同様になくなったことに気づいたのが朝です。ちょうど来られた生徒さんに「草履がまたなくなった。」旨を訴えました。
そして、この日に買ってきたばかりの鮮やかなピンクの草履をおいたままにしておいたのです。それが一晩あけて戻ってきたらなくなっていました。
それで、昨日また新しい黄色の草履をおいておきました。持って行く方向が知りたくて、すぐに切れる糸を巻きつけておきました。月明かりが明るくて庭がよく見えたので夜遅くまでがんばって見張ったのですが、張り込み中に眠たくねり3時間ほど寝てしまった間に黄色の草履もなくなっていました。糸は切れていましたが、糸の方向から考えて持ち去った方角がわかりました。これで動物が来る方向もわかったということです。同時に昨晩はテラスの机の下に熟した柿をおいておきましたが、それは手つかずでした。どうやら草履にしか関心がないようです。

ブログを見て「キツネだと思う!」という連絡をいただいたので、ネットでキツネ、草履と検索してみると、キツネがビニール製の草履を山積みにしている写真やビデオに写っていたといういくつかの情報を得ました。

今までの情報を整理すると「犯人はキツネではないか」という線が最も強いものになっています。相手がイヌ科動物となると、こちらの関心も高まってしまいます。
それで、現時点でいくつかの疑問を残していますので以下に整理しておきます。

・草履は1足だとふたつ。一度に1個しか持てないから往復する必要があるのに、なぜ1晩で2個を持っていくのか。(毎回チェックはできていないが、少なくともこの3日間は、1日で2個を持っていかれている)

・すぐ下の家の犬が夜8時とか9時くらいまで吠えていたが、草履のなくなった時間は吠えていないと思う。(情報不確定)

・一度は短いブーツも同じ場所に置いたままにしていたのに、草履しか持って行かなかったのは何故か。

・ピンクの草履がなくなった日には、犬2頭が来ておりキツネの来るルートの方や、テラスのすぐ前になんども排尿をしていた。犬が排尿をしたばかりの日なのに、警戒せずに草履を持っていったのは何故か。

・容疑動物を「キツネ」だとして、一体何のために使うのか。
(ネットでは子狐の遊び道具のためという説明があったが、イヌ科動物の行動として納得できない部分があるから)

以上が現在の疑問点です。

疑問のある中でも、実際起きていることをこのように仮定しています。
・容疑動物「キツネ」イヌ科、イヌ亜科、キツネ属 和名:キツネ
・単独
・持ち帰り場所 巣穴
・行動の理由 執着行動?

今日は作戦を変えてみます。作戦は、草履をとられないようにするためのものではありません。容疑動物を特定したいという気持ちから行っています。
なぜかというと、環境の中にどのような動物がいて、どのような行動をしているのか、そしてその行動の目的が何であるのかを知りたいというのが作戦の動機です。
動物の行動は日常のひとつであり「害」があると感じるものに対しては対応はしますが、その前に動物を特定しその理由も知りたいと思うのです。

昨晩はひっぱれば切れる絹糸にし、1足しか結んでいませんでした。
多少の衝撃であれば相手を警戒させず、室内にいる私にも情報が伝わりやすいと思ったからです。しかし、昨晩は、眠いのと寒いのに負けてしまい3時間で張り込みを断念、星野道夫さんの影にも近づけない有様となり、自分でも情けない限りです。

本日の作戦は長いビニール紐です。簡単には切れないので時間かせぎになるのと、噛み切るのか、持ち去るのを諦めるのか、警戒してくわえようとしないのかという情報を得たいと思います。
まずは動物の特定、できることなら直接見て確認したいです。
天気が快復してますので月明かりは期待できます。

dav

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里山の冬支度

この季節に山の中で聞こえてくるのが「ウイーン」という音、
七山に来てはじめて聞いたチェーンソーの音です。

秋になると大きくなった山の木を切ったり枝を払ったりして山を活用するとのこと。
人が活用するために植えられた針葉樹がそのままになると、倒れてしまいこともあります。

里山は、人が資源を活用して利用しながら、そして山を生かし続ける場所です。
昔は手作業でやっていたことがエンジン付きのものを使用するようになったりと、
道具の発達でその風景はずい分と代わってきたことは確かでしょう。

野生動物は隠れる場所を必要とします。
茂みや竹藪が里の家近くにあると、野生動物は藪に隠れて近づきやすくなります。
そのため、茂みや藪をきちんと刈り払っておくことが大切です。
そうすれば、身を隠す場所がないため里に近づくときも慎重になるからです。
これも「境界線」です。

犬は寝床や休憩場所として「隠れるスペース」を必要としています。
里山の茂みを刈ることが犬の行動へ影響を与えないだろうかとも考えるのですが、
テリトリーをパトロールする犬は、茂みの中を移動することを好まないようです。
少なくとも私が観察し、犬の行動に照らし合わせて考えた結果ではそうなります。

茂みといっても森のことではありません。
笹薮、竹藪、ススキも藪化しますが、こうした場所を移動のルートとしては選ばないようです。

たとえば、山中にあるイノシシが歩いたと思われる道を犬は歩きません。
けもの道の獣の臭いを追うことを目的とすれば、この道を追うのかもしれませんが、
イノシシと犬では脚の構造が全く違うため、巡回移動するのに得意な場所も違ってきます。

犬はイノシシを捕食することのできる動物のため、イノシシは犬を避けて移動します。
犬の苦手なルートを移動ルートにするという理由もなりたつかもしれません。

犬は嗅覚を頼りに情報を得ながら移動していきます。
そのため藪などの風を妨げる場所では、全体を把握することが難しくなります。
これも犬が藪を好まない理由だと考えています。

犬が藪に入るときには、何かを探していくときです。
藪の中に何か臭いがする、それを探すために藪に入る犬もいますが
探そうとする対象への興味や関心の高さによって、藪に入るかどうかも決まるのでしょう。

人と共に行動する歴史の長い犬は、人にとって移動可能なルートが優先されたという理由もあるでしょう。

家周辺の藪を刈ると犬の動きが変わっていたことは確かなことでした。
飼い主のそばから離れないような犬は、環境による変化を感じ取り行動を変えることは難しいものです。
これらの行動は、環境の中で自律して行動できる犬特有の行動なのかもしれません。

そんなことを考えながらも、今日はたくさん働きました。
お手伝いもしていただき、木々は整理されその中から小さな薪がたくさん生まれました。
次の次にくる冬のための薪なんです。自然の生活は本当にゆっくりですね。

添え木をして育てたという「しだれ桜」をいただきました。
いつころ花が咲くのかを尋ねると「3年くらいかな。」ということでした。
3年か…。いつか見ることができたら、感慨深いものだと思います。

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草を食べない犬たち

昨日のブログで「草を食べる犬」のことを書きました。
犬が草を食べるのは故事にもあるほどの日常の風景だったのでしょう。

ところが、最近では草を食べない犬もいるのです。

草を食べない犬もいることを知ったのは、
生徒さんの犬たちと山歩きをしたときのことです。
草を食べている犬たちをみ飼い主さんがこういいました。
「みんな草を食べるんですか?うちの犬は草を食べません。」

最初に聞いたときは、少し驚きました。
個人レッスンのときに、「草を食べのですが大丈夫ですか?」
という質問はよくありましたが、逆の
「草を食べないのですが大丈夫ですか?」
という質問を受けたことがなく、みんな食べるものだと思っていました。

草が食事というわけでもないので、必要ないから食べないのだろうとは思ったのですが
草を食べない犬たちには共通点がみられました。

外であまり、もしくは全く水を飲まず、帰宅してから飲む。

他には、飼い主さんから離れられない傾向が強い犬が多いようでした。


今は草を食べない状態だから、これが草を食べるようになれば
何かが変わったといえるのではないかと思い、観察を続けました。

結果、水を飲まない犬は水を飲めるようになりました。
水を飲まないのではなく、水を飲めなかったのですね。

そして、草を食べない犬の中には、草を食べるようになった犬もいます。
犬の体型や被毛の状態とあわせてみていくと、健康的になるに従い
草を食べるようになった傾向があります。

体調を崩したことで草を食べるようになったのではないようです。

犬が自分に必要なものを、人から与えられるのではなく自分で得る力。
これは犬の習性の中のひとつです。
犬が得ようとする必要なものも、環境の中になければ選択することはできません。
その環境は慣れ親しんだ場所でなければいけません。

昨日ブログに書いたように、「これを食べなさい」という草の与え方では
選択力は育てられないということです。

自然に近い環境を自宅や仲良しの知人の庭先などに準備してあげれば、
犬はいつか必要なものを選択する力が育って、その中の草を食べるのかもしれません。

必要な環境を提供する。
そして犬がそれを自ら利用する。

雑草の生えている庭でも利用価値はあるということです。

でも草刈はしてくださいね。
草を刈り込んでいない土は硬くなり、そのうち硬くて長い草ばかりになります。
犬が好むのはイネ科の雑草です。
イネ科の雑草は水分の多いやわらかい土の上に伸びるのです。
庭の端の部分を掘り返してそうした場所をつくるのもよいかもしれません。

庭の手入れをしていたら、イモリが数匹も出てきました。
イモリは漢字で井守と書くようです。井戸を守ってるということなのでしょうか。
土が軟らかくなるといろんな生き物が戻ってくるかもしれませんね。

ぜひチャレンジしてください。

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草を食べる犬:犬の自然とのつながりを示すいろんな行動

自分の持っていた国語辞書(かなり古い)の後ろに故事が載っていました。
辞書はすでに処分してしまったので、うろ覚えではありますが、
「犬が草をはむと雨が降る」というようなものでした。
「草をはむ」の「はむ」とは古い言葉で、「食べる」という意味です。

確かに犬は草を食べる、だけど雨が降らない日もあるのにね、と思いました。
受け取り方を変えてみて、犬はいつも草を食べているけれど、
犬が特にたくさん草を食べるときは、雨になるのかもしれないといわれると
少し納得するような気もします。

雨が降りそうということは、気圧が変化するということです。
ということは、犬の自律神経にも影響をあたえます。
過去ブログ→犬の自律神経を整える
犬は活動を控えて休息に入り、消化器系を助けようとするからです。
犬は草を食べることで、消化を助けていることもあるようです。


うちの犬は草を食べるんです。どこか悪いのでしょうか。
と、心配する飼い主もいます。

犬は草を食べたあとに、胃の内容物を吐き戻すからかもしれません。
犬が草を食べる理由のひとつに、吐き戻しを必要としています。
これは犬の自己治癒的な行動であり、ビックリするようなことではありません。
異物を飲み込んだときも、同じような方法で吐き出すこともあります。

犬は人よりもよく吐き戻しします。
人よりのよく飲み込む分、吐き戻しの力も強いのです。
消化できないものや、消化に時間がかかっているもの、
また胃液がたまりすぎたときにも、余分な胃液の処分のために吐き戻しをします。
こうしたときはよく草を食べているようです。
胃液を出すときは、草にまじって黄色いツーンとした臭いのものがいっしょに出てきます。

うちの犬は草を食べるんです。どこか悪いのでしょうか。
と、心配される飼い主もいます。
体調を整えようとして草を食べていることを
具合が悪いのだといってしまえばそうなのかもしれません。

体調を整えるため行動することが、犬は人よりも多いのです。
それだけ自分の内面の変化に敏感で、体が自然に反応するということでしょう。
そうした力は犬の動物としての底力のようなもので、尊重したいですね。

除草剤をかけられているから心配という気持ちには同感します。
動物たちが食べることを考えれば、除草剤は簡単には使えないものです。
犬だけでなく猫も鳥も、そして昆虫たちはもちろん草を食べています。
その昆虫を殺すために、はやり除草剤ということかもしれません。
生き物の共生というのは、むずかしいものです。


犬が草を食べることは大切なことです。
都会に食べる草がないなら、雑草を植木鉢に植えて育ててください。
犬猫のためのの草というものも売っていますが、
いろんな草の中から犬が選択するっていうことも大切なことです。

でも、こうした対処法ではうまくいきません。
都会の犬たちは草も食べなくなってきているからです。

続きは明日。


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畑部報告<芽を出す>

グッドボーイハート七山校の畑の種まきから数週間がたちました。

畑部の部長が、「苗ではなく種を植えます。」ということだったので
芽が出てくるのが最初の成長のステップでした。

それで部長から「畑はどうなってますでしょうか。」と連絡を受け、
戻った翌日に畑のチェックをしたら、芽のようなものが出ているのを見つけました。

翌日、畑部長が目視して確認し「芽が出てる」ということになったのです。


この「芽が出る」という感動は、なんとも言いがたいものでした。


私も畑を少しやってみましたが、そのときは苗を植えました。
苗は葉が出ている状態なので「芽が出る」感動を味わうことはありません。

種から芽を出すということが、いかにすごい事なのかということです。


畑部長と振り返ってみたのですが、2週間くらい芽が出なかったのです。
それで、なかなか芽が出ないねという話しになっていました。
もう少し待って芽が出なかったら、もう一度種を植えるという計画だったそうです。

それが、一気に芽が出てきたのです。

種の方では、土に植えられる直前は冬眠状態です。
種が土から栄養を吸収して、芽を出す準備ができているのに、
それに気づかずに掘り返してしまったら、きっと種は死んでいたでしょう。

でも土の上からなので、種がどうなっているのかわからないため、
最初はまだかな~と期待しているのに、長く待たされると、
もう芽は出ないのかもしれないと一方的に落胆してしまうこともあります。


なんでも比較してしまうのは悪い癖ですが、やっぱり犬も同じだなと思うのです。


犬に必要な環境を順番に整えていき、必要な接し方をします。
少しずつ練習を重ねていき、毎日同じように接する生活に取り組みます。

なかなか変化しないように思えても、種が栄養を吸収するように膨らんでいきます。
それでも傍からみると、特に変化した様子が見受けられません。
あまり変わっていないように思えるのです。

ですがその変わっていないように思えるのだけど、膨らんでいく様子が
ずっと犬の成長を見守ってきたためか、自分にはよく見えます。

あと少しで芽が出そうだなという時なのに、人の方が飽きてしまうことがあります。

これ以上変わりそうにないやと、犬に対して積極的になれなくなるのです。
変化していく犬の姿がイメージできないようです。


あと少しで芽が出るのに、と思うのですが、
人の関心は遠のくとなかなか戻ってくることができません。
他に関心のあるものを見つけてしまったのか、芽が出ることを諦めてしまったのか。

飼い主の関心が離れてしまうと、芽を出そうとしていた犬も途端に伸びる力を失います。

犬の芽が出るまでの時間は、植物よりはずっと長くかかります。

特に成犬で迎えた犬の場合には、これまでの経験が長いため変化が訪れるのが遅いです。


でも、犬の時間の流れは人の7倍の速さで、人の成長よりはずっと速いのです。
だから人は犬の芽が出る瞬間を見る喜びを得られるのですね。


子犬のころはどんどんと芽が出るような気がします。
次は芽を伸ばしていくことになり、基盤のない子犬はここからが試練です。


成犬で、ずっと芽をつまれていたときは、最初はなかなか芽が出ません。
それでも根気強く取り組むと、やっぱり芽が出るのです。

生きてるってスゴイなと感じるし、犬ってスゴイなと感じます。
そしてなによりも、その芽を出す環境をつくって来た飼い主に対して
スゴイことしたんですよ、という敬意の気持ちでいっぱいです。



畑の芽は次の試練を迎えています。
育てることって大変だけど、喜びがいっぱいありますね。

犬育てよりも速い植物の成長に、私も目が離せません。

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犬の大切な役割行動:里山の境界線を守る役目

やっと秋の風がふくようになり、本当に久しぶりに山深く犬たちといっしょに歩きました。

オポがいたときは頼りっきりだった山道も、
小さな犬たちを伴って歩くときは、自分が見張り番になるため気合も入ります。

山歩きするとなんだか勇気がわいてきて、少しだけフットワークも軽くなります。


ついつい後回しになってしまう庭草や木の手入れ。
山と家の境界線になっている崖?の草刈へと向かいました。

そこで、今までにないものをみました。
七山校のある里山に過ごして10年近くで、もしかしたら始めてのことかもしれません。

庭の裏手の坂のような場所に、いくつもの掘り返しの後があるのです。

この痕跡の正体は間違いなくイノシシです。
家のすぐ横の場所で、アジサイなどが咲いている根のところも掘り返されていました。
イノシシが庭近くまで接近することはあっても、こんなに近くを掘り返されたのは始めてです。

「境界線がゆるくなってるんだ…」と感じました。


里山は野生動物と人の暮らす里との境界線です。
人の環境に対する開発によって、野生動物はどんどん山の奥へと追いやられてきました。
里山というと、福岡佐賀近郊ではかなり山に近い場所になります。
七山校はそんな野生動物との境界線になる里山に位置しています。

人の暮らす里と、野生動物の暮らす場には境界線が必要です。

境界線があることで、お互いに無益な衝突や事故を防ぐことができます。
野生動物たちは野山で暮らし、人は里で暮らす。

人やは必要なものをその境界線からとって活用していました。
境界線に人が入ることで、動物達は人の気配を感じることができ、
彼らも境界線に近づくときには、十分に警戒するようになるのです。

動物は警戒すると、とっさのときには逃げるという行動を選択できます。
ところが警戒することを忘れると、逃げるタイミングを逃してしまいます。
人の気配に鈍感になり、お互いに近づきすぎてしまうからです。

だから野生動物と人の境界線は、お互いが安らかに生活していくためにとても重要なのです。


境界線が緩んでしまった理由は、すぐに思いつきました。
里山犬のオポがいなくなったことです。

家の前の庭は山に向かっていく上の方向と、車や人の出入りのある下道に向かう方向があります。
どちらも庭の端側になります。
オポはいつも、庭の山側の斜面に近いところで排泄をしていました。

七山にきて庭に立ち寄って排泄をするほとんどの犬が、車や人の出入りのあるシャッターのところに
脚上げ排尿をします。

ところがオポは、車や人の出入りの制限となるシャッターの近くで排泄することはありませんでした。
下道で排泄をするときは、その境界線よりもう少し下のところで行いましたが、
シャッターが閉まっているときにはその方向には出られませんので、下道での排泄はできません。

下道での排泄はちょうど、下の家にオポがいたころにいた犬との境界線にあたっているように思えました。

山手の方には竹やぶのあるところがあって、そこがイノシシの通り道になっていたようです。
森から竹やぶへと隠れることができるため、移動しやすいからです。
竹やぶはうちの敷地ではないので刈り込みされないままになっています。
そのイノシシの通る道との境になる、刈り込まれているうちの敷地の最先端で、
オポはいつも排泄をしていました。

そのオポという犬の排泄は、野生動物との境界線をはっきりとさせるものであったようです。
その排泄のラインから内側でイノシシの気配を感じるのは、夜暗くなったあとでした。
それでもそこにイノシシがいるときには、私の気配を察してすばやく竹やぶに戻っていきました。

オポといっしょに庭に出たときも、イノシシの動く気配を感じましたが、
逃げるイノシシの気配にオポが顔を上げることがあっても、追うことはありませんでした。
境界線が守られているということを、わかっていたのかもしれません。


犬は山との境界線を守り、人は人里からの境界線を守る。

そんな風に役割分担されていたように思えます。

用件があってシャッターの境界線や家の戸口の境界線を越えることを私が許可した人を、
オポが攻撃したり追い立てたことは一度もありません。
その代わり、その人たちに対してきちんとルールを伝え、テリトリーを安定させることは
私の大切な仕事でした。


オポという犬が境界線をつくってくれていることを、なんとなく知ってはいたものの
こうやって、事実上イノシシが侵入してくる足跡を目にすると
その役割の大きさと重さに、大切な仕事をしていてくれたのだと頭の下がる思いです。


さて、現実的な問題を考える必要があります。
イノシシを寄せ付けないためにできること。

草や藪をもっときれいに刈り払うことです。


野生動物は身を隠す場所のないことを嫌います。
藪があれば藪にかくれれ侵入します。
森と家の間は、草刈がなかなかうまく進まない場所なのです。
経験したことのない方は実際にやってみるとわかりますが
枯れ草剤を使いたくなる気持ちだけは理解できます。
でも、それを使ってしまっては負けだと感じるのは私だけでしょうか。

里山の境界線を守る仕事は、どんな犬にでもできることではありません。
だから、犬を飼えばいいという簡単な問題でもないのです。

できることからひとつずつ。


ということで、秋の草刈大会はじまりました。

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憧れの人:自然の使者、星野道夫さんを想う

今日は犬のことではありません。

ほぼ自分の回想と、ほんのお知らせです。

今日、素敵なものを手にいれて、コンビ二でよくするイートインコーナーランチが
いつもとは違った時間になりました。

手にいれたものは今月号の「BRUTUS」という雑誌です。
今月のテーマは「星野道夫」
表紙のシロクマの写真をみれば、知る人はすぐに星野さんの写真であることが伝わってきます。

どういう虫の知らせかわからないのですが、必要なものは必ず手に入ってくるのです。
毎月チェックしているわけではないのに、なぜか今月号が星野道夫さん特集であることを知っていました。
入手したいと思っていて偶然コンビ二で見つけて手に取り、イートインコーナーでかじりつきました。

写真も文章も素敵で、本は読みふけったり写真集は書店でめくります。
でも、写真集はまだ入手していません。
写真集を手にしても、自分には手に入らないものに憧れているからです。

動物を見る力です。

野生動物をみて、彼らがどのように見て感じているのかを知ることができる力。
その感性はマネすることもできず、鍛えて身に付けることもできず、生きる中で与えられた能力のように思えるのです。

あまりにも自分とかけ離れすぎているからといって、諦めるということではありません。

尊敬という憧れの気持ちは、自分の姿勢を正す、よき教師となります。

星野さんは、ジェーングドール博士のもとを訪れています。
星野さんの本は、ジェーングドール博士との出会いについても紹介されています。

星野道夫さん、ジェーングドール博士。
すごく遠いはずなのに、伝わってくる力があります。

今月号のBRUTUS。
いかがでしょうか。

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