グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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<犬のしつけ方>「犬が木を食べても大丈夫なんですか?」はい、犬は枝遊びが大好きです。

先日ある生徒さんのクラスのときに、子犬ちゃんが紙のオモチャで遊んでいるのを見ました。

とても気に入っているらしく少し食べているようだが排便の状態がよくなったと飼い主さんもおおらかに見守ってくださっていました。

そうですね。紙はパルプなので元の素材は木ですから、子犬が遊んで噛んだりその一部を食べてしまうのはよくわかります。

枝が好きなら七山からたくさん持って来てあげますよということで、その子犬ちゃんに小枝をプレゼントしました。

とても気にいってくれたようで、小枝を噛んで遊んでいます。

らら小枝2
らら小枝3

子犬は庭遊びをすると、よく小枝を拾ってきたり口にくわえて遊んでいます。

木の皮をはがして食べたり、ガリガリを枝をかじってその一部を口に含んで食べています。

庭に落ちているような木は水分も多く、がちがちに感想した家具よりもよほど安全です。

ほおって置けば土になってしまうようなものなので、ある程度は発酵していてほどよく菌もはいっています。

木に良い菌がふくまれているので、それもいっしょに食べることができるでしょう。

らら小枝4
人の方も知らないうちにこの原理を利用しています。

クロモジという樹木をご存知でしょうか。

七山の山にもたくさん生育している樹木で、楊枝として使われています。

茶菓子をいただくときに使う高級な楊枝です。

クロモジには殺菌作用があり、そのために楊枝として使われてきたようです。

昔の人が爪楊枝で歯磨きをしていたのもその理由からなのかもしれません。

らら小枝5
犬は特に知識はありませんが、枝をかじったり細かくして食べたりします。

危険なジャーキーやガムよりもよほど安全で健康てきです。

ところがよく「犬に木をかじって食べているのですがいいのですか?」と聞かれることがあります。

いや、犬はよく木をかじって食べています。

危険な食べ方は、硬すぎる木をかじることや、犬にストレスがたまっていて大量に木をかじって食べてしまうことです。

らら小枝6
どんな遊び道具もストレス過多の状態の犬には危険性があります。

同じ行動をくり返したり執着行動が出るため、なかなか止めることができないからです。

こういう場合を除けば、犬は自然素材のものでよく遊びます。

犬はそもそも屋外の動物ですし、土を掘ったり木をかじったり草を食べたりするのは本来の犬らしい行動です。

犬が犬らしく過ごせる時間がどんどん少なくなっているようです。

犬が犬として自然に遊んでいた道具が身近になくなってしまったからです。

犬が自然に遊ぶことを人が止めるようになってしまいました。

犬が土の上を歩くのを汚いといわれるようになりました。

人の価値観がこれだけ変わると、犬はこれからどうやって生きていけばいいのでしょうか。

犬が自然と親しむ姿を見ると少しほっとします。

犬は自然の生き物であることを犬が教えてくれる気がします。

らら小枝1

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<山と犬>秋のお手入れ無事に進んでいます。

わずかに紅葉し始めている静かな尾歩山。

秋の深まりをみせながら、夏に騒いでいたいろんな生物たちはほとんど姿を消しています。

大きな女郎蜘蛛と蜂が最後の活動をしているくらいです。


やっと、落ち着いて山の手入れができるようになりました。

とりきれていなかった蔓を払いながら、木々が育つ環境整備の応援です。


山の手入れのときにも、犬がそばにいてくれるとなぜか安心します。

手入れに夢中になっていますから、周囲の危険を教えてくれる役割を担ってくれるからです。

そうした自分の役割に気づく犬たちは、飼い主の方をじっとみたりそばによってきたりはしません。

鎌や鋏をもって活動していますので、人のそばでは危険もあります。

犬たちは人の作業を邪魔しないように、少し離れたところで周囲の気配をとりながら、ときには山の斜面に落ちているイノシシやウサギの落し物を食べたりしながら、ゆるやかに過ごしています。


私達ヒトの方もしっかりと山の恵を拾って降りました。

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オポが食べていたので気づいた椎の実。
ほんのり甘くて生でもおいしくいただけます。

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皮も食べられるらしいあけび。
私はあまり得意ではありませんが、生徒さんがペロリと食べました。

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山の甘柿。
柿はたいてい渋柿で、甘柿は1本だけです。
すでに熟したものは、お手伝いしてくれた犬くんがしっかりいただきました。

熟した柿が落ちてくるのを待つのは、オポのお得意芸でした。

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山が育つと動物が暮らす場ができるのが、ただうれしいのです。

山が育つと犬たちが生き生きとなるようで、ますますうれしいのです。

七山から離れた福岡の土地にも、活力ある山の空気が届くと思えるからです。


夜に七山から福岡まで移動するときに、動物たちとの遭遇が増えました。

ウサギ、アナグマ、タヌキ、イタチなど。

秋から冬にかけて活動が活発になる野生動物たちです。

わたしたちヒトも、そしてイヌも活動期の季節といえるでしょう。


また来月も山のお手入れ行います。

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ヒト科ヒト属<おすすめの本>ヒトとして:松沢哲郎氏著書「想像するちから」

 京都大学霊長類研究所という研究機関があります。チンパンジーの研究を行っている施設です。
おそらく多くのみなさんが名前を聞いたことのあるチンパンジーの「アイ」がいます。ここでアイと向き合いながらチンパンジーとヒトの研究を行っているのが松沢哲郎氏です。

 最初に松沢哲郎氏とアイの実験を見たのは、テレビのドキュメンタリー番組でした。1980年代のことではなかったかと記憶しています。小さなころから、動物のなかでも特に犬に関心があったものの、他の動物に関心がなかったわけではありません。それでも、正直に言うと動物を使って実験をしたりする研究はあまり好みませんでした。

 しかし、そのドキュメンタリー番組に出てきた松沢氏とアイの様子にしばらく釘付けになるように見ていたのを覚えています。その映像の一場面が今でも脳に焼き付いています。それはアイが順番にボードを押すと果物がでてくるという報酬ベースの実験でした。なぜ、そのふたりの姿が忘れられない映像になったのか特に疑問も抱いていなかったのですが、松沢氏の著書「想像するちから」を読み、改めてその実験の対象になる動物に対する愛着の深さを思い、実際に心揺さぶられるものがありました。

 松沢氏はこの著書の中で、チンパンジーをヒト科の動物として扱っています。その数は1頭、2頭ではなく、ひとり、ふたりと称されます。オス、メスではなく、男性そして女性と称されています。チンパンジーはヒト科ですからヒトと同じように称するという氏の姿勢が表現されています。

 生物には分類学という学問がつきものです。さまざまな形質や行動、そして現在では遺伝的に区別された分類学の中で、人はヒト科ヒト属ヒトに分類されます。動物分類学上では、ヒト科は四属あります。ヒト属のほかに、チンパンジー属、ゴリラ属、オランウータン属です。この4つの属がヒト科であり、学問的にはヒトにもっとも近い種ということです。現在のゲノム解読によると、人間とチンパンジーは遺伝的にきわめて近く、ほとんど同じ生き物であるとも記されています。

 チンパンジーが研究の対象となるのは、ヒトのことを研究する必要があるからです。同じ理由でジェーングドール博士もチンパンジーの研究を行っていました。ジェーングドール博士の場合には、アフリカの森をホームベースとして、松沢氏の場合には霊長類研究所をホームベースとして、チンパンジーの研究を通したヒトの研究が行われているのです。しかし私には、その両者ともにチンパンジーという動物に対する尊敬の気持ちと態度とそれ以上のものを感じてしまいます。

 この本をすべての方に読んでいただきたいけれど、時間のない方のために一文だけ引用してご紹介します。

引用ここから・・・・・・・

 一日の終わりに疲れてテレビをつけてると、チンパンジーが面白おかしいことをしている。それを見て、人があっはっはと笑う。
 それは人間としてよくない。
 チンパンジーを見世物や金儲けの道具にしてはいけない。母親や仲間と離れて暮らすと、チンパンジーの挨拶や性行動ができなくなる。
 覚えておいてほしい。テレビに出てくるチンパンジーの顔は肌色だ。あれは子どもの特徴だ。こともは肌色の顔をしていて、大人になると真っ黒な顔になる。つまり、テレビの番組やコマーシャルに出てくるのはみんな子どもである。本来は母親と一緒にいなければいけない年齢の子どもだ。そうしたチンパンジーを、いろいろな理由をつけて母親から引き離している。
 ビジネスのために、無理やり子どもを母親から引き離す。あるいは獣医さんが「いやぁ、子育て放棄しちゃって」と勝手は判断をくだして引き離す。どんな理由があっても、たとえ死にいたったとしても、チンパンジーの子どもを母親や仲間から引き離してはいけない。彼らには親や仲間と過ごす権利がある。それを踏みにじってよいという権利は人間の側にはない。
 チンパンジーは絶滅危惧種だ。どんどん数が減っている。レッドリストに載っていて、絶滅が危惧される生き物を、ぺっとにしてはいけない。エンターテイメント・ビジネスに使ってはいけない。

引用ここまで・・・・・・・・・・・・「松沢哲郎著書 想像するちから」

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 松沢氏のこの著書の文章はどれもおだやかで冷静なものなのですが、上記に引用した部分だけには特別な強い思いを感じられました。

 動物の行動を面白おかしく笑ってしまう、犬に対してもそんなことが日常的に行われています。ブログでもインスタグラムでもユーチューブでも、人はいつも動物を笑いものにすることで自分たち人間が優位にたとうとします。自然を支配して動物を支配する権利までも得ようとするかのようです。実際ペットたちはそのような立場にあることを認めざるを得ません。しかし、その中でも自分の犬だけはと思うことができます。

 松沢哲郎氏は施設の中のチンパンジーを対象に研究をすすめられています。施設の中では自然の中に暮らすのと同じ幸せを得ることはできません。そのため、施設の構造そのものを工夫してチンパンジーがよりチンパンジーらしく生活していけるようにと改革をすすめられてこられた方です。
ペットとして迎えた犬たちにも同じような思いで、犬として生きることを一歩でも進めていこうという気持ちは間違いではないと勇気づけられます。

 この著書で知ったのですが、松沢氏は山登りが生活の一部で、年に120日間を山に登っていたということです。自然のなかで暮らす、そういう生活をしたいということも記されていました。その気持ちが哲学を目指していた松沢氏が心理学から人を解き明かす学問にふれ、結果、チンパンジーの研究施設にたどりついたというのです。松沢氏とアイの姿を見たときに、その中になんともいえない自然でつながる対話のエネルギーを感知できたのであれば、わたしもまんざらではなかったのかもと自分を認めてあげたい気持ちにもなりました。

 この本の中には、まだまだ犬との関係を深める話題があります。また少しずつ紹介させていただきます。

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グッドボーイハートお薦めのの本はこちらかもご覧いただけます。

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犬の衝動的な行動は危険であること:庭先に出現したウリボウを想う

今朝、七山校で窓を開けているときに、動物がまた栗を拾って食べている風景を見ました。

最近、落ちている栗やら柿などの食べ物を、いろんな野生動物たちが食べにきています。

最初は「ああ、また何か動物が来ているのね」と単純に思ったのですが、いつもと違う感じに一瞬注目してしまいました。
アナグマかと思ったその小さな動物の背中に、縞々の模様が入っていたからです。

窓の向こうにいた動物は、よく見るとウリボウでした。
ウリボウはイノシシの子供です。
瓜のような縞模様の柄をしているのでウリボウという愛称で呼ばれています。

ウリボウを見かけたらすぐに次のものを探します。
お母さんイノシシです。

ウリボウの柄がある年齢のときには、母親のイノシシといつもいっしょに行動しています。
ひとりで行動できるようになると、親離れをして単独行動をするイノシシ。
そのころにはこのウリ柄がなくなっています。

母親イノシシは5,6頭のウリボウたちを引き連れて行動しています。
移動の際には母イノシシを先頭しにして、一列に並ぶように歩いているのを見たこともあります。


この窓の向こうにいるウリボウは、母イノシシからはぐれたのでしょう。
この年齢で母イノシシの群れから離れてしまうと、ひとりで生きていくのは困難なことです。
それなのに、まだ母イノシシから離れたことを気づいていないのか、のんきに栗を食べています。


ウリボウがひとりで生きていけない理由は、自律に必要な学習を終えていないこと。
自分の身を守る防衛行動が不足しているために、他の動物に襲われやすいことです。
ウリボウを食べる動物は、タヌキ、イタチ、キツネ、トンビ、カラスと山の中にたくさんいます。

ウリボウが母イノシシから離れてしまった理由は、ただひとつです。

母イノシシが移動するときにそれに気づかなかったのです。
何かに夢中になっていたか、栗を食べるのに夢中になっていたのかもしれません。
もしくは、栗拾いをするうちに母イノシシから自分が離れた可能性もあります。

母イノシシは移動の際に多少はウリボウの集合を待ちますが、
すべてのウリボウを集合させることはできません。
なにしろ、1頭の母イノシシが数頭のウリボウを管理しているのです。

1頭の自分勝手な行動をするウリボウを捜していたら、他のウリボウまで危険にさらしてしまいます。

母イノシシの動きをよくみていなかった衝動的に行動してしまったウリボウは
そのまま置いていくことになるのです。

こうした衝動的なウリボウは、他の動物に食べられたり、餓死してしまいます。

そのためこうしたウリボウが子供を残すことはなく、この遺伝子は受け継がれません。


これが動物の遺伝の仕組みです。

動物はより安全に行動できる動物の遺伝子を、次の世代につないでいきます。
そうすることが種の継続につながるからです。
衝動的な動物は途中で死に絶えてしまうため、自然界では遺伝子を残せません。

厳しいと感じられるかもしれませんが、これが自然界の動物のしくみです。


そこで犬のことを考えます。

犬はとても衝動的に傾いています。

なぜなら、犬の繁殖には人の「好み」が反映されて人為的な繁殖がくり返されているからです。
純血種の犬は、まさにこの好みのために繁殖された犬たちです。

これらの犬は囲われた敷地や室内で飼うことを前提にしています。
衝動的であっても野生の世界のように、淘汰されてしまうことはありません。

人の好む犬の外見は、小さいもの、鼻の短いもの、脚の短いもの、毛質の異常なもの、大きすぎるものが
多くなっています。
これらの形質は犬という動物からはかなりかけ離れているため、遺伝的には非常に危険な濃い血液で作られています。
そのため精神的にも身体的にも、不健康な犬ができてしまいます。

本来の自然な動物であれば危険な衝動性も、淘汰されることなく犬たちの中に残されてしまいます。

犬は急に走り出したり、走り回ったり、とびついたり、ギャンギャンと吠えることが多くなりました。

めったなことで声を出したり急に走り出したりすることのない野生動物のような慎重さはなくなっています。

それだけに犬は自分では安全を確保することが難しくなっています。


犬を飼う人はこう考えるかもしれません。

犬は人に飼うために生まれてきた動物なのだから、囲いの中で安全であればそれでいいのだと。
犬は走り回ったり、とびついたり、ギャンギャンと吠えている方が可愛らしいのだと思うかもしれません。

犬の身になって考えるとどうでしょうか。
環境の変化に驚いたり敏感になったり、ストレスを抱えやすくなっている犬の立場に立ってみます。
衝動的な行動がくり返されて学習行動となり、いつも脳がハイになっている犬の立場に立ってみます。

やはりこれは、とても大変な生き方になってしまうと思うのです。

すでに繁殖されてしまい生まれてしまった犬たちには、
少しでも環境整備を通して、落ち着きを取り戻すための方法を身につけていってください。
それが犬のストレスを軽減させる方法であり、犬が安心を獲得する方法です。

これから犬を飼う方には、興奮しやすく衝動的な犬ではなく、落ち着いて自律する力のある犬を求めて欲しいと思います。

繁殖をする側は、犬を飼う人が求める犬を繁殖させているだけです。

興奮しやすく衝動的な犬は、走り出したり突然攻撃したりします。
よく吠えたり奇声を発したりします。

こうした犬を迎えて悩んでいたとしても、それを繁殖した方のせいにしても何も変わりません。


人為的な繁殖による犬の内的な質の変化について、犬を求める飼い主の方々もいっしょに考えていただければと思います。


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おすすめの本:「岐路に立つ自然と人類」今西錦司著、生物の見方が変わり世界が広がる本

 今日お薦めする本は、日本に生き物たちと暮らすすべての日本人に読んでいただきたい今西錦司先生の本です。

書籍名 岐路に立つ自然と人類
著者 今西錦司
発行 アーツアンドクラフツ

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● 今西錦司先生という生態学者

 生態学という学問はもちろん専門分野なので、ノーベル賞でもとらない限り世間から注目されることはありません。ノーベル賞は科学的な裏づけがあって評価されるものです。今西先生の研究は細かくみるのではなく、生物全体を抽象化しておおきく全体からとらえるという視点から立っていると感じています。そのため、抽象論だとして見逃してしまうこともあるかもしれません。しかしその見方や考え方にはひとつの哲学があり、ほんとうに惹かれてしまうのです。

 今西先生の専門分野や生態学、文化人類学ということらしいですが、生態学から文化人類学へ以降した経過についても、この本の中に述べられています。また人のことを知りたいと思って入った文化人類学という学問さえ、西洋の細分化やその偏った見方に対して常に警笛を鳴らしていらしたようです。

 「私は人類学をやろうと思って、生物学をやったのではない。生物学をやっているうちに、人間のしていることも、現象的にはどうであろうと、また人間がこれに対して、どのように好き勝手な理屈をつけようと、その根底には、生物の生活を支配している法則が、やはり人間だの生活も支配しているのではなかろうか。つまり、人間だけが、他の生物から切り離された特異なものでなくて、生物といい、人間といっても、それらはともに、同じ地球のうえで、同じような運命にしたがわなくてはならないのではなかろうか、というように思われだしたのである。」(本文より抜粋)

 というように表現されているのですがこれはあくまで抜粋です。このあとに続くまた最もだ思われる今西先生の持論にワクワクすると同時に、この時代にこのようなことを述べられた先生の言葉に対して、大勢は耳をかさなかったのだろうかという不思議な気持ちにもなりますが無理もありません。当時は、といいますか今でも、学問については西洋に習えの姿勢が強いのです。実験室の中で起きていることがすべてで正解で、実験室の中で起きていることは再現性が高く科学的に評価されてしまうからです。そして、研究の目的が自分が本来知りたいことではなく、他者や多くの人たちに評価されることに変化してしまえば、みな実験室に帰っていくということでしょう。


● 「岐路に立つ自然と人類」カバーコメント

 この「岐路に立つ自然と人類」は今西錦司先生の著作やコメントやらを集めて一冊の本としてまとめられています。発行が2014年で先生が他界されてから、22年もたったあとに出版されました。そのカバーコメントにはこのようにあります。

 「実験室のなかの生物(生命)ではなく、自然に生きる生物を、生物全体社会として環境もふくめ思考した今西錦司ー。
 21世紀の科学の閉塞的な状況を予想した今西錦司は、登山家として自然に関わるなかから、細分化・専門家する生物学に対して、自然に生きる生物自体を対象とする「自然学」を唱えた。本書では、その「今西自然学」の主要論考とエッセイを収載する。」

 今西錦司先生のいろいろな考え方の側面に浅く触れ、自然や生物といったものに対する見方に幅を持たせるための導入書としては、とにかく多くの方に読んでいただきたいという内容です。

 たとえば、ダーウィンという名前は多くの方がご存知です。生態学を学んだことのない方でも、生物に興味がなくても耳にしたことがあるでしょう。そのダーウィンが唱えた生物の進化論についてあらたな見方を提唱されています。また、ダーウィンの進化論が持てはやされたあと、実験室の中の科学で行われた進化を研究する遺伝子的な学問の中で、遺伝子が突然変異して進化するという見方についても厳しく論じられます。

 「だからダーウィンのように、進化は現在も進行中であるという見方に、そのあまま賛成しがたいばかりか、遺伝学者のように、実験室内で突然変異がおきるからといって、それをそのまま自然でもおきているかのように要請するのは、事の順序を誤るものとしなければならない。とくに、その突然変異がでたらめなものである、というにいたっては、もはや自然を侮辱し、これを冒涜するものであるといっても、過言ではない。われわれの自然は、好きこのんでそんな無駄な気まぐれをしない自然である。自然には、自然によってたつ経済があり、種社会にはまた種社会で、それを維持していくための、経済というものがあるかである。」

 と最のことを、整然と述べられていて感嘆してしまうわけです。

● 登山家の今西錦司先生

 本の中には、今西先生は一時自然に対置されるものとして人工を選んだけれども、西欧流の考え方では、自然に対置されるものは人間であるといわれています。全くそのとおりだと思います。そしてその上で、先生は「しかし、私は、人間もまた自然である、と思うようになった。」と続けられています。

 今西先生は学者としてすばらしいだけでなく、生涯を通して山を愛した登山家でした。山に対する言葉や山で感じたことなどの言葉も紹介されていることで、今西錦司先生という方が自然とどのように過ごしてこられたのかを知り、感動を覚えます。先生は、自分は長く自然の中ですごしすぎたかもしれないがともの述べられていました。自然に過ごす時間がながければ、思ったり知りえたことがあってもそれを著作として残す時間はなくなるのです。しかしそうした自分と自然の時間を削ったところで、机の上で何が学べるというのでしょう。

 蒙古の遊牧民族の家畜化と西洋の家畜化の違いや、人が人として育つことの環境についてなど、犬との暮らしに絶対に役立つ見方や考え方が満載です。これは一度に読める本ではありませんが、手元においていつも見返して今西先生を感じられる本の一冊です。

 愛犬をしつける本や、ほめて育てる犬のしつけなどという本をもう捨ててください。そして、犬や動物、そして人間を自然のひとつとしてみる、今西錦司先生のような本に触れていただければ、きっと今日からのあなたと犬の関係は確実に変化していきます。

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どの季節を生きているのか:犬との暮らし時間の差を越えるために

先日あるご家庭で「一番暑い夏は越えましたね。もう秋ですからね。」というと
「少し季節が早いのですか?」と尋ねられました。

お尋ねの理由はわかります。福岡では、また夏まっさかりというほどの暑さなのに、
もう秋ですからねというのは不思議ですね。

理由は、週の半分くらいを七山に戻って過ごしているからです。

実はわたしも七山に来たばかりのとき、山の手入れについて土地の方とお話しているときに
季節の違いを知りました。
自分が夏だと思っていた8月の中旬は、山の人にとっては秋の始まりなのです。

単なる価値観の違いではなく、肌を通して季節の違いを感じます。

8月7日に立秋を過ぎて、七山ではすっかり秋の風を感じられるようになりました。

まだ蝉の声が一日中響いてはいますが、ツクツクボウシの声が聞こえるようになりました。
この声を聴くと秋が近付いているというお知らせを受け取ったような気持ちになります。

棚田の稲穂は頭をしっかりと下げています。

栗や柿の実は枝がたわむほどになり、いくつかは青いまま落ち始めています。
雑草は夏枯れを終わり、まだまだ最後のひと葉を広げようとします。

山の斜面にオオスズメバチが巣を作ってしまい、山歩きのコースの変更を迫られました。
これが最近の一番の山の悩みです。
ハチは10月にかけて巣を大きくしていきますので、ハチの数が増えるのはこれからです。
これも季節の流れです。

この季節の移り変わりは、街中のファッション店の季節の先取りと同じ速さですが、
肌を通して伝わってくる感覚は全然違います。

この季節感を全身で味わえるようになって、やっと私も8月のこの季節に秋が始まったと
思えるようになるのに何年もかかりました。

犬たちが季節を情緒的に受け取っているのかどうかはわかりません。
ただ、犬たちが太陽や風の移り変わりを毎日感じていることは確かです。

過去にも未来にも執着しない犬という動物ですから、冬のことをうらやむこともありません。
早く涼しい秋になればいいなと思うこともありません。
ただ、今日の一日を体で感じることが彼らのできる最大のことであり、そして最も有意義なことです。

こうして外気にあたって季節を感じることが動物の幸せであると思えるようになったことは、七山という土地で過ごす時間をいただいたことで体が学んだ大切なことです。

考えると自分にとっては約50回(ここは曖昧に)の夏を越したということ。
犬たちは多くて10数回の夏を越すだけです。
犬の寿命を考えると、犬によっては6回、7回、8回の夏だけだとしても不思議ではありません。

しかし、これはやはり回数ではないと思うのです。

どんな夏をどういう風に過ごして越したのか、やっぱり毎日の生きる質を思います。

人と比べるとほんのわずかな回数しかない犬たちのそれぞれの季節が、自然とともにあり、季節を体感できるものであるための環境作りは決して簡単ではありません。

でも、どんなことも思わないと変わりません。

まず、犬にとって大切なことは何かを思い、考え、そしてそれを実現しようと願い、行動する。できなくても今日できることをひとつやってみる、そのくり返しです。

犬の生きる時間の短さを思うと、なかなか人の成長は追いつかないのですが、
気づいて変化しようとする飼い主と共にいるだけで、犬は気持ちが楽になるのではないでしょうか。

活発なハチを横目に、秋はやっぱりお山のシーズンです。

クウーちゃん山登り

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ヤマカガシと犬のオポのこと:犬がヘビに咬まれないようにするためには?

 夏休みで子ども達が活動中です。小学校高学年の子どもが毒ヘビにかまれたことがニュースになっています。自然環境の中で野生生物に接してケガをすることもありますが、大事にいたらないように注意をすると同時に、もっと深く自分たちに起きていることを考えてみます。


● 毒蛇はどんなところにいるのか?ヤマカガシはなぜ咬みつくのか?

 先日子どもたちが咬まれたヘビはヤマカガシというヘビでした。ニュースではものすごく恐ろしい毒ヘビだという印象を与えるような表現をされていましたが、ヤマカガシはずっと以前から日本の山里に生息しています。というわたしも、ヤマカガシという生物をしっかりと認識して見ることができるようになったのは、七山に移転して山歩きをするようになってからです。

ですから、ヤマカガシという生き物が山里遠く生活する人々にとっては、その存在すら忘れられてしまうような存在であることも理解しています。

 ヤマカガシという名前のカガシとは古語で蛇という意味があるそうです。昔はヤマカガチとも呼ばれていたそうですね。カガシや案山子とも関連があるという情報もありましたが、正確に確認できませんでした。いずれにしても、ヤマカガシは古来から山の中に生息する山を守る生物として認められてきたことは確かのようです。
蛇は山の神様ともいわれる存在なのです。そのヘビを毒物として遠ざけずに、古くから山に生息する生き物としてその存在をありがたいとまでは思えなくても、ただそこにあるものとして認める姿勢はもっていたいものです。

 ヤマカガシは確かに毒を持ちます。奥の牙に毒性をもつため、強く咬まれることがなければ、つまり軽い威嚇で前の牙が当たる程度であれば大丈夫ということもできます。ただ攻撃には攻撃をという姿勢を持つのは生き物の生き残る手段です。ヘビも種類によって多少の気質の違いはあるでしょうが、ヤマカガシの場合は「激しい」といわれることもあります。
でもヤマカガシの一番の手段は、やっぱり逃げることなのです。毒性があるのも、相手を殺戮することが目的ではなく相手を一瞬ひるませておいて、そして自分は逃げるための防衛の道具です。

 今回の子どもたちのヤマカガシに咬まれたいきさつは、ヘビを捕まえたり手で掴もうとしたとニュースにはありました。ヘビを捕まえて持ち帰ろうとする子どもさんの気合には敬意を表します。咬まれた子どもの方は良い勉強になったということでしょうが、今の世の中ではなかなかそうはいかないようです。
病院では毒ヘビに咬まれたときの血清があり、ほとんどが血清で対応されることになります。ですがこれもショック状態に陥ることもあり、必ずしも安全な処置とはいえないものです。


 犬の場合はどうでしょうか?犬が毒ヘビに咬まれるなどと想像しただけで、ぞっとされることでしょう。実際に犬がマムシに咬まれたあとの回復力の速さは、人がかなうようなものではありません。やっぱり犬なんだなと思うような回復を果たします。しかし、犬によっては犬だから大丈夫ということでもありません。大丈夫ではない犬はどのような犬かというと、まず薬を多様している犬です。薬の使用は動物の免疫力を落とします。特にステロイド系の薬を使用している動物にとって生物の毒は要注意です。

 また純血種の犬たちは免疫力が低いため要注意です。純血種というのは遺伝子の小さなプールの中で繁殖を続けていますので血が濃いということです。雑種が環境に対して抵抗力を強めて進化していくのに対し、純血種は生物学的に限られた枠の中で育てられたものです。当然のことですが免疫力は弱くなっています。
その親犬やさらにまた上の犬たちもずっと予防薬やワクチン接種を続けていれば、さらに免疫力は弱くなります。こうしたくり返しが続いていますので、純血種の犬が生物の毒に対応できるのか、もはやわかりません。純血種の犬たちはそれごと自然の生態系から切り離されていく存在だと思うと、とてもさびしくなってしまいます。


● ヤマカガシは本当に怖いのか?ヤマカガシと犬のオポのこと

 そのヤマカガシと犬のオポの実話です。

 その日、わたしとオポはいつものとおり裏山(尾歩山(おぽさん))を散歩していたときのことです。山の一部に急なところがあり、ゆっくりと歩いていたのですが急に視界が広がったようになった場に出ました。

 わたしの前を歩いていたオポのすぐ前に、長いものがパッと立ち上がりました。それも突然出てきた感じだったのですが、見るとヤマカガシが高く首をあげています。いわゆる鎌をあげるという状態です。鎌のような形になっていました。

 いっしゅんのことでしたが、わたしもオポも立ち止まりました。ヤマカガシはその位置からオポまで飛びかかることのできる生き物です。もちろん、わたしも大変緊張していて思考を失ってしまいました。数秒そうしていたあと、わたしが後ろに数歩下がるのと同時に、オポも向きを変えずに後ろに数歩下がりました。その瞬間、ヤマカガシもすっと後ろに下がるように消えていったのです。

 そしてまた数秒がたったでしょうか。オポはゆっくりと前歩いていた速度と同じ速度で進み始めました。ヤマカガシがまだそこにいるなら、オポが前進するわけはありません。オポを信頼し、わたしも共に進みました。もちろん、ヤマカガシはもうそこにはいませんでした。

 私達の登場でビックリしたヤマカガシが鎌を上げ、私達の後退を受けてヤマカガシも逃げる選択をしたということです。山の中ではこうした突然の遭遇が一番怖いのですが、そのときにも冷静さが必要です。

 オポは都会暮らしでヘビに咬まれたことも、ヘビの臭いをとりにいったりしたこともありません。むしろ都会暮らしのときに山や川に遊びに行っていたときは、興奮が高く近くにヘビがいてもあまり見えてないように行動していてハラハラとしたこともあります。

 そのオポが七山で暮らすようになっていろんな急激な変化が彼の中に起こりました。そのひとつが野生生物に対する配慮と反応です。配慮というと擬人的な臭いがありますが、気遣いというよりも、環境の全体を捉えて刺激を求めない行動ということです。

 そうした自然環境とのかかわりの中でオポは自然に野生生物に対する態度を変えていきました。オポにとって鎌をあげるヤマカガシという生物は、図鑑で学んだりネットで知識を得たりする必要のない対象です。生きているものがいる、相手が防衛、攻撃の臭いを発していれば、まず近付かない、脅かさない、距離をとるという自然な反応です。わたしが「あれはね、ヤマカガシといって毒があるから近付いてはダメよ」と教えることもできません。

● 犬に対して「ヘビには近付くな」と教えることができるのか

 こうしたオポのしたような犬の反応を他の犬に望むことは、現実的ではありません。ずっと都心で閉じ込められて生活している犬に、いきなりそれを要求するのはフェアではないと考えるからです。ただ、本来犬に備わっている機能性として、いつかあわられてくれたらいいなと思いつつ希望を持って進むしかありません。犬の持つすごい本能という機能性と能力を引き出すための方法は、あります。

 それは、自然の中での過ごし方にあります。トレッキングクラスで取り入れている過ごし方は、自然の環境に沿うやり方です。そしてわたしたち人の方も、少しずつ自然との距離を縮めながらお互いの距離というのをはかる必要があります。そして周囲にあるものを感じたり認めたりすることから始めることしかありません。それはゆっくりと歩くということです。

 若い人たちが森の中で音楽フェスティバルを行ういわゆるフェスというスタイルが楽しいというのはよくわかります。自分も若いころに一度行った事があります。わたしはあまり楽しくなかったのですが、開放感があって周囲の自然に癒されながら激しい音楽を聴きたいという若者の単純な欲求です。
 でも今は音響設備も発達しています。ステレオやマイクを使って人工的に人の声ではあり得ない音を作り出してしまいます。映像を見ていて思うのは、その音を聞かされる森に住む動物たち、昆虫たち、木々や草、そして山そのものはどう受け止めているのかということです。願わくば、そのフェスティバルのために木々を切り倒すことだけは止めて欲しいと思います。

 犬は大騒ぎするようなフェスティバルにいっても喜びは得られません。自然のリズムが犬のリズムなので、ゆっくりと響き渡る音響を使わないピアノや笛やヴァイオリンには耳を傾けてくれるかもしれません。

 犬に沿うように過ごし方を変えてもよし、人の過ごし方が変化してそれに犬たちが沿うてくれてもよし。いずれにしても、自然を丸ごと感じることが自分の身を守ることにつながっていきます。そして、その過ごし方は、不思議ですが家庭の中にも流れていきます。

 くれぐれも、興奮しやすく走り出してしまう犬を山に連れていくときには、まず動きの制御を忘れないようにしてください。そして環境を知るためには、犬を連れていろんな山に行くのではなく、同じ場所に何どもでかけて庭と思えるほど、その土地を身につけるようにされることをおすすめします。それは、あまり楽しいことではないかも知れないけれど、その変化しない環境の中に楽しみが見つかったときが最高に楽しいのです。

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犬の怖がり、恐怖症、興奮を克服するために:プライベートトレッキングクラスで身につける犬の行動力

 酷暑の福岡と比較すると本当に涼しい七山ですが、毎日の早朝の仕事となる草刈り業にはため息の出ることも多いです。
 それでも、少し草刈りを進めると冷たい風がほおをすり抜けていくというごほうびもあります。わたしがやらずして誰がやると言い聞かせ、再び鎌を動かし続けます。この週末には、尾歩山にトレッキングクラスのために来校してくださる方がたくさんいるので、少しでも良い風を受けて欲しいという思いからついついがんばりが欲張りとなってしまいました。


● トレッキングクラスに参加してくれる飼い主さんと犬たちなのか?

 プライベートトレッキングクラスの目的は、ただ犬と楽しく過ごすという趣味的なものではありません。その時間に起きていることはとても奥が深いため、飼い主さんの利用の目的も幅広いため、参加される方々の目的はそれぞれに違います。共通して言えるのは、トレッキングクラスに参加されるすべての飼い主さんが、犬とのより良い関係と、より良い生活を望んでいらっしゃるということです。

 グッドボーイハートでは、ご自宅の環境を整えることが最優先です。そして次のステップとしてトレッキングクラスを通して犬との関係を見直したり、より良い関係をつくる機会を得ていただいています。さまざまなタイプの行動の問題を抱えている犬たちの中でも、特にトレッキングクラスをお薦めしたい犬たちはこんな犬たちです。おびえがある、恐怖を抱きやすい、逃走行動の傾向がある、興奮しやすい、分離不安傾向があるなど、こんな犬たちにはトレッキングクラスの利用をお薦めしています。

 ところがこのトレッキングクラスですが飼い主さんがいっしょに歩くことに意味があります。中には山歩きが苦手な飼い主さんもいますので、家で待っているから犬と先生だけで歩いてくれないかしらと思われることもあるかもしれません。実際に、お預かりクラスの時間ではわたしと犬だけで、つまり飼い主さん不在の状態で山歩きをすることがあります。山歩きを通して犬の行動や性質について新たに知ることも多く、犬の個体の本質に関心の高い自分にとってはとても有意義な時間になります。ここに飼い主さんもいっしょに犬と歩いていただくことで、犬と飼い主さんの現在の関係やバランスを見ることができるのです。

 なぜそんなことが可能なのかというと、それはクラスに参加された方だけが知っていくことになる大切な秘密なのでここではお伝えできません。お伝えできることといえば、犬と人が自然との距離感をどのように持っているかを知ることで、犬と人の距離感や関係を知ることができるのだということです。トレッキングといっても山を駆け回るようなドッグランのような歩き方ではありません。みんなゆっくりと呼吸を合わせながら、一歩一歩の風景を感じながら安全を確保しながら、お互いを信頼しながら山を深めていきます。


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● 犬の恐怖行動、怖がり、おびえる犬が多い理由とは

 犬の行動はワンパターンではありません。たとえば怖がる恐怖反応を出す犬が何頭かいたとしても、それらの犬たちがすべて同じ状態であるわけではありません。犬は環境や経験や影響を最も受けている飼い主が全部違うのですから、恐怖反応の強い犬としてひとくくりにはできません。しかし、その問題の中には共通点を見出すことができます。共通点となる問題は繁殖や子犬時代の扱い方や環境によるものも多いものです。

 純血種犬のほとんどがブリーディングという作業を通して人為的に繁殖され、販売店で販売されるシステムを経て飼い主の元に行きます。もしくは、ブリーダーから直接飼い主さんの元に行くこともあるでしょう。もしくは保護された犬が保護施設や保護団体を通して飼い主の元に引き取られることがあります。その子犬期の多くに経験するのが多頭飼育や施設で起きる「収容」という問題です。子犬期の収容は子犬の成長時にトラブルを抱えやすくなります。専門家はこれをどう軽減させていくかを考えて飼育管理をしなければいけません。

 こうした社会的背景とは別に、犬のコミュニケーションに対する理解不足というのがあります。たとえば子犬をずっと抱っこして育てたり、人にとびついたり膝の上に乗ってきたり腹部を見せる行動を「人が好きだ」と勘違いしてしまい、いつまでも受け入れ続けたりということが、結果として犬のおびえや恐怖を強めているのだということを理解するのには時間がかかるようです。犬の専門家が正しく伝えきれていないという意味では自分たちも反省が必要だと痛感しています。


● 犬の恐怖行動、怖がり、おびえ、パニックになりやすい犬がトレッキングを通して変化していくこと

 これから起きる予備軍を未然に防ぐこととは別に、すでに恐怖行動が出やすい犬については改善のために飼い主さんが努力をするしかありません。おびえや恐怖を示す犬は決してハッピーではありません。そうした犬は特定の人に過度に甘える行動をするため、人のことが好きだと勘違いされています。むしろその行動をかわいいと褒められたりすることもあるようです。
 
 しかし、これらの犬たちは精神的に安らぎを得られません。常におびえて人に対して積極的な反応を示すよう求めています。いつも自分を受け入れてもらうことを確認するための様々な行動を繰り広げて落ち着きがありません。人に触っていてもらわないと落ち着いて寝ることもできなくなるかもしれません。いつも抱っこされることを確認するかもしれません。何ども室内トイレに行って排泄をする犬もいます。

 こうした犬たちの行動改善と性質の安定のために、トレッキングクラスを受講されることをおすすめしています。先に述べたようにご自宅での環境整備が一番ですが、次のステップとしてお山歩きはグッドボーイハートでは大切なクラスの軸になっています。

 ルールに従って山で過ごすことは動物の脳に一定の影響を与えます。山歩きといってもお酒やバーベキューを持ち込むキャンプでは意味がありません。本当に山を愛する人は、ほんのわずかな道具で山とひとつになってゆっくりと歩いているという風に想像することができるでしょう。最小限のものを持って山の神様に遠慮しながら、その場を拝借しながら自分もそのひとつになるのです。

 山のルールを徹底させれば、動物の脳はある刺激を受けます。犬の脳にどのような刺激があるのか科学的に説明することはできません。ただ行動の変化は見られます。ゆっくりと歩くようになる、人との距離感が変わってくる、地面の臭いに興味を示すようになる、風を感じているようだ、草を食べるようになった、水をいつもよりもよく飲む、目の輝きがいつもと違う、毛の柔らかさに変化がでるなど、その変化はわかりにくいものからわかりやすいものまで様々です。

 これは想像ですが、どうやら山歩きは動物の原始的な脳に働きかけてくれているようです。大脳を使った人とのやりとりではなく、自然とのやりとりに犬は古い脳の領域の活性化を必要としているようです。これはとても重要なことなのです。大脳を使ったトレーニングは人間の得意とするところです。人間など原始的な脳はほとんどなくなっているような大脳の生き物です。犬が自分達のいうことを聞くように大脳を強化したのは人間の方です。ところが自然は大脳で感知するには不足しています。犬の足裏から得られる情報、臭いから得られる情報、皮膚を通して知り得たことなどその全てがその場で過ごすために必要な情報として受け取られ、その情報を得るたびに犬の脳と体を活性化させているように感じます。

 犬は自信を持ち始めるようです。ここでは飼い主に褒められる必要もありません。自分の機能を十分に発揮できたときに動物は本当の安心を得られるのです。なんだかワクワクする自分は大丈夫だという感じでしょうか。人との近すぎる距離感におびえていた犬たちも一瞬ですが、本来の安心を獲得しています。また自宅に戻ればおびえは復活するでしょう。しかしくり返し山歩きを続けることで、犬の行動が変化してくることは予測がたちます。いっしょにいる飼い主さんの姿勢も大切です。共に成長しなければ共に歩く意味もあまりないからです。


● 犬と人に生まれる共感と協調の世界とは

 犬と人はそもそも種が異なります。種という大きな枠の中ではとても遠い存在なのです。犬は犬との闘争行動が強いことがあるため、うちの犬は犬がダメなのだとガッカリされることもあります。しかしそれこそ、その犬が犬である理由なのです。闘争行動という攻撃の対象に真っ先になるのは同種の動物だからです。

 同時に共感と協調の世界も同種間で生じやすい傾向があります。これも種という生き物の力の強さなのでしょうが、社会的構造を持つ種ほど、共感と協調性の世界を強くもっています。災害が起きて不幸になる人のことを知り心が痛んだり食事が喉を通らなかったりするのは、人と人という関係の中で無関係ではいられないからです。同じ理由で理不尽な行動をする人がいることを知ると、怒りや攻撃性を芽生えさせたりします。これも同じ種である人と人の間に起きることです。

 犬に話を戻します。攻撃の対象が犬になりやすいというのはわかりやすい例でしょう。しかし共感できる相手が犬と犬だというと難しいと感じることも多いでしょう。お友達といわれる犬と犬もいっしょに写真に写ってはいるものの、その行動には協調性を感じられないことがあるものです。それは、犬があまりにも閉鎖的な空間で長い時間管理されて生活をし自由を得られていない状態にあるため、本来イヌ科動物のもつ高い社会性をどこかに置き去りにされてきているからです。犬はいつも人に執着するようになり、人の要求に応えるもしくは人に要求するのが犬だという傾向も強くなっています。

 共感や協調性は対等な立場からしか生まれません。現実的には犬と人は全く対等ではありません。ほんの100年くらいの間に犬という動物の自由は奪われたままでまだ復活してはいないというのが、とりあえずの現状です。でも諦めることはできません。なぜなら山という学びの場がここにあるからです。言葉では伝えられない犬と山の関係を、ひとりでも多くの方に体感していただければと願っています。

 今日もトレッキングクラスデビューの犬くん、犬ちゃんたちが続々とお山にやってきます。尾歩山の清らかな空気の中でいっしょに学びましょう。



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おすすめの本:「ニホンオオカミは消えたか?」わたしは70人目の目撃者になりたい

グッドボーイハート生の中には、これはかなり山がフィールドの犬じゃないかと疑うような犬がたまにいます。先日もそんな山下りてきた感じの風貌と体格の犬くんをお預かりすることになりました。長らくいっしょに過ごす時間ができたので、書籍を取り出してしみじみと見比べていました。その書籍の中の一冊がこの「ニホンオオカミは消えたか?」です。


● ニホンオオカミは消えたか?

書籍名: ニホンオオカミは消えたか?

著者: 宗像 充

出版社:旬報社 (2017/1/5)

目次:
I 「オオカミを探す?」
II ニホンオオカミとは何か?
III どこからどこまでがニホンオオカミか?
IV 人生をかけたオオカミ探し
V ニホンオオカミはなぜ生き残ったか?
VI 行方知れずのオオカミ捜索


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 この本は、すでに絶滅されているとされているニホンオオカミは本当に絶滅したのかという疑問と、絶滅していないかもしれないという視点にたって詳細な資料を元に構成されています。ニホンオオカミについてまとめられた書籍の中では出版時期が新しいため、最近までに得ることができるニホンオオカミ目撃情報がまとめられています。

 帯には「その日、ぼくは69人目のオオカミ体験者になった。」とあるとおり、筆者は最初はニホンオオカミはまだ生きているとしてその存在を確認するための活動をしている人々から情報を得る中で、ついに秩父山系でニホンオオカミではないかと思わしき動物と遭遇するのです。この体験があったことで筆者のニホンオオカミに対する思いが一気に上昇したことをうかがわせる多少気持ちの入った文面になっています。

 
● ニホンオオカミは本当に絶滅したのか?

 ニホンオオカミは分類学上ははCanis lupus hodophilaxと名づけられ分類されています。このニホンオオカミについて環境省のレッドリスト(絶滅のおそれのある野生生物の種のリスト)の絶滅レベルの最大の「絶滅(EX)」に指定しています。環境省の発表では国内ではすでにニホンオオカミは絶滅種として扱われています。

以下が環境省のニホンオオカミに関する情報です。

 「ニホンオオカミは、19世紀までは東北地方から九州まで各地に分布していましたが、1905年1月に、奈良県鷲家口で捕獲された若いオスを最後に、現在まで確実な生息情報がなく、この後まもなく絶滅したと考えられています。この最後の標本を購入したアメリカ人採集者、M.P.アンダーソン氏の記録によると、ニホンオオカミは当時すでにまれで、ほとんど絶滅に近い状態だったといいます。絶滅のおもな原因は、明治維新以降、狩猟用の銃が普及したことと、野生動物に対する日本人の意識変化などによる人為的圧力から、ほかの野生動物と同じく、いちじるしい生息数の減少が起こったと考えられています。
 ニホンオオカミはオオカミ類のなかではもっとも小型のグループで、胴のわりには足や耳が短いのが特徴です。ユーラシア大陸に広く分布するタイリクオオカミの亜種とされますが、独立した種とあつかう説もあります。現存標本も少なく、わが国には3頭の剥製標本(はくせいひょうほん)があるだけです。すでに絶滅してしまったニホンオオカミの生態についてもはや調べることはできません。
 なお、北海道にはニホンオオカミの別亜種であるエゾオオカミ(Canis lupus hattai)が分布していましたが、明治時代に牧場を荒らす害獣として駆除され、1894年前後に絶滅しています。」(環境省 レッドデータブックより)
 
 ところが、国内ではニホンオオカミではないかと思わしき動物の目撃証言や目撃時に撮影された写真があり、本当にニホンオオカミは絶滅したのか?もしかしたらニホンオオカミはまだ国内に生息しているのではないかという議論を巻き起こしています。中でも東北の「秩父野犬」と九州の「祖母野犬」でそれぞれにニホンオオカミではないかという動物を目撃した八木氏、西田氏というふたりのニホンオオカミ体験をもつ方は、生涯をかけてニホンオオカミの生息についての調査を行われています。

 一方でそもそもニホンオオカミとはどの動物のことを指すのかということが国内でも明確にされていないことが混乱を生じさせているようです。ニホンオオカミといわれても、残っているのは骨や毛皮ばかりです。いくつかの剥製が残されていますが、その剥製すらも、骨がない状態での詰物なので本当にこの形だったのだろうかと疑問を抱くようなものになっています。ニホンオオカミが国内に生息していた時代には資料を残されていませんでした。当時日本では動物の資料をまとめるような学問は盛んではなかったようです。さらに、ニホンオオカミ自体が人の前にめったに姿を現さない謎めいた動物であったことも否定できません。

 さらに、ニホンオオカミとは別に山犬(ヤマイヌ)といわれる動物が存在していたのではないかという仮説もとても信憑性があると感じます。オオカミはイヌと交配して子をもうけることができるほど種としては大変近い動物です。他にも、国内にはタヌキやキツネといったイヌ科動物が存在していますが、このどちらもがイヌとの交雑することはできません。オオカミがイヌととても近い動物である上に、山犬(ヤマイヌ)というまたイヌ科の動物がいるという風に考えると、日本の山の生態系はなんとなく合点がいくような気がするのです。山犬や野犬とは違う扱いをされています。野犬はあくまでイヌです。山犬はある意味オオカミに近い野生動物と位置づけられているようです。なんだかそんなことを考えるとワクワクしてしまいます。


● ニホンオオカミと自然体系と犬の関係とは

 ニホンオオカミが存在してるかどうかの議論は、オオカミ再導入計画が一部の団体によって広げられたことで熱くなっています。オオカミの再導入とはアメリカのイエローストーン国立公園でオオカミが絶滅の危機にいたったときに、カナダのオオカミをイエローストーンに移動させることで復活させた事例に基づいて提案されています。なぜ、オオカミを日本の山にもう一度復活させようという動きがあるのでしょうか。それは、国内のシカやイノシシの増加によって農作物が被害を受けたり森林が荒れている理由が、オオカミが日本の山から消えたことが原因のひとつだと考えられているからです。

 その再導入として提案されたオオカミがシンリンオオカミというオオカミです。提案の理由はニホンオオカミがシンリンオオカミの亜種(属する種)として分類されたためです。この提案には違和感を覚えます。ニホンオオカミが生存していない状態でなんの情報も集められていないのに、なぜニホンオオカミがシンリンオオカミの亜種として分類されたのかが曖昧であること、さらに、大陸という環境と比較して日本という独特の島国で作り上げられた動物を同じものもしくは似ているものとして扱うことには疑問を感じます。

 さらに、ニホンオオカミが日本の山の奥地に神のように崇められていた時代の山はもうありません。さらにその下の地域に山犬が、その下に野犬が、そして里山犬がというようにイヌ科動物のピラミッドをつくるようにその領域をお互いにまもっていたのではないかと考えるからです。日本の山には山犬の存在も明らかではありません。野犬はわずかに生息している可能性があります。里山犬は里の荒廃、純血種の普及、犬の係留という法律とともにまさに風前の灯です。日本のイヌ科動物のピラミッドなしではニホンオオカミは均衡を保てず爆発してしまい、結局人は再びそれを絶滅に追い込むのはないかという恐れすら覚えます。

● わたしは70人目のオオカミ体験者になりたい

 ニホンオオカミが存在していないという調査は個人単位で行われているだけで、国や専門家をあげては行われていません。なぜなら、狂犬病予防法が発令されニホンオオカミが存在していることが許されなくなったときにすでにニホンオオカミは絶滅したのだという結論を下されてしまい、絶滅したのに生存を確認する調査をする必要性が議論されなくなってしまいました。しかし、もうずい分時間が経ちました。他の歴史と同じように自分達の認識が間違っていたことについては素直に間違っていたかもしれないという謙虚な姿勢に立ち返り、再び振り出しに戻ってもいいのではないでしょうか?ニホンオオカミを確認する調査のために動物に負担をかけたくはありません。彼らを脅かさない方法で調査が始まることを願っています。そして願わくば、わたしもニホンオオカミをこの目で見たいと切実します。

 七山の山の中には鹿もいなくなりました。こんな地域ではオオカミが生存している可能性はとても低いです。しかし、いつか他の山で数を増やしたニホンオオカミの影を見ることができるかもしれないと思うと、それだけで夢が広がります。同時に日本のイヌ科動物のピラミッドが日本の人の生活と共存していた歴史をいつか取り戻すことができるかもしれないとも思います。これはあまりにも現実的ではないとは思います。ただ、都市部の家庭犬を脅かすようなことでもないと思います。失われつつある犬の習性や行動、その能力や機能性、そして人との関わりについて、知らないことはまだまだあります。失ってしまってからでは、ニホンオオカミ同様に骨のない剥製をみるようにしか知ることはできません。身近にいる純血種を含む全ての犬の軸となるオオカミという動物について、ますます思いが深まります。

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自然災害の中に見る人災:今自分にできることをただするだけの地味な日々

昨年の熊本地震など身近なところで災害が続きます。
九州北部豪雨で亡くなられたすべての人と動物に哀悼の意を表します。
被災された方々にはお見舞いを申し上げます。
愛する方を失った方々の辛いお気持ちが一日も早く癒されますようにとお祈り申し上げます。
梅雨明けまであとわずかな時間ですがこれ以上の被害が拡大しませんように。


● 自然災害のたびに報じられる「記録的」という言葉への違和感

 身近な地域での災害は特に身にしみると同時に情報も入りやすくなります。テレビ報道やインターネットのニュースを通してくり返し流される被災地の映像と、被災の状況は原因について語る専門家やコメンテーターの言葉に違和感を覚えることも多いものです。その違和感を覚える言葉に「記録的豪雨」という言葉があります。確かに記録的豪雨なのだと思います。気象庁が観測を始めてからはということです。ですが長い地球の歴史を見れば、わたしたちが知らない寒冷時代もあったのです。自分たちの知らない気象現象や気温や雨の量や大地の揺れを記録的と報道されてしまえば、記録的だったのだから仕方がないのだという印象操作をされてしまい、人は考える力を失ってしまいます。自然災害といっても、その災害の中に人災が含まれているのであればそれを正しく認識した上で自分たちの態度を改めるべきです。

 この災害で印象的だった破壊された自然の映像は、山崩れした斜面と大量に流された木肌を削られた流木の山ではないでしょうか。流された木々は大半が針葉樹です。樹木の太さは映像から推測するしかありませんが、ここ20年くらい前に植林されたものではないでしょうか。インターネットニュースの中では科学者の先生が「この災害は人災であることを認めるべきだ。植林したものの手入れを怠ったせいで、細い木が流れて山が崩されている」という旨のコメントをされていました。わたしも同じだと感じます。

 自分には森林や災害に関する専門的知識はありません。科学的に説明をすることもできません。あくまで自分の感性に応じてあんな山では崩れてくるのが当たり前ではないかと思うのです。正確にはそう考えたり気づけるようになったということです。都市部のアパートに生活しながら、休みの日にふらりと犬との山歩きに出かけるくらいでは、ここまで深く考える機会を持つことができませんでした。自然に近い犬という動物と向き合いながら、その犬が本来活き活きと生活していて持てる機能を十分に発揮できる山という場に寄り添いながら時間を過ごした結果、やっと気づいたことです。


● 山で暮らせば必然の山の手入れという地道な雑事

 実はこの気づきはグッドボーイハート七山校との出会いが始まりでした。現在この七山校の裏山の尾歩山を犬と歩いている生徒さんはこの山がすでに森になりはじめている風景を見ることができます。ところが、ここはもともとは荒れ果てた杉林でした。最初にこの家と山に出会い購入について検討したとき、不動産の方に境界線にラインを示してくださいとお願いしました。そして実際にオポを連れて山の境界線を歩いてみたのです。山を歩いているときも山の上から下を見下ろしたときも、これは自分には無理だなと思いました。なぜなら、杉林は手入れをされておらず細い杉は倒れ、枝打ちされていない木々の間には日光が当たらずにじめじめとして、この杉林は危険だとなんとなく感じたのです。この辺は勘です。あの犬のオポも移動がスムーズとは行きませんでした。湿気が多くぬかるんで土が不安定な歩きにくい山だったのです。

 そこで不動産の方に率直にお返事しました。「裏山があの状態では家の購入は無理です。山のことはわかりませんが怖くくてとても住めません。」と申し上げました。そうしたら不動産の方がなんと地域の森林組合の頭となる方を引き合わせてくれました。森の専門家による見立てと提案は次のようなものでした。手入れされていない杉林は伐採する方がいい、家が近いし斜面があるので広葉樹を勧める、造林事業の助成の一部が使用できるので少し出たししてされませんか、ということでした。もちろん、作業をしてくださるのは森林組合やその下請けの森の専門家の方々です。費用の一部をわたしが負担すれば、山を生き返らせることは可能だということだったのです。

 こうした経緯があり七山校を購入することが決まり、当時不調だったオポはやっと山へと引っ越すことができました。杉林を伐採したあとは広場みたいになってしまいましたが、その後造林していただいた1メートルくらいの広葉樹たちが次第に育っていきました。同時に雑草も大量に生えてしまい下刈りは大変な作業でした。植え替え後二年目の写真がこちらです。

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 植林が2007年ですから今年の秋で10年を迎えます。最初の一作年までは専門家の方に下刈りの作業をお願いしていましたが、いよいよ今年からは山の下刈りを自分で始めるようになりました。木々が育って植生が少し変化してきたのが明確にわかったのが今年に入ってからです。10年という月日は木にとってはわずかな時間かもしれませんが、10年たってひとつの段階を迎えたことが実感できることはうれしいことです。その変化した森はこんな感じです。

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 風景の中にオポがいなくなったことはさびしいのですが、オポの過ごした山がまだ元気でいてくれていることがありがたいこです。写真で見ると下刈りももう少しガンバレという感じですね。この10年山の手入れを続けてきたのはわたしひとりではありません。犬と共にこの山に訪れるたくさんの犬と暮らす人々が、手に鎌や鋏を持ってなれない山の手入れをお手伝いしてくださいました。そうした人々の支えがなかったら、この地道な作業に途中で音を上げたかもしれません。その支えの時間があるからこそ、今でもあと10分だけ、あと20分だけがんばろうと奮い立って草刈りをやり続けられる自分がいます。その自分もいっしょに育てていただきました。ありがとうございました。


● 災害の起きるまえにできることを今することと、動物たちが生きる場を返すという姿勢

 災害が起きる前に備品を準備したり事前の知識を身につけてパニックにならないことも現実的な問題であり現実力です。また、災害が起きてしまったあとに、人や動物たちのために何かできることはないかと行動を起こしたり活動をされる方々には感謝します。災害の起きるたびに自分には何もできないという気持ちでもやもやしてしまうことも多少はあることです。それでも、今目の前に自分に課せられた大切なことに向き合っていくべきだという思いの方が強いです。

 災害に向き合って物事の本質を見極め、わたしたち人という動物が自然にしたことのお返しがきているのだと謙虚に受け止める姿勢を持っていたいのです。視野を時間的にも拡大させてみて、今自分たちの身の回りに災害予備軍があることを気づいて取り組んでいけないでしょうか。人にとっても犬にとっても、自然災害が発生したときにそれをできるだけ拡大させないために、今できることを考えて、現実的にそのことに向き合うことが最も建設的な対処の方法だと思います。

 その今取り組めることが、自分にとっては山の手入れなのです。森林の専門家のようにチェーンソーで杉林を伐採したりするような荒業までできるようになれるとは思っていません。ただ手入れしていただいた山を維持し続けるにも相当の体力、労力、気力が必要なことをこの10年を身をもって知りました。たかだか1000坪くらいの山の手入れにフーフーいっているのですから、この日本の山を活き活きと保つためにはどのくらいの労力がかかるのかわかりません。

 さらに山がこうして荒れ果ててしまい、梅雨時の雨量によっては山崩れが起きてしまうことを、知っている人が少なすぎます。山の境界線である里山に住む人がいなくなり、山を利用しなくなったからであり、山に出入りすることがなくなってしまったからです。被害を受けた地域は里山よりももっと低い場の田園地区がほとんどです。里に人が戻って山の手入れをすることができないなら、他の地域の方が入っていって自分たちでやるしかないのでないでしょうか。

 こうした活動は人にとっての利益だけではありません。野生動物や犬たちにも恩恵はたくさんあります。里山が復活すれば、里山で活き活きと生きる犬が復活します。森が健康になれば野生動物たちが活き活きと暮らせる場が戻ってきます。じめじめとした暗い杉林には動物は食べ物もなく住むこともできないのです。動物たちの生きる場を奪ったのはわたしたち人という生き物であることを、動物を保護する活動をする前に認めておくべきです。

 この自然豊かのように見える七山でも、山を歩いているとあそこもここも荒れ果てています。いつか七山から滑り出した木々が唐津の住宅地を襲う日が来ないともいいきれません。自分ひとりがちょっと草刈りをしたくらいでは追いついていないことは十分に承知の上です。それでも、わたしはやりたいと思います。地味で誰も気づかずに対した役にたたなくても、自分が大切だと思うことに向き合いたいからです。

 ときどき爽やかな風が頬の横を通り抜けます。一日中エアコンをつける必要のある部屋にいる犬たちを思います。きっとわたしが犬ならちょっとくらいブヨに刺されたて痛い思いをしても、この土の上に伏せて過ごすことを選びます。人の価値観で良かれと思ってやっていることが犬にとっての真の愛情に達しているのかどうかを向き合うには勇気が必要です。でも、このことにもそろそろ向き合える人がでてきそうな予感がしています。自分の気づきと同様、誰にでも変化には時間が必要なのでしょう。ただその時間を今は待っているところです。

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