年末年始にかけて様々な方面から「ブログ拝見しています」のお言葉をいただきました。
有難いとともに未熟な文章と内容が今さらながらに恥ずかしいのと、より良いものを書かなければという余計なプレッシャーを感じてしまっています。
プレッシャーはそのうちになくなるでしょうから、また気ままにブログを更新していきます。
さて、今年は毎年やりたくてできなかった時間を絶対に作ろうと思っています。
それは「読書」です。
実は本がとても好きなのですが、実用書や研究方面の本に偏りがちになってしまっていました。
答えを探すために本を読むようになり、答えがないと次の本へと移ってしまう。
これでは本当の読書の感動を味わうこともできません。
ということで早速三が日のうちに論文でもない実用書でもない科学書でもない本をよみはじめました。
ある冒険家の書いた本ですが、またそのうちにご紹介します。
この本を数十ページ読んで感じたことは、自分も犬の世界を冒険したくてこの世界に入り込んだはずだったということでした。
目的の場所もある程度しかきまっていない、時間も決めていない、ただそこを冒険することに価値がある、エベレスト登頂してアピールしたいわけではない、そんな冒険です。
ところが今はその冒険心を失いかけています。
結果を出さなければと、仕事だから当たり前のことなのですが、ただそのことに集中しすぎてしまったと思います。
もっとこの犬について伝えられることがあったはずなのに、飼い主の立場にたって解決することばかりに集中しすぎていないだろうか。
そうだとしたらもっと別にやってくれるドッグトレーナーがいるに違いない。
私がこの仕事をしたいと思ったのは「犬といっしょにいることが楽しい」という理由でした。
こんなにたのしい時間を人生の中に一生持っていたい、犬がどんな動物なのかもっと知りたい、ただそんな気持ちで中学生のときに犬の訓練士なるものになりたいと思ってしまったのがはじまりでした。
あの尊敬する星野道夫さんが学生時代に教科書を見ながら北海道の熊がどうしているのか気になって勉強が手につかなかったというにはほど遠いのだと思いますが、そのような気持ちで過ごしていました。
私はもっと冒険したいのだ。
もっと風景を楽しみたいし、もっと手探りで迷子になりたいし、もっと人が立ち入らないような、立ち入れないような犬の世界に足を踏み込みたいのです。
今年はそんな時間が一秒でもあればいいなと思っています。
そのために自分の感受性を喜ばせるような読書の時間を持つことが個人的な今年の目標です。
グッドボーイハートは今まで通り自然と人と犬がつながっていくような活動を継続します。この活動は今まで通りでもあるし、今まで以上でもあります。
グッドボーイハートの活動は都心での家庭訪問レッスン、通学レッスン、お預かりレッスン、そしてトレッキングクラス、ヒーリングクラスです。
どのクラスも大切なクラスで、犬を理解し尊重するためにできることをクラスを通してブログを通して、昨年はじめたインスタを通してお伝えします。
福岡と唐津。拠点が二つあってどちらも大切、どちらも整備が大変ですが、恵まれた環境の中でこうして活動させていただいていることに感謝し活用していきます。
さて、他にもありますよ。
ハチミツオポ計画では、今年こそ博多ハニーさんの日本ミツバチが住吉の巣箱にやってくるのを待ちます。七山のあのスズメバチたちをもう少し退治して、ミツバチさんたちが戻ってくるように協力します。
昨年は出遅れた七山敷地での猟ですが、ダンナくんが担当していますが今年は早々に準備をすすめられそうです。広場もぼこぼこにされてますから今年こそは勝負を挑みます。
オポ家具計画では、読書のための空間作りを楽しむための家具を楽しむ時間を作ります。環境を整えることがグッドボーイハートのトレーニングクラスの主軸です。環境について考えるためのインテリア、作る人はどのように考えているのかと考えるだけでもとても勉強になります。
そしてダンナくんが代表を務める会社のお手伝い、サポーターといってもオポの名前のついている会社なのでちゃんとお手伝いしていきます。犬と暮らす独身者のみなさんに素敵な人生の伴侶との出会いがありますように。オポがお手伝いします。
ここまで書いていくと「読書の時間ってあるの?」となりますよね。
願えば叶う。
そこに山があるから。
要するにどんなことも自分次第です。
ブログ記事をご覧のみなさん、間違いさがし、賛同、反論大歓迎です。
お気軽にフィードバック下さいませ。
Author Archives: miyatake
一年のはじめに冒険家の本を読みながら…本年の計画を
新年のご挨拶「本年もよろしくおねがいします。」
あけましておめでとうございます。
みなさまそれぞれの思いで迎えられた新しい年。
グッドボーイハートとご縁のある方もない方も、
皆様にとってより良い日々を重ねられる一年となりますようにお祈り申し上げます。
犬たちには無縁の大晦日とお正月ですが、なにやらいつもより美味しそうなものがテーブルにあがり、もしかしたら犬たちのごはんの中にも特別仕様のおかずが入っているのかもしれませんね。
犬からみると人間は特にテンションの上がり下がりの激しく、特別な生き物なのですから変わったことをしていても「ああまたはじまった」くらいにしか見ていないことでしょう。
犬との暮らしと毎年の年末年始の仕事が定着した私の方が、大晦日と三が日に人として何をしていいのかわからずに困惑しております。
こんなことを書くとまた不思議人間だと思われてしまいそうですが、動物に関わる仕事をしている以上、みなさんが休みのときでも働くのが習慣になっており普段と特に変わらない日々を送るようになってしまいました。
新しく暮らしはじめたダンナくんが、大晦日だの元旦だのと言っていることに少し当惑しながらもこれも学びだと思ってとりあえずは元旦を終えました。
しかしこんな私でも「一年の計は元旦にあり」の言葉は実践しています。
今年はこれを自分に課そうということを心に決めることです。
毎年のことですが、今まで大切だと思ってやってきたことをこれからも大切にすること。
数々の出会いの中から謙虚に学び続けること。
そして何があっても感謝の気持ちを忘れないこと。
そして今年はこれをということをもうひとつ付け加えます。
七山の地の神様とこの土地のひとつとなったオポのお墓にお礼参りも済ませました。
今年はコロナ禍で帰省のお預かりがなかったものの、ありがたくお仕事はいただいていて元旦からお役に立てていただきました。
今年もそこそこにお役に立てていただくべく、年齢と共に痛んだ自分と家と家族を養生しながら、精神は成長していきます。
今年もよろしくお願いします。
一年の終わりにいつも思い巡らすことを今年も再考して前進するしかないか。
毎年年越しのこの31日にお決まりで降る七山の雪。
豪華とはいえないのですが今年はちゃんと白いお化粧をまといました。
福岡と七山を行ったり来たりする生活の中で「先生はいったいどこにいるのですか?」とよく尋ねられます。
仕事のためにほとんど福岡で人として生活しています。
でも年越しは七山のこのオポと暮らした家でと思って今はここにいます。
12月31日、あと少しで新年を迎えるときにココで考えたいことがあるからです。
この山のふもとの家は、私の人生の中であり得ない選択だったからです。
なぜこんな山の中の寒くて不自由で寂しい場所に住んでいるんだろう。
そう考えたときに、オポという犬と出会ったからだと思い出すからです。
オポが山で過ごす時間を作るために、この山奥に引っ越して来ました。
そのオポが旅立ってから5年がたち、なぜここにいるのだろうとここ数年は考えました。
この山で過ごす犬たちのひとときを見たいから…確かにそうです。
山を歩く犬の姿、山の空気を呼吸する犬の表情を見るとなぜかほっとするのです。
しかし、どんなことでも他人のためにということだけでは通用しません。
与えられた時間と場所は自分の成長のために必要だからというのが鉄則だと思うからです。
私にはまだこの厳しい山の中で学ぶべき何かがあるのだと、
だからここを離れることが今はまだできないのだと体が感じているのです。
ではなぜ、今私のそばには犬ではなく人というパートナーがいるのだろう。
人として学ぶべきことがまだあるから、今はそう思っています。
犬のことをなぜ学んでいるのか。
犬が好きだから、そして人としてまだ未熟だからです。
この令和2年は世界中の人類の同士と共に人として今まで考えられなかったことを体験してきました。
マスクを外せなかった一年があと少しで終わります。
人として考えること、人として生きるということに向き合わなければ、犬が犬として生きる姿を見ることもかなわないのだとやっぱりここに行きつきます。
人と暮らすすべての犬たちが犬として生きる時間を少しでも得られますように。
犬と暮らすすべての人たちが人として犬と共感する時間を持たれますように。
そして何より自分のことは人として少しでも成長しますように。
良いお年をお迎えください。
犬の行動に自分(飼い主)がどの程度関与しているのかを見極めればしつけはできたようなもの
犬の吠えたり咬んだりという問題行動やトイレの失敗や異常行動などに悩みご相談いただく方がずっといるからこうしてドッグスクールとして長い間仕事をさせてもらうことができました。
仕事があるという意味ではありがたいのですが、それだけ人が困るような犬の行動が今でもあるという意味では犬への理解の普及というのは難しいのだなと感じます。
できるだけわかりやすく犬を理解していただくためにお伝えしているのですが、直球すぎて受け取っていただけないことも多いのです。
その飼い主さんに向けたド直球が今回の記事の題目です。
犬の行動に自分(飼い主)がどの程度影響を与えているのか?
おそらくですが、飼い主のほとんどはそんなことを考えたことはないでしょう。
犬がトイレの失敗をします…
犬が吠えます…
犬が噛みつきます…
その行動は飼い主というあなたが存在していることで起きているのだということを知るのはかなり大変です。
自分も飼い主のひとりであったわけですからわかりますよ。
自分の犬の問題行動を引き起こしている、つまり原因の中に「自分」が入っっている。
入っているどころか中心的存在ですらあると知ったときの衝撃と落ち込みが大変なものです。
だから飼い主はこう質問します。
「犬が噛みつくんです。どうしたら犬が噛みつかなくなるのですか?」
そうですね。たしかにあなたの犬は噛みつきます。
でももしあなたがここにいないとしたら…あなたの犬は噛みつくでしょうか?
噛みつく犬もいるかもしれませんし、噛みつかない犬もいるでしょう。
自分の家の中では噛みつく犬も、トリミングショップでは噛みつかないなど、そんなケースもありそうです。
いずれにしても、飼い主の存在はなんらかの形で家庭犬に影響を与えています。
それは良い方にも悪い方にも出ているのであって、犬にとって不利益な方に出ているときには「犬の問題となる行動」として見られるでしょう。
犬のしつけ方は飼い主がどのように行動を変化させることができるかで決まる?
飼い主の行動が犬に影響を与えているということに気づき、受け入れてしまえばあとはそれほど難しくありません。
自分がその行動のきっかけになっているのですから、あとは変えていくべきは犬ではなく飼い主です。
自分の行動をどのように変えていけばいいのかを指導するのが家庭犬インストラクターとしてのわたしの役割です。
ドッグトレーナーとは犬を調教する立場
ドッグインストラクターとは飼い主の指導にあたる立場
資格として明確な基準はありませんが、役割としてはきっちりと分けたいところです。
飼い主のこのような行動のパターンが犬に影響を与えていることをお伝えして飼い主側の行動矯正をお願いするのがドッグインストラクターの仕事です。
だから生徒さんはほとんどの人が
「犬のしつけだと思っていたのですが、このレッスンは飼い主のしつけなんですね。」といって笑うときがやってきます。
そう思えるのならもう結果は見えています。
悪いのは犬じゃなかった…。
悪いのは自分だったと思える飼い主の、あなたの犬はぐんぐんと変化していきますよ。
家庭訪問レッスンや通学レッスンで飼い主さんとお話しているといろんなしつけのヒントに気づかされます。
犬のしつけ方のヒントとは、もし自分が飼い主であったら当然考えたりやるべきことを普通の飼い主さんは考えたりやったりはしないのだということです。
こちらは犬のことをある程度は勉強してきたので飼い主といってもプロフェッショナル飼い主です。
生徒さんは普通の飼い主さん、何が正解かがわからなくてドッグスクールに通っているのですから当たり前のことです。
毎回のレッスンで学ぶことがたくさんあり勉強になります。
だからすべての生徒さんに言います。いつもありがとうございます。

犬と猫のコミュニケーションが面白い!犬語なのか、それとも猫語なのか?
犬と猫…。
犬猿の仲とは違いますが、いろいろと確執のある関係のようです。
どちらも人のテリトリーの中に住む動物ですが、その家畜化の歴史には違いがあることをあのローレンツ氏も「ヒト犬に会う」の著書の冒頭で述べています。
同居する猫がいないとしても散歩中に出会ったり庭で対面したりと、犬にとって猫の存在は日常的なものです。
犬にとって人という動物が社会的な動物であるのと同じくらい、本来なら猫は犬にとっての社会的動物であると思います。
ここでいう社会的動物とは、敵対する可能性もあるが、そうならない可能性もあり、ある程度のコミュニケーションがとれて対立を回避することも可能な動物という意味です。
先日お預かりの犬ちゃんが庭にいるときに、となりの猫と絶妙な掛け合いをするのを観察することができました。
犬ちゃんは小庭の柵越しに外を見ていました。
ちょうど対面の家の屋根の上に猫がいます。
猫は屋根の一番端まで出てきており、私が見たときにはすでにその位置からこちらの庭の中にいる犬にうなり声を上げていました。
どちらが先に視線を送ったのかはわかりませんが、猫と犬は対峙した状態でお互いに視線を外そうとしません。
猫の方は「ヴーーーー」と低いうなり声を上げていますが、姿勢は座ったままです。
犬の方は四つ足で立っていますが尾は下がったままです。
そのうちに猫はうなり声を上げるのを止めました。
でもお互いに視線を外さずにずっと見合っています。
いつまで見合っているのだろうと私もその光景を窓越しに見ていたのですが20分くらいそのままお互いに見合ったままでした。
そのうちに、猫の方が「飽きた」という感じなのか先に動き出しました。
屋根の先からひとつ家の方に入ったテラスの方に移動してまたこちらを見ています。
猫がひとつ下がった段階で犬の方は尻尾を少しあげましたが横には降っていません。
そのうちに猫がテラスでころころと寝転んで背中を床に着けてこすりつけるような行動をはじめました。
犬の方も猫からときおり視線をはずして体の向きを左右に変えたり近くの臭いをとったりし始めました。
猫はころころと身を返しながら時折おきあがって犬の方を見ています。
犬も視線をときどきそらしながらもまだ完全に猫から目を離すことができません。
トータルで1時間ほどたってから猫がいなくなってしまいました。
猫がいなくなると犬も別のことを始めていました。
そもそも預かりの犬ちゃんはまだ若く、そんなに長い時間ひとつのことに集中しているのを見たことがありません。
この時には猫に対峙している時間がかなり長かったことに驚きました。
コミュニケーションの優先権は猫の方にありました。
うなられて、ガン見されて、無視されて、また凝視されるを繰り返される。
犬の方はただ猫の攻撃性が高まらないようにか、ほとんどじっとしているしかできません。
それでも猫の行動から自分へのコミュニケーションを受け取ろうとしているのがわかりました。
都会では犬同様に猫のテリトリーも狭く、喧嘩するか逃げ惑う猫の姿しか見ることができません。
猫はいつも走り出し、犬はそれを追うような行動を見せます。
猫は犬から逃げているわけではないのですが、猫が逃げるから犬は追う、という行動のパターンが身についていきます。
ただ「逃げる追う」という単純な行動の中にコミュニケーションや関係性はありません。
ところがこんな里山の犬と猫のコミュニケーションは違います。
テリトリーは広く猫はいつもゆっくりと歩いているのを見ることができます。
同じように昔はよくフリーで歩いていた犬もほとんどゆっくりと歩いている姿しか見ることはありませんでした。
そもそも走っている姿を見ることの方がなかったと記憶しています。
そういえばオポもこの七山に住んでいるときには、走る姿を見ることはあまりありませんでした。
日常的にはいつも歩いているだけで走る必要があまりなかったようです。
広いテリトリーと安心安全を確保した動物はコミュニケーションを楽しみます。
今回、この猫にしてみれば犬を相手にそう長い間対峙することの重要性はさほどなかったと思いますが、ほとんど暇つぶしのように相手をしてくれていたようです。
犬の方はなかなかできない経験をしたようで良い社会勉強となりました。
種の異なる動物たち、コミュニケーションの方法もかなり違いがあります。
それでも長い歴史の中で隣人的な存在であった犬と猫。
空間さえ整えばコミュニケーションには発展性があることを再認識できました。
社会化は逃げたり追ったりすることではない、何かのヒントになればと思います。
はじめてのトレッキングクラスで子犬にとって良いこととは「犬であることを思い出すこと」
グッドボーイハートの生徒さんたちの中には、ブログやインスタで見る「犬との山歩き」の姿にあこがれと希望を抱かれる飼い主さんがたくさんいます。
とても単純に「犬と山を歩くなんて楽しそう!」と思っていただいて全くかまいません。
しかし、この犬との山歩きを学ぶトレッキングクラスは実は本当に奥の深いクラスです。
もちろん価値観はそれぞれなので、ただ楽しめればいいのですという姿勢でも参加は可能です。
ただこの奥の深さに到達していただくことがわざわざドッグスクールで学ぶ価値のあることです。
先生の立場としては伝えることがたくさんあります。
説明すること、感じていただくこと、考えていただくこと。
先日は生後5ケ月の子犬ちゃんがはじめての山歩き体験をしました。
山歩きにはまだ早い月齢や状態というものあります。
犬だから山を歩くなどなんともないことなのです。
四つ足の動物が山道を歩く身体的な能力のことを、二本足のおぼつかない人間であるこちら側が心配する必要もありません。
もしもリードがなくて犬が走り出したら、圧倒的に犬は姿が見えなくなるほど遠くへと走り出し、わたしたち人類は追いつくなどできません。
だから犬が山歩きをするときに「大丈夫」などと励ます余裕があるなら、もっと人の方が自分のバランスをとって歩くことの方が大切です。
※子犬ではなく成犬であってもこれが一番大切なこと。
子犬にとって大変なのは身体的能力のことではありません。
テリトリーを離れるという行為が子犬にとってはとても大変なことなのだと理解してあげましょう。
子犬は生後6ケ月になるまではほとんど自分の生活圏をでることはありません。
生活圏とは巣穴まで自力で戻れる距離のことです。
この範囲は犬によりますが都市空間では数メートルしかありません。
あとは親犬について歩くだけ、その距離すらたいした距離ではありません。
危険があったら巣穴に戻ること。
これが子犬のルールだからです。
その子犬が移動した巣穴であるクレートからかなりの距離を歩いて進むわけです。
飼い主がそばにいるのだとしても子犬にとってはこれはかなり大変なことです。
ただ山から遠ざけられていた子犬たちは、テリトリーからかなり離れていることなど忘れてしまい、ただ山の臭いに誘われるように山を歩いています。
この臭い嗅いだことがある…。
子犬の脳はそう思っていることでしょう。
都会から山までの車での移動。
テリトリーを離れて歩くこと。
この二つのストレスがかかることを前提で子犬に山で過ごすことを体験させる価値がないかというとあります。
でもそれは人や犬がたくさん集まるキャンプに連れていくことでもないし、田舎のドッグランで走らせることでもありません。
子犬が安心して自分の周りの数メートルの範囲の情報を受け取り、その中に安心を獲得できるように入念に準備された空間の中で、子犬の脳はゆるみはじめ混乱を整理する時間を得るのだと思っています。
子犬の脳内のことをセンサーをつけてみるわけにはいきませんが、子犬の表情筋のゆるみや目の柔らかさを取り返したのを確認すると「自分は犬という動物だと思い出してくれたのかな。」と安堵します。
年末年始は大掃除の時。
犬たちが山で過ごせるように七山にこもるようにしました。
今年は帰省もしないし犬との時間を大切にしたいと考えている方はお気軽にご予約下さい。
テレビのバラエティー番組で取り上げられる残念な犬の姿
先日レッスンのときに生徒さんとお話していて、犬を取り上げたテレビ番組の話になりました。
生徒さんが見たテレビは犬が視聴者の自宅でするイタズラ行動をどの犬がしているかを当てるような内容だということでした。
隠しカメラの設置によって多頭飼育の中の1頭の犬が留守中にものを破壊する行動をしていることがわかったのだけど、それを面白おかしく取り上げられていて最後は「楽しく笑い」を誘う内容であったらしいのです。
しかし生徒さんはその犬のやっている破壊行動がどうみてもストレスによる行動としか思えず「犬の悲鳴なのになんでわかってあげないのだろう…」と悲しくなり見るのを止めたとのことでした。
わたしは生徒さんの話を聞きこう答えました。
「自分でもきっと同じことを思うに違いないはずです。共感していただきありがとうございます。」と。
日常的に、犬や動物のテレビ番組をほとんど見ることがありません。
科学的に構成された動物のドキュメンタリーなどを厳選して見ることはありますが、まず絶対に見ることがないのが動物の登場するバラエティー番組です。
なぜなら動物の中でも特に犬を題材にした番組を見ると、怒りや憤りを感じるか違和感や嫌悪感を感じることが多いからです。
先の生徒さんと同じような気持ちになるのです。
犬の気持ちを理解することを全くせずに、犬の行動を笑い飛ばして自分たちの楽しみにしてしまう…あり得ないことと思われるかもしれませんが、実際には普通の方々が巻き込まれていることです。
メディアが準備した内容は間違いないという思い込みが、そのような形の犬の行動に対するひどい扱いを次々と生み出していきます。
テレビ番組で犬の行動が紹介され、楽しそう、イタズラしているから可愛い、お茶目など脚色された内容で落ちまでついていると、その犬の行動はそうしたものだと誰もが誤解するようになります。
誰もがというのは間違った言い方ですが、メディアが正義と思う人はそうなるでしょう。
犬のことがきっかけになったのかもしれませんが、自分はメディアの放送をすべて正解と思って受け取ることはありません。
本当にそうだろうか、いやそれは違うだろうという視点をいつも持っています。
自分だったらこう思う、この人はそうかもしれないが他の先生は違う意見でもあった。
などと納得のいくまでそうだと思わないような思考回路になっています。
専門分野外になると自分もついついあいまいな情報に惑わされることがありますが、簡単に正解はでないと思えるようなあいまいさを維持することの大切さを身を持って知っています。
テレビ番組に違和感を覚える自分、同じ番組を楽しむ人。
もはや共感をすることができない関係になっていきます。
犬に対する価値観は様々、犬に対する理解は二極化しています。
あなたはどちらへ進みたいのか。
今一度冷静に、犬を取り上げた年末年始の動物番組を見て考えてみてください。
家庭訪問クラスの応用で「福岡市内の山でトレッキングクラス」を開催しました。
家庭訪問レッスンを利用して近くの山でトレッキングクラス
家庭訪問トレーニングクラスはプライベートクラスです。
このクラスを継続しているひとつの理由は様々な環境に応じたトレーニングが可能になるからです。
今日は訪問クラスを利用して飼い主さんのご自宅のすぐ近くの山にトレッキングクラスに行きました。
オポが生前にもオポを同行させての山歩きクラス、海や川へ水泳教室などを開催していました。
普段のクラス時間60分ではできないので少し時間に余裕がないと難しいのですが、今日はその余裕があったということです。
特に長い間訪問レッスンを続けて下さっている生徒さんの犬ちゃんは、ご自宅ではほとんど問題なく過ごせるようになっています。
レッスン内容はどんどんと高度なものになっていくので、七山でのトレッキングクラスへと移行される方もいます。
しかし普段は車がないなどの理由で七山に起こしいただけない生徒さんもいます。
みなさんのご事情や生活スタイルにあった形で最善のクラスを提案するのが自分の役目です。
犬と犬の社会化とは心地よさを「共感」することから
この日はお預かりクラスで滞在していた犬ちゃんを同行させていただきました。
犬同士の相性、犬の管理にどの程度の影響がでるのか、ある程度の予測が立ちますので事前に相談した上での同行です。
実際に山を歩いてみると、具体的にこのようなところではこうした方が良いとか、リードの持ち方とか、歩き方とか、声のかけ方など、具体的にアドバイスができるのでこちらもとても指導しやすいです。
しかしなんといっても生徒さんと犬ちゃんといっしょにトレッキングクラスをする中で、いっしょに気持ちの良い時間を共有し社会化を高める時間を過ごすことができることです。
犬と犬、犬と他人が仲良くなるということは、お互いを触りあったりはしゃいだりすることだけではない、むしろもっと自然で大切なことがあると思います。
それはやはり「共感」の二文字につきます。
山をゆっくりと歩いて深い呼吸をして、体を十分に使ってリラックスさせ、適度にエネルギーを放出していく過程。
土や緑の臭いが充満する山の空気の中を歩くことで自分の脳の中にひろがるマップ。
いつの間にか近くをいっしょに歩いている人や犬の呼吸を意識していることに気づきます。
大きな空間と見えない敵を意識する中で自分の味方を探しているのかもしれません。
理由はわからないのですが自然とそうなっていくのです。
歩き始めるときには若干お互いをけん制しあっていた犬たちも、山歩きが落ち着きはじめるとそのけん制もなくなります。
本当に不思議な光景ですがこれが真実です。
犬との関係は奥が深いのです。本当に深い。
深まれば深まるほど今まで無知であった自分に嫌気がさし後悔もします。
でも何も知らないで終わるよりは学んで良かった、これが犬についての私の気持ちです。
だからひとつでも知りたい。学びたい。
明日からまた七山へと向かいます。
お預かりクラスが少し続きそうです。
みなさんの知りたいを私が先に受け取る時間です。
七山寒いだろうな、でもとても楽しみです。

「都市化によって考えない人間が増えている」のに犬は自然なのだ。
昨日の「犬と山歩き=トレッキングクラスの効果は頭で考えてもわからないのです。」の捕捉です。
捕捉したい内容は“頭で考えてもわからない”というところです。
この“頭で考えてもわからない”を使って犬を語るならこうでしょう。
「犬のことを頭で考えてもわからないことがたくさんある!」
「頭で考える」というキーワードから、養老孟司氏が講演動画の中で「人間が頭で考えてもわかることには限界がある…だから自然に行け」というようなことを話していらしたことを思い出しました。
簡単な言葉のようでとても奥の深い言葉です。
同氏の著書『「都市主義」の限界』に記してあることが参考になりますのでこちらに引用させていただきます。
「なぜ、人間が都市を人工物で満たすかというと、一つには安心を得るためである。
人口のものは、物質に限らず、社会のシステムにしても、すべて人間の脳のなかにあったもので、人間であれば、少なくとも表面的には理解し、予測、推測できる。
これが安心につながることはお分かりいただけるだろう」
引用:養老孟司著書『「都市主義」の限界』より
人間が頭の中で考えたものを形にしたのが都市。
そうであれば、その都市の中で起きることを予測したり推測することは簡単なのです。
ところが、相手が自然となると予測も推測も都市のようにはいきません。
だから自然相手のときには頭の中で考えることを止める必要が出てくるのです。
子供は都市の中にはない、なぜなら子供は自然だから。
同じように、犬は都市の中では理解できない、なぜなら犬は自然だからです。
こう考えると、犬のことを頭で考えることだけでは理解することができないことも納得できます。
犬を理解したいなら、頭で考えているだけでは行き詰るのです。
自然の中で予測したり推測したりするためにできることは、まず考えることを止めること、次に感じる事です。
ブルースリーの言葉をお借りするなら「Don’t think! feel.」。
「考えるな!感じろ」。
この名文句を実際にやっているのが自然の中で活動できる犬たちです。
山をゆるやかに動く犬の動きを見ていると、考えて行動しているというよりも、感じて行動しているという風に見えるのです。
とこうしてまた見ていることを考えている自分もどうかと呆れてしまいますが、考える癖が抜けないのが現代人です。
ある程度は考える人と感じる動物の犬。
このふたつの種類の動物がいっしょに山を歩くこと。
とてつもない力が生まれそうだと感じるのは私だけでしょうか。
すごく現実的かつロマンティックな犬との山歩き=トレッキングクラス。
参加するたびに変わるのは感じる力です。
犬も人もいっしょに自分の変化を楽しみましょう。
関連記事→犬と山歩き=トレッキングクラスの効果は頭で考えてもわからないのです。
犬と山歩き=トレッキングクラスの効果は頭で考えてもわからないのです。
先日のオポディにたくさんの犬たちと山歩きを楽しみました。
どの犬たちも尾歩山の山歩きトレッキングクラスになんども通ってこられて山に親しまれた犬ばかりです。
飼い主さんと犬の頭の中にはこの山のある程度のメンタルマップが出来上がっており、行動には安定が見られます。
このクラスにご参加されている方に「どうして犬と山歩きをするのか?」という質問をしても答えは簡単には出ません。
クラスにはそれぞれに目的があります。
トレッキングクラスを提供する側としては目的をある程度説明することができます。
でも、トレッキングクラスの目的は飼い主が犬と山を歩きたいという欲求と同じではないのです。
飼い主側の犬と山を歩きたいという欲求の一番は「気持ちがいいから」ではないでしょうか?
数頭の犬たちと飼い主さんの小グループトレッキングはとても心地よく気持ちの良いものです。
少し頭数が多くなるとテンションが上がりますから、ちょっと気持ちいいけどたくさん楽しいになるでしょう。
楽しいが多すぎると気持ちがいいが少し減る感じがするのです。
オポディのトレッキングはまず楽しいで始まり、その後は各自で気持ちがいいを探していただくようなクラスになりました。
なんども犬と山歩きをしているけれど、トレッキングクラスに参加しているけれど、まだ一度も「気持ちがいい」を体感したことがないのであれば、自分の気持ちが目標と達成に集中しすぎているのかもしれません。
何事もチャレンジ、目標があり達成がある。
そうやって頑張って生きてきたのですから、ただ犬と気持ちいいーと思うことができなくなってしまったのかもですね。
犬をいつも触っていたいとか、犬をなでたら気持ちがいいと思っている人こそ、犬との山歩きをおすすめします。
犬と山歩きの気持ちがいいは、犬に触って気持ちがいいを大きく超えていきます。
いつかきっと体感してください。
今年もあと少し、年末まで犬とトレッキングまだまだ行きますよ!