気持ちのいいお天気が続いています。
外出のたびにマスク着用で気分もうっとおしくなりがちです。
マスクをつけて歩いている人々を犬はどのような気持ちで見ているのでしょうか。
見かけからはわからなくても、感情の変化は臭いとなって伝わります。
人々の変化は臭いとなって犬にバレバレなのかもしれません。
そんな犬たちに、少し気分転換する時間をつくるのも良いかと思います。
昨日は老犬くんが七山に遊びに来てくれました。
ゆっくりと年齢を重ねる中では体にもいろんな不具合が起こります。
老いの変化は付き合っていくしかないのは、人も犬も同じことですね。
老犬くんはお庭を少し散策したあとテラスで寝始めました。
風の運んでくるかおり、ウグイスのなき声、とゆっくりと時間がすぎる七山で
少しリラックスしたのか寝言をいって寝ています。
飼い主さんとはこれから起きる環境の変化についての準備の打ち合わせをしました。
犬のトレーニングのクラスを受けるメリットは、すでに起きてしまった問題を解決することだけではありません。
もっと高いメリットは、これから起きる変化を事前に予測して対応できることです。
その変化とは、外側の環境の変化であったり、飼い主の内面の変化であったり、犬の成長の変化であったりといろいろあります。
犬は、というか動物そのものは変化に対して敏感です。
良い方向に変化するのであっても、変えることには抵抗が起こります。
犬が変化に抵抗したり、適応せずにストレスを感じる行動を起こしたときに、どのように対応すればよいのかを事前に準備するのも犬のトレーニングクラスの目的です。
作戦会議も広々としたノーコロナの七山だと頭の回転もさえてきます。
人生にはいろんな変化がある、だとしたら楽しめるものは楽しむしかありません。
老犬くんは寝起きの顔で帰っていきました。
犬の老いを喜ぶことはなかなか難しいですが、年をとったな長生きしてくれてありがとうという気持ちは伝わると思います。
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<犬のこと>夢見る老犬くんを横目に変化のための準備作戦を練る
<犬のこと>犬には悪気はない問題行動だからややこしい
先日ある本を読んでいてこのブログ記事の題目を思いつきました。
その本というのは池谷さんという薬学博士の書いた古い本です。
脳の仕組みは動物の行動に影響を与えるので、気楽に読める本は常に手元に置いています。
優しい言葉で書いてるのですが内容は自分などにとってはかなり難しいもの、それでも日常生活に当てはめてある説明には興味を惹かれます。
池谷博士というと脳の海馬の研究者として有名だということはご存知の方もいらっしゃるでしょう。
その池谷氏の本にあった行動のしくみ。
その行動は無意識にしているのか意識していしているのかということです。
その犬の行動が無意識なのか意識的なのかを考えたことがあるでしょうか。
犬に意識などあるのかといのうがはじめの反論になりそうですが、意識的行動、無意識行動は脳内からくる行動です。
犬と人では脳の構造は違いますが、犬にも脳がある、であれば犬にも意識はある、ということは犬にも無意識の行動があるということです。
ここではその前提で話を進めます。
本の文書中ででききた日常的な人の無意識行動の例は「箸を使うこと」でした。
箸を持つときに筋肉の動きを考える人はいない、
でも箸は生まれたときから持てたのではない。
箸を使うことを小さいときに覚えてそれを繰り返し毎日何度も練習するうちに箸が使えるようになり、その後無意識で箸を使うようになったのです。
だからそのことに集中しなくてもその行動をしてしまいます。
そのような無意識行動は、実はつねに犬の中に起きています。
何かをきっかけに始まった行動で犬が同じ行動を毎日何度も積み重ねるようにしていくと、その行動そのものが無意識的に始まります。
犬が意識的に行動を起こしていることを改善したり修正したりすることはさほど難しいことではありません。
むしろ犬の行動改善において難しいのは、この無意識的行動の方です。
しかも無意識的行動は、脳の奥深くとつながっていると考えてください。
箸を使う行動のように、学習によって得られた無意識行動ですら脳の機能の中で成り立っています。
箸を使う行動はその行動の結果食べ物を口にするのですから、人にとっては報酬と結びついていきます。
無意識の行動の連続で食べ物が自分の口に入ってくる。
犬にも同じようなことが起きています。
犬がある行動をしたときに何かの報酬を得ると、報酬脳が刺激されます。
そうすると再び同じ行動が起きる、これを繰り返すと次に行動が起きるときには犬の方で「これをやろう」という意志はほとんどないのです。
どのような行動がこれに当てはまるかというと、犬が日常的に繰り替えす行動に焦点を当ててみるといいでしょう。
ボールを追う
自分の脚先をなめる
床をなめる
家具をかじる
排尿をする
こうした小さな行動が繰り返されるときには、行動のきっかけには理由はなく、ただ無意識的に報酬を求める行動が起きているということになります。
犬には悪気はない、だからこそ「これはダメなことなのだ」と道徳観に訴えても労力の無駄ということです。
人側の強い反発が有効なのは、その行動を起こした数回以内に限ります。
だからこそ犬のしつけは子犬のうちからがいいのです。
犬が無意識な行動を繰り返すことは、ただ経験を重ねる経験学習をしていることになるからです。
それは人にとって良いことでないことの方が多いし、同時に犬にとっても利益のないことがほとんどです。
動物の脳は自分を破壊するためにあるのではない。
犬の脳は自分を壊すためにあるのではないはずなのですが、犬にはストレス行動が多い。
無意識の世界は本当に奥深くからやってきますので図りようもありませんが、飼い主としてできることは犬が出す行動はすべてシグナルとして受け取り、適切な手伝いをするべきだということです。
やることがたくさんありすぎで飼い主としては混乱するかもしれません。
しかしむしろその方が、本当に犬に向き合っていると言えます。
答えが簡単に出るわけはないのです。
だから犬と関わるというのはどこまでいっても面白いのだと私は思います。
<犬のこと>とても大切なことなのに見逃してしまう「犬はどこで排泄をするのか」
犬のしつけを考えるときは、犬が動物として維持し続けるように協力することが飼い主もしくは犬を管理するものの務めです。
犬が動物として維持し続けること
果たしてどんなことだと感じるでしょうか。
犬のしつけ方が犬に負担をかける理由は「人にとって利点があるのか」という観点から考えすぎることです。
人にとって都合が良いという部分と、犬にとって不都合だという部分が重なってしまう場合には、もう一度犬にしてもらいたいことを考えなおすべきです。
犬のしつけ方の向かうべき方向を再構築するということです。
犬という漢字の中央に人という文字が入り込んでいるわけですから、犬はかなり昔から人と共にあったことは想像できます。
そのために人から受けるべきいろんな強制に対して、反発したり攻撃したり許容したりしてきたでしょう。
犬のペット化が急速に進んでしまった現代では、犬はもはや人との折り合いをつけることすら難しくなりました。
犬は人のいいなりになるしかないのです。
だからこそ、犬にとってどうなのかということを考えてほしいのです。
前置きが長くなりましたが、この姿勢こそ大切なものです。
ここがぶれてしまうと形だけが先行してしまいいつまでも魂が入りません。
そして題目に戻りますが、そう考えると「犬がどこで排泄をするのか」と考えたときに答えは明らかです。
犬は屋外で排泄をする動物なのです。
室内トイレは人の都合でしかないことをまず知る必要があります。
また犬は歩きながら排泄をたれ流したりはしません。
犬には散歩中にも適切な排泄場が必要です。
犬の排泄はテリトリーの境界線を示す方法として毎日使われています。
サークルの中で犬にトイレをさせることは、犬に対してあなたは囚われの身なのだと言い聞かせているようなものです。
犬を早くサークルから解放してあげてください。
犬があなたの家族であるならなおさらのことです。
犬はそもそも自由であることを体感する権利をもつ動物なのです。
もうこのことを理解できる人が本当に少なくなったと感じています。
本当に犬のことが知りたいという方、犬のストレスを向き合って解決したい方は、
今からでも大丈夫です。
真剣勝負でいっしょにがんばりましょう。
<クラスのこと>都会っ子もトレッキングで気分転換してます。
警戒事態宣言が解除になり福岡では日常生活が戻ってきていますね。
飼い主さんたちは仕事に出かけるようになり、犬たちにも留守番の長い日常が戻ってきました。
いつからでしょうか、福岡の都市部では多くの犬が室内犬として暮らすようになりました。
ここ30年くらいで一気に進んだ社会現象です。
犬はそもそも屋外の動物だということを忘れてしまいそうなくらい、毎週きれいにシャンプーされて人々と共に室内に寝泊まりするようになりました。
同時に外で過ごす時間はほとんどなくなり、一日のほんのわずかの散歩の時間に外に出ても土を踏める時間はさらに限られています。
私も博多駅のすぐ近くで7年間は犬との暮らしをしていたので、犬に満足を与えられない散歩のつまらなさは実感しています。
その埋め合わせをするように時間があれば郊外の山に犬を連れて遠出をする機会を作りました。
一週間に1回でもこのガス抜きの時間があると、犬のストレスはほんの少し改善されたように感じていました。
そしてついに犬が7才の時には七山に宿を映したということです。
都会で犬と幸せに暮らすということを実現させるためには、上手に自然とかかわる時間を使ってください。
今日は七山でトレッキングをしながら都会生活のストレスを少し解消してくれた犬ちゃんがいました。
トレッキングは犬に走らせたり発散させたりするような時間ではありません。
ゆっくりと時間を使いながら山の中で過ごすことで、犬に開放という時間を持ってもらうこと、少しストレスが下がってきたら人との関係性について知らせる時間を共有することが目的です。
山歩き中に山の中にたくさんの生えてくる竹という標的を見つけたので私たちは竹を相手に勝負勝負…。犬ちゃんは今日は応援の練習というところでした。
人と犬の信頼関係ってどうやって作るんだろうと悩むときには、社会的組織の中での関係性を参考にすると良いです。
人と犬は確かに家族として暮らしてはいますがお母さんと赤ちゃんのままでは犬に申し訳ないです。
犬もちゃんと成長して役割を持とうとするから家族という社会の中に入ったら、人と犬はやはり服従関係でいることがお互いを信頼している関係です。
山歩き中のグループの中での犬の役割は、グループ全体が安全にテリトリーに戻ること、そのために自分にできることは何か、わかるようになるまでは追従するまでです。
ただボールを追って走っていることだけが犬の幸せではありません。
一つ上の犬との時間、有意義に過ごしていただきました。
<犬のこと>犬の行動が不安定なときは管理を厳しくが犬のしつけの基本
今日から以前の日常生活が戻ってくるという方も多いでしょう。
都会の犬たちにもまた以前の生活が戻ってきます。
都会の犬たちの生活のパターンとは長い留守番と活動量の少ない生活です。
犬の行動は欲求が満たされているほどストレスが低く、欲求不満にいたるほどストレスが軽減されるのは人と同じです。
ステイホーム週間から本来の日常生活に戻る今回の生活のパターンは、犬にとって欲求不満に陥ることになります。
あくまでステイホーム週間に犬と向き合って時間を過ごした飼い主に限ってのことですが、グッドボーイハートの生徒さんたちならきっとそうされたのだろうなと想像しています。
一生懸命向き合ったのに日常が戻ってくるのが犬にストレスを与えると考えると違和感や矛盾を感じるかもしれません。
だったらステイホーム中も留守番させておけば良かったのかと考えてしまうかもしれませんが、それは違いますので安心してください。
もし間違った接し方をしたとしたら、ステイホーム中にお互いの境界線を踏み越えて、ダッコ(抱っこ)生活、ハグ生活、べったり生活をしていた場合に限ります。
犬との距離感を保ちながらより良い関係を作るために時間を作られたなら、そのことは必ず将来うれしいお知らせとしてかえってきます。
さて、生活のパターンの変化で犬の行動や多少不安定になるということは予測しましょう。
行動に現れなくても食欲、身体的反応にも表れることがあります。
下痢だったり皮膚病だったりすることもあります。
普段から社会化力が少し低めの犬たちは耐久力がなく反応も多少強いことも覚悟しましょう。
その上で、飼い主が今やってあげられることははっきりしています。
犬のしつけの基本ですが、犬の行動が不安定になったときには管理を厳しくするということです。
管理を厳しくするというのは今飼い主さんが利用している犬を管理する道具を上手に活用するということです。
ハウストレーニング、トイレトレーニング、散歩トレーニング、合図に応じるトレーニングを習慣化できている犬はこれらの管理を強めてください。
最初に管理をはじめた状態が強い状態で、行動が安定してくると管理を緩める、だけど行動が不安定になると再び犬の管理を強めるというのが犬のしつけの基本です。
本当は私たち人間も同じような習性をもっていますので自分に当てはめて考えてみても理解しやすいと思います。
特に日本人は歴史的に統率の中に入るとまとまりやすい民族のようで、危機感が強まるときほど法律や規則で強く管理される方が行動は安定します。
今回の自粛生活にもそのような傾向がありました。
だれかに管理されているルールがあるのだという上で活動するのが社会なのです。
ただ同時に従うことで自分の生命も保持される守るものがいるのだと感じることも必要です。
これはごほうびと罰の原理ではありません。
人と犬が社会的な動物だという原則にのっとって実現する社会なのです。
犬を過剰に叱ったりほめたりする必要はありません。
しっかりと犬を管理してあげ、そして保護すること、それが飼い主としての役割です。
<自然のこと>超えてはいけない動物の境界線について松沢哲郎先生から学んだこと
先日のブログで紹介した本「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」をアマゾンのほしいものリストに入れていただけたでしょうか?
この本の監訳を担当された松沢哲郎先生からもたくさんのことを教えていただきました。
もちろん松沢先生の著者やビデオ、配信されている動画や数々の記事などを読んで自分なりに学んだのです。
ですから松沢先生が本当に伝えたいことを自分が受け取れているかどうか自信はありません。
ただ明らかに松沢先生からも確実に教えていたただいたことは「動物と関わる上で超えてはいけない境界線について」考えることです。
こうして考えるきっかけをいろんな動物の専門家から受け取ることで、犬以外の動物にもちゃんと人との境界線があるのだと深く思うようになりました。
そもそも犬以外の動物で自分が深くかかわったことがあるのは、幼少期に飼育していたインコとハムスターくらいです。
他の野生動物は動物園の檻という境界線に阻まれて直接触れることすらできない関係でしかありません。
その野生動物と接する人々の動物との関わりによって彼らの持っている世界への理解は大きく違うのだと感じたことが数ヶ月前にありました。
それは人工飼育されたチンパンジーとその飼育員が対面するという感動ものらしいテレビ番組でした。
動物もののテレビ番組には怒りを憤りを感じてしまうことが多いのでほとんど見ないようにしている私に、「これってどうなの?」と質問を投げかけてくるダンナくんが私に見せたものです。
番組の内容は、未熟児のチンパンジーを母親から隔離して人工飼育で育てた結果、母親にも父親にも兄弟にも受け入れてもらうことができず、結局群れには帰れず檻の中でひとりで過ごすことになったチンパンジーの話でした。
ですがそのチンパンジーには転機が訪れたらしく、飼育員が自分が育てたチンパンジーの生活の変化に涙して喜ぶという内容でした。
チンパンジーが無事に群れに戻ったというのなら本当に涙なのですが、実はチンパンジーが移動した先はサーカス軍団の中でした。昔でいう猿回しの集団の中に入って芸をしていたのです。
その芸の場面にはたのチンパンジーも同じようにいっしょに芸をしており、その姿をみて「あの孤独だったチンパンジーが仲間といっしょに楽しく過ごすことができるようになった。」と会場一同が感動するという番組でした。
おそらくテレビ番組を見ているほとんどの人が微笑んでみたのだと推測しています。
この飼育員さんも番組に出ているタレントもだれも責めることはできませんが、あまりのもお粗末な内容にただ愕然としました。
そうなのです。
最初に未熟児の野生動物を人の手で人のように育ててしまうという、超えてはいけない境界線を越えてしまうともう何も見えてこなくなってしまうのです。
その先にはそのチンパンジーの子供が同種の群れに戻る可能性というのはなく、ひとりで生きなければいけないということを予測することすら不可能だったという真実だけがあります。
ここまでならひとつの失敗として学べるところですが、この先が重要なところです。
いっしょに芸をしているチンパンジーたちがひとつの群れとして楽しく暮らしていると感じてしまうのはなぜなのでしょうか?
この部分については全く共感できないことで、チンパンジーたちが芸としてものを投げ合ったりしているのを遊んでいると見えるのか?彼らが食べ物もしくは罰を回避するために行動していることをなぜ理解できないのか?
そうだとすると動物の認知能力をあまりにも低く見過ぎているということです。
動物に対してやさしさを表現しているように思えるこのケースは、動物をとても認知能力の低い動物とみなして自分よりかなり下位に置いているということです。
犬にオヤツを与えなくてもできることはさせることを大切にしているのは、犬を自分と対等だとみなしたいという気持ちからきています。
私も昔はオヤツをいっしょに座ってまつ犬たちの姿を疑似的な社会化として容認していました。
犬同士吠えあうよりはよほどましでないかと思っていましたが今は全くそのように思えません。
ティンバーゲンやローレンツが自然環境の中での動物の行動を観察してその行動こそ動物行動学だと教えてくれました。
テレビ番組を見たあとダンナくんが私の方に共感してくれたので私の炎もそれほど燃えませんでしたがすぐに記事にすることができず今日の日まで待ちました。
松沢哲郎先生の福岡での講演会が秋に開催されるらしく今からとても楽しみにしています。
先生、お待ちしていますので絶対にいらしてください!!
※京都大学霊長類学 ワイルドライフサイエンス・リーディング大学院ホームページより引用
<おすすめの本>「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」フランス・ドゥ・ヴァール
レッスン中に犬の行動について詳しく観察する生徒さんが多く、楽しくレッスンをさせていただいています。
先日も鏡に映った犬の反応に気づいた生徒さんからコメントをいただきました。
ある日、鏡に映った自分の姿を後ろから見ていた犬と目が合ったそうです。
そのときに犬はすごくびっくりしたようにしてその場からいなくなったということでした。
飼い主さんとしては鏡の中の飼い主と目があったということを犬が理解したのか、それとも別の反応で逃げたのかどうなんでしょうかという質問でした。
その後は鏡の中の自分を犬が認識するかどうかという風に話が進んでいったのです。
ちょうど先日読み返していた本の中に、鏡の中の自分を動物が認識できるのかという部分があったので早速その後のレッスンのときにその本を紹介しました。
それが今日お勧めする本です。
題目は「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」
この本のことを語り合える人がいれば今すぐオンラインでも話がしたいほど面白い本です。
著者はフランス・ドゥ・ヴァール氏で霊長類研究の一人者で、別の著書「共感の時代へ」もこのブログでお勧めしています。
日本ではもっと有名になったのが「利己的なサル、他人を思いやるサル」です。
監訳はあの松沢哲郎先生で、松沢先生も同じく霊長類研究者で京都大学霊長類研究所で研究に携わっていらっしゃいます。
チンパンジーやサルの行動に関心のない方でも、この「動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか」には興味を持っていただけると思います。
この本には霊長類以外の動物もたくさん出てきます。
ゾウ、カラス、イルカ、ネコ、馬、オウム、そして犬も!
この本は動物の知的部分について書かれています。
著者の前書きにも「動物たちがどれほど高い知的水準で行動しているのか、私は興味が尽きることがない」とあります。
動物の知的さを図る上で行動を単に刺激に対する反応ととらえる行動学は行動がすべての危険性をはらんでいます。
行動がすべての世界では行動さえ引き出せれば成功。
その行動はご褒美と罰というオペラント条件付け学習だけで犬をトレーニングしようとするのは行動がすべての世界です。
動物の行動には内面性が備わっていると考えると、行動がすべてとはなりません。
犬はどのような気持ちでその行動をしたのかについて考える必要があるからです。
この内面性を考えるのが動物の認知心理学といわれる分野ですが、フランス先生はここに挑んでいきます。
前書きからまた引用します。
「どの場合にも、私たちは人間を基準として動物の知能と人間の知能を比較対象したがる。とはいえ、それは時代遅れの評価方法であることを肝に銘じておくといい。
比較すべきは人間と動物ではなく、動物の一つの種(私たち)とそれ以外の非常に多くの種だ。」
と続いていきます。
もうこの本を読みたくてうずうずしている方のためにこれ以上は書きませんが、当然のことながらこの本にも大好きなローレンツ氏のことがたくさん出てきます。
「裸のサル」の著者として有名なデズモンドモリスはローレンツの講演を聞いて思ったことなどのくだりは楽しくて仕方ありませんでした。
グッドボーイハートの本棚の中にもいれておきました。
今後も犬の行動を説明したいときに引用する本になりそうです。
本のご紹介が遅くなりすみません。
これからみなさんお忙しくなるでしょうが、犬を横目にぜひ読んでください。
<日々のこと>後悔はしていない…と季節のお手入れで大変なことに
週末は七山でトレッキングクラスを楽しんでいただきました。
福岡から唐津まで直行で寄り道なしで来れるので、窮屈な都会から抜け出して人も犬もリフレッシュしていただけたかなと思います。
そんなグッドボーイハート七山では季節ごとのいろんなお手入れの最中です。
春のこの季節には冬に使わなくなったもののお手入れをします。
今年は絶対に避けて通れない暖炉の煙突掃除についにダンナくんがとりかかることになりました。
唐津でお仕事から七山に戻ると暖炉がすごいことになっていました。
その光景をみて私も思わず息をのみました。
煙突掃除だけかと思っていたら、なんでも解体してしまうダンナくんが薪ストーブを思いっきり解体していたのです。
バイクを解体するダンナくんからすると薪ストーブの構造などはすごく単純とのことでした。
きっかけは煙突のビスが外れなかったので薪ストーブを触っていたら接着の一部が外れていることに気づいて…
そのあとは外れているなら全部外してきれいにして付けなければいけないという方向に頭が切り替わったようです。
そうはいっても薪ストーブを解体するのははじめて、しかも解体したら組み立てなければいけない。
わたしの方はただ見ていることしかできず、今後もどうなるのか予測もつきません。
ここまで解体する必要があったのか、ここまで解体する人がいるのだろうか。
でもダンナくんがこう言ったのです。
「外すかどうかなんども悩んだ。でも後悔はしていない…。」
仕組みも分からない私にはこれからどうなるのか全く予測もできないのですが、ダンナくんの言葉を聞いて安心しました。
後悔していない…だったら全然大丈夫です。
犬のことも仕事のことも、ああすれば良かった、もっと確認すれば良かった、もっと違う言葉もあった、もっと時間をかければ良かったのにと自分には後悔することがたくさんあります。
でもこの仕事についたこと、オポと出会ったこと、七山に引っ越したこと、今訪問でトレーニングクラスを持っていること、そして新しい家族と生活していること、そんなことは何一つ後悔していません。
短い時間での決断や判断は間違えることがたくさんあります。
取り返せない関係性だってある。
でも目の前に亡くならないものがある限り、それに対して対峙することで何かが見えてくるのです。
ダンナくんと彼が見つめる薪ストーブ。
これからどうなっても私も後悔はありません。
<クラスのこと>犬のしつけを成功させる秘訣は①根気!②学びの姿勢!!これにつきる。
毎日毎日ずっと犬のことやトレーニングクラスのことなどを考え続けていて自分でもときどき気持ちがおかしくなるのではないかと思うほど行き詰まり過ぎるほど考えてしまいます。
その理由はもちろんグッドボーイハートで出会うすべての飼い主さんに犬との幸せな生活を送っていただきたいという願いからくるのですが、同時にその願いは人にとってに幸せだけでなく、犬にとっての幸せが前提なのだという私のこだわりが原因です。
犬のしつけといってもあくまで人側にたってやってしまうのであればこんなに簡単なことはありません。
でも自分としてはどうしても飼い主さんに犬のことを理解していただくことが一番の目的で、問題の解決はその先にしかないのです。
犬のことを理解してもらうためにはまず自分が犬のことを知る必要があります。
ここにはそれほどの時間を費やさないのですが、その犬の行動が飼い主のどのような生活や接し方や状態から生まれてくるのかを知るにはかなりの時間が必要になります。
レッスンには時間と回数という制限付きなので話を聞き出すのにも限界があります。
また普通の飼い主さんは犬に問題があるのであって自分には問題がないと思うのは当たり前のことです。
犬の行動に影響を与えている自分のことを飼い主が自主的に考えられるようになるには二つの要素が必要です。
一つ目は根気です。
根気というのは何をするにも大切なので犬のしつけに限ったことではありません。
犬のしつけでいう根気とはいろんな意味での根気です。
宿題としてお願いしたことを根気強くできるのか。
私の説明していることを根気強く耳を傾むけて聞いて下さるのか。
理解できなければ根気強く私とも向き合って下さるのか。
それは犬と根気強く向き合う姿勢ともつながっています。
次に学びの姿勢です。
これは私が最も大切にしていることです。
絶対に犬という動物から学ぶという気持ちを持ち続けること。
学ぶというのは犬に従うとか犬のいいなりになるということではありません。
あくまで学ぶ。いつも犬の行動を気持ちを観察と考察をつかって限りなく考えています。
でも日常的に犬と暮らしているのは飼い主さんです。だから飼い主自身が犬の行動と気持ちを観察&考察する学びの姿勢がない限り犬との関係性に変化を起こすことはできません。
そしてトレーニングクラスを受けられるということは何かを学んでいるのだという姿勢を持っていただくことが必要です。
それはインストラクターである私の言いなりになってくださいということではありません。
むしろ分からないことは質問していただきたいです。
ただ本当に理解するには数年を必要とすることがあります。
だからトレーニングの仕組みをある程度把握したらあとはやってみる、できないことはできないと報告していただく起きていることを正直に認めていただくこのことがクラスを順調に進めていきます。
根気も学びの姿勢もどちらも犬との関係性の基盤をつくるものです。
この二つをもっていなければ飼い主として犬と向き合うことなどできません。
自分の思い通りに犬を飼うことなどできないとちゃんと理解して、根気強く向き合う、付き合う、学ぶ。
この姿勢さえあれば難しい局面も乗り越えていきます。
これはこの20年以上私がドッグトレーニングで飼い主さんたちとお付き合いして分かったことです。
わたしも生徒さんたちから学んでいます。
もちろん上手くいかないことだってあります。
そんなときにも「次はこうしよう」と必ず学ぶようにしています。
相手がこうだったからできなかった、犬がこうだったから仕方ないと思うことはありません。
同時にできなかった自分を認め、こんどはできるようになりたいと思うようにしています。
これを繰り返してグッドボーイハートは今年で21年目です。
21という数字は節目の年です。
いろいろと考える機会となりそうです。
<犬のこと>今こそ学べる犬にも必要なソーシャルディスタンスで犬を尊重しよう!
連日のテレビやラジオで求められる新型コロナウイルス感染防止のための三密を避けるマナーとして広がった「ソーシャルディスタンス」
人と人との距離をどの程度あけたらいいのか具体的な行動で毎日練習することになりました。
例えば分かりやすいのはスーパーのレジに並ぶときです。
レジの前の床面にはシールの位置はお互いに約2メートルくらいの距離が保つように配置されています。
2メートルを離れること、これが相手とのソーシャルディスタンス(社会的距離)です。
今まで社会的距離という名前を知らなかった人たちにも行動制限とともに認識が広がりました。
このソーシャルディスタンスですがそもそもパーソナルスペースを基に考えられています。
パーソナルスペース(※パーソナルバブルとも呼ばれる)は個人の守るべきスペースのことで、この範囲内に他人が入ってくると違和感を感じるスペースです。
人では両手を広げが範囲がパーソナルスペースになりますので前後左右に1メートルの円を描いたスペースを考えましょう。
ソーシャルディスタンスとはこのパーソナルスペースが重なりあわない距離のことですのでぎりぎり2メートルです。
普段はレジに並ぶときでも前の方との距離が1メートルくらいの感覚で並んでいたと思いますので、この状態ではお互いのパーソナルスペースが重なっています。
しかし社会的に必要がある場合、たとえばエレベータの中などの密接空間では、パーソナルスペースの中に他人が入ってくることを了承するように脳に伝える機能があります。
このパーソナルスペースの獲得はとても大切なもので、上記のように密接な状態でも安全だと判断できる人はそもそもパーソナルスペースをきちんと獲得している個人の場合です。
パーソナルスペースを獲得するという意味を説明するためには日常生活を例に挙げます。
みなさんが広い道を歩いていたとして、自分のパーソナルスペースの中に急に他人が接近してきたら違和感を覚えると思います。
そうであれば自分のパーソナルスペースは獲得できています。
逆にパーソナルスペースよりも遠い場所に他人がいるにも関わらず脅かされていると感じてしまうときにはパーソナルスペースが獲得されていません。
個人を中心とした円形の防御機能が崩れているために、どこまでを守ればいいのかわからなくなっているのです。
そして犬のことですが、犬のもちろんパーソナルスペース、ソーシャルディスタンスがあります。
犬は人と同じく同種で社会活動をする動物です。
社会活動をする動物にはお互いの距離感を適切に保つスペースが必要なのです。
それがパーソナルスペースです。
犬の場合にはどの程度の社会的距離が保たれているかということですが、空間の広い屋外で活動する動物である犬の場合にはパーソナルスペースは人よりも少し広めに感じます。
パーソナルスペースは個体の大きさにも影響を受けますので一概にこのサイズとはいいがたいのですが、屋外で知らない犬同士が距離を縮めずに相手を観察できる距離は8~10メートル近くです。
犬は人よりも俊敏なため1秒でかなりの距離を移動することができます。
8メートルの距離感は相手の犬がもし動き出したときに自分も反応して交わすことができるそんな距離感です。
同じグループの犬同士の社会的に安心でいる距離は2~3メートルくらいです。
狭い室内ではとても保てる距離ではありませんが、犬にも「人のエレベータの中の原理」が働くため、部屋の広さに応じてパーソナルスペースを狭くして維持するやり方があります。
しかしあまりにも部屋が狭すぎると常に誰かとスペースがかぶさっている状態になります。
自分のベッドやハウスといった固定のテリトリーで境界線を維持することでその狭いスペースでのストレスから解放されています。
日本のような狭い部屋の中に犬と共に暮らしたいのであれば、小さいころからクレート(ハウス)や犬用ベッドでひとりで過ごせるようにするパーソナルスペース確保の練習はなくてはならないものです。
犬を育てる段階でこのふたつのスペースで犬がみずからパーソナルスペースを守る方法を身に着けるチャンスがなかった場合、犬によっては飼い主のスペースにつねに張り付く分離不安行動が身についてしまいます。
飼い主の足元に寝そべる
飼い主のうしろについて回る
飼い主の外出で騒ぐ
こうした行動が見られたときにはすでに分離不安というパーソナルスペースが獲得されていない状態に犬が陥っています。
犬は飼い主のスペースを自分の逃げ場として利用していますので、飼い主への執着がはじまりその行動はやがて攻撃性へと発展していきます。
こうなった場合に対応法ですが、飼い主側が相当の覚悟をもって分離に取り組まない限り問題を解決することができません。
トレーニングの際にも多少のお預かり時間で分離のきっかけをつくっても、帰宅するとすぐに犬は飼い主のスペースに潜り込んでしまいます。
犬の方に問題があるように思えるこうした行動も、自分のスペースに潜り込ませてしまう飼い主のパーソナルスペースという境界線の甘さの方に問題があるだけです。
論理的に考えると決して難しいことではないのですが、人もパーソナルスペースを獲得できていないもしくは失いかけている場合にはこの問題はとてもつもない時間を必要とします。
先ほどの話に戻りますが、日本人自体が小さな家や部屋といった(犬でいうハウス)空間を利用したパーソナルスペースの維持を持っているだけで、個人としては大変緩いなと感じます。
私は人の専門家ではありませんが、身近な犬たちに分離不安が多いのは犬種や生活環境といった問題の他に、都市環境の日本人のスペース問題があるのではないかと真剣に考えています。
なぜなら家と広い庭のある開放的な七山のような田舎地区で悠々と外飼いを謳歌している犬たちに分離不安のような行動を見ることができないからです。
長くなりましたが犬の分離不安行動はパニック行動や自己破壊行動につながるものです。
この問題は犬たちにとってはデメリットでしかないのにそれを解決する方法は飼い主の環境整備と飼い主本人のスペース確保の問題につながってしまいますので問題が起きるまえに、絶対に犬のしつけとしてやっていただきたいことはただの三つです。
トイレトレーニング、ハウストレーニング、ベッドでの待機トレーニング
この三つができればあとは追いつきなんとかなります。
そして常に犬のパーソナルスペースと犬と他人、犬と犬のソーシャルディスタンスには注意を払いましょう。
これは犬と社会的な関係を築いていくうえでの最も大切なマナーなのです。
私はもうこれ以上犬が壊れてしまうのを見たくありません。
どうか犬を尊重しましょう。