犬の分離不安症や分離不安傾向などの行動や問題については、このブログでも数回にわたって取り上げてお話ししてきました。
犬の分離不安は複雑化する飼育環境と飼い主と犬の関係性、犬の繁殖や販売などの受け渡し方法など、いくつもの要因が絡まりあって起こる症状です。
分離不安を病気と位置づけて話を進めるつもりはありませんが、ここで症状という言葉を使わせていただくのは、あくまで分離不安傾向の高い行動は、犬の個体に定着してしまう行動とは別に考えていただきたいという意図を含みます。
この分離不安という言葉は、以前もご説明したとおり、児童心理学の分野から発生した言葉です。
飼い主が犬から離れることで犬がひとりになると不安定な行動を示すことが、赤ちゃんの生育時に母親に対して見せる行動と同じであること、さらにその行動を引き起こしている脳内の状態を同じであることが科学的にも明らかにされつつあるため、分離不安という言葉が犬にも用いられるようになりました。
犬の分離不安を取り上げる記事や情報は増え続けており、ペット化した犬という動物の行動やその脳の発達がますます不安定な状態を強いられていることを痛感しています。
犬の分離不安をご存知のない方のために簡単にご説明しますが、分離不安傾向の強い犬は、飼い主が自分の元を離れると奇声をあげるように泣き叫ぶ、まさにキーというような音を出すのが特徴です。
それらの泣き叫ぶ声を聞いた人の多くは、最初は子供が奇声を発しているのか、もしくは何か特別な動物が絞め殺されているのかとビックリするような声です。
犬が飼い主を呼び戻すときや要求するときに使う「ワンワン」といった犬らしい声とは違う声で、喉を締め上げるようにして出す声を聞くと、明らかに分離不安の状態に陥っていることがわかります。
その奇声を発している犬は、単純に叱ったりすることで吠え止むことができません。
なぜなら、行動修正を求められているということは、人側の反応に対し犬なりの反応を示すための感性(センサー)というが必要なのですが、このセンサーが若干壊れかけている状態だからです。
犬は本来集団で行動する動物で、子犬のときの待機(留守番)にしても複数でする習性を持つため、幼少期(生後3ヶ月)までにひとりで待機(留守番)できるようにするための環境作りには、入念な環境整備が必要です。
この環境整備が不十分な状態となり、その上犬を迎えた飼い主が犬の行動についての理解が不足した状態となると、子犬はコミュニケーションに不安を抱えることになり一気に分離不安状態へと突入していきます。
この分離不安傾向のある犬の場合は何才になっても、つまり老犬になっても赤ちゃん行動をくり返します。成熟しないというのも特徴のひとつです。
抑制がうまく働かない、つまり抑制が効きすぎたり効かなかったりする状態になります。
ストレスに弱く脳に混乱を生じやすいため、てんかんのような症状を併発することもあります。
分離不安傾向の犬は、飼い主以外の人にも赤ちゃん行動を伴って接触します。
手をかけたり甘噛みしたりとびついたり、お腹を見せて寝転がったりお腹を触ってとひっくり返ったりします。
犬によっては人見知りの状態となり、飼い主以外の人には近付かなくなる他人に不安を抱える行動をすることもあります。この場合は他人が近付こうとすると逃げる行動が見られます。
分離不安の犬は社会不安も高いため、他の犬と対等に接することもできません。たいていは逃げる、逃げられなければ牙を見せたり空咬みという咬み付き行動をします。
騒いで飼い主に抱き上げられることを覚えてしまう犬も多いようです。
人は犬が赤ちゃん的な行動をとると「かわいいわね~」とどちらかというと好意的に反応することが高いのです。
唸ったり吠え立てたりされることよりも、お腹を見せたりオシッコをしかぶる「失禁」行動をすることの方が弱々しい印象を与えるので歓迎されるのでしょう。
人はそもそも動物が怖いのですから(だから人社会を構築してきたのですから)、動物が赤ようにちゃんの振舞うことを歓迎する傾向は強いのです。
ところが、他の犬たちを騙すことはできません。
子犬には子犬特有の臭いがあります。その子犬の臭いがなくなったとき、子犬はもう子犬ではないのです。
犬たちは分離不安の犬の臭いを十分に嗅いだあと「お前は子犬じゃないな」と受け取ります。
それなのに犬が逃げる行動を取れば、当然のことですが攻撃されます。
「逃げるものは攻撃する」という行動の習性は、犬だけでなく非常に多くの動物のもつ習性です。
同じ習性を人も持っているのですが、心当たりはないでしょうか。
攻撃されているものを攻撃するのです。ワイドショーなどで、誰かが攻撃のターゲットになると一成にみんなでかかっていくのは、動物の行動習性を見るようなもので、当たり前のこととはいえ人も弱い動物であることを確信してしまいます。
分離不安行動の犬の赤ちゃん行動は、他の犬を騙すことはできません。
分離不安となる犬は社会的に他の犬と関わることができなくなってしまいます。
複雑かつ時間のかかる、犬の分離不安行動の解決について、飼い主とその周辺の人々を含めて、みんなで考え行動する必要がありそうです。
Author Archives: miyatake
<犬のしつけ方>犬の分離不安症という赤ちゃん病も他の犬には通じないこと
<おすすめのアイテム>私が犬なら絶対におねだりするベッド:LLビーンの犬用ベッドがお買い得!
室内犬の落ち着けるスペースとして必要な犬用のベッド。
グッドボーイハートで一押しのLL(エルエル)ビーンのベッドがセールになっています。
本日、家庭訪問レッスン中に、いつものように犬用ベッドの説明をしました。
「少しお高いのですが、一押しのベッドがあるんです。
LLビーンというアウトドアメーカーのものなんですけど…」
と、毎度のことながらとても言いづらい感じでご紹介しました。
物としては一押しなのですが、価格が一押しできない高額のペット用品です。
LLビーンをご存知だったので、早速ネットで検索していただきました。
「セールになってます!」
という事実が、偶然わかりました。
毎回、セールになるたびに完売してしまうLLビーンの、あの一押しの犬用ベッド、カウチ型がまだ全色残っているのです。
それだけではありません。
犬用ベッドのカバーのみ、インサートのみもセールになっています。
カバーの色を変えて楽しみたい方、インサートにヘタリが出てきたなと感じているみなさん。
セールなので今ならお買い得です。
いつも申し上げるのですが、私はLLビーンからマージンももらっていませんし、紹介料もいただいていません。
ただ、犬が安心して快適に暮らすために役立つグッズとして単純にお薦めしています。
私も犬なら買って欲しい一品。
LLビーンの犬用ベッド、買われるならカウチ型のプレミアムドッグベッドでお願いします。
<犬のこと>ドッグカフェという名の犬を触る場所とは?
先日、生徒さんとお話しているときに、地域に犬を触れる「ドッグカフェ」というものが誕生したことを聞きました。
ドッグカフェという名前から想像するものは、犬といっしょに行くことのできる、つまり犬OKのカフェというイメージでしたが、そのカフェは違うらしいのです。
最近はやりの「猫カフェ」のように、カフェの中にどのようなスペースかはわからないのだけど、犬がウロウロとしており、その犬たちを「触る」ことを目的としたカフェだというのです。
ここからは、個人的な価値観の入るところなので、あくまでも私はこう感じるという立場で述べさせていただきます。
カフェの目的としては犬を触ることで癒される癒しのカフェを売りにされているようです。
個人的には猫カフェに行って猫をさわりたいとも見たいとも思わないし、猫を触って癒されるという感覚もありません。
ただ、猫という動物の習性について犬のように専門的な知識がないため、自分は関心はないがそれ以上のコメントはできませんというスタンスでいます。
ただ、犬に触ることで癒されようとするドッグカフェとなると、少し立場が違います。
犬という動物の習性やそのカフェで日々を過ごす犬たちにかかるストレスを考えるとき、人はどこまで動物に負担を強いれば気がすむのだろうと思うのです。
もし、そのカフェにいて来客者たちに触られる犬が自分の犬であったとするなら、どうでしょうか。
自分の家族である犬をカフェの中のメイド犬として働かせたいと思うでしょうか?
もしそう思うならなぜでしょう。
もしそう思わないのならそれもなぜでしょうか。
もう少し、いろんな意見を交わせる場所があればいいのでしょうが、これらお互いに意見の合わないもの同志が交わる機会もないのです。
お話してくれた生徒さんは、絶対に行きたくないし気分が悪いとおっしゃいました。
グッドボーイハートで学ばれる生徒さんの多くは、同じような感覚になられるのではないでしょうか。
なぜなら、いつも犬の立場にたって考えることを学んでいるからです。
ドッグカフェには閉口しましたが、生徒さんの言葉には共感を得られました。
その都心にできたドッグカフェは行列ができるほどの人気だそうです。
みなさんはどう思いますか?
犬たちはどう思うのだろう。
<犬のこと>犬の健康寿命を考える:犬に自然死はあるのか?
子供のころからテレビで活躍されている俳優さんが亡くなると、いつも思うことがあります。
メディアで有名な人は、その病気や死に方にまで世間の注目を浴びる大変なお仕事なのだろうな、ということです。
先日、俳優の樹木希林さんが亡くなったことでも、その生き方だけでなく死に方について考えさせられるものがありました。
マスコミの報道でしか知りえないので、真実はどうなのかとは思いますが、癌を患いながら確かに人生のできるだけ最期まで仕事をして生活をするという日常を大切にされた死に方であったように思えるからです。
実は、犬も医療が発達しているため、癌や脳の病気など老齢病を患うようになりました。
もしくは、本来そうした病気で老齢でなくなる犬は老衰という自然死を受け取られていたものが、動物医療の発達により病気の原因が分かるようになり、人と同じ老齢の病が増えているように感じられるのかもしれません。
さらに、老齢によって生じる犬の病気に対する治療の選択肢も広がっていきます。
犬に対する医療行為をどこまで行えばいいのか、そのことで犬の生活がどのように変化してしまうのか、
日常生活を維持することができるのかなど、まだ始まったばかりのこの老犬に対する医療については、答えが見えていないというのが現状ではないでしょうか。
犬を自然に死なせてあげたい、だけど犬と一日でも長くいっしょに過ごしていたいという両方の希望がかなえばいいのですが、病気をかかえながら長生きする犬と向き合うことの中には、想像を超えることも多々あります。
そのときが来なければ選択はできないというのもあるでしょうが、樹木希林さんは病気のケアはしながらも、病気を受け入れる覚悟というがあったからこそ日常生活を大切にすることができたのではないでしょうか。
病気を悪いものとして、病気を消してしまわなければいけないと思ってしまうと、治療は激しくその反動も動物にかえっていきます。
病気を悪いものだとせずにある程度の受け入れの気持ちがあれば、治療や老犬の過ごし方にもまた別の選択肢があるはずです。
犬は人が飼っている動物なので、野生動物のような自然な死は訪れないとしても、動物として尊厳のある死を望んでいるのではないかと思います。
自分もまた動物として、どこかで折り合いをつけて死を迎えていくことができるのか、それは今をいかに生きていくか、結局生き方につながっていく問題です。
となると、犬の場合も、犬の尊厳のある死は、犬がどのように生きていくのかという今につながっています。
そんなことを考えていると、ふと山を歩いている犬の姿が思い浮かびます。
いっしょに山を歩けてよかった、そんな気持ちが沸いてくるからこそ、犬との山歩きの時間を大切にしたいのです。
<犬のしつけ方>犬の遊び「ひっぱりっこ」で犬が攻撃的になる?わけない理由
いろんな犬のしつけ本やインターネット情報が溢れる中、それ絶対違うでしょうと声をあげたくなることがあります。
犬のしつけの方法として、ほめたり叱ったりすることについてはやり方や価値観の問題などで、間違っていると名言することはできません。
あくまで、犬とどのような関係を築いていきたいのかを中心に考えて選択していただきたいと思うだけです。
声を大にして言いたいのは、犬が犬として行動していることに対する理解の違いです。
もちろんこの犬の行動の見方に関しても、そう思うとかそう思わないという味方があるはずなので、自分なりに判断していくしかありません。
今日ここで声を大にして言いたいのは、犬のひっぱりっこ遊びについてです。
本やネットの情報の中には、犬のひっぱりっこ遊びは犬が攻撃的になって噛みつくようになることにつながるためさせない方がいいということを書いてあるらしいのです。
私の意見を結論から言えば、犬のひっぱりっこ遊びで犬が攻撃的になったり噛みつくことはありません。
もしそうなっているのであれば、それはひっぱりっこ遊びのやり方が間違っているか、ひっぱりっこ遊びの解釈がそもそも違っているということです。
一つのもの、例えばひとつのオモチャの両端を2者で持ち、お互いに後ろに体重をかけて引っ張る行動をするひっぱりっこは、見たところ綱引きのような作業になります。
ひっぱりっこ遊びを重要だとしたいのは、犬と犬がする遊び行動だからです。
犬と犬がする遊びの中でも、犬と人が同じようにできる遊び方には限りがあります。
その中で、ひっぱりっこ遊びは犬と人ができ、その遊びの中で協調性、自制、興奮のコントロールなどの学習事項が含まれているすばらしい遊びなのです。
犬と犬のひっぱりっこ遊びは、同じような年齢では頻繁にやるようになるし、年齢やサイズの違う犬であってもお互いに力をセーブしながら上手にやるようになります。
以前このブログでもご紹介した犬と犬のひっぱりっこ遊びの動画を参考にご覧になってください。
過去ブログ→ブランとマーゴの引っ張りっこ遊び:犬の引っ張りっこ遊びは勝たないとダメ?と思っていませんか?
ひっぱりっこ遊びが攻撃性を育ててしまう危険な行動だと誤解されてしまうのは、ひっぱりっこ中に犬が唸り声を上げるからでしょうか。
ひっぱりっこ遊びを人側がものを取り合う遊びだという認識でやってしまうと、犬も同じようにものを取る遊びだと思ってしまいます。
またひっぱりっこは緊張感の伴う遊びなので、社会的に人や他の犬に緊張しやすい犬は声を出してしまうことがあります。
遊びはコミュニケーションなので応答の仕方を工夫すると、少しずつですが引っ張りっこ遊びができるようになります。
ひっぱりっこが得意ではないけれど練習中の犬の動画を掲載しておきます。
以下がその動画です。
フレンチブルドッグ福太くんのひっぱりっこ練習風景
オモチャについてきてしまったり、ひっくりかえったりしてしまいますね。
少しずつひっぱりっこの体勢になるように上手に導いてあげることで、ひっぱりっこ遊びが出来るようになります。
ひっぱりっこは大切なコミュニケーションの機会です。
ひっぱりっこ遊びで犬が噛み付くようになることはありません。
<犬のしつけ方>犬の視覚を使う:犬も二度見をするのか?
犬と関わっているといつも思うのが、犬はどのように物事を理解するのだろうかということです。
どのように理解するのかという過程は、犬がどのように知覚を使っているのかということに注目します。
知覚とは、視覚とは嗅覚など刺激の入り口にあたる部分です。
特に視覚の受け取り方についてはとても気になるところです。
なぜなら、わたしたちヒトという動物は視覚を中心として環境を把握していきます。
人の嗅覚はほとんど使われなくなってしまい、犬からすれば人は鼻のない動物になるでしょう。
逆に人からすると、私達が見えているように犬が同じものを見ていない、視覚を中心として学ぶ私達が得るように情報を得ていないということは、犬とのコミュニケーションギャップにつながる理由にもなります。
視覚の使い方にはいろいろありますが、人は視覚を通して情報を得るため、自分の気になるものや焦点を当てたいものに注目します。
その対象に対して視覚を向けるのです。
犬の中でも特に室内犬はいつも人の行動を観察していますので、人が見ている方向を気にするようになります。
犬は飼い主の行動を予測しながら自分の行動を決めていくことがあります。
そのため、飼い主が見ている方向で飼い主の行動が決まるため、いち早く飼い主の視線の先を見るようになるのです。
ところが、そうでない犬たちもいます。
このことについては以前「ナショナルジェオグラフィック」という雑誌に紹介されていたことがあります。
同誌の中では、Animal Behaviourという雑誌に掲載された記事として、犬の視線の先を見る行動について次のような実験結果が紹介されていました。
~引用ここから「ナショナルジェオグラフィック」から~
ワリス氏らが行った最新の実験は、訓練レベルと年齢が異なる145匹のボーダーコリーを対象に行われた。目的は、年齢、習慣、訓練が、犬の視線追尾に与える影響を知ることである。
ワリス氏は、自分がドアを見たときの犬の反応を調査した。すると、なんと訓練を受けていないボーダーコリーのみが、彼女の視線を追ったのだ。訓練を受けた犬は、それを無視した。訓練を受けた犬は、人の視線の先ではなく、顔に注目することを学んでいるからかもしれない。
訓練を受けていない犬に対し、ワリス氏の顔を見るように5分間訓練したところ、視線を追うという本能を無視するようになった。
さらに驚くことに、訓練を受けていない犬は、困惑した様子で、ワリス氏の顔とドアを交互に見ていたという。この行動は、それまで人間とチンパンジーでしか観測されたことがなかった、「チェックバック」(いわゆる「二度見」)と呼ばれるものである。
~引用ここまで~
要するに、訓練を受けていない犬ほど人の視線の先を見ることができるのに、訓練を受けている犬は人の顔しか見ないということです。
当たり前のことですが、こうやって実験結果として記事になると納得される方も多いのではないでしょうか。
トレーニングの方法にもよりますが、トレーニングは単純に合図に反応させることを中心にしてしまうと、犬は飼い主の言うとおりに行動するが自分では考えて行動しなくなってしまうことがあります。
つまり飼い主に依存することが行動の中心となりますので、自分で環境を把握する必要もないし、犬なりの行動をする必要性もなくなってくるのです。
よくあるトレーニングですが、散歩中に他の犬に吠えないようにするために飼い主に注目(アイコンタクト)をとらせるという方法があります。
飼い主に依存させる行動で安定を図ることで、他の犬を環境の一部として受け取らないように教えていくためです。
この行動や教えやすく他の犬に吠えるという行動を止めさせるという目的では達成が早いのですが、同時に環境を把握して適切に反応するという本来の社会化を発達させません。
本質的な社会化学習には時間と手間と環境が必要なので、ほとんど家の中ですごし少ししか散歩に出ないような生活をする中で生まれた人に都合の良いトレーニング法です。
犬の本質的な社会性を発達させることは諦めるけれど、人に迷惑をかけずに犬を飼うという目標は達成されますので、短い期間で結果を出したいためによく使われています。
こうした飼い主に依存させるトレーニングをすすめていくと、犬は自ら環境を把握することがなくなっていくのです。
犬はますます不安になり飼い主への注目度が高まるため、自分に注目させたいというトレーニングとしては成功を重ねていきますが、犬の行動としては異質ではあります。
犬が人の視線の先を見る能力があり、しかも二度見するということなどは、日常的に犬を観察していれば自然に見ることができます。
犬が視線の先を見ていたからといって、犬が視覚的にその対象を認識しているのではないかもしれません。
視線を向けると同時に顔についている知覚器官は全てその対象に向けられます。
つまり、犬の鼻先もその方向に向けられるわけですから、犬は視覚と同時にご自慢の嗅覚も使ってその対象を認識するでしょう。
そして今まさに飼い主であるあなたが何をしようとしているのかを、知覚の全てを受け取っているのです。
オヤツを食べようとおもって冷蔵庫に近付いたら、自分よりも早く犬の方が冷蔵庫に到着しているということもあるかもしれません。
犬にしつけやトレーニングを行うのであれば、犬が本来持っている能力を伸ばす方法を取り入れたいものです。
犬は人の指先を見るのかという過去ブログもありますので、あわせてご覧ください。
ブログ記事:<犬のしつけ方>人の指差しに変わる、物を差し示す犬のコミュニケーション
<犬のしつけ方>オスワリやオテができるのにトイレができない犬たち
小型犬が増えているからでしょうが、室内トイレで排泄をさせたいというご家庭が増えています。
犬の習性と行動から考えると、室内トイレではいろいろと問題があります。
なぜなら、犬の排泄場所は犬のテリトリーと関連しているからです。
妥協点を探して室内トイレもしくはそれに相当する場所を開拓しながら、犬に負担のかからないようにトイレトレーニングを進める必要があります。
排泄の失敗は犬と暮らす人にとっては大変不愉快なものであると同時に、犬自身にとっても大変なストレスになってしまうからです。
人のためにというよりはむしろ犬のためにこそ、トイレを適切な場所でできるように導く、つまり犬にしつけを行うのは動物福祉の観点からもなによりも重要なことです。
犬の排泄の失敗についてのご相談が多いばかりでなく、犬は排泄を適切にはしないという動物だと風に片付けられてしまうこともあるようで、これには驚きます。
犬の排泄の失敗は犬のストレス行動の上位に入るほどの行動です。
つまり、犬が適切に排泄できないということは、犬にそれだけストレスがかかり負担を強いているということになるのです。
犬の排泄の失敗は、おもらしという言い方もできますし、テリトリーマーキング(臭いつけ)という犬の不安定な行動なのです。
排泄の失敗行動としては他にも、夜尿、頻尿、垂れ流す、失禁、食糞など、さまざまな不安定な行動があります。
こうした犬の不適切な排泄は見逃されてしまうのですが、逆にトイレトレーニングが上手くいっていない犬でも、オスワリやオテを教えてあることが多いのも最近の傾向です。
先日、子供さんを教育する専門職として勤務されている方が、子供についても同じような傾向があるということを教えてくれました。
小学校一年生の子供たちが授業中にトイレのがまんができないので、廊下をウロウロと歩いているのが普通になっているということなのです。
さらに、傾向としては幼稚園児童の話ことばや読み書きの力はあがっているのに、はっきりとした言葉で話している3才の児童がオムツをしているのを見てビックリするということも伺いました。
それを聞いたときに、まさに犬も同じような傾向にあるのだと思い、こちらの方もビックリしました。
子供に排泄を教えるしつけと、文字や読み書きを教えるしつけとは多少、学習の方向が違うのではないでしょうか。
同じように、犬にオスワリやオテを教えることと、トイレトレーニングというしつけを行うことには違いがあります。
犬の場合には人よりも複雑な部分として、種が異なるためコミュニケーションや習性が違うという点があります。
また、子犬は犬の世界から人の世界へと移動したばかりで精神的にも不安定でストレスレベルも上がっている状態です。
いづれにしても、犬は適切な場所で排泄をすることができ、決して自分の住処を汚したくないという衛生的な動物であるという理解がまずは必要です。
となると現在自分の犬が適切に排泄できずにトイレの失敗をしてしまうのであれば、それは飼い主側が提供している物理的な環境と、接し方を含む飼い主の犬の扱いの方に不適切さがあるということです。
トイレトレーニングでは犬を改善する必要はなく、改善すべきは飼い主の行動を含む環境であるということを納得することから、犬のトイレトレーニングは始まります。
犬だからトイレの場所など覚えるはずがないと思っている人と、犬は排泄場所を覚える動物だと思っている人では、犬に対する接し方も違います。
マナーパッドと名づけられたオムツをしている犬を見つけたら、犬は生きるために一番大切なことをまだ与えられていないのだと思ってください。
動物を虐待するということは、動物を傷つけないということです。
それは、動物を精神的に追い込まず傷つけないという意味を持っています。
犬が適切に排泄できる機会を与えていないのは、動物を虐待するに等しい扱いになっているのです。
犬について学ぶ場所は増えています。いつでも気軽に犬について学ぶことができるのです。
一番大切なことを、まずは学んでいきましょう。
犬が10歳になっていても大丈夫です。犬は何才からでも学びます。
<お知らせ>10月の犬語セミナー開催のお知らせ
グッドボーイハートの毎月開催している「犬語セミナー」を来る10月も開催します。
犬語セミナーは犬の登場する日常的な動画を見ながら、犬について学ぶセミナーです。
犬の行動とその意味を観察によって明らかにします。
次に、その行動を何故するのか、を考えていきます。
そして、その行動からわかる犬の性質、さらに犬の行動に影響を与えている環境などについて考えます。
少人数制のゼミ形式のセミナーなので、参加者おひとりおひとりが考える時間を持っていただきます。
毎回開催するたびに、地味なセミナーだと感じます。
ですが、実際犬と関わりながら家庭犬インストラクターとして仕事をしている自分の作業も、こうした地味なことのくり返しなのです。
犬のトレーニングやしつけ方を学ぶというと、オスワリやフセを教えたりと犬に何かをさせる派手な仕事と思われがちなのですが、そんなことはありません。
犬を理解する作業というのは、地味で時間がかかるものなのです。
それが面倒だから、犬のことを受け取る前にこちらから次々に要求してしまうのかもしれません。
そうなると、犬たちは受け取り下手になってしまい、コミュニケーション力も育たず、認知力も不十分で社会化の未熟な状態になっていきます。
そんな地味な犬語セミナーの次回の予定は次のとおりです。
日時 2018年 10月 28日 (日曜日)
12時~14時
※終了後にプチお茶会あり
場所 グッドボーイハート七山
参加費 おひとり2500円(当日払い)
お申込方法 直接お申込み、もしくはお問い合わせフォームよりご連絡ください。
スカイプ利用のご参加 3名まで受付します。
スカイプ利用の方は事前お振込みとなりますので、メールもしくはお問い合わせフォームでご連絡ください。
<クラス>犬の預かりクラスでできること:犬を一面で判断しないこと
秋の飼い主さんたちの行事で連続したお預かりクラスが、ひとまず終わりそうです。
グッドボーイハートのお預かりクラスは一般的な預かりトレーニングではありません。
犬を預けてトレーニングしてもらい返すという預かりトレーニングは行っていません。
なぜなら、犬の行動を作っているのはベースである基本的な性質を元にした環境要因であるからです。
犬の行動にどのような環境が影響を与えているのかを、飼い主が理解して変化させていかなければ、犬を飼うことはできません。
環境がほとんど変化しない動物を飼う環境とは、水槽のように一定した環境を維持するような方法によってのみです。
動物園の飼育場所も同じように環境が変化しないため、人と暮らすために必要な社会的な性質を育てる必要がありません。
犬をケージやサークルだけで飼い続けることは環境を一定させることにはなりますが、それでは犬を人が飼っているとか人が犬と暮らしているとは到底いえません。
ふつうに犬と暮らすという当たり前のことの中にこそ、犬の行動に影響を与えている環境がたくさんあるのです。
お預かりクラスでは、いつもと異なる環境で犬を預かります。
いつもと異なるといっても、家庭で犬が生活している中で最低ベースで必要な環境は預かりクラス中にも継続させます。
たとえば、お預かりクラスはクレーとトレーニングができることがお預かりの条件となっています。
いつも飼い主の膝の上に抱っこされているような状態では、お預かりはできないということです。
クレートや食器やマットがいつもと同じ、食べているものもいつもと同じ、排泄する場所はいつもと違う、お世話をする人も違います。
こうした預かり時の環境の変化で、家庭にいるとのは違う行動をするようになるのは犬としては当たり前のことです。
預かり時の犬の行動ですが、預かりの日数が増えてくると日に日に変化が見られます。
変化する犬の行動、その変化の過程を見ていると、犬の現在の行動がどのようにして現れるようになったのかが少し見えてくるのです。
家庭訪問トレーニングでは日常的な犬の行動をできるだけ直接見たいのですが、警戒心の高い犬ほどいつもと同じ行動をしません。
警戒していますから、どちらかというと大人しくなってしまいます。
来客に対して防衛が高くなるため、いつも以上に興奮していたり攻撃的になってしまい、やはり普段の行動をみせてくれません。
慣れてきて日常的な行動をとるようになったとしても、今度は飼い主さんの方がいつもと同じように接しないため、犬の行動に影響を与えている細部がわかりにくくなります。
預かり時に変化する犬の行動は、普段の家庭での生活に近い行動に戻っていくという過程から始まるので、犬がいつもどのような環境にいるのか、飼い主さんがどのように接する癖があるのかを知ることができます。
犬の預かり時のビデオを飼い主に見せると驚かれることがあります。
普段見ている自分の犬とは違うように見えるからです。
ビデオを通して客観的に見ることができるからいつもと違うように見れるというのもあるでしょう。
また、飼い主は普段は犬の一面しか見ていないともいえるのです。
飼い主の見ている犬の一面とは、犬にこうして欲しいと願っている部分でもあるのです。
ところが、犬の望んだその行動が犬にとって負担の大きなものであると、犬にはストレスがかかりますので、飼い主の全く望まない行動をするようになります。
お利口さんでいて欲しいと育てた子供が最初はお利口に振る舞うのですが、本来の自分が確立されないために、反発に転じ全く手に負えなくなるという状態だといえばいいでしょうか。
どれが正解ということでもありませんが、犬もひとつの命として誕生し人と摩擦を繰り返しながら生きている上に、犬に常に不自由なのです。
犬という動物として、少しの時間でも犬らしく、犬という動物として人と関わる時間を持ってほしいのです。
お預かりクラスにかかる体力、気力と時間は大変なもので、さらにそのことを消化する時間はその数十倍必要です。
ですが、犬のことを知りたいという単純な欲求が勝つため、効率を無視して活動してしまいます。
それでも、何かを見つけたときの喜びは計り知れないものです。
犬が自分の探究心の火をともし続けてくれる存在であり、生徒さんたちが共に成長していただける存在であってありがたいことばかりです。
<犬のこと>犬と飼い主は似る、つまり犬と飼い主のエネルギーは似る
先日犬語セミナーを開催したときに、数名の生徒さんと犬のペアが顔合わせすることになりました。
ある生徒さんが「犬と飼い主さんって顔まで似るんですね~」とおっしゃいました。
「犬は飼い主に似る」つまり「犬は飼い主の鏡である」は古典的な犬の本にも書いてあります。
あの動物行動学者のコーラントローレンツ博士も「人、犬を飼う」の著書の中で、
犬は飼い主と似るものであることをエッセイを添えて書いています。
ノーベル賞受賞学者のお墨付きである「犬は飼い主に似る」説ですが、本当にそのようです。
コメントされた生徒さんは、ただ顔つきが似ていますねとおっしゃったのです。
そもそも、犬と人は全くことなる種なのですから、種の異なる動物の顔が似ているというのもすごいことです。
人事となると「ほんとに似てるよね。」と盛り上がる話ですが、自分のこととなると「この犬と自分が似ているってどういうことだろう?」と考え込んでしまいます。
ですが、冷静になって観察してみると、顔つきだけでなく行動のパターンもよく似てくるのです。
行動のパターンだけでなく、気合とか勢いといったものも似てきてしまいます。
そのため、老人の飼っている犬は行動がゆっくりとなるというのも、犬の定説のひとつです。
本当にゆっくりとした動きになっていくのは不思議なことと思います。
先日、練習中のバイクに乗って七山校から一番近い生徒さんのご自宅まで家庭訪問トレーニングに伺いました。
バイクに乗る時間があまりないので、生徒さんにも「今日はバイクでいきます」とラインで連絡しました。
その生徒さん、なんとバイクの音ですぐに出て来られました。
そしてバイクをみてとても興奮されているのです。
話を聞くと、若いころにバイクの免許をとりたかったけど、タイミングがあわずとれなかったが今でも乗りたいとのことです。
私もよりもずっと若い女性の方なので、ぜひ乗ってくださいと強く勧めました。
すごく迷われていたけれど、私がバイクに乗ってきたことで刺激を受けましたとのことでした。
若いといっても中年期が始まってしまうと、若いときのようにエネルギーが出ません。
守りに入ってしまうだけになると、犬の行動も守りが強くなり、新しい一歩も踏み出せないこともあります。
飼い主さんの一歩で犬の何かが変わる可能性も十分にあります。
少し守りにはいりがちなその犬ちゃんのことを思い、飼い主さんのエネルギーがちょっと膨らむといいなと結構お誘いしてしまいました。
犬と飼い主はなんでも似てしまうのです。
それは、犬にとっては当たり前のことなんです。
なぜなら、犬は飼い主を映し出すという意味でとても「忠実である」。
それが犬という動物だからです。