犬ちゃんたちのお預かりのために寒い七山の夜は暖炉の前にいる時間が長くなります。
普段は事務所でしている事務作業も、暖炉前から離れることはできません。
夜も朝方もうとうとと暖炉の前にぼーっとしていて思ったことがあります。
炎のゆらぎを見ることがどうしてこんなに癒されるのかなということ。
そして肌に当たる温かさがなんでこんなに心地よいのだろうということ。
暖炉のあたたかさが肌に触る感じは、温かいものに触れられているもしくは触れているような感覚なのです。
この温かさは少しだけ心地よい日光浴の感じに似ていますが、それよりももっと優しい感じです。
暖炉の近くにいることで何か生きているものがそばにいてくれるような感覚を得られるのです。
人が犬をずっと抱っこしてなでているのはそうしていなければ落ち着けない理由があるからでしょう。
犬のぬくもりは、温かいものに触れていたいという人の基本的な欲求を満足させてくれるはずです。
でも抱かれている犬の方はいろいろと不具合が出てきます。
抱っこ依存症になっている犬たちの落ち着かない行動は、抱っこ依存症になってしまった犬を飼っている飼い主さんなら見る機会があるはずです。
接触がないと不安になる分離不安状態の犬たちがいかに落ち着かない精神状態になっているのか。
不具合の中には具体的に説明できる根拠というものもありますが、実は本当に怖いのは説明できない根拠のないものなのです。
それは自分を落ち着かせるために犬をなでる人の不安定な感情やエネルギーを犬たちがすべて受け取ってしまうからです。
犬たちに言わせると科学的に証明できるものなのかもしれません。
というのは、不安定な感情やエネルギーは臭いとなってその人から発しているからです。
臭いは犬の脳を刺激し共感性の高い犬は同じ領域へと引き込まれます。
犬を抱っこしている時間の長さやなでている回数は本人が意識していないほど長く多いものです。
暖炉がどの家庭にもひとつあればなあと思いました。
暖炉の前では犬と人は対等に同じ炎に向かって温かさを得てお互いに心地よいと共感できる時間を持つことができるからです。
ほんの100年ほど前の日本だったら、どの家庭にも囲炉裏のようなものがあって、外では焚火ができて、いっしょに温かさを共感できた暮らしだったのに、失ったものは大きいのだなとそんなことを思った七山の夜でした。
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<犬のこと>なでるのとは違う「触れ合う」とは温かみを感じることではないか
<犬のこと>映画「ミラクル・ニール」のテリア犬がズバリ言ってくれた
「ミラクル・ニール」という映画を見ました。
犬が登場する楽しめるファンタジー映画です。
ハリウッドやヨーロッパの犬が登場する映画はできるだけ見るようにしています。
理由は二つ
ひとつ目の理由は、西洋の映画犬はとてもよくトレーニングされているからです。
アメリカではフィルムドッグとも言われていますが、日本国内のドラマやCMに出てくる犬たちとは質が違います。
犬に使役を教える訓練については、日本人はヨーロッパやアメリカにはほど遠いなと感じます。
二つ目の理由は、映画を通して外国の犬の価値観がわかるからです。
犬といってもいろんな犬がいますが、描写はわりとはっきりとしています。
この映画に出てくるデニスという犬は、うだつのあがらない飼い主に飼われているほんの少しだけおバカな犬という設定でした。
楽しめる映画なのでまだ見ていない方のために少しだけ書きます。
この映画に登場する犬のデニスですが、おバカな犬といってしまった理由をいくつかあげておきます。
まず冒頭からですが排泄、しかも大の方を飼い主の留守中にがまんできずに室内のじゅうたんの上でしてしまいます。
しかもよくあることのようで、便をとるスコップが壁に掛けられています。
さすがに海外ですから日本のように室内にペットシーツやトイレトレーを設置したりしていません。そこだけでもセーフです。
飼い主の帰宅では思いっきりジャンプして飛びついていきます。
ワンワンと無駄吠えをしてマンションの隣人からクレームをもらいます。
飼い主のある理由によるパワーで人の言葉をしゃべることができるようになったデニス。
ワンワンとうるさく吠える意味が知りたくて飼い主がデニスをしゃべらせるとそのワンワンは「ビスケット」ただそれだけでした。
「ビスケット、ビスケット、ビスケット」
「ビスケットがあるの知ってる」
こんな感じです。
すべての犬がそうだということではありませんが、中にはこんな犬は本当にいそうです。
その犬のデニスと飼い主があることをきっかけに始めた会話、脚本家は犬のことをそれなりに見てくれているようでうれしい会話でした。
飼い主:お前はただ元のさえない犬のふりをしてみていろ。
犬:ぼくがさえない犬?
飼い主:そうだよ、演技くらいできるだろ?
相手に調子をあわせてさ。
犬:なでなでされているときみたいに?
飼い主:…そりゃ、ほんとに好きだろ?
犬:ぜーんぜん。
飼い主:ええ?
犬:犬はあんなのほんとは好きじゃない。
飼い主:なんだって?
犬:そもそもなんで犬をなでるの?
飼い主:なでると犬が喜ぶからさ。
犬:違う。
人間が喜ぶからこっちが喜ぶふりをしてあげてんの。
飼い主:はぁー。まあとにかくお前は普通の犬のふりをしてろ。
というこんな会話が続きました。
吹き替え版で見たので、そのやりとりは本当にリアルでした。
それにしても、デニス。
よくぞ言ってくれました。
度肝をぬかれた飼い主の「はぁー」という驚きとため息の入り混じった反応が、多くの飼い主の反応かと思います。
犬からしてみると「全く人は犬のことなんて全くわかっちゃいないんだから。」といったところでしょう。
すごくお気楽な映画ですが、犬のポジションはかなり考えられています。
ぜひご覧になってください。
<83ハチミツオポ>二ホンミツバチは人と対等の関係だとすると、犬と人はどうなんだろう
ハチミツオポの表記を変えました。
「83」とした方がわかりやすいと相棒がいうので、八三をあらためて83としました。
8は永遠の文字だし、3を説明するなら「2の次で4の前」ということになるからオポの誕生日には欠かせない数字ということになります。
とりあえず、83ハチミツオポとして再スタートです。
そのハチミツオポ計画のために本で勉強している中で、みなさんに読んでいただきたい箇所がありましたので一部抜粋します。
※以下の引用はすべて「我が家にミツバチがやってきた 久志富士男 氏著」より
引用ココから…
人とセイヨウミツバチとの関係は主人と奴隷の関係であるが、人と二ホンミツバチの関係は対等であり、お互いはパートナーである。
引用ココまで…
この一文で頭を抱えてしまいます。
ミツバチのところをイヌと当てはめて読んでみるとどうでしょうか?
人と犬の関係は対等であり、お互いはパートナーであると言い切れるでしょうか。
引用続けます。
引用ココから…
セイヨウミツバチは人の手を離れたら生きていけないが、二ホンミツバチは人との関係が良好でないと自然界にいつでも戻れる。二ホンミツバチは自然の一部である。
ツバメと同じである。セイヨウミツバチと二ホンミツバチの違いを、「家畜」と「ペット」という概念で括ることはできない。
引用ココまで
はい、そうなんです。すでにイヌは家畜化されていて家庭犬は人の手を離れると生きていくことができないのでミツバチとは違うのです。対等という関係からはすでにずれているのが人と犬なのです。
しかし犬のような表現もこのあと続いています。
引用ココから…
逃亡と呼ぶのは実は家移りである。サービスが悪いから愛想を尽かされたのである。それをとがめる資格はない。
引用ココまで
これは昭和時代の田舎の家なら普通にあった犬の逃亡という行為です。
先日までうちでご飯を食べていたシロが3日後には隣町でタロウと呼ばれて餌をもらっていることも不思議のない時代もあったので、犬も家移りをしていたことになります。
犬が登録制になってからこの家移りも社会的に認められなくなったので、もうこうした犬を見ることもありません。
最後の引用ですココから…
セイヨウミツバチから採蜜するということは奴隷から搾取しているのであるが、二ホンミツバチから採るのは家賃をいただく行為である。
二ホンミツバチを飼うということは、ハチを所有することではない。住居を提供しているだけである。
両種の、この基本的な関係の違いが自ずと扱い方の違いを生む。
愛情と尊敬があれば使い捨ての扱いはできない。
引用ココまで。
本当に深い深い話ですね。
自然中で生きる野生動物を利用する人、うまく付き合わないとミツバチから家賃もいただけず住み着いてもらうこともできないというのだから、いかにハチの立場にたってモノを考えるようになるかが勝負所です。
しかも二ホンミツバチは原始的で弱いイメージなのに、本当はセイヨウミツバチよりも自然界に適応するほど進化しており強く丈夫で蜜も安定するというではありませんか。
それでグッドボーイハート83ハチミツオポ部でミーティングの結果、というかほとんど自分の強気発言でオポ部では二ホンミツバチを招きたいという方向性で決定しました。
二ホンミツバチとのかかわりを通して、人と犬の関係性をもう一度見直していきたいと思っています。
<クラス>お預かりクラスでお世話してみてわかる犬のこと
グッドボーイハートのお預かりクラスは一般的なドッグホテルとは少し違います。
いや実際にいっしょに時間を過ごしていただくとわかるのですが、たぶん大きく違います。
このお預かりクラスの期間中に犬をどのように管理するのか、どのように接するのかは犬によって違います。
訪問クラスで生徒さんにお願いしている接し方と同じようにとプリントには記載しています。
行動が安定して落ち着いている犬ちゃんたちは、接し方はみなさんにお勉強していただいたのと同じように、管理の仕方は家庭とは違いますので少しきちんとします。
管理方法の違いとしては普段は部屋の中でフリーで寝ている犬ちゃんも、お預かり中はみなクレートなどの個別のハウスで休ませるようになります。
お預かり中の一番の目的は「犬を安全にお預かりすること」です。
いつもと違う環境では犬が不安定になりますから、より厳しく管理することで安全にお預かりすることになります。
ただグッドボーイハートの犬たちをお預かりする次の目的は、犬のことをより知るためです。
家庭訪問トレーニングのときには、インストラクターである私が不在の状態の犬の様子を知ることができません。
飼い主さんの犬に対する接し方も、私がいるのといないのでは全く違うとはいかなくても多少は違いがあるはずです。
先生がいるときといないときでは差が出るのが当たり前のことなので、そのことは織り込み済ということで犬の行動を見ていきます。
そうなると、普段の犬の行動は飼い主側の報告に頼るしかありません。
こういうときはどうしてますか?の質問に対して飼い主が「犬はこうしています」とこたえます。
そんな質問の繰り返しで犬の普段の行動から犬の状態や気質、そして一番大切な飼い主との関係性を見ていきます。
この関係性の部分を曇らせてしまうのが、飼い主の犬の行動の読み間違いです。
怖がっているように見えるんです。
パニックを起こしています。
といったお答えをいただいたときも、そのレベルがどの程度の恐怖なのかどの程度のパニックなのかがあまり見えてきません。
実際にお預かり中に犬が落ち着かない状態になったときに、どの程度の騒ぎ方なのかをチェックしたり、それに対して対応の仕方を試してみて犬の行動の変化を引き出したりしてみます。
3日間ほど犬をお預かりしていると普段から飼い主がどのように接しているのか、飼い主とどのような関係なのか、環境がどの程度犬に影響を与えているのかがわかってきます。
たとえば、庭につなぐと狂ったように吠えるという犬も、実際にお預かりして庭に係留するとほとんど騒ぐことがないということもよくあります。
数日では環境に慣れていないという理由でもあるので数日試してみるのですがほとんど騒ぐことなく行動はどんどん安定してくることがあります。
周囲の環境が騒がしいとか静かとかそういった影響はかなりあります。
グッドボーイハートでの預かりの場合は、七山の環境と福岡の環境では多少の違いがでることがあります。
それでも、生徒さんがいうような落ち着かないという状態にはいたらないことも多いのです。
これは庭の環境だけでなく、普段から室内にいっしょにいるときの接し方や飼い主との関係性が部屋と庭に分かれたときの行動に影響を与えてしまうからです。
お預かり中の犬への接し方はグッドボーイハートルールで徹底していますので、3日間ほどの預かりでも預かり中の行動はびっくりするほど変化していきます。
もちろん犬の行動が変化する可能性があるかどうかを試しているわけですから、結果が出るのは当たり前のことでもあります。
でもこれは「犬のしつけの可能性があるのか」という質問への答えですから、変化があれば可能性がある、変化がほとんどなければ可能性は低いという答えにもなってしまいます。
犬の行動には当然のことながら脳の働きが作用しています。
脳の働きが壊れていると、残念ながら環境を変えても行動の変化は見られず「犬のしつけ」は通用しないということになります。
薬剤などで脳の機能性を抑え活発なホルモンなどが出ないようにして、寝ていることが多くなるようにするなどの対応をとる必要性が出てくるかもしれません。
ただ、わたしはこれはあまりお勧めしていません。
明らかに脳が損傷する脳梗塞などの状態に陥ると身体的な機能性にはっきりとした変化が見られます。
犬が日常生活を普通に送っていてその日常は人のものほど複雑ではないと考えると、もう少し違ったアプローチがあろうかと思います。
脳の活性化しすぎた活動を抑える一番の方法は、山歩きなどを行ったり、田舎環境で暮らすことです。
ところが都会に暮らす方はなかなかそれが実現できません。
生徒さんたちの中には週末毎に山通いしたり、田舎に連れていき、犬のパニック症を克服された方が何名もいらっしゃいます。
そうした実例があるからこそお勧めはするのですが、時間がない、車がない、などご家庭の事情も様々です。
できることが見えていてもそれができるかどうかはその飼い主の環境次第ですから、そこまで口出しもできません。
犬のためと思うとなかなかうまくいかないことなので、日ごろから人が自然に親しんで遊べる習慣があるようにと思っているわけです。
今年の冬も七山でたくさん遊びたいと思います。
犬たちがお泊りに来てくれています。
いっぱいの時間を空間を使って、犬としての時間を取り戻してほしいです。
<クラス>屋外での公園散歩とカフェレッスン
グッドボーイハートの家庭訪問トレーニングでは、犬のお世話や関わりについて様々な角度からより良い暮らしを目指していきます。
その中には犬と楽しく安定したお散歩ができるようになるための練習も入っています。
散歩は犬のお世話の中で最も関係性を表現する機会でもあり人にとっても犬にとっても大切な時間です。
散歩をどの時間帯に、どのくらいの時間をかけて、誰と、どこを、どのように歩くのか。
毎日、毎日の単純なことですが、散歩こそ唯一犬が社会に出られる時間ですから、大切な時間としていっしょに過ごせるようになっていただきたいのです。
訪問トレーニングでの散歩の練習は普段の散歩コースはもちろんのこと、いつもでかける公園で待ち合わせしたり、少し遠いけれどよく利用する公園で待ち合わせたりと飼い主さんのステップアップによってその内容も様々です。
今回は中級クラスの生徒さんとそのお友達(どちらもグッドボーイハート生)から、よく出かける少し遠い公園で、いっしょにお散歩してカフェでお茶をするところまでの練習をクラスとして開催しました。
福岡市の広い公園に来て、昔グッドボーイハートでずっとやっていた「お散歩会」をなつかしく思い出しました。
グッドボーイハートの生徒さんたちで公園に集まってやっていた練習会ですが、いつの間にか頭数も増えてしまい、練習会がイベントのようになってしまったこともありお散歩会は終了させていただきました。
ただ犬の日常に近い状態でお散歩の練習会をさせていただけるのはうれしいことです。
公園の中でできる少し変わった練習もご紹介して、夕暮れにはなりましたが無事にカフェでお茶もしました。
お茶会の話題はあの「人イヌにあう」のことです。
本を買って読み解いているところだけどなかなか読み進まないので今度は読書会をしてくださいというご要望もいただきました。
勉強熱心な生徒さんがグッドボーイハートにいらっしゃることが、自分の成長につながっていくことがありがたくて仕方ありません。
ローレンツの本は今目の前にあります。
この本の中に出てくる犬をローレンツがどのような視点で見て何を語っているのか、そんな話をグッドボーイハートの生徒さんたちとお話できるならこんなに楽しいことはありません。
練習したカフェでは犬たちが落ち着かず吠えていたり、カートに乗せられたまま放置されていたり、ずっとおやつをもらいながら歩いていたりと不思議な光景を見ました。
ごまかしではなく本当に犬と向き合う時間を作ると、急変はしないけど犬のことを理解しながらじっくりとお互いに成長していきます。
グッドボーイハートというドッグスクールは時間をかけずに結果を出したい方よりも、じっくりと自分の犬のことを理解しながら関係を築いていきたい飼い主さんに向いていると思います。
ドッグスクールは今は山のようにあるのです。
選ぶのは飼い主さんの自由なのです。
自分にあった犬の学校を見つけていただきたいです。
グッドボーイハートはこだわりの強いスクールですが、私も職人気質なのでなかなか曲げられません。
とりあえず頑固一徹になりすぎないよう、楽しみながら犬のことを学び続けます。
<犬のこと>ガンを1分で発見する人間、犬はもっと前に飼い主の病気に気づいている
先日のテレビニュースでガンが1滴の血液でわかるようになる機械を東芝が開発したというものを見ました。
ガンといえば人が最もおそれる病気です。
その早期発見のために莫大な頭脳、資産が投入されている中でなんと「1分」は脅威です。
そのニュースを見ながら考えたのはやはり犬のこと。
犬も1分で飼い主がガンになっているかどうかをわかるはずなのにな~と思ったのです。
ネットなどで「ガンを発見する犬」について知ったことのある方もいるかもしれませんが、これは本当です。
仕組みとしてはいたって簡単なのです。
人が癌になると人の体内の細胞が変化していきます。
そのときにガン細胞独特の臭いを発するようになるので犬がその臭いに反応するというものです。
特別に訓練された犬はガン細胞の臭いに反応して合図を出すようにトレーニングされています。
ところがみなさんの身近にいる犬も飼い主の臭いの変化には気づいているのです。
それを伝える必要があるとして反応を示す犬とそうでない犬がいるというだけのことです。
自分も過去の自分の飼い犬の中で特別の反応をしたのを見たことがあります。
まだ母が生存していたときに、座っている母の後ろで当時いっしょに暮らしていた柴犬が独特の声を出していました。
オスワリをして「わわーん、ワオワオ、わんわん」といった強く吠えるわんわんではなく、話しかけているような音でずっと語り掛けてくるのです。
母の背中にむけてオスワリした状態で話している犬の姿が独特でした。
「コニーは何を言っているのかな」と母に問いかけました。
母は「最近はいつもこうやって何か言ってくるのだけど何をいっているのかわからないの」と答えていたのです。
その数ヶ月後に母は倒れそのまま病院へ、末期のガンでした。
あとで思えば柴犬のコニーは母の異変を嗅ぎとってなんらかの方法でそれを伝えようとしてたのでしょうが、当時はそんなことを思いつきもしなかったのでその行動の意味をくみ取ることさえできませんでした。
あのときに柴犬が教えてくれていたことをすぐには受け取れなかったものの、母と柴犬のコニーは特別な関係であったことを知るエピソードになりました。
人は最新の科学で自らの道を歩いていきますが、犬は最古の力をもってあくまで原始的に人のお役に立とうとします。
どちらがいいのかということでもなく、どちらも大切なことなのでしょう。
それにしても人の身近な自然の動物や植物などの自然のメッセージを受け取る力と距離感だけは絶対に失いたくないと思います。
<八三オポ>ハチミツオポ始動!立派な巣箱ができあがりました※感謝※
八三オポ=「はちみつおぽ」カテゴリーをつくりました。
読者のみなさんにはあまり関係のないことかもしれませんが、いろんなことが一度に進行していて自分の老化した頭がついていかなくなってきたのでカテゴリー分けで整理しています。
八三オポは七山のオポ広場で養蜂を試みる計画です。
七山では犬がイヌとなる場であるとともに、人がヒトとしてあるための挑戦の場でもあります。
犬たちだけに求めるのではなく、私たちも急ぎ過ぎた時間を取り戻すための時間を作っています。
そのことが犬と人と関係により良い時間を戻してくれると今のところは信じているからです。
養蜂計画の第一歩は「巣箱作り」でした。
友人が立派な巣箱の設計図をくださったのでダンナくんに製作してもらうのが当初の計画でした。
ところがうちには木材を加工するための機材がまったくありません。
どなたかに見本を作っていただき、勉強しようということになりました。
そこで早速生徒さんにご相談したところ、大変立派な巣箱をつくっていただきました。
蜂の巣箱は加工木材を使えないため製作はかなり大変です。
ボンドなどの薬品の臭いに野生の蜂は寄り付かないのです。
杉材をねじと組み合わせだけで組み立てていく構造になっています。
中身をみるとすごい仕組みになっていて、こうして材料を加工する能力があったからこそヒトという動物がここまで進化してきたのだと感嘆しました。
その巣箱をオポ広場に設置してきました。
まだまだこれからやらなければいけないことがたくさんあるのですが、なんとなくいい感じになってきました。
作っていただいた巣箱を蜂たちに気に入ってもらえるように巣箱周辺の手入れを進めていきます。
来年はみなさんにハチミツを試食していただけるようにがんばります。
<人イヌに会う>動物と人との区別を知るために
アップさせたつもりだったブログ記事が更新されておらず遅くなりすみません。
コンラート・ローレンツ氏の「人イヌにあう」の本からイヌのことを学ぶカテゴリーの1回目です。
本を購入するかどうかを決めるときにわたしが見るところは、著者のまえがき、あとがき、そして訳者のあとがきです。
この三つの部分に目を通すと本の概略が把握できるからです。
今日は「人イヌにあう」訳者である小原先生のあとがきからその一部をご紹介してイヌのことを考えてみます。
引用ココから
著者は動物の行動をみつめ、動物をこれほどまで愛しながら、動物と人間との区別を明確に指摘する。
動物を知ることがどれほど人間を知ることに意味があるかが、はっきりと書かれている。
動物を深く知り、それと比較するとき、むしろ人間自身を明確に浮かび上がらせるというのは、やはり私の年来の主張でもあった。
~一部省く
家畜化されたためにイヌのほうが人間にたいする理解において類人猿より優れているという点や、イヌが人間の発音を聞き分ける能力をもっていると書いてある点など、きわめて興味深い。
他の専門的な学術論文からは得られない動物行動学や動物心理学上の示唆が、いたるところにみうけられる。
引用ココまで
上記の2行の引用文からこの本を読む価値のあることは十分に明らかなのです。
犬とのより良い暮らしに最も大切なことがここに書いてあります。
それは「まず動物を愛しながら動物と人を区別すること」なのです。
犬を愛するあまり、犬と人の境界がわからなくなっていることが犬にとっても人にとっても一番問題なのです。
犬に対し人のように接すると犬は必ずストレスをかかえるようになり問題となる行動を起こします。
犬を人と同じように愛することと、人と同属化してしまうことは別のことだという自覚が飼い主には必要です。
二つ目の読む価値は人間自身を知ることができるというところです。
犬という動物をより深く知ることが、人間を知ることになる。
もう少しはっきりというと、自分と暮らしている犬という動物を深く知ることが自分自身を知ることになるということです。
犬が興奮したり騒いだり落ち着きなく振舞っているのを見て、自分が同じような状態とはとても思えないため否定したくなる飼い主の気持ちはよくわかります。
それは同じような行動に至るということではなく、同じような状況にいたっているという意味で飼い主を知ることができるという意味なのです。
これについては受け入れるまでにかなり時間がかかりますから、今すぐに自分を納得させる必要はありません。
まずは犬と人の境界をはっきりさせて、相手を理解するという愛し方を推奨されているというと受け止めてください。
「人イヌにあう」があまり受け入れないときには、犬のことを人のように見たいという気持ちが優先しているからかもしれません。
いわゆる擬人化というものですが、犬の擬人化は犬のすばらしさを発見することを妨げるものでしかありません。
犬は犬としてすばらしいのです。
「人イヌにあう」をおすすめします。
<人イヌに会う>ついにカテゴリーをつくりました
心から大好きなコンラート・ローレンツの本をなかなか生徒さんたちが理解できない…。
生徒さんたちだけでなく、犬をある程度学んでいる同業者の方々ともあまり共感することができない…。
共感できるものはお互いにそれぞれなのだから、押し付けるつもりは毛頭ありません。
でももしかしたらコトバの意味が分かりにくくて伝わらないのかもしれない。
私はこの本のこの部分はこう読み解くという風にお話する機会もあったので、ブログのカテゴリーにしてみました。
みなさんにお勧めしているのはローレンツの「人イヌにあう」という本です。
大好きなローレンツの本を尊敬する小原秀雄先生の翻訳で読めるのですからこんなにすばらしい機会はありません。
コンラート・ローレンツは1903年にノーベル賞をとった学者なので、その著作のいくつかは翻訳されており日本語で読むことができることで私のようなものとの出会いも得られました。
本当にありがたいことです。
動物行動学者の中にもいろんな先生がいらっしゃるのでしょうが、ローレンツの場合には実際に観察したい動物は自分の手元において生活をしながら常に観察をするというスタイルでした。
鳥類や魚類がその主な対象だったようですが、ローレンツにとってイヌとネコは常に身近に共に生活する動物として自然と観察する対象になったのでしょう。
ところがこのイヌとネコは人間との関係性においては昼と夜のように違いがあり、イヌほど家畜化ということばがふさわしい動物はいないとも述べています。
この本はイヌについて書かれたものではなくイヌとネコについて書かれたものなので、ネコ好きの方にも楽しんで読んていただけるはずなのですが。
とにかくひとつずつ私もブログに書いてみることにしました。
今年の冬休みの課題はこれで決まりです。
<犬のこと>野生動物と犬、どちらが社会化してますか?
先日お預かり犬ちゃんをお庭で過ごさせながら草刈りをしていたときのことです。
草刈りを手伝ってくれていたダンナくんがバイクのメンテナンスを始めました。
テラスでバイクのエンジンテストのために結構強く吹かす音が聞こえてきます。
お庭の犬ちゃんが気になってそーっと様子を見にいきましたが、日向ぼっこを止める感じもなく、ウロウロもなく、いつもと変わらぬ感じです。
そういえばそのバイク作業の近くに小鳥の声がちゅんちゅんとしているのですが、その小鳥たちもバイクの音に反応して逃げ出す感じはありません。
いつもと変わらぬ感じでその場にとどまっています。
こうした大きな音、バイクの音は特に振動が強いので周囲の環境に与える影響は大きいと感じてしまいます。
でも小鳥たちなどの野生動物が全く反応をしないのですから、警戒する必要のないものと認識されています。
特定のモノや音に驚いてしまう過敏な反応は、野生動物よりもむしろ家庭犬の方が強いと思います。
その理由は日常的に過ごしている環境の違いにあるのでしょう。
そもそも社会化というのは周囲の環境の変化の中に安心を獲得していく学習のことをいいます。
普段と変わらないから大丈夫、これは危険でないから大丈夫を脳が繰り返し学習していくわけです。
バイクの音といった特殊な音でも、これは大丈夫と野生動物が判断できるということですから、単に音として認識されているわけではないのでしょう。
自分たちの身が脅かされるようなものではないと動物が判断するときにそれが大丈夫の箱の入れられていきます。
ところが家庭犬の場合には、危険と反応する箱の中に入れられることが多いのです。
ひとつ危険の箱の中にはいるとそれに類似するものはすべて危険の箱の中に入ってしまいます。
だから世の中は危険であふれているということになります。
過剰におびえたり逃げたりパニックを起こしたりするようになります。
そもそもこの反応の多くは人との生活の中で作られていきます。
原因のひとつとなるのは軟禁されていることです。
行動の自由をなくすと動物は不安を抱えます。
庭などで自由行動ができない環境に成長する犬の多くは不安を抱えやすい状態になります。
二つ目の原因となるのは、人の気持ちの不安定さです。
人が不安を抱えていることの解消として犬を求め始めると犬は不安を抱えやすい状態になります。
共感性の高い動物なので、気持ちの弱い動物の下では弱い動物となってしまうのです。
時代と共に人間という動物、特に日本では人が年々弱くなっていますので、そうした意味でも犬は不安を抱えやすい状態になっているといえます。
野生動物の方が家庭犬よりも社会化しているというと、野生動物よりも家庭犬の方が人に近付いてくるではないかと反論されるかもしれません。
でも野生動物が人にとびついたり噛みついたりする確率よりも、家庭犬が人にとびついたり噛みついたりする確率の方が圧倒的に高いとなるとどうでしょうか?
人は本当に犬と仲良く暮らしていると言えるでしょうか。
逆からいうと犬は本当に人と安心して暮らしているのでしょうか?
犬は本当に複雑か環境に置かれた動物です。
ひとつでもひとりでも犬を理解していただくために、ローレンツの本おすすめします。