夏休みが始まりました。
犬は暑いのはやっぱり苦手です。
夏は冷所で少しでも休息させたいと「夏休みのお預かり」ご予約が入っています。
来週から8月末にかけて、いろいろと犬ちゃんたちが出たり入ったりするので七山にいる時間が長くなりそうです。
お仕事への出張をかねて前後もあわせてお預かりとか、夏休みの帰省をかけてやはり前後に少し余裕をもってのお預かりというのもあります。
犬を大切にしてくださるグッドボーイハートの生徒さんたちだからこそ、暑い夏に連れまわすのは犬にとっては難しいこともよくわかってくださっているのでしょう。
七山は夕方少し西日が強まるだけで、朝晩の冷えくあいは下界(すみません福岡のことです)とは比較になりません。
まさに七山は雲の上にあがる上界なのです。
お預かりクラスを始めたのは、私がオポと暮らしていたときに犬の預かり先に苦労したためです。
結局いつもスタッフやらに泊まりに来てもらって勉強会へ出席していました。
だからオポが他界したあとは、飼い主さんが安心して預けられる場としてグッドボーイハート七山校を使いたいという思いがありました。
その安心な預かり場のグッドボーイハートの預かりは、その後さらにバージョンアップした預かりクラスとなって現在も成長中です。
ここまで犬のことを学んできたのに、まだまだ犬の観察や変化に興味のある自分が不思議でならないのですが、これは個性なのでしょうか。
個性は変わることがなく使いようよっては不便なこともあるし、さらに人様に迷惑をかけるとなると問題です。
だから自分はこの面倒な凝り性の個性を仕事として犬のことに使い果たすようにしています。
生徒さん方にとっては細かい、しつこい、面倒くさいと感じられることもあるとは思いますが、ある程度はスルーしていただき活用していただければうれしく存じます。
夏休みの山間学校ですが、できるだけ一対一で向き合う時間を作りたいので重なりが少なくなるようにとは思っています。
ご予約をご希望の方、お早目にご連絡ください。
Author Archives: miyatake
<お知らせ>夏休みの山間学校の受付始まっています
<犬のこと>犬がお腹を見せているのはあなたに心を許しているからではありません
犬と人の関係に行き違いが生じるのは、日々のコミュニケーションの行き違いが原因です。
小さな行き違いがなんども重なり、やがて大きな亀裂となって関係を悪化させていきます。
ところが人の方は一方的で犬に対しては常に上から目線なので、行違っていることにすら気づくこともできません。
行違うコミュニケーションのひとつがコレです。
犬がお腹を見せてくるから私に心を許しているんですという飼い主の言葉。
これはかなり大きく行違っており、すぐに修正をする必要があります。
犬がお腹を見せることが自分を信頼しているからだという飼い主側の言い分としてはこうでしょう。
動物がお腹を見せるという行為をするのは無防備なこと
↓
私に対して無防備でいてくれる
↓
だから私のことを信頼してくれるのだと
一見正しい解釈のように見えるのですが少し違います。
では人に置き換えてみてください。
犬が前脚を上げてお腹を見せるという行為は、人なら両手をあげて腹部を見せるという行為と同等です。
人がだれかに対して両手をあげるのは、どんな状況下でしょうか。
私は無防備です。だから私に何もしないでくださいという降参を意味する行為です。
犬も同じように腹部を見せるのは降参しているのだととらえる人もいます。
こちらはある程度正しいとも言えます。
コミュニケーションは点ではなく線になっています。
犬の場合もこれは同じなので「降参したと見せかけて」というのはありがちだからです。
真の降参、降伏でなくても、腹部を見せることで相手をいっしゅん収めたり遠ざけたりする効果を持ちます。
ところが、前者の飼い主のように「犬が腹部を見せているのは私を信頼しているから」と思っている人々には腹部を見せる行為で距離をとることはできません。
なぜならこの部類の人々は犬が腹部を見せるとすぐに犬のお腹を触ってしまうからです。
腹部をさすると犬が喜ぶという人もいます。
この場合の犬が腹を見せる行為というのは、先ほどの降参とは多少意味合いが違います。
犬が腹部をみせてさすってもらう刺激は、犬が子犬のころに母犬に陰部をなめられて排泄物を出すことを促されていた刺激と同等です。
腹部をさすってうっとりするのは大半は子犬もしくは脳が子犬化している犬たちですが、かれらは飼い主に腹部をさすられる行為を母犬がお腹(ほんらいなら陰部周辺)をなめる行為と同じだと感じます。
犬の脳が幼稚化していなければこの刺激にうっとりすることはないのですが、なかなか成長できない子犬もしくは成犬であっても、お母さん犬がお腹をなめていると受け取りそれを要求してきます。
人とのかかわりや人の接し方によって犬のコミュニケーションは変化しますので、そのうちに犬はお腹をなでることを飼い主に要求するようになり、永遠の子犬へと変化していきます。
子犬化している犬はかわいいのだからいいではないか、むしろ成長してほしくないというのが人の本音かもしれません。
その人にとってはそれでいいのかもしれませんが、成長できない犬の立場にたつとどうでしょうか。
あなたも永遠の赤ちゃんでいたいでしょうか。
一生人の手を借りて甘えることしかできず、少しのことで興奮したり緊張したり不安になったりして不安定な時間を過ごしたいでしょうか。
親だったら子供の成長が何よりも楽しく生きがいだと感じるのですから、犬の親としても気持ちを引き締めてほしいのです。
成長して発達すること。
これは動物としての権利と義務です。
ペットである犬にもこれが与えられますように。
<犬のこと>犬がサイレンがなると遠吠えするのは何故なのか
お預かりクラスのときに七山で時報として流れる地域放送の音がなると遠吠えをする犬がいます。
つい先日も、福岡でお預かり中の犬ちゃんが散歩中で歩道を歩いているときに救急車が通行したので遠吠えをはじめてしまい、たくさんの通行者の中で注目を浴びてしまいました。
「うぉーん」というこの遠吠えを聞くとイヌはやっぱりオオカミなんだなとしみじみと思います。
サイレンなどの高い音で遠吠えをするのは、サイレンや放送の音が遠吠えの音程と似ているため共鳴してしまうからです。
共鳴するとは、特定の刺激に対して引き出された行動ということです。
遠吠えをしている犬が「サイレンがなったから自分も遠吠えしなくてはいけない」などと考えて行動しているわけではありません。
遠吠えという吠えは犬のDNAの中に入っており、必要であれば自動に引き出される仕組みになっています。
犬のコミュニケーションのすべてがこの引き出し式になっており、犬は教育を受けなくてもコミュニケーションを表現できるようになります。
教育は必要ないが、行動を引き出してくれる一定の刺激や相手がいないとコミュニケーションが起こらないのだということなのです。
遠吠えも同じように特定の刺激に対して反応する形で起こります。
特に犬がオオカミでいうところのアルファ=群れのリーダーではない場合は共鳴行動が多くなります。
オオカミの遠吠えで説明すると、はじめに遠吠えをするオオカミがいるわけでしてそのリーダーオオカミの遠吠えに続くように他のオオカミたちも遠吠えをします。
集団で遠吠えをする野生のオオカミの群れのコーラスは感動しますので一度ぜひ聞いてみてください。
ここまではかなり科学的に精査されて得られている情報です。
行動学の本やセミナーでもこのくらいのことは当たり前のこととして教えてくれます。
それで私の意見です。
ひとつの刺激に対する反応という学習のしくみは、似ている音には反応するけれど似ているけど少し違う音には反応しないという区別という学習も入ります。
この区別によってオオカミたちは自分の群れのオオカミの声には共鳴するけれど、他のオオカミの声には反応を示さないのだと考えています。
あくまで考えの範囲内ですがそうでないと自分の身が危険だからです。
オオカミを捕獲したいと考える人の中には、他のオオカミを連れてきて遠吠えさせてその遠吠えに反応するオオカミによって居場所をつきとめるかもしれません。
オオカミがそんなに愚劣とは思えず、こうしたシステムは洗練されていると私は考えています。
ではなぜ犬が必要のない遠吠えを毎日繰り返すのかということですが、自分の中でもまだ仮説の部分ですが使われていないコミュニケーションには錆がくるというのがひとつの考え方です。
犬という群れをはずれて単独で人と暮らすのようになった家庭犬たちが、長い間まともに使っていない遠吠えというコミュニケーションを適切に表現できない状態なのではないかということです。
もうひとつの仮説は、人と暮らす犬の中には本質的に孤独な犬もいるのではないかということです。
こう考えるのは、イヌとしてまだ犬の群れの中に生きている野犬や野良犬にはサイレンに反応して遠吠えをするような行動はありません。
ところがこうした野犬の子犬たちが家庭に入るとすぐに遠吠えをするようになります。
わりと幼少期からサイレンなどの音に反応する姿が見られます。
この姿を見ているときに、自分の帰るべき犬の群れを呼んでいるではないかと感じるのです。
家庭犬も深く結ばれた絆のグループの中に戻りたいという状態であるときに共鳴が起きやすいのではないかと。
犬はもうずいぶんと長い間、人という動物のそばで暮らしてきました。
最初は自分も犬としての群れをもちながら人とのかかわりを持っていたのですが、日本ではすでにほとんどの犬が人のグループの一員である家庭犬であることがなんと法律で義務付けられています。
人の作った法律なんか犬にとってはどうでもいいものですが、人社会に巻き込まれた犬ですからもはや逃れようもありません。
家庭犬として人と深い絆が結べるようになることを犬たちは望んでいるのでしょうが、人はますます犬のことを理解しなくなりつつあります。
犬は孤独になり遠吠えをしているのではないか、そう考えるときどんなに地道であっても犬を理解する機会を犬と暮らす人と持ち続けたいと願うのです。
<犬のこと>正しいサインボードで犬たちを守ろう!
日本では住宅が密集している地域型多く、庭のすぐ前を小学生や通行人が通るという環境も普通です。
私の住んでいる福岡地区もまさにそうした環境です。
庭に犬が出ているときに小学生が近づいてきて手を突っ込んだり、柵の前にじっとしてみていたりすることもあります。
犬はテリトリーの安定さに敏感なので、自分の姿を見つけられたりじっと見られたりするのは苦手なのです。
庭が広ければ自分で距離をとったり隠れるという行為もできますが、福岡の住宅地の庭となるとそういうわけにもいきません。
だったら相手を遠ざけるしかありません。
その方法のひとつが「犬がいることを知らせるサインボード」です。
以前おすすめのアイテムの記事でもサインボードについて紹介しました。
最近生徒さん宅でわかりやすいサインボードを見たので撮影させていただきました。
文章が英語なのでそれほど警告が厳しくもなく、でも絵面がすごいのでいかにも噛みつかれそうな感じがあってよいですね。
こんなサインボードがあれば犬のいる庭に近付くのは少し躊躇されるのではないでしょうか。
境界線をしいて距離を置くというのは自分の身を守ることでもあるし、相手に必要のない危害をくわえないということでもあります。
お互い様の社会だから、事前に教えておくというのが親切というものです。
来客や宅配が来てもたいして吠えない犬にとっても、テリトリーに他人が来るというのはドキドキするものです。
あえてサインボードで防御することなど簡単ですし、泥棒対策にもなります。
素敵なサインボード見つけたら教えてください。
<犬のこと>犬のとびつきというジャブを受け続ける飼い主
犬の絶対に止めさせて欲しい行動のひとつ、それが「とびつき行動」です。
止めさせてほしい理由はいたってシンプルなのですが、とびつき行動は興奮行動だからです。
犬が勝手に上下に飛び上がる行動も興奮行動ですが、もっと質の悪いのは飼い主に前脚を当てるようにしながらする飛びつきです。
場合によってはそのまま犬が体重を飼い主にかけたまま立ち上がっていることもあるのですがこちらも容認できません。
不安定な行動を飼い主が維持するという依存のスタイルだからです。
いろいろある飛びつきの中でも今日お伝えしたいとびつき行動は「ジャンプしながら前脚を飼い主に当てる」というとびつきのパターンです。
ジャンプしては飼い主に前脚を少しかけ、再びジャンプしては前脚を少しかけます。
そしてぐるっと部屋の中を走りながら助走をつけて間合いをみながら三度飼い主にジャンプします。
トレーニングクラスではよく見かける光景なので動画を撮りたい衝動に駆られるのですが、あまりにも質の悪い行動なのでネットで公開するには気が引けてしまい動画は動作確認をしたらすぐに削除しています。
似たような行動はネットでもよく見られるので探してみてください。
もしくは「うちの犬が同じことをしている」のであれば、日常的に確認できますね。
このとびつき行動は犬が興奮しているときに行う行動です。
このとびつきのパターンの場合は、興奮行動であるだけでなく攻撃行動にもなっています。
ほとんどの飼い主がこの行動をこのように説明します。
「遊んでといってとびついてくる」
「かまってほしいといってとびついてくる」
「こっちを見てといってとびついてくる」
さらに
「私のことが大好きだといってとびついてくる」
最後のコメントになるとさすがに我が子に盲目になっている飼い主のコトバになりますからみなさん自重しましょう。
これらの飼い主の行動分析ですが、全くずれているわけではありません。
要するに犬は「要求」をしているわけです。
遊べ、構え、こっちを見る、もしくはあっちへ行けとかいうことを聞けといった感じです。
犬側の要求ですが、要求するだけならわんわんで十分ではないかと思うのです。
飼い主に対するとびつき行動をするとなると、軽く体をつつきながらの要求ということになります。
軽く飼い主をつついて「金よこせ」
軽く飼い主をつついて「おやつよこせ」
軽く飼い主をつついて「俺を膝の上に乗せろ」
軽く飼い主をつついて「散歩につれてけ」
何か思い当たることはないでしょうか。
小型犬の飛びつく行動をかわいいと思う飼い主が多くこの説明が難しかったので、こういうとわかりやすいかと思いお伝えします。
犬の飛びつき行動でジャブ受けてますけど…隙だらけですよと。
男性なら多少なりとも格闘技に興味を持たれたことがあるでしょう。
ジャブを受け続ける自分というのが軽く想像できるらしく結構納得してもらえます。
飼い主が受け続けるこのジャブですが、当然のことながらKOへの道を歩いていますので場合によっては噛みつきになります。
普段から犬のとびつきというジャブを受け続け、犬の方は毎日繰り返しジャブをうってタイミングを見計らっているわけですから、かみつき行動に転じるのは何も不思議なことではありません。
飼い主が女性の場合には、このジャブは要求から甘えに転じるジャブに切り替わります。
甘えの対象となる飼い主を遠ざけてしまうのは依存に陥っている犬にとっては不利益なことです。
飼い主を有効活用して要求を通し続けるためのとびつきというジャブを使い続けるでしょう。
その犬のとびつき行動、結果として犬は不安定な状態だというお知らせなのです。
<クラス>梅雨の間でも今年は涼しく犬との山歩き
クラス紹介の写真がいつも山での風景になります。
受け持ちしているクラスの大半は家庭訪問トレーニングクラスですが、トレーニングクラスのときには行動を再確認するために動画を撮影するくらいで、写真を撮る機会がありません。
生徒さんたちのお写真はラインやメールで送っていただきときどきご紹介させていただきますが、そう度々お願いすることもできず。
写真が山と犬の風景に偏るもっと大切な理由は、山にいる犬の表情の変化をお伝えしたいからです。
犬の中には生涯を通してアスファルトや人工的な公園しかしらない犬もいるでしょう。
たまに自然の中に連れていかれても整備されたドッグランや平坦な土地、囲われた広場に開放されるくらいでしょうか。
山を歩くチャンスをもらえる犬は一握りしかいません。
最近では山どころか散歩にも出ていない犬が以外に多いことを知り驚いています。
20年前なら「散歩がうまくできないんです。」というトレーニングのご相談を受けることはもっと多かったのに、最近では「トイレができないんです。」というご相談の方が多いのも納得します。
山で過ごしている犬の表情は一度山に来たくらいではわかりません。
山という環境が犬の脳に働きかけて、犬の脳の中で何かが開き始めたときに犬の中に確固たる深い安心が生まれるような感じです。
それは私たち人間にも言えることです。
山に来て騒いだりバーベキューばかりしているとわからないことも、ただ山を背にして普通に過ごす時間を長くつくればつくるほど、自分はとても小さな存在に思えてきていろんなこともそんなに大したことではないように思えるようになります。
そんな人間の一部を感じることも、犬にとっては何か影響があるのかもしれません。
人はあまりにも犬に強くなりすぎました。
厳しい環境の中で管理監督しなければ動物が落ち着かなくなってしまったからでしょうが、根本的にいろいろと考えて変えていく勇気が求められていると思います。
<受講生のコトバ・はなちゃん編>スカイプ通信講座でトレーニングクラスを受講中の柴犬はなちゃん
クラスを受講された生徒さんからクラス受講の感想を書いていただきました。
今回は柴犬のはなちゃんの飼い主さんからいただきました。
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柴犬のはな(今1歳2ケ月)と暮らしています。
はなは生後2ケ月のときに我が家にやってきました。
犬を飼い始めるにあたってネットや雑誌などで犬への接しかたを調べはじめました。
ネットでのやり方ではうまくいかず、一度地元のドッグトレーナーに来ていただき指導を受けしばらくその方法をやっていたのですがどうしても違和感が生じてしまい止めてしまいました。
他に自分にあった学校はないかとネットで探していたところグッドボーイハートに出会いました。
出会うといってもホームページの中のブログを読んで考えたりしていたのです。
グッドボーイハートのブログの内容は他の一般的だと思われている犬や犬のトレーニングの通説とは全く違っていました。
でもそれが犬への正しい接し方ではないかという気持ちになったのです。
犬を人間にたとえて擬人化したり、盲目的にただ犬を甘やかしたりせずに犬を犬らしく扱っているからです。
はなは自分が室内ではじめて飼う犬でしたし、スカイプでの受講という事で不安もありました。
グッドボーイハートにご相談するときにすでにいろいろな問題行動が出始めていたのでさらに不安は募りました。
カウンセリングシートをいただいて犬の行動をいろいろと書き出してみたのですが、ブログに紹介されているようなストレスを表現する行動もたくさんありました。
同時に質問したいこともたくさん出てきたのでスカイプ講座を受講することを決めました。
はじめは週に1回程度でクラスを通して学びながら生活環境を改善させていきました。
トイレの問題や散歩に出ることやリードの使い方など、画面を通して学ぶだけでしたが回数を重ねることに理解が深まりました。
ブリーダーさんから犬を引き取ったばかりでネットや雑誌の雑多な情報の中を暗中模索しながら接していたときのことを思うと、今はかなり落ち着いて過ごしていると思います。
グッドボーイハートを知って犬という生き物に対して学ぶことで、今までの犬のしつけ方に対する偏見を修正する事が出来たと思います。
犬を飼ったことで散歩で出会う犬や近所の犬をよく見るようになりました。
実際には自分やはなに影響を及ぼす犬もたくさんいます。
飼い主はみな自分の犬をすごくかわいがっているのだと思うしそのように見えます。
でも、かわいがりが独りよがりになってしまって、犬がけたたましく吠えているのがまったく目に入っていない様子の人もいる気がします。
私とはなはグッドボーイハートで犬のしつけ方の指導を受け犬について学ぶことにより、独りよがりな愛着から脱却し犬を尊重して育てることができているのではないかと思います。
これからも自分とはなのペースで、お互いの関係が今以上に深まるように学んでいきたいと思っています。
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ご多忙の生徒さんが多くなかなか感想文を書かれる時間がないよう中こうして感想を書いていただけるのは本当にうれしいことです。
今現在、犬との暮らしについて真剣に考えている飼い主さんたちの何かの参考になればと思っています。
はなちゃんと飼い主さんは中部地方にお住まいのため、スカイプを利用した通信講座でグッドボーイハートのトレーニングクラスを受講されています。
そのため私も実際にはなちゃんにも飼い主さんにもお会いしたことはありません。
スカイプ講座と対面講座ですが、対面講座の方がずっとわかりやすいことは間違いありません。
スカイプ講座のときにはいつも現場に飛んでいってお話がしたいと思ってしまいますが、瞬間移動の技術が発達するまではまだまだ時間がかかりそうですし、あるものを利用するしかありません。
さらに、トレーニングのご相談をいただいたときははなちゃんが子犬だったため慎重に検討しました。
その中でスカイプ講座でもグッドボーイハートで学びたいという熱烈なご依頼をいただき、事前に相当お話をしたうえでスカイプ講座をお受けしました。
お受けした理由の中には飼い主さんから「真剣に正しく犬を理解したいです。」というお言葉をいただいたからです。
良い質問は良い先生を作るといいますが、まさにその通りなのです。
真剣に取り組んでくださる生徒さんは結果を出すばかりでなく、先生という立場にある私を成長させてくださいます。
私としてはそうした生徒さんとの出会いは大変貴重なもので、是が非でも自分がその飼い主さんと犬の成長にかかわらせていただきたいと思うのです。
スカイプ講座を開設したはじめの目的は、福岡佐賀地区にお住まいでグッドボーイハートのクラスを受講していたけど引っ越しをしたため援助が必要な生徒さんのためでした。
その後遠方の飼い主さんでもグッドボーイハートのクラスをご利用いただけないかとスカイプ講座を開設したのです。
ご利用回数は対面講座に比較するとまだ少ないのですが、これからまた少しずつグッドボーイハートならではの輪を広げていきたいと思います。
いつも思うのですが「真実は一気には広がらない」ということです。
本当に大切なものはじっくり育てたいし伝わるのも一気にではなくやはりじっくりと伝わっていくのだと、それが本物であるしグッドボーイハートはやっぱり本物でありたいです。
いつかはなちゃんのお住まいの近くに行ったときは、成長したはなちゃんに会うのだと、それも私の夢ボックスの中に大切に入っています。
<犬のこと>吠えたり噛みついたり飛び跳ねたり騒がない犬になるためには
吠えたり、噛みついたり、飛び跳ねたり、騒がない犬にならないようにしたいと飼い主なら思います。
すでになっている場合には、そうならない犬にしたいと飼い主なら思うでしょう。
否定ばかりになりましたが、要は落ち着いた犬になるためにはどうすればいいのかということです。
犬の吠える、噛みつく、興奮する、騒ぐ、といった問題を解決するための方法がしつけだと思われています。
間違ってはいないのですが、誤解が生まれそうなのでもう一度整理させてください。
犬が吠えたり噛みついたり騒ぐようになったのはどうしてでしょうか。
犬の性格の問題にされたり、犬がバカだからといった理由で片付けられることはないでしょうか。
上の理由は二つとも間違っています。
犬が吠えたり噛みついたり騒ぐようになったのは、飼い主がそう育てたからです。
この育てるという過程が人の教育の中では「しつけ」といわれるのです。
そのためいつのころからか犬の教育は犬のしつけといわれるようになりました。
そして犬を教育する学校や犬の教育の方法を教えてくれるところを犬のしつけ教室と呼ぶようになったのです。
猫の場合には猫のしつけという言葉は聞かれません。
犬は人にとっては特別な存在である証です。
だからといって犬のことをあまりにも人のように考えるとドツボにはまります。
犬を落ち着かせようとして抱っこしてポンポンと叩いている飼い主さんの姿を見ると、あなたの抱っこしているその動物は犬という動物で人間の赤ちゃんじゃないのだという違いを伝えなければと思ってしまいます。
言葉としては「犬のしつけ」「犬のしつけ方教室」となったのですが、本当に人が犬について学ぶべきことは「犬がどのような動物かを知る」ということです。
犬のしつけはここから始まります。
犬がどのような習性や行動を持つ動物であるかをよく知ったうえで、犬が必要としていることを提供すること、そして犬が動物としてちゃんと成長して発達し生きる時間をある程度は満足できるようにサポートすることが飼い主としての役割です。
飼い主としての本来の楽しみは、犬という動物を知って喜んだり不思議に思ったりすること。
犬が犬として人のそばで共に生きる姿を見ることをうれしいと思うこと。
犬という種の異なる動物とコミュニケーションをとったり協力しあったりして共に人生を歩む友になるべくがんばる楽しみをもらうこと。
そんなことが犬の飼い主としての楽しみであると自分は思っています。
もちろん人の価値観は様々なのでそうでない方もたくさんいるでしょう。
それはそれで全く構いません。
ただスタート地点の、犬のしつけは犬を叱ったりほめたりすることではなく、犬を理解することだということだけは共通認識として持っていただいています。
それがグッドボーイハートの理念「犬を理解すること」でもあります。
<日々のこと>動物取扱責任者研修会を受講しました
法令で動物取扱業責任者に法令で定められている研修会を受講しました。
動物取扱業責任者は動物取扱業として各都道府県に登録している団体ごとに最低でも1名を置くことが義務付けられています。
グッドボーイハートでは私が担当していますので、毎年ひとりで受講してきました。
ですが今年はこの研修会をダンナくんと二人で受講しました。
お預かりの送迎などでグッドボーイハートの犬ちゃんたちのお世話をさせてもらっているダンナくんですが、犬と接するルールはグッドボーイハートの厳しいルールを遂行しています。
そのためか、普通の人から犬のことをより深く知る人に変化しており、ダンナくんの方からも研修会に参加したいという意見があったので二人で受講してきました。
研修会の内容は毎年同じようなものになりつつあります。
動物取扱業は国の機関としては環境省の管轄になります。
動物愛護の視点が強いと思われていますが、やはり環境省なのです。
わかりやすくいうと公衆衛生がベースになっています。
ペットとして飼われる動物から人を守るというのが基盤であって、その上でペットにも道徳的な扱いをしましょうと上乗せしている状態です。
この上乗せの部分は、動物の愛護と管理及び管理に関する法律という法律が急速に変化していることでその変化の速度がわかります。
たとえば犬猫の販売を生後56日以上にするとか、飼い主が不要とした犬猫の引き取りを行政が拒否することができる権限を持つなどは10年前では考えられなかったことです。
時代の流れの中で変化する法律ですが、行政も現場もそして飼い主自身も追い付かずいびつなものになりつつある感も否めません。
地域猫を推奨するビデオも見せていただきましたが、こちらもまだまだ討論の余地があるはずです。
ですが討論している間に問題が加速してしまうので、とりあえず行政としてはどのような立場かを明らかにせざるを得ないということでしょう。
人に飼われるペットである犬と猫はこの時代に変化の波にもまれてストレスを抱えているのは人同様であると思います。
動物にかかわる仕事をするものとして何ができるのか、日々の仕事を通していつも考えています。
理想的なことを言っても現実とかみ合わずひとつも実現しないのではそれはそれで意味のないことです。
現実の中でひとつでもいいので実行できて、そして理想的な犬と人の関係をはじめからあきらめないこと、そんなところを目指しています。
グッドボーイハートは数の上では圧倒的に市民感覚を離れた思想と理想を持っています。
ほんの少数の人しか実現し得ないことを求めていると言われるかもしれません。
でもあり得ないことではないと思っているのです。
犬というものを知り尽くしたいと思うからこそ言えること、人という動物に疑問を抱いたとしても希望を捨てないからこそ言えることがたくさんあります。
今日は犬の世界に入って間もないダンナくんの意見を聞くこともできたので見方もまた広がりました。
世間的な感覚から外れすぎた私を世間に近づけてくれる存在としてもダンナくんは強力な橋になっています。
<犬のこと>八犬伝「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」
子供のころに楽しみにしていたテレビ番組があります。
「南総里見八犬伝」の人形劇といったら年齢がバレてしまうので抵抗があるのですが、共感してくださる方もいらっしゃるでしょうか。
小学校低学年でしたがすでにスヌーピーのぬいぐるみを手放せないくらいになっていましたので、犬が登場するこの人形劇は当時の私のテンションを上げてくれました。
ご存知ない方のためにすごく簡略したあらすじをご紹介します。
昔武家の家に災いがおこり山犬に魔物の退治を頼み無事に退治できたのですが、その犬「八房」がその褒美として武家の娘「伏せ姫」を連れていくのです。
この八房に再び魔物が襲いかかったときに伏せ姫がこれをかばった折に八つの玉がちらばります。
その八つの玉とは「仁義礼智忠信孝悌」という玉でした。
この玉を手にした剣士たちがやがて集まりこの家を守るために戻ってくるという話なのです。
この8名の剣士たちですが、名前にすべて犬の文字がついているのでした。
たとえば犬養とか犬山道とかいう名前もあったような。
とにかく犬にからめてあるお話でした。
8つの玉の中の性質 仁義礼智忠信孝悌
これもすべて社会的にできあがった犬の中に見られるものだったはずです。
過去形になっているのは、犬はもはや人のペットとして可愛がられるために必要な存在となってしまったと同時に、本来犬のグループがもっていたはずのこうした気質も失われてしまったと感じるからです。
もちろん私たち人間にもこれらの気質やそれを表現する態度は、もはや過去のものとなりつつあると自省します。
自分たちにないものなのに、犬は人に忠実だとかいって忠犬ハチ公を祀り上げ、そうした態度を犬に求めすぎるのは明らかに不公平というものです。
私はそんなことはないと感じられるとしても、どこかに「犬は人が好き」なのだと断言できる部分があれば、それは犬は人に忠実だということの延長戦上にあります。
犬が人に忠実であったり、仁義を尽くしたり、信頼したいり、礼儀正しく振舞ったりできるのは、人がそれに値する人間であったりそうした態度で接しているときだけです。
人は常に我が身を振り返る必要がありそうです。
犬はそういう意味でも人にとって大切な存在だといえます。
自分を戒めてくれる動物などなかなかいません。
犬は人にとって貴重な動物なのです。