毎年この季節になると何人かの生徒さんからいただくシソジュース。
シソジュースの魅力は味だけではなくこの透明なピンク色です。
このピンクの色はなんだろう、幸せになる女子の色ですね。
恋する女性が身に着けそうな服や持ち物の色、ピンク。
花が動物を引き付ける色ですから色の効果は抜群です。
私は安全だから近付いて大丈夫よ、私はあなたを落ち着かせますよというメッセージに聞こえます。
それからすると犬の毛の色って地味色ですね。
基本的には茶色、黒、白であとは混ざっているだけです。
犬の毛色の目的はカモフラージュ。
山里という環境に溶け込み見つからないようにするための色です。
明らかに寄って来てくださいという色ではないのに、なぜか横暴に近づく人間たち。
色のメッセージもっとわかってよといいたくなってしまいます。
色が近づきにくいと知っているのか他人に近付いてほしい飼い主は自分の犬に洋服を着せます。
それもかなり可愛く動物らしく見えない服になります。
フリルとか、赤とか、ピンクとかですね。
可愛いを楽しむのもいいけれど、本来のメッセージがなくなっちゃうので適度に落ち着く色の服を選んであげてください。
あなたの犬にたくさんの人間が近づかなくても、あなたの犬は愛される権利をもっているしそれを実行していますから大丈夫です。
シソジュースですが、草刈り作業の後にいただくと体力を回復できます。
糖分とクエン酸で体が活性化するのかな。
福岡と比較すると圧倒的に涼しい七山ですが、なぜかシソジュースも福岡で飲むより七山で飲む方がおいしいのです。
Author Archives: miyatake
<日々のこと>今年もシソジュースをいただきました
<日々のこと>ヒグラシがなく夏の七山で「大丈夫」を知る犬
ヒグラシがなきはじめました。梅雨が明けたんですね。
ネットニュースで「九州地方の梅雨が明けました」などとわざわざ知らせてくれるのですが、ありがたいけど別にいいのになと思ってしまいます。
福岡では感じることのできなかったかすかな季節を巡る気配を感じられるようになったのは七山にいる時間が長くなってからです。
ある日の早朝一斉にヒグラシがはきはじめるときに梅雨が明けたと知るのです。
七山にきて初めての夏を迎えたときには、ヒグラシが一斉になくのを聞いてただただ当惑したものです。
昆虫が一斉に行動するって何事?異変、地変?と都会暮らしのバカさを爆発させていました。
昆虫が一斉に行動するひとつの理由は、一斉に孵化したときですね。
一体どうやったら365日のうちの1日しかないこの日を、しかもまだ一度も殻を破ってはいないのにわかるのだろうと今でも不思議でなりません。
外界の環境の変化を全身で受け取って行動をしているだけの昆虫ですが、脳がシンプルだからこそ行動もまたシンプルです。
犬も人に比較すると昆虫脳といわれる脳の辺縁系という部位が発達しています。
人よりも格段に環境を知る力があり、同時に環境に対して素直に反応してしまう動物です。
七山のお預かりクラスの目的のひとつは、犬の脳内に対して「大丈夫」を作り出していくことです。
過剰な環境や過剰な人の接し方、遺伝的な間違った情報の伝達によって犬の脳が「大変」を繰り返すようになってしまったら、この「大丈夫」のシグナルはなかなか出てこなくなってしまいます。
脳にたくさんの情報を詰め込みすぎると、本当に大切な「大丈夫」の情報がどこにいったかわからなくなってしまうのです。
このブログを書いている最中も今七山校のテラスで「大丈夫」を探している犬ちゃんがいます。
なかなか時間のかかる作業ですが私も犬も根気強く、ただそれしかありません。
ところが時間ってなかなかなくてですね。
みなさん忙しいです。超絶に忙しい。
なぜこんなに忙しいのかと思うほど忙しいのです。
シンプルに生きることはやはり永遠の課題になりそうですが、課題が永遠なわけありません。これはあくまで言い訳。
課題は乗り越えるためにあるのでしょうから永遠にはしないということです。
人がシンプルに生きると犬は幸せになる。多分そうなります。
<犬のこと>夏休みこども科学電話相談が始まりました
楽しみにしているラジオ番組「夏休みこども科学電話相談」が始まりました。
早速移動中に犬をテーマにした質問があり、思わずラジオのボリュームを上げました。
質問内容はこんなものでした。
夏休みの宿題でリコーダーの練習をしていると、飼っているシーズーがなくのだけど歌を歌っているのでしょうか。
先日「遠吠え」について書いたばかりだったので、先生がどのような答えをするのか楽しみに聞いていました。
質問に答えられた先生は旭山動物園にお勤めだった方でオオカミを例にあげながらの説明となりました。
そのシーズーはどのような口の形でないているのですか?という先生の質問に、相談者の小学生は口は閉じているような空いているようなと微妙な返事となりました。
遠吠えは独特の口の形と顔の上げ方をするので、行動の形からそれが遠吠えであることを確定されたかったのでしょう。
説明としては犬は大半がオオカミの血筋でできていてオオカミもよく仲間で遠吠えをすること。
そのシーズーもリコーダーの音がだれか犬の仲間が自分を呼んでいるのだと思い遠吠えをしているのだという風に説明されました。
思っているわけではないのでしょうが、小学生にはそのように説明することで理解されるでしょう。
遠吠えは思っていなくても出てしまう反応ですが、反応が出ること自体に注目したいということをこのブログでは提案しました。
そしてなんとその後に続く質問は「あくび」でした。
人があくびをしたら回りにいる人もつられてあくびをするのはなぜかという質問です。
この質問についてはまた別の先生がお答えになっていました。
あくびの仕組みについては科学的に十分に解明されていない、ただあくびをしたら回りの人があくびをするのは心の問題であると。
つまりあくびによって脳を開放させようとする行動が出たときに、それに共感するように回りの人もあくびをしてしまうのだということです。
小学校の低学年の生徒さんが質問したように記憶していますが、先生は「共感」ってわかりますか?と聞かれました。
小学生にはまだなじみのない言葉ですが、大人よりも子供の方がずっと共感性が高いのですから、言葉は知らなくともその行為は日常的に自分たちもやっていることだから理解はできます。
犬にもこのあくびの伝染という共感の作用があります。
そして遠吠えもひとつの共感行動にもなっているのです。
あくびのそれとは違いますが、同じような心が共感するという意味では同じ方向性です。
夏休みの間、このラジオ番組が楽しみです。
子どもたちの小さな疑問と鋭い視点と観察力、不思議に思う気持ち、どれも大切にしてほしいです。
<日々のこと>7月21日に迎えたグッドボーイハートの記念日
7月21日に知人から「設立記念日おめでとう!」のメッセージをいただきました。
自分で決めたことなのにうっかり忘れていたのですが、7月21日はグッドボーイハートの設立記念日になっています。
20年前のこの日、愛犬のオポがうちにやってきました。
このオポとの出会いによって、たくさんの変化が起こりました。
グッドボーイハートという学校を作ったこと
グッドボーイハートという学校を作ったのでたくさんの飼い主さんと犬たちと出会えたこと
オポといっしょに学びながら成長するチャンスをたくさんもらってきたこと
オポという犬を通してさらに学びが深まったこと
オポとの出会いによって七山との出会いを得られたこと
すべて感謝することばかりです。
すべてのはじまりは20年前の7月21日でした。
この日は本当に記念日なのです。
出会いはいろんなチャンスを広げてくれます。
人と人の出会い。そして人と犬の出会い。
みなさんもわが犬と出会ったことでたくさんの変化が生まれたと思います。
生活の変化、考え方の変化、価値観の変化、そして大きな自分というものの変化。
養老孟司さんが「自分が変わる」ことがすべてが変わることだといっていらしたのを思い出しました。
オポという犬の家族との出会いによって自分は大きく変化できました。
もちろん成長という変化です。
体は年齢と共に劣化しますし、心にも不安定さが付きまといます。
ただ魂は少しだけ成長したかなと思います。
ほんの少しですね。まだまだこれからです。
そのオポが亡くなった後も新しい出会いのチャンスをくれました。
オポだよというお知らせもいっぱいもらって、本当にわかりやすくてオポらしいです。
そして、さらにオポがくれた出会いのチャンスを新しい出会いの機会に広げるプランを今立てています。
実際には動き始めていますが、みなさんへのお知らせは少しあとになりそうです。
来月にはきっと、お知らせできるようにがんばります。

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<お知らせ>夏休みの山間学校の受付始まっています
夏休みが始まりました。
犬は暑いのはやっぱり苦手です。
夏は冷所で少しでも休息させたいと「夏休みのお預かり」ご予約が入っています。
来週から8月末にかけて、いろいろと犬ちゃんたちが出たり入ったりするので七山にいる時間が長くなりそうです。
お仕事への出張をかねて前後もあわせてお預かりとか、夏休みの帰省をかけてやはり前後に少し余裕をもってのお預かりというのもあります。
犬を大切にしてくださるグッドボーイハートの生徒さんたちだからこそ、暑い夏に連れまわすのは犬にとっては難しいこともよくわかってくださっているのでしょう。
七山は夕方少し西日が強まるだけで、朝晩の冷えくあいは下界(すみません福岡のことです)とは比較になりません。
まさに七山は雲の上にあがる上界なのです。
お預かりクラスを始めたのは、私がオポと暮らしていたときに犬の預かり先に苦労したためです。
結局いつもスタッフやらに泊まりに来てもらって勉強会へ出席していました。
だからオポが他界したあとは、飼い主さんが安心して預けられる場としてグッドボーイハート七山校を使いたいという思いがありました。
その安心な預かり場のグッドボーイハートの預かりは、その後さらにバージョンアップした預かりクラスとなって現在も成長中です。
ここまで犬のことを学んできたのに、まだまだ犬の観察や変化に興味のある自分が不思議でならないのですが、これは個性なのでしょうか。
個性は変わることがなく使いようよっては不便なこともあるし、さらに人様に迷惑をかけるとなると問題です。
だから自分はこの面倒な凝り性の個性を仕事として犬のことに使い果たすようにしています。
生徒さん方にとっては細かい、しつこい、面倒くさいと感じられることもあるとは思いますが、ある程度はスルーしていただき活用していただければうれしく存じます。
夏休みの山間学校ですが、できるだけ一対一で向き合う時間を作りたいので重なりが少なくなるようにとは思っています。
ご予約をご希望の方、お早目にご連絡ください。
<犬のこと>犬がお腹を見せているのはあなたに心を許しているからではありません
犬と人の関係に行き違いが生じるのは、日々のコミュニケーションの行き違いが原因です。
小さな行き違いがなんども重なり、やがて大きな亀裂となって関係を悪化させていきます。
ところが人の方は一方的で犬に対しては常に上から目線なので、行違っていることにすら気づくこともできません。
行違うコミュニケーションのひとつがコレです。
犬がお腹を見せてくるから私に心を許しているんですという飼い主の言葉。
これはかなり大きく行違っており、すぐに修正をする必要があります。
犬がお腹を見せることが自分を信頼しているからだという飼い主側の言い分としてはこうでしょう。
動物がお腹を見せるという行為をするのは無防備なこと
↓
私に対して無防備でいてくれる
↓
だから私のことを信頼してくれるのだと
一見正しい解釈のように見えるのですが少し違います。
では人に置き換えてみてください。
犬が前脚を上げてお腹を見せるという行為は、人なら両手をあげて腹部を見せるという行為と同等です。
人がだれかに対して両手をあげるのは、どんな状況下でしょうか。
私は無防備です。だから私に何もしないでくださいという降参を意味する行為です。
犬も同じように腹部を見せるのは降参しているのだととらえる人もいます。
こちらはある程度正しいとも言えます。
コミュニケーションは点ではなく線になっています。
犬の場合もこれは同じなので「降参したと見せかけて」というのはありがちだからです。
真の降参、降伏でなくても、腹部を見せることで相手をいっしゅん収めたり遠ざけたりする効果を持ちます。
ところが、前者の飼い主のように「犬が腹部を見せているのは私を信頼しているから」と思っている人々には腹部を見せる行為で距離をとることはできません。
なぜならこの部類の人々は犬が腹部を見せるとすぐに犬のお腹を触ってしまうからです。
腹部をさすると犬が喜ぶという人もいます。
この場合の犬が腹を見せる行為というのは、先ほどの降参とは多少意味合いが違います。
犬が腹部をみせてさすってもらう刺激は、犬が子犬のころに母犬に陰部をなめられて排泄物を出すことを促されていた刺激と同等です。
腹部をさすってうっとりするのは大半は子犬もしくは脳が子犬化している犬たちですが、かれらは飼い主に腹部をさすられる行為を母犬がお腹(ほんらいなら陰部周辺)をなめる行為と同じだと感じます。
犬の脳が幼稚化していなければこの刺激にうっとりすることはないのですが、なかなか成長できない子犬もしくは成犬であっても、お母さん犬がお腹をなめていると受け取りそれを要求してきます。
人とのかかわりや人の接し方によって犬のコミュニケーションは変化しますので、そのうちに犬はお腹をなでることを飼い主に要求するようになり、永遠の子犬へと変化していきます。
子犬化している犬はかわいいのだからいいではないか、むしろ成長してほしくないというのが人の本音かもしれません。
その人にとってはそれでいいのかもしれませんが、成長できない犬の立場にたつとどうでしょうか。
あなたも永遠の赤ちゃんでいたいでしょうか。
一生人の手を借りて甘えることしかできず、少しのことで興奮したり緊張したり不安になったりして不安定な時間を過ごしたいでしょうか。
親だったら子供の成長が何よりも楽しく生きがいだと感じるのですから、犬の親としても気持ちを引き締めてほしいのです。
成長して発達すること。
これは動物としての権利と義務です。
ペットである犬にもこれが与えられますように。
<犬のこと>犬がサイレンがなると遠吠えするのは何故なのか
お預かりクラスのときに七山で時報として流れる地域放送の音がなると遠吠えをする犬がいます。
つい先日も、福岡でお預かり中の犬ちゃんが散歩中で歩道を歩いているときに救急車が通行したので遠吠えをはじめてしまい、たくさんの通行者の中で注目を浴びてしまいました。
「うぉーん」というこの遠吠えを聞くとイヌはやっぱりオオカミなんだなとしみじみと思います。
サイレンなどの高い音で遠吠えをするのは、サイレンや放送の音が遠吠えの音程と似ているため共鳴してしまうからです。
共鳴するとは、特定の刺激に対して引き出された行動ということです。
遠吠えをしている犬が「サイレンがなったから自分も遠吠えしなくてはいけない」などと考えて行動しているわけではありません。
遠吠えという吠えは犬のDNAの中に入っており、必要であれば自動に引き出される仕組みになっています。
犬のコミュニケーションのすべてがこの引き出し式になっており、犬は教育を受けなくてもコミュニケーションを表現できるようになります。
教育は必要ないが、行動を引き出してくれる一定の刺激や相手がいないとコミュニケーションが起こらないのだということなのです。
遠吠えも同じように特定の刺激に対して反応する形で起こります。
特に犬がオオカミでいうところのアルファ=群れのリーダーではない場合は共鳴行動が多くなります。
オオカミの遠吠えで説明すると、はじめに遠吠えをするオオカミがいるわけでしてそのリーダーオオカミの遠吠えに続くように他のオオカミたちも遠吠えをします。
集団で遠吠えをする野生のオオカミの群れのコーラスは感動しますので一度ぜひ聞いてみてください。
ここまではかなり科学的に精査されて得られている情報です。
行動学の本やセミナーでもこのくらいのことは当たり前のこととして教えてくれます。
それで私の意見です。
ひとつの刺激に対する反応という学習のしくみは、似ている音には反応するけれど似ているけど少し違う音には反応しないという区別という学習も入ります。
この区別によってオオカミたちは自分の群れのオオカミの声には共鳴するけれど、他のオオカミの声には反応を示さないのだと考えています。
あくまで考えの範囲内ですがそうでないと自分の身が危険だからです。
オオカミを捕獲したいと考える人の中には、他のオオカミを連れてきて遠吠えさせてその遠吠えに反応するオオカミによって居場所をつきとめるかもしれません。
オオカミがそんなに愚劣とは思えず、こうしたシステムは洗練されていると私は考えています。
ではなぜ犬が必要のない遠吠えを毎日繰り返すのかということですが、自分の中でもまだ仮説の部分ですが使われていないコミュニケーションには錆がくるというのがひとつの考え方です。
犬という群れをはずれて単独で人と暮らすのようになった家庭犬たちが、長い間まともに使っていない遠吠えというコミュニケーションを適切に表現できない状態なのではないかということです。
もうひとつの仮説は、人と暮らす犬の中には本質的に孤独な犬もいるのではないかということです。
こう考えるのは、イヌとしてまだ犬の群れの中に生きている野犬や野良犬にはサイレンに反応して遠吠えをするような行動はありません。
ところがこうした野犬の子犬たちが家庭に入るとすぐに遠吠えをするようになります。
わりと幼少期からサイレンなどの音に反応する姿が見られます。
この姿を見ているときに、自分の帰るべき犬の群れを呼んでいるではないかと感じるのです。
家庭犬も深く結ばれた絆のグループの中に戻りたいという状態であるときに共鳴が起きやすいのではないかと。
犬はもうずいぶんと長い間、人という動物のそばで暮らしてきました。
最初は自分も犬としての群れをもちながら人とのかかわりを持っていたのですが、日本ではすでにほとんどの犬が人のグループの一員である家庭犬であることがなんと法律で義務付けられています。
人の作った法律なんか犬にとってはどうでもいいものですが、人社会に巻き込まれた犬ですからもはや逃れようもありません。
家庭犬として人と深い絆が結べるようになることを犬たちは望んでいるのでしょうが、人はますます犬のことを理解しなくなりつつあります。
犬は孤独になり遠吠えをしているのではないか、そう考えるときどんなに地道であっても犬を理解する機会を犬と暮らす人と持ち続けたいと願うのです。
<犬のこと>正しいサインボードで犬たちを守ろう!
日本では住宅が密集している地域型多く、庭のすぐ前を小学生や通行人が通るという環境も普通です。
私の住んでいる福岡地区もまさにそうした環境です。
庭に犬が出ているときに小学生が近づいてきて手を突っ込んだり、柵の前にじっとしてみていたりすることもあります。
犬はテリトリーの安定さに敏感なので、自分の姿を見つけられたりじっと見られたりするのは苦手なのです。
庭が広ければ自分で距離をとったり隠れるという行為もできますが、福岡の住宅地の庭となるとそういうわけにもいきません。
だったら相手を遠ざけるしかありません。
その方法のひとつが「犬がいることを知らせるサインボード」です。
以前おすすめのアイテムの記事でもサインボードについて紹介しました。
最近生徒さん宅でわかりやすいサインボードを見たので撮影させていただきました。
文章が英語なのでそれほど警告が厳しくもなく、でも絵面がすごいのでいかにも噛みつかれそうな感じがあってよいですね。
こんなサインボードがあれば犬のいる庭に近付くのは少し躊躇されるのではないでしょうか。
境界線をしいて距離を置くというのは自分の身を守ることでもあるし、相手に必要のない危害をくわえないということでもあります。
お互い様の社会だから、事前に教えておくというのが親切というものです。
来客や宅配が来てもたいして吠えない犬にとっても、テリトリーに他人が来るというのはドキドキするものです。
あえてサインボードで防御することなど簡単ですし、泥棒対策にもなります。
素敵なサインボード見つけたら教えてください。
<犬のこと>犬のとびつきというジャブを受け続ける飼い主
犬の絶対に止めさせて欲しい行動のひとつ、それが「とびつき行動」です。
止めさせてほしい理由はいたってシンプルなのですが、とびつき行動は興奮行動だからです。
犬が勝手に上下に飛び上がる行動も興奮行動ですが、もっと質の悪いのは飼い主に前脚を当てるようにしながらする飛びつきです。
場合によってはそのまま犬が体重を飼い主にかけたまま立ち上がっていることもあるのですがこちらも容認できません。
不安定な行動を飼い主が維持するという依存のスタイルだからです。
いろいろある飛びつきの中でも今日お伝えしたいとびつき行動は「ジャンプしながら前脚を飼い主に当てる」というとびつきのパターンです。
ジャンプしては飼い主に前脚を少しかけ、再びジャンプしては前脚を少しかけます。
そしてぐるっと部屋の中を走りながら助走をつけて間合いをみながら三度飼い主にジャンプします。
トレーニングクラスではよく見かける光景なので動画を撮りたい衝動に駆られるのですが、あまりにも質の悪い行動なのでネットで公開するには気が引けてしまい動画は動作確認をしたらすぐに削除しています。
似たような行動はネットでもよく見られるので探してみてください。
もしくは「うちの犬が同じことをしている」のであれば、日常的に確認できますね。
このとびつき行動は犬が興奮しているときに行う行動です。
このとびつきのパターンの場合は、興奮行動であるだけでなく攻撃行動にもなっています。
ほとんどの飼い主がこの行動をこのように説明します。
「遊んでといってとびついてくる」
「かまってほしいといってとびついてくる」
「こっちを見てといってとびついてくる」
さらに
「私のことが大好きだといってとびついてくる」
最後のコメントになるとさすがに我が子に盲目になっている飼い主のコトバになりますからみなさん自重しましょう。
これらの飼い主の行動分析ですが、全くずれているわけではありません。
要するに犬は「要求」をしているわけです。
遊べ、構え、こっちを見る、もしくはあっちへ行けとかいうことを聞けといった感じです。
犬側の要求ですが、要求するだけならわんわんで十分ではないかと思うのです。
飼い主に対するとびつき行動をするとなると、軽く体をつつきながらの要求ということになります。
軽く飼い主をつついて「金よこせ」
軽く飼い主をつついて「おやつよこせ」
軽く飼い主をつついて「俺を膝の上に乗せろ」
軽く飼い主をつついて「散歩につれてけ」
何か思い当たることはないでしょうか。
小型犬の飛びつく行動をかわいいと思う飼い主が多くこの説明が難しかったので、こういうとわかりやすいかと思いお伝えします。
犬の飛びつき行動でジャブ受けてますけど…隙だらけですよと。
男性なら多少なりとも格闘技に興味を持たれたことがあるでしょう。
ジャブを受け続ける自分というのが軽く想像できるらしく結構納得してもらえます。
飼い主が受け続けるこのジャブですが、当然のことながらKOへの道を歩いていますので場合によっては噛みつきになります。
普段から犬のとびつきというジャブを受け続け、犬の方は毎日繰り返しジャブをうってタイミングを見計らっているわけですから、かみつき行動に転じるのは何も不思議なことではありません。
飼い主が女性の場合には、このジャブは要求から甘えに転じるジャブに切り替わります。
甘えの対象となる飼い主を遠ざけてしまうのは依存に陥っている犬にとっては不利益なことです。
飼い主を有効活用して要求を通し続けるためのとびつきというジャブを使い続けるでしょう。
その犬のとびつき行動、結果として犬は不安定な状態だというお知らせなのです。
<クラス>梅雨の間でも今年は涼しく犬との山歩き
クラス紹介の写真がいつも山での風景になります。
受け持ちしているクラスの大半は家庭訪問トレーニングクラスですが、トレーニングクラスのときには行動を再確認するために動画を撮影するくらいで、写真を撮る機会がありません。
生徒さんたちのお写真はラインやメールで送っていただきときどきご紹介させていただきますが、そう度々お願いすることもできず。
写真が山と犬の風景に偏るもっと大切な理由は、山にいる犬の表情の変化をお伝えしたいからです。
犬の中には生涯を通してアスファルトや人工的な公園しかしらない犬もいるでしょう。
たまに自然の中に連れていかれても整備されたドッグランや平坦な土地、囲われた広場に開放されるくらいでしょうか。
山を歩くチャンスをもらえる犬は一握りしかいません。
最近では山どころか散歩にも出ていない犬が以外に多いことを知り驚いています。
20年前なら「散歩がうまくできないんです。」というトレーニングのご相談を受けることはもっと多かったのに、最近では「トイレができないんです。」というご相談の方が多いのも納得します。
山で過ごしている犬の表情は一度山に来たくらいではわかりません。
山という環境が犬の脳に働きかけて、犬の脳の中で何かが開き始めたときに犬の中に確固たる深い安心が生まれるような感じです。
それは私たち人間にも言えることです。
山に来て騒いだりバーベキューばかりしているとわからないことも、ただ山を背にして普通に過ごす時間を長くつくればつくるほど、自分はとても小さな存在に思えてきていろんなこともそんなに大したことではないように思えるようになります。
そんな人間の一部を感じることも、犬にとっては何か影響があるのかもしれません。
人はあまりにも犬に強くなりすぎました。
厳しい環境の中で管理監督しなければ動物が落ち着かなくなってしまったからでしょうが、根本的にいろいろと考えて変えていく勇気が求められていると思います。