グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬のストレスを機械で測定する必要性はあるのか?

2017年2月18日付けの共同通信の記事に「犬のストレス状態が心拍の変動から分かる手法を開発したと、大阪府立大の島村俊介准教授(獣医学)のチームが18日、発表した。」という記事がありました。

要は機材を犬に装着して心拍の変動を記録し、その数値からストレスの状態を知る手がかりを掴んだというらしいのですが、心拍を記録する機材は人用に開発されており同チームがつかんだのは、犬の心拍の変動と自律神経(交感神経と副交感神経)の変動を因果つけることで、心拍数から自律神経の動きをしり、そのことからストレスの高さを把握しようというものらしいのです。

率直な感想を述べると、犬と人の距離もここまで離れてしまったのだろうかという気持ちでした犬の心拍とストレスの関係性を研究されている大学の先生方の研究成果は、犬の病気の早期発見などに役立てられることになるのかも知れません。ただ、犬のストレスを数値で知ることに偏ってしまうことは、犬と人の距離を遠ざけてしまうことになりそうです。

同じ屋根の下に暮らしている家族を例にとりましょう。家族である子供の状態を気にかけているのは親の役割でもあり、子供を愛する気持ちから自然に生まれる共感の世界です。その子供のストレス値を機材を装着して数値で測ろうとするでしょうか。心拍数を数値で測り自律神経のバランスを測定することが可能だとしても、子供に対してそれを行おうという親はいないのではないでしょうか。共に生活をしていれば、その表情は言動からストレスをどの程度子供が抱えているかを完全には理解できなくとも、知りたいと思うのが親の気持ちではないでしょうか。

犬は人とは異なる種の動物です。その表情や言動は人のものとは異なり、感情の世界も人が持っているものとは異なります。その種の違う動物のコミュニケーションを読み取るのは一見すると難しいもののように思われがちで、逆に擬似化による読み違いというのも生じてしまいます。

だからこそ、犬の行動をよく観察したり行動について学んだりしながら、少しでも犬の状態からその気持ちを知りたいと努力してたくさんの時間を使うことになります。難しいものではないのですが、時間がかかることは確かです。ただ、これらの犬を理解するために必要な時間は、犬とのコミュニケーションや生活そのものであるため、どれだけ時間を使っても惜しいと思うことはありません。あーでもない、こーでもないと考えたり悩んだりして、いろんな現象や行動がつながって「あ、そうだ、こうかもしれない。」と確信に近づいてきたときなどはドキドキします。

この観察を続けて対話を楽しみながら犬を理解する過程の中で、犬という動物に対する共感性も育ってきます。前よりも一歩ずつ犬のことを知ることになり、犬が本当にすばらしい動物であると確信せざるを得ませんし、同時に人が犬に与えている大変強い影響についても目をそらさずに見る必要も迫られます。

この多くの時間から得られるものが、犬に装着した数値と同等であるとは思いません。犬のストレスについて知りたければ、犬に真剣に向き合いながら共に生きましょう。これはきれいごとではなく、地味で目立たず他人の評価を得ることもありません。そうであっても、犬とのつながりを心で感じる唯一の方法であると信じています。

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参考までに、ネット掲載された共同通信の記事はこちらからご覧いただけます。

共同通信記事「犬のストレスわかります。」

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今年はじめてのウグイスの声と犬たちの春山

春風の心地よく吹く季節に今年はじめてのウグイスのなき声を聞きました。
毎年耳にするこの声を聞くとやっぱり春が来たのだなと感じます。
山で季節の移り変わりを体感するようになって、季節というのは自分が思っているよりも早いのだということを感じられるようになりました。2月といえばまだ積雪もするし寒さも厳しいです。それでも2月の節分をすぎることになると、春になったなと感じるようになりました。

山の動物たちも活発に活動をはじめているようで、山歩きの犬の動きも少し変わってきます。地面に鼻をつけている時間がながくなったり、歩いている道からちょっとだけ脇のほうに臭いにいったりして動物の動きを調べています。

都心で長らく生活している犬たちにとって野生動物は自律した特別の存在です。ほとんどの犬は野生動物の臭いに対してビクビクしています。落ち着きなくウロウロと歩くようになったり、臭いを嗅ぎ続けることも恐れを抱いている証拠です。こうした落ち着きのない行動は興奮行動のひとつですが、興奮のレベルとしては「不穏」といったところでしょうか。読んで字のごとく穏やかさを失っている状態で、警戒心が高まり危機感を感じ始めている状態です。

このような行動を遊び行動と間違ってしまうことがよくあります。山に入るとウロウロとしていたり臭いに執着しはじめたり走り出そうとしたりするときは不穏な状態、これを越すと走り回り行動が始まり、わたしが言葉にするときには「きれ走り」という専門用語でもありませんが、切れて走り回る状態につながっていきます。これらは大変危険な興奮行動であるため、不穏がそれ以上の興奮にならないように興奮のレベルを落としていく必要があります。

犬を抑制するための方法としてみなさんはどんな方法を使われるでしょうか。トレーニングの中でとても多く見受けられるのは号令や合図といった特定の行動をさせる落ち着かせです。確かにこれも落ち着かせの働きがあり、オスワリマテやフセマテ、もしくはマテといった合図によって動いている行動を一旦止めることができます。言い方をかえれば合図をかけなければ行動が止まらない場合や状態もあります。

この合図をかけて落ち着かせることは、興奮している犬によって影響を受ける社会的対象(人や犬)がある場合には、他者の迷惑をかけないためにも必要な処置です。犬の生活空間は刺激が多い環境であることも多いため、ぜひ身につけていただきたい落ち着かせの方法であると思います。

即効性のあるこの合図による落ち着かせには欠点もあります。それは、落ち着くという犬に必要な状態の変化を犬自身が引き出すことができず人に依存しがちになるということです。犬はいつも人と離れていることはないのだから、常に人が落ち着かせればいいではないかという価値観もあると思いますが、犬の自律性を育てて犬として生きる時間を大切にして欲しいという立場に立つと、犬が自律的に落ち着きを取り戻す練習は合図による落ち着かせよりもずっと大切な成長のための練習です。

山歩きの中では合図による落ち着かせを使いません。環境を整えながら犬が自律的に落ち着いてくるのを待つことを学びます。待つといってもただじっとしているわけではありません。合図を使う場合には行動をゼロにしてしまう依存的な方法になりますが、本来の落ち着かせは行動のパターンをかえながら気持ちを安定させてくるものです。
たとえば、犬の落ち着かせ行動には次のようなものがあります。あくび、耳をふる、体をかく、身震いする、ゆっくりあるく、口をなめる、舌を出すなどです。これらの行動は犬が自らを落ち着かせていくための行動ですが、こうした行動を経てやっと本来の落ち着きにむかっていきます。この落ち着かせ練習は山歩きの環境ならではの練習で、こうした時間や環境を持てるということはとても貴重なです。

ゆっくりと山を歩いたあとは設置したばかりの薪ストーブの上でパンを焼いていただきました。同時に薪割りも少しお手伝いしていただきました。薪割りは身体の芯がゆがんでいると刃の入りが上手くいかずなかなかうまく割れません。身体のバランスはリードを持っているときの犬の行動に影響しますので、これもまた学びのひとつです。生活のどんなことも犬と関連付けていけるのですが、それは犬のためにというよりそうであることが自分にとっても心地よいものであるため、むしろ心身を健康にしてくれる犬に対して感謝の気持ちが生まれます。

寒さもあと少しです。薪ストーブももう少し活躍してくれそうです。

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犬の擬人化:動物の動画配信に思うこと

先日、知人からある動画を見せてもらいました。なんでも、大変人気のある動画で職場でも人気があるということでした。その動画は、動物たちの実写の動きに人の音声で会話をかぶせてある、よくあるパターンの動画でした。音声の内容がいろんな地域の方言を使われているということで、面白みがあって楽しめるといったことのようです。
その動画配信については個人の楽しみになるかどうかは価値観の違いがありますから、楽しいという方は趣味のひとつとされるでしょうし、関心がないとか不快だと思われる方は生活から遠ざけるということなのでしょう。

時代の流れの中でも、子供のころにテレビでみた名犬ラッシーやフランダースの犬、あらいぐまラスカル、ムーミンの中でてくる動物たちもそれぞれにある程度擬人化されたキャラクターでした。中には動物が人の言葉を話して会話するというファンタジーの世界のひとつとして、子供の世界を広げてくれて空想の中で遊ぶということを豊かにしてくれたもののひとつではありました。

動物をキャラクターとして表現することについては、製作の側にそれなりの目的をもって作られたもので人の成長や生活にとって確かに豊かさをもたらしてくれるものであれば価値を感じられます。アニメのキャラクターや、ぬいぐるみを来たご当地キャラが商業を高めるために貢献していることは間違いのない事実ですし、アニメといった2次元の空間やぬいぐるみという存在の中での動物のキャラクター化は人の楽しみ方のひとつとしてより良く活用していただきたいです。ただ、少し見方を変えればこれらも全て動物を擬人的に表現したものであるひとつの人の楽しみ方だと思います。

これとは別に動物を直接的に擬人化人して扱うという世界があります。この場合は、実際の動物の写真や画像に人の言葉を置き換えるように使われています。ネットが普及する前にもテレビ番組でこれらの手法はよく用いられ始めました。歴史的に見れば少しずつエスカレートしていますので、人の動物を使った楽しみ方が変化してきた人のつくった文化のひとつなのでしょう。たとえば、ソフトバンクホークスのお父さん犬のような扱いがキャラクターとして受け入れられるようになったのは時代の変化ではないでしょうか。50年前であればこうした扱いについては拒否反応が出ていたようなものが、この時代には「変わっている」「何かよくわからいないけど面白い」「ただかわいい」といった評価に代わり動物を面白おかしく取り扱う一定のルールはかなり不明確になってきています。

本当に怖いのはこれらの動物、特に身近な動物である犬に対する擬人化が実生活の中でも起きてしまうということです。家庭の中に生活する家庭犬や、知人が飼っている犬、街中ですれ違う犬に対して、テレビで扱われているような擬人的なキャラクターを当てはめようとする傾向が始まっています。犬の動画に音声やコメントがつけられていないような動画に説明が加えられたようなものの多くは、犬の行動を擬人的に見て説明をされています。その説明には「ではないか?」という疑問が付けられることもなく決定付けられています。赤ちゃんを助けようとした犬の動画とか、お風呂に入る前にお風呂の上で泳いでいる犬の動画などなど、きりがありません。

動画を配信した方に悪意はなく、ただ犬という動物を擬人化する見方しかできず、そこに愛情があるということを感じられることは確かです。そしてこれらの犬を擬人化した愛情にあふれる動画が、かわいい、犬が愛されているから幸せという風に笑顔で見ている方々もたくさんいることでしょう。その見方で、本当に犬は幸せになれるのでしょうか。幸せになっているのは、そうやって笑顔で見ている人側だけではないでしょうか。そこに、人が幸せだから人を幸せにしてくれる犬も幸せだという思い込みが存在していると思います。

動物の幸せがどこにあるのかというのはどこまでも議論する必要があります。まだ途中段階ではあると思います。ただどの時点でもずっと続いてきたことは、この犬という動物が本当に必要としていることは何かを考えるということです。その犬の必要性の中で、これは絶対だと思えるものがひとつあります。それはその犬にもっとも関わることになる飼い主という存在の犬に対する理解です。犬は人とは異なる種です。だから簡単に理解することはできません。一旦わかったと思ってもいや待てよ別の見方もできるかもしれないと何ども観察したり考えたりすることを積み重ねながら、少しずつその身近な犬について、犬という動物として、その犬という個体として理解を深めていくしかありません。動画ですれ違うだけの犬であっても「本当にそうなの?もっと別の見方もあるんじゃないかな。」とその犬について考えたり思ったりすることが、身近な犬への理解にもつながってきます。

冒頭に述べた動物の動画配信の音声は悪ふざけのコメントのようなものばかりでした。その動画を見て不快感を覚えてしまうほどです。ファンタジーは境界線を越えるとどこかで実生活に影響を及ぼします。目の前に生命のある生き物がいます。犬、猫、鳥、野生動物、虫たちなど、ファンタジーを繰り広げなくてもわたしたちをワクワクさせてくれる存在がたくさんいます。これらの命ある生き物と同じ空間で生きていることをお互いを知るという行為を通して楽しめる方が増えることを願っています。

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雪の日の犬たちのお預かりクラス

今年2回目の積雪です。今回は長い。前回のが降り積もらなかったというならば、今日はしっかりと積もりました。最高ではないけれど、柵の上に10センチ以上、地面には20センチ程度の積雪ですから積雪といえるレベルの降り方です。そして、現時点でもまだ降り続けています。

今季2回あった積雪ですが、そのどちらもが犬たちの預かりクラスのために七山校にとどまることになりました。顔見知りの2頭の犬といっしょに山篭りしています。

昨日の朝は積もった雪がアイスバーンになってしまい、庭でもすべりそうなゴチゴチの地面になっていました。犬も滑りやすく動きもゆっくりになります。ふんわりした積雪とは違って足裏の冷たさも相当のものなのか、すぐに部屋にはいってきました。

今朝はふんわりで真っ白の雪のじゅうたんですが、その下には昨日凍ったアイスバーンが。
やはりゆっくりとすすみますが、さすがに少し興奮してきたようです。

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若い犬なら走り回るところですが、さすがに年をとると興奮度もそれほどではなく、緊張すると一旦大人しくなるというところですね。こういう時は、室内に入ったらとたんに興奮することがあります。落ち着かせはどんなときにも有効ですが、自分で自分を落ち着かせることのできる自律した犬は少なくなりました。かといって、放置しておけば興奮は増すばかりです。人の管理による環境制限や特定の合図などで落ち着かせるしかありません。

動物は生物ではありません。よく活動するようにできています。動きながら調べる、動きながら学習し経験し、動きながら活動することを生きるというのでしょう。人も動物ですが、他の動物とは少し動きが異なります。人は他の動物と比較すると圧倒的に大脳皮質を発達させた動物です。人のいう活動というのは、体を動かさずに大脳を動かすことを含みます。そういう意味では人も犬と同じようにいつも活動しています。

テレビを見ている、ゲームをしている、スマホをみている、ipodで音楽を聴いている、パソコンで文字を打っているなど、常に大脳を活動させています。

犬は体を活動させ環境を探索する動物であったはずですが、室内での生活では活動することを制限されています。人がテレビをみていても犬はテレビをみないしゲームもしません。妄想もしないし、音楽をかけていても人のように聴いているわけではありません。屋外で暮らす犬たちもつながれたままなので活動できず、犬という動物にストレスがたまっていくのも当然のことです。

家の中や限られた場所で犬を動かそうとすれば、柵の中でするスポーツや犬とおどるダンス、室内で芸やトリックを教えるといった事しかできません。こうした特定の動きは犬の本来の活動ではありませんが、一定のエネルギーを消耗してくれるので犬はすぐに疲れて寝てしまいます。私も以前はクラスの中でトリックの教え方などの練習をしていたこともあります。ですが今は積極的にはしません。

なぜかというと、犬が生きていく中でする権利のある本当に必要なことを取り上げておいて、人の都合にあわせて消耗させてしまうのはやはり不公平だと感じるからです。犬本来の活動をする学習の機会を犬に与えるなら、都心で生活する飼い主さんは多大な時間と労力を必要とすることでしょう。飼い主さんが自分の生活が忙しくどうしてもそれは無理だと感じられるなら、限られた人の作った空間の中で犬を人の号令によって活動させることで他の世界を教えないというのも仕方なしとして受け入れます。飼い主さんの価値観はそれぞれですし、必要な世話をする人には犬を飼う権利は与えられています。

この考えとは別に、犬と暮らし犬を愛する全ての人に対して、犬が本当に必要としている「犬の欲求」を知っていただきたいのです。その上で自分にできることを考え、できないことはできないとして切り捨てていただいて構いません。ただ犬が旅立ってしまってから「犬のことを知らなかった」という残念な気持ちを抱いてほしくないのです。どのような飼い主さんにも犬のことを知る権利があると思って伝えているのはそうした思いから発しています。

長い間自然から遠ざかっていた犬や知らない場所に連れてこられた犬は、最初はなかなか環境になじまず落ち着かず、自然に探索することもできません。人に行動や自分を守ることすら依存していますので、行動に自律性がなく不安定になるのは当然のことです。車椅子に乗っているクララにハイジが立って歩くことを促したようなものです。クララは車椅子から立ちあがろうとしても怖がり何ども車椅子に逃げ帰ってしまいます。クララの家庭教師は「かわいそうに」とクララをかばいますが、やがてクララは本当に自分の脚で立ちたいと思い、そしてその自律をハイジやその仲間と自然が見守り続けます。

自然にはじめて接した犬を見ると、まるで車椅子のクララをみているような思いです。そして、犬が汚れることを不快に思ったり、かわいそうにと思う飼い主の存在中では、犬の自律行動を促すことは無理なので、飼い主さんができる範囲内にとどめたほうがいいと思います。

犬の飼い主といっても、現代ではいろんな飼い方や暮らし方があるのだなと思います。
犬にとってどれが幸せかと考えるなら、自分だったらとまず考えてください。どれが正しくでどれが間違っているということもありません。ただいえるとすれば、その犬が中身から輝いているときにはドキドキするほど美しいものだということです。難しい、わからないという方は犬の瞳の輝きを見てください。人と同じく瞳の輝きは幸せの基準です。



dav

Posted in クラスのこと, 犬のこと

犬を見る眼、思い込みがつくる「歩けない」という事実

今までにいろんな犬のことについてご相談を受けた内容の中には、明らかに思い込みによって犬の行動を制限してしまうということがいくつもありました。犬の行動に制限がかかることや犬が拒否していることのすべてが飼い主の思い込みだということではありません。ただ、ビックリするような思い込みによる制限というのは、本当にあるのだなという事実をご紹介します。

以前、盲導犬育成施設のパピーウォーカー指導を担当していたことがあります。パピーウォーカー制度についてはずい分とメディアでも紹介されていますのでご存知の方も多いでしょう。パピーウォーカーは盲導犬育成団体が繁殖をしたり盲導犬候補生として準備した生後2ヶ月齢ほどの子犬を、1歳くらいまで家庭の中で育てていただくボランティアのことをいいます。

パピーウォーカーのご家庭には必要な条件がありますので、申込後も書類の審査や家庭訪問での環境チェックなどを経て一定の条件をクリアされた方にお願いすることになります。子犬を預けるときには、子犬飼育規定がありますのでその内容に沿って育てていただき、私が担当していた当時は月に1回の家庭訪問もしくは講習会を開催して、勉強を重ねていただいていました。子犬育てについての質問は随時受け付けしていますが、家庭訪問や講習会の際には指導員が子犬の成長が順調かどうか、身体的な面から社会的な発達も含めてチェックが行われます。

この講習会のときにパピーウォーカーさんのおひとりから相談を受けました。
「自宅の家の前から道路に出るまでに2メートルくらいのわずかにスロープがあります。そのスロープを歩くことができないので、いつも抱っこして道路に出し、帰りも抱っこしてスロープを越えています。問題ではないでしょうか。」とのことでした。
家庭訪問をしていますのでお家周辺の状況は頭の中に入っています。確かに家の前に2歩くらいで渡れるスロープがありました。地面はコンクリートで安定はあり特に問題のない環境でした。

犬は確かにコンクリートなどの固い路面の坂道があまり得意ではありません。子犬はバランスが悪いため、脚に力が入ってしまいます。固い路面では指先や爪を地面に食い込ませるストッパーが働きにくいため、子犬は坂道になるとひっぱりが強くなったりストレスにより拾い喰いをしたり地面を臭いながら歩くような行動をすることもあります。

このスロープを全く歩けないとなると確かに問題です。

ちょうど講習会を開催していた場所の外側に、車が通行する道がスロープになって作られていました。
昔はビデオみたいな機器はありませんでしたらから、実際に歩かない行動を見せてもらうために、試しにこのスロープを使ってみましょうということになったのです。

子犬をつれたパピーウォーカーさんがスロープ近くまで平面の地面を歩いていきます。いざスロープにさしかかると子犬は全く動かずパピーウォーカーさんはリードいっぱいまで離れて呼びますがそれでも動きません。
今度は下り坂ではどうだろうと子犬をスロープの途中まで抱き上げて移動させてもらい、そこから下りのスロープを歩いてもらいますがやはり子犬は動きません。

ところが見ていると子犬は動こうとして動けないという行動を全くとっていないのです。
パピーウォーカーがスロープにさしかかると止まり、そして歩こうとチャレンジもしないのでバランスを崩すこともありません。これは歩けないのではなく歩かないだけではないのかな、という疑問でした。
それでリードを持つことを私に代わっていただき、子犬にいっしょに歩くことを促しました。

すでに結果はおわかりでしょうが、スロープを普通に歩行します。上りも普通に歩き、下りも普通にいっしょに歩いて下りてきます。途中で方向を変えることも可能です。
もちろん、見ていたパピーウォーカーさんはビックリです。私がどんな魔法を使ったのかと思ったでしょうが、私は特別に何もしていません。

「歩きますね。」といって再びパピーウォーカーさんにリードを渡しました。
子犬は何事もなかったかのように(子犬にとっては何事もなかったのでしょうが)、パピーウォーカーさんとスロープを歩いていました。そのときのパピーウォーカーさんは本当にビックリしたという表情でした。

おそらくですが、最初はスロープに多少抵抗を示したのでしょう。リードをつけての歩行になれていないのに、テリトリーを離れる緊張や、坂道というなれない場所であるという事実はあります。そこでパピーウォーカーさんがその場所を抱っこするという処置を行ったため、子犬にとってはここは抱っこする場所という風に学習した可能性があります。さらにパピーウォーカーさんの方には、このパピーはスロープを歩けないという思い込みモードにはまってしまい、どこかで犬に制限をかけた可能性も十分にあります。

犬の世話をしている飼い主やパピーウォーカーが、犬ができないと思っていることが実は普通にできたりすることだという事実はたくさんあるのです。ハウストレーニング中に、ハウスには絶対に入らないし入れると暴れるといわれて連れてこられた小型犬を、私がハウスに入ることを促したあとは、全く吠えずに静かにしていて、その後は自宅でも車でも入り口を閉めても落ち着いていられるようになったという例もありました。

思い込みという世界は、犬を見る眼だけではないと思います。
他にももっとたくさんの思い込みで自分を制限したり、周りを制限していることがあるのかもしれません。犬にできないことを期待するのはエゴですが、犬ができることを最初から認めないことも犬への信頼を損うことです。

犬への思いが強すぎて思い込みが激しくなる、そういうときはどこかで犬がやりたくないことを楽しんでいると思い込むことも起きてしまいます。犬の行動は真実です。行動をしっかりと見ることができるようにこれからも勉強します。



dav






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子供に犬のリードを持たせてはいけない理由

子供に犬のリードを持たせたことによって事故が発生した話を、偶然にもおふたりの方から聞きました。
街中で最近ずい分と増えた危険な行動だなと思っていた矢先だったので、ブログで取り上げたいと思います。

ひとつは生徒さんがラジオで聴いたそうです。パーソナリティが歩いているときに、子供にリードを持たれた大型犬が近づいてきて太ももを咬まれたという話でした。ずい分痛かったようで少しパニックになられたようです。救急車を呼びたいけど番号を思い出せないというような話だったそうです。子供が何才だったのか、犬がどのくらいのサイズであったのかは不明ですが、太ももに咬みつかれたのであれば、中型犬以上のサイズの犬だったのでしょう。咬まれたご本人は怖い思いをされたことでしょう。

もうひとつの話は、幼稚園の年齢の子供さんに小型犬のリードを持たせて歩いていたところ、庭先につながれている日本犬がいて小型犬がかみつかれたという知人の知人の実話でした。庭先につながれているその庭に少し立ち入ったのでしょうね。幼稚園生の飼い主さんはそばにいたようです。小型犬は12歳以上の老犬とのことでした。リードの引っ張りもなかったから小さな子供さんにリードを持たせたのかもしれませんが、4歳の幼児にはできない仕事です。

子供に犬のリードを持たせるべできはないと思います。法律での規制はありませんが、子供ができないことはさせないというのはあまりにも当たり前のことだと思うのです。
何才になったらリードを持ってもいいのかといわれても年齢で区切ることはできません。
一定のラインを設けるならこのように個人的な意見を提案します。

犬のリードを持ってもいいのは、中学生以上の自制のできる大人として成長した人であることです。
中学生であっても親に頼りがちな生活になりやすいため、何かあったときには対応できません。
ですから、中学生になったら親が見ている範囲内でリードをもって散歩にいく練習をするという程度に考えています。
さらに付け加えると、体重が15キロ以上の中型犬については、18歳を過ぎてからと考えます。

おそらくみなさんが考えているよりもずっと年齢が高いと思われるでしょう。
これにはいろんな犬の習性から見る行動学的な意味を含みます。

犬にとっての散歩はただのリラックス運動ではないからです。犬にとっての散歩はもっと大きな意味を持ちます。

散歩はイヌの群れ行動です。

生活圏のテリトリーに最も近い緊張すべき場所を見回りしながら歩くという行動です。
小さくなりすぎた小型犬たちは見回り行動はしていないかもしれませんが、多くの犬が散歩中に他の犬の臭いをとりたがったり、多くのメス犬がオス犬と同様に脚を上げて排尿するようになっていることを見ると、犬たちのなわばり主張は一昔前よりもずっと厳しいものになっているように感じます。
犬は散歩を楽しんでいるということよりも、犬たちにとっての散歩は社会活動の必須であるところが多く、その分緊張も高いのです。この緊張感の高い散歩の時にリードを持っている人は、まさに犬をリードする人です。犬は拘束されており自由行動ができません。リードを持っている人を信頼していなければ、散歩は緊張の連続になってしまいます。リードを持つべき人は犬の緊張や興奮を上手に抑制する力を持つ、家族の中での親的な存在です。

この理由だけでもリードを「誰が」持つべきなのかは限られてきます。お父さん、お母さん、社会人のお兄ちゃん、お姉ちゃん、体力と知覚の衰えのないおじいちゃん、おばあちゃんといったところでしょうか。ご家族の中で、誰がリードをもって散歩に行くかによって犬の散歩中の行動が変化するのであれば、それはまさに犬と家族ひとりひとりの関係の表れです。たとえば、室内ではしょっちゅうオヤツをくれるお父さんにべったりなのに、いざ散歩に連れ出すと人や他の犬に興奮したり吠えたりするという状態であれば、その人と犬の関係は信頼関係とはいえません。行動はすべて犬からのメッセージですが、散歩の時の犬の行動を家族毎にチェックしてみるのも、犬を理解するきっかけになるかもしれません。

リードで拘束された状態で歩かなければいけない犬が信頼関係を築けていない人に連れられて歩いた場合には、環境に適応する力を伸ばす社会化がなかなか発達できず、年齢を追うごとに散歩嫌いになったり、散歩中に興奮するようになってしまいます。

ここまでは犬の立場の方から子供がリードを持ってはいけない理由を述べました。

逆に子供の立場から考えてみましょう。
犬のサイズが大きければ、子供がリードをひっぱられて事故にあう可能性を考えるため、犬のリードを持たせない親(=飼い主)はいるでしょう。犬のリードのひっぱりによる危険性は、普段はリードを引かずに歩くことのできる犬でも、犬が刺激に対して突発的に起こす行動の可能性、つまり危険性を最大限に見積もるとより慎重な判断が必要になります。

では、体重の軽い小型犬のリードなら危険がないから子供に持たせてもいいと思うのでしょうか。実際、小型犬のリードを持って散歩している子供が多いことからも、飼い主さんは子供の危険性を考えて小型犬なら引っ張られることがないから大丈夫という気持ちで、子供にリードを持たせてしまうのかもしれません。
中には、子供に動物と関わり情緒を育てる動物愛護の教育の一環として、積極的に子供にリードを持たせる親もいるのかもしれません。残念ながら、この教育は子供の情緒を育てる教育にはなりません。なぜなら、情緒とは環境に接して湧き上がる喜びや悲しみといった豊かな感情のことを指すのだと認識しています。その感情のさまざまは、人や自分に近い存在である動物との共感性と共に育まれるべきだと思うからです。
子供にリードを持たれた犬の表情や行動をよく観察してください。緊張感や恐怖に溢れ、興奮している犬もいます。ストレスで落ちているものを口にいれてしまう犬も多いでしょう。右に左にとリードをひっぱって逃走しようとしている犬の姿も見たことがあります。これらの犬の精神的なストレスを、親である飼い主も共感していないのに子供に動物との共感が生まれるのだろうかと疑問を感じます。

子供が豊かな情緒を生み出す動物との関わりは、その動物が動物としての本来の習性的な行動を発達したり発揮することができ、基本的な欲求を満足して成長していくその安定した動物の精神との関わりなのではないでしょうか。そして、この動物の健全は精神の発達はイヌからすると環境の乏しいこの都市空間で実現させるのは、本当に困難なことだと感じています。

子供達がこれ以上動物の心と離れてしまわないためには、動物たちと距離をとって触りたいという欲求を抑えて、自分が本当に知るまで、考え観察して待つことだと思うのです。昔は砂場遊びのときにはゲンゴロウが出てきたりしていました。遊び場の中にいつも生き物や動物がいて、それらと距離をとりながらでも毎日毎日たくさんのある子供時間を使って、動物との関わりを深めていったのではないでしょうか。その時間と空間が今の子どもたちにはありません。だからといって、手っ取り早そうだけど明らかに違っている動物との関わりを情緒教育として取り入れることには疑問を感じます。

子供達の豊かな未来に、動物との本当の共感の世界ができることを願って止みません。

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犬のこと話そう<大田こぞうさん編>第1回:録音ファイル付

このブログでときどき音声ファイルをアップすることにしました。
文章を読むのが苦手な方や忙しくてなかなか時間がないけど、どこかで突破口を開きたい方は家事をしながら、お仕事をしながらBGMとして聞いていただければと思っています。

ひとりで録音してみましたがどうもしっくりいきません。やっぱりボケとツッコミに分かれた方が分かりやすいよねと思い、大田こぞうさんにヘルプを出して録音してみました。遠慮してマイクを私よりにおいてしまい、私の声のほうが大田さんよりずっと大きくなってしまいましたので少し聴きにくいところもありますことご了承ください。

話の内容は、犬のことを知ることがどういうことなのか、自分たちがどういう思いで今ここで犬と向き合っているのかということの極一部です。セミナーや講演会のような身のあるものではありませんが、みなさんの犬との暮らしにとって何かのヒントになれば、そして犬と暮らしていない方にとっては犬とのつきあい方ヒントみたいなものを受け取っていただければと思います。

番組向けに話しておらず、グッドボーイハートブログ責任の録音で編集なしの日常のおしゃべりです。
大田こぞうファンの皆さんには、大田こぞうさんの犬への気持ち全開のエネルギーを受け取っていただけるでしょう。宮武をご存知の方にはいつもとおりで変わり栄えはありませんが、ご存知ない方には、こんな風なのねと思っていただければと思います。話の相手が大田こぞうさんですから、いつもより少しだけテンションは高めですね。


犬のこと話そう:大田こぞうさん編、第1回



録音の日には先に大田さんの方から「月下虫音(げっかちゅうね)用の録音させてください!」と切り出されてしまい、私も録音したかったのよ、とそれぞれに録音することになりました。
番組用に録音されたものは今月のどこかの日曜日に放送されるそうです。決まったらブログでご案内します。



また、大田さんに過去のブログ記事の朗読アップをすすめられました。得意でありませんが、自分の言葉なので近々チャレンジしてみます。




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馬語の本に見る犬語

先日知人が尋ねてきたときに「この本いただいたんです。見てみてください。」と置いていかれた本が「馬語の本」でした。

著者はライターの方で馬の専門家ではありません。普通の人が馬と接して感じたことや、自分なりに動物を観察してその行動から馬の気持ちをしようというもので、犬の気持ちを犬語といっているのと全く同じとらえ方だったので、楽しく拝読しました。

犬は動物を捕らえて食べる捕食動物といわれる部類であるのに対し、馬の方は食べられる方の草食動物です。あきらかにそれぞれの立場は違うものの、馬も犬と同じように群れをなして移動したり生活をする習性があるため、その社会的な行動には多くの共通点があるようです。

たとえば、馬が後ろ脚で蹴るという行動をしますね。犬などの動物に襲われそうになったときも馬の後ろ脚で蹴られるとひとたまりもありません。馬の防御的攻撃行動ともいえるものですが、直接的に攻撃しなくても馬は苛立ちを感じたり強さを示すときに後ろ脚で地面を蹴る行動をするらしいです。

実は犬も後ろ脚で地面を蹴る行動をします。よく見られるのは排泄の直後ですが、排泄行動との関連性がなくても、地面を脚で蹴る行動をすることがあります。直接的には自分の臭いを地面につけるマーキング行動のひとつになっていますが、馬と同じようにちょっと虚勢を張る行動でもあることから、似てるなと感じたのです。

他にも耳の動かし方などは似ています。特に緊張をする耳を後ろに倒したりする社会的な行動は犬にも見られます。

一番納得がしたのは、人が馬に近づく方法です。
馬が人を認識したら馬が近づいて人のことを危険でないと感じるまでは、視線や姿勢を馬のほうに向かずほとんどうごかずに直視せずにたっておくというものでした。文章のままではありませんが、行動としてはこのような接し方です。そしてゆっくりと相手が自分を認知し、危険でないと受け入れてから次のコミュニケーションが始まるというものです。

この接し方は馬が大変怖がりで、距離を縮めたり接近したりしないようにという注意を払うものですが、あれほど大きな馬に対してでもこうやってゆっくりと接していく必要があるのに、小さな子犬や犬に対してであれば、なおさらのこと距離と時間をかけて相手が自分を確かめるまで待ち、認知が進まないのであればくり返しそのチャンスを与えるという時間をかけなければなりません。特に子犬や小型犬に急に近づいて手を出して触ったり見つめたり声をかけたりすることをくり返していると、犬はすぐに人に対して吠えたり、来客が来ると興奮してとびついたり走り回ったりするようになってしまいます。

そして、最後に犬のことにふれてありましたがこの部分だけは私は違う見方です。
本の中にはこうありました。

引用ココから
ウマにとっての人間は「積極的に自分から仲良くなりたい存在」ではないからです。ウマは仲間と草を食べて暮らしてゆければ幸せです。そういう環境にいられるのなら、人間は特に必要ありません。

もちろん、おいしいものをくれるとか、かゆいところを掻いてくれるからという理由で人間に近づいてくることはあります。でも、それは、犬が人間のことを大好きで、ずっとそばにいたいと思っているのとはちょっと違います。ウマはもっと淡々としていう、という感じでしょうか。

ココまで
・馬語手帖 河田桟 発行所カディブックスより

本当に犬は人間のことが大好きでずっとそばにいたいと思っているでしょうか。
みなさんはどう思うでしょうか。

私は少し違う考えを持っています。
犬と人は特別な歴史を持って近づいていきました。犬は人を求め、結果人も犬を求めそして共に同じテリトリーを守りながら協力関係を結んできたのでしょう。ですが、人が犬を飼うという新しい関係が生まれました。そして現在に至るのです。

犬は繁殖によりとても無力で学習能力も低くなってきました。執着も高く欲求の偏りも大きくなっています。同時に病気も大変増えていますね。犬は馬と同じようにもっと淡々としていたのでしょうが、時代と共にその姿は消えていきそうになっています。

ある動物を研究する方の著作には、馬についてこんな風に触れていました。馬は世界でもっとも過酷な運命をたどった動物である。なぜなら野生の馬というのはもう1頭も存在しないからだということでした。牛であれ豚であれ、その元の動物は存在しているし、世界の中には人に飼われていない野犬はまだまだたくさんいます。動物の人の関与も動物の淘汰の歴史のひとつでしょうから仕方のないことかもしれません。しかし、人というのは短い時間で環境に影響を与える特別な動物だと感じます。自分の近くにいる動物が変わってきたら何かのお知らせです。今一番変化しているのは実は野生動物ではなく、犬と猫ではないかと思っています。みなさんはどう感じているでしょうか。

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犬のヒゲを切らないで。犬のヒゲの役割を知ってますか?

プロジェクターの調子があまりよくないので、博多駅近くの家電ストアまで商品チェックに出かけました。その家電ストアで目に付いたのが、お父さん犬というキャラクターの広告の特大ポスターです。
お父さん犬はあくまでキャラクターです。ポスター画には手をいれて処理をしているのだと思ってひとつのキャラクターとしてみてはいるのですが、その犬の顔がどうしても不自然すぎて注目してしまいました。ポスターの近くまでいってよく確認したのですが、不自然な顔の周辺、やっぱりないです。大切な犬のヒゲがない。

キャラクターからヒゲを取り去ってしまうのは、ヒゲがかわいくないと感じる人がいるからなのでしょうか。(キティちゃんのヒゲはかわいいですね。)不思議に思いお父さん犬の画像の方を見るとやはりヒゲがありません。トリミングのときにカットしてしまうのでしょう。

トイプードルやコッカースパニエルなどの縮毛タイプの毛質の場合には、口周りの毛も短くカットしてしまうためヒゲだけを残すことはできません。しかし、お父さん犬のような短毛種の場合には、毛をカットする必要はないのでヒゲは切る必要はないのです。でも多くの犬たちがヒゲをカットされています。子犬のころからトリミングに通っている小型犬の飼い主さんの中には、犬にヒゲがあることを知らない方もいるのです。

昔からよくあるはなしに「猫のヒゲを切ると走れなくなる」をいうことをご存知ではないでしょうか?実際、猫にとっても犬にとっても、ヒゲのある動物にとってヒゲがなくてはならないことは言うまでもありません。

ヒゲは昆虫でいう触覚です。犬のヒゲは猫と同じように犬のヒゲは犬の顔部分を守っています。犬は前進する際に最も先になるのが鼻先のついた顔部分です。顔には大半の感覚器官がついているため、環境をできるだけ早く把握できる反面、移動のときにぶつかる可能性もあり傷つくことを防御する必要ああります。犬のヒゲは周囲にあるものをいち早くキャッチするため、犬は顔に怪我を負う可能性が低くなります。

犬は夜間でも活動します。家庭犬は夜にうろつくことはないでしょうが、犬が庭に排泄に出たときでも、犬の特別な眼と強力な鼻の力で環境を把握して行動し、そして鼻を近づけるときにはヒゲが障害物を感知して教えてくれます。

犬のヒゲは風の流れを感知しているようです。室内ではあまり動かない犬のヒゲが屋外ではよく動いているのがわかります。周囲の環境を把握すると同時に、風の流れを感知しているのではないかと思われるような動きをしています。環境を把握することは、動物が安全に行動するために大切なことです。犬のヒゲはまだ今でも使われています。

残念なことにあまり使われずに飾り物になっているようなヒゲもみられます。そういうヒゲは動きません。ヒゲは顔にくっついたり離れたりしてかなり動きます。でも、飾りのヒゲはハリがなく動かず、縮れたようになっていることもあります。人為的な繁殖はこんなに小さなところまで変化させているのです。

犬のヒゲは犬が安心して生きていくために必要で大切な役割を果たしてくれます。
だから、犬のヒゲを切らないでください。

なによりも、犬のヒゲはとても素敵だしチャーミングです。


人は女性にはヒゲがありませんが男性にはヒゲがあります。そのヒゲがどのような役割を果たしているのかはわかりませんが、四つ脚の動物とは動きが違うので必要がなくなるはずが、狩りに出て森や林、藪の中で働く男性にとって顔周りのヒゲがもしかしたら顔を守る役にたっているのかもしれませんね。



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吠える犬にならない、犬との接し方

子犬は生後5ヶ月くらいまでは、人や他の犬に対して警戒吠えや攻撃的な吠えが出ません。
個体差がありますが、生後5ヶ月~6ヶ月くらいにかけて乳歯が永久歯(おとなの歯)にかわるころから、成犬としての行動を示し始めるようになります。

子犬は自分でテリトリーを守ることができません。テリトリーを守っているのは、群れの中でその役割を担っているものです。人から離れた場所で子犬が生まれた場合は、親犬が外に出ているときに子犬は巣穴周辺で遊んではいませんが、他者=外敵の気配を察知するとすぐに巣穴に戻ってじっとしています。声を出すこともありません。これが他者に対する犬の習性行動です。

人の家の敷地の中で飼育される場合には、飼い主の食事の世話やテリトリーの管理によって、飼い主を自分の群れの一部と位置づけます。飼い主に譲り受けられるまでに、子犬がどのような環境で育てられたかによって、子犬を迎えた飼い主に対する行動は犬によって違うものになります。

ここでは子犬の性質の違いについてのべませんが、子犬の多くは飼い主である家族について自分の世話人としてなつきながらも、子犬が親犬に食べ物をねだる要求行動としてとびついたり鼻をならしたりする行動をすぐに始めます。同時に、子犬は成長とともに成犬として群れの一員となるための服従行動を示しはじめるようになります。
そして、子犬の多くは飼い主の仲間である来客に対しても最初は好奇心をもって近づいていきます。好奇心は子犬が調べるという探索行動や、馴れる、承認するという認知行動につながりそれが全体として子犬の社会性を育てる機会となります。来客に対しては子犬が調べるという行動をすることや、自分に直接的な害を及ぼさないと認知させることが重要です。

子犬の社会的発達を低下させてしまう人の接し方は、子犬が来客を調べる行動をする前に、子犬に話しかけたり撫でたり抱っこしたり食べ物を与える行動によって子犬の認知する脳が働く時間を奪ってしまうことです。子犬は混乱し、興奮して飛びついたり、逃げたり、走り回ったりするでしょう。もしくは、人に抱き上げられて無力的になり(子犬は考えることをすぐにやめます)抱っこされたまま寝てしまうこともあります。
撫でられて腹部を見せて横になったりすることも同じです。腹部を見せることは犬の服従行動でもあるので、犬が喜んでいるとかお腹をさすってほしいと勘違いされることの多い行動です。腹部を見せる行動についてはまた、続きのブログで説明します。

犬のことをよく理解している飼い主たちが私の周囲にもたくさんいます。生徒さんもそうですが、犬に関わる仕事をしている専門家が知人としても多いため、犬との接し方に一定のルールをもっていることがわかります。またそうした犬の飼い主たちは、自分の犬を正しく接してくれる人にしか会わせたくないと思っています。犬に余計なストレスを与えなくないですし、子犬期であれば子犬の社会性に影響があるためなおさらのことです。彼らは犬にいきなり手を出したりはしません。子犬がゆっくりと臭いを嗅ぎ終わるまでまち、飼い主同士での交流を主体にして子犬の立ち居地を教えていきます。その過程はとてもゆっくりしたものです。

子犬を飼育する環境によっては、飼い主の判断とは別に他人が子犬に接する機会がでてしまうことがあります。玄関先につないでひなたぼっこをさせようとするそのすぐ前が通路だとすると、通行人はかわいい子犬に声をかけたり、触ったり、時には抱き上げたりオヤツを与えたりします。子犬は興奮したり、時には腹部を見せて横になってしまうこともあります。抵抗しても抱きあげられとグッタリと大人しくなるものです。環境を変えることができないときには無抵抗になる、これが子犬の生きる術でもあるからです。
でも、こうやって子犬に認知を進めずに他の人に対して警戒したり興奮したりする行動を続けていると、子犬が1歳を過ぎることには通行人の全てに吠えるようになります。吠えるようになったときにはもう遅いのです。子犬が安心して過ごせるように、通行人が入らないような柵の設置をしたり、犬に接するときの注意事項の用紙をお渡しして周囲への理解を促します。

先日もある飼い主さんのご家庭で同じようなことがありました。上記のような通路そばの子犬に通行人が触ったり抱き上げたりすることを、飼い主さんが喜んで報告されました。かわいがっていただくといううれしい気持ちなのだと思いますが、これは可愛がりではなく甘やかしであり、犬の立場にたった育てる姿勢ではありません。愛情だけでは犬は育てられないのです。
環境整備と犬との接し方の説明を行ったところ、よく理解してすぐに環境整備をしてくださいました。
次のレッスンのときには、立入禁止のポールが置かれ、犬小屋の外から見えるところに「犬との接し方」のプリントを貼ってくださっていました。

子犬は、飼い主さんが自分の環境を整えていることを、自分を理解しようとしていることをすぐに理解してそして、環境の中で安心して学習を進めていきます。学習とは飼い主が設定した時間の訓練のことではなく、自ら環境の中で学ぶ社会化のことをいい、これが子犬の精神的基盤になります。
犬が他人に吠えるようになったことを、他人のせいにしてはいけません。子犬は飼い主が準備した環境の中で学ぶのです。

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