グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬のコミュニケーションを読み解く鍵:犬語セミナー開催しました

週末に犬語セミナーを開催しました。
犬語セミナーは犬の動画をみながら犬のコミュニケーションについて学ぶクラスです。

犬語セミナーと聞くと「犬と話ができるようになるのか」といわれることがあります。
これは全く勘違いということでもありません。

コミュニケーションとは確かに対話です。
人側に伝えたいことがありそれを伝えようとする。
オスワリといったら犬が座るのもひとつのコミュニケーションです。

ですがコミュニケーションの本質というのは、まず相手の言う事を聞くにあると思うのです。
こちらの話を聞かないのに言いたいことばかりを伝えようとする。
犬と人も同じようになっているように思えます。

人は犬にこちらの都合を伝えようとする。
犬に食べ物の存在を知らせれば、犬は脇をすかされたように人の要求する行動をします。
ところが、本当に犬が伝えたいことは人に伝わりません。
人が犬のコミュニケーションを読み取る能力が不足していることと、その重要さを忘れてしまうことがあるからです。

犬が人に対するコミュニケーションをとるときと、犬が犬に対してコミュニケーションをしているときの違いをみると、その受け取り力の違いと犬と人の関係性の複雑さを感じます。
犬は人に対して過剰な表現をしたり、全く表現をしなくなったりしはじめています。


たとえば、人にはキュンキュンを鼻をならして後ろをつきまとい、すぐにとびついてきて、口や手をなめようとする行動をする犬が、他の犬に対しては逆毛を立てて吠え、うなり声をあげているとします。

多くの人はこの犬について「人が好きで犬のことが嫌い。自分のことを人だと思っているから。」と安易に評価してしまいます。評価というのは自分が用いている行動学分析での表現のことばのひとつです。評価は現在のその犬の内面の状態、その犬の本来の性質や行動のパターン、必要性について考える作業として行っています。

例にあげた犬の評価が「人が好きで犬が嫌い」という評価だとして、犬の理解と必要性につながったのか疑問を感じます。

上記の行動をビデオでみれば、もっとたくさんの行動を観察して拾い上げることができます。鼻をならす、人の後ろをついて回る、とびつきという行動だけでも十分な情報ですが、この行動の意味を「人が好き」と分析することは本来はできません。

なぜなら「好き嫌い」は感情レベルのことであり、その部分は人が立ち入ることができない遠いところにあるからです。そしてこの二つの感情レベルの話は、犬を理解する過程において見る目を曇らせてしまうものです。

犬の行動をコミュニケーションとして読み解くためには、まずこの「好き嫌い」という言葉を取り除いてみることをお勧めします。

さらにもうひとつ「かわいい」というのも取り除いてみてください。
これは人の感情ですが、この感情も犬の行動を見る作業では邪魔になってしまいます。

コミュニケーションのはじまりは、まずは相手のコミュニケーションを受け取ること。

犬の表現するコミュニケーションを受け取るとは、犬が要求することを受け取ることだけではなく、犬の表現するコミュニケーションのすべてを受け取るということです。

犬が要求行動ばかりをくり返しているときには、もっと大切なコミュニケーションをたくさん見逃したということです。ストレスがかかると要求が強くなるのは、動物として人にもおきますのでこの仕組みについては理解していただけるのではないでしょうか。

犬と暮らす方はみなさんそれぞれの形で犬を愛していると思います。
その中でもっとも深い愛は「相手(犬)を理解する」ことだと信じています。

また来月も犬語セミナーを通してみなさんと学ぶ機会を大切にします。
4月の福岡のクラスは16日日曜日 10時~12時です。
詳しくは電話もしくはお問い合わせフォームからご連絡ください。


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今回の犬語セミナーに、このブログを読んで犬の行動を学ぶことに関心を示し一歩を踏み出してくださった受講生がいました。

文章も構成もつたないブログを読んでくださる方に会うと素直にやりがいにつながります。
限られた時間で書いていますが、表面的なことだけにととまらず、これからもできるだけ深く伝えていきたいと思っています。気力によって文面には差が出てしまいますこともあわせてお伝えしておきます。

Posted in クラスのこと, 犬のこと

散歩が楽しく犬も安定:犬のリードを持つときの姿勢と歩行の注意点

犬の散歩をしている人を見ていると似たような行動が多くあります。

犬がリードを引っ張っているときは手を前に出した状態で歩いていること。
イメージとしては掃除機の枝が前に出ているような形です。

そして、多いのは手を振って歩いている人。
歩くときに両手を振って歩くのは一般的な歩き方なのですが、
実はこれが犬にとっては不都合なのです。

小型犬の場合は、手に持っているリードが頭の上でブランブランと揺れています。
ゆれるリードが気になり、怖がったりすることから、リードを引っ張ることもあります。
飼い主の横にいる犬の場合だけなので、気づかない方もいるようです。


中型犬や大型犬の場合も、せっかく犬が飼い主の近くを歩いているのに
リードがブラブラとゆれていることがあります。

リードを安定させるために、リードを持っているときの正しい手の動かし方は、
つまり、手を動かさないという姿勢と歩き方です。

歩くときに手を動かさないというとバランスが悪いと思うでしょうか。

実はこちらの方がバランスがとれます。

従来の手を動かすと腰をひねる歩き方となり、腰に負担がかかってしまいます。

手を動かさない歩き方はよく時代劇に出てきます。
武士が急いで歩くときに両手をそけい部に乗せた姿勢で歩いています。
江戸時代の絵図にはたくさん見られる「なんば歩き」という歩き方だそうです。

なんば歩きの基本姿勢は、捻らない、ためない、踏ん張らない形です。
右足を出すときは手を出さずに、右肩と右腰を出すので体の中心がずれません。

体の中心がずれないと力が抜けてバランスが取れるので、
犬が不安定でリードを引っ張るときにも、すぐに自分のバランスを取り戻すことができます。

簡単そうなのですがやってみるとなかなか難しいものです。
歩行は長い間の習慣なので、変えていくのは難しいのですね。

そこで、両手を腰部に沿わせるように固定させて歩くように練習します。
リードを安定して持っている方は、両手を振っていません。

犬にリードをつけて歩くことは、犬と人がバランスをいっしょにとることで実現します。

バランスをとって歩くことが犬との歩行の基本です。

なんば歩き、挑戦してみてください。


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クロモジの花が咲きました。






Posted in 犬のこと

犬のマーキング行動の変化:縄張りから一点張りへと主張する犬たち

昨日のブログで犬のマーキングによる排泄が、自分の縄張りを主張する行動になっていることについてお話しました。
あわせて、その縄張りによって本来回避すべき社会的な衝突が、逆に回避できずに混乱を生じていることについてもふれました。

散歩中にマーキング排泄をさせてしまうと、散歩中に出会った犬と吠えあいになったりするため、マーキングをさせないようにしているのはこうした理由からです。

排泄の臭いを嗅げばお互いの力関係はわかりそうなのですが、自分の力以上にテリトリーを主張しなければいけない理由は、犬の性質によるものではありません。
確かに犬の性質も影響はします。前に出やすい気質、引っ込み気味の犬ではその主張は異なります。前に出やすい犬は主張が強く、散歩中の排泄マーキングも増えることでしょう。ただ、そのことが問題だといって犬の性格にして解決しないのはどうかといいたいのです。

排泄マーキングをして自己を主張するほど力もない犬なのに、散歩中や庭でマーキング行動をする犬がいます。当然力のないもののマーキングですので、他の犬にはばれています。社会的には歓迎されない行動です。

これらの犬はマーキングをした場で他の犬と出会うと緊張を伴います。
弱い犬ですから吠えたり、リードを思いっきり引っ張ったりするでしょう。
2本脚で飛び上がって興奮する犬もいるようです。

これらの犬のしている排泄マーキングは、一点張りのようなものです。
一点張り。
辞書では、反抗的な、不服従の、わがままな、いうことを聞かない、服従しないという意味もあるようです。

ふたつの意味で一点張りといいたいマーキングです。

ひとつの意味では、飼い主がいないとできない人の居場所を利用したマーキングです。
わかりやすくいうと「うちの母ちゃんは世界一強いし、わたしはその母ちゃんのスペースを自分のものにしているのよ。」という世界観です。飼い主のひざが自分の居場所の犬、飼い主がいないと他の犬には向き合えないような犬は、この飼い主を利用した一点張りマーキングをします。
これらの飼い主がいないと他の人に依存して同じように使うこともありますが、依存先を失うととても大人しい犬になります。犬は他の犬を人のように依存させる関係を作りにくいため(生後1ヶ月半の子犬までが完全依存)、犬は遠ざけ依存できる人を求めています。そして人のスペースを拠点に一点張りをするという犬は、たいへん増えています。

ふたつ目の一点張りは、その意味のとおり「不服従」です。服従はしない、つまりどこにも所属はしていない、ただ人に依存しているということで成り立つ行動です。
所属をするとそのグループの安全が一番大切です。自分を主張することよりもグループが安全に生活できることの方が重要なのです。その結果自分も安全に生活できるということになります。自分を主張しすぎ力にない行動をするのは、グループを不安定にさせます。ところがそもそも服従していないのでその行動を引き出すことができません。

服従という言葉に違和感を覚える方もいるかもしれません。
くり返しいいますが、自ら服従するというのは安全なグループに所属するということで、自ずとその中での役割も決まってきます。弱い動物は守られることはあっても、自分の臭いで自己主張することは許されない行動です。
それぞれに己を知ってその役割の中で活躍でき、生きる場を与えられているのです。
そしてグループで安全に安心して暮らしていくことができるイヌ科動物がもつ、良いシステムです。

この服従性さえも犬から奪われてしまったのでしょうか。

犬を服従させる必要はありません。
犬は自然と服従するのです。ただ飼い主にその質があって、その表現ができれば十分です。
多少のできそこない親分でも多めに見てくれます。本当に犬は寛容だと思います。

一点張りの犬たちの不安定な行動が、グループ力によって改善されることを願います。

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犬のマーキングの理由:犬は尿と便で縄張りを主張する動物

イヌ科動物は臭いの世界に生きています。
犬が尿や便をする場所は犬のテリトリーと関連しています。
自分の排泄物の臭いをつけることで、自分の縄張り(テリトリー)を主張する習性を持ちます。

犬はイヌから人に飼われる犬となった今でも、この排泄行動によってなわばりを主張したり、自己主張したりする習性が根強く残っています。

ところで「縄張り」とは古くから犬の行動を表す言葉として使われてきました。

縄張りを辞書で調べるとこうあります。
・縄を張って境界を決めること

犬たちの排泄による縄張りの決め方を見ていると、まさに「臭いの縄」をはって境界線を決めているように見えます。80年前くらいまで日本では紐につながれることもなくにふらふらと生活していたときに犬を見ていた人々が「犬が縄張りをつくっている」と感じて表現するようになったのは、まさに的確な表現だといえます。

英語ではテリトリーといい本来は鳥の行動学者が用いた言葉ですが、犬についてもこの表現が行動学的には一番多いようです。日本語に訳すときは縄張りになっていますね。

犬が排泄行動で主張をする行動はマーキングといいます。
犬が他の、どのような形でも臭い付けをする場合はマーキングといいます。
排泄行動をマーキングというと、イメージするのは印をつけるという感じで縄張りをつくるというのでは少し印象が違います。

縄張りという言葉をもっと明確にしてみましょう。
さすがに自分が人として縄張りを主張しているのかといわれると否定したくなります。縄張りという言葉に勢力的な感じがしてしまうからでしょう。人が守っているのは自分の所有物である家と庭の境界線の中であって、散歩で移動する公共の場に縄張りをつくったりはしません。
人にとっての縄張りとは、まだ十分に自分の家になっていない空間で生活をしたり、ビジネス上のオレの島的なものが縄張りとして主張されるというイメージです。


犬は散歩で移動する際に熱心にマーキングによって縄張りをつくっていく犬がいます。
全ての犬ではありません。中には散歩中に全く排泄をしない犬もいるし、公園でしか排泄をしないという犬もいます。

犬にとっては家や庭が生活のテリトリーです。食べたり、寝たり、隠れたりする住処ですから、移動のときにするマーキングは他の目的を持ちます。

最大の目的はメス犬を確保するためのマーキングです。
オスのこの行動は大変強いためマーキングの回数も多いのですが、去勢手術をすると屋外マーキングの回数は激減することが多いのでホルモンによる行動だといえます。

ところが去勢手術をしている犬もメス犬も屋外マーキングをします。
排尿の脚の上げ方になると、高いものは遠くまで臭いを飛ばせるため有利です。
小さな犬も片脚をバレリーナのように上げて排尿を撒き散らす技を披露しているのをみかけることもあり、その意欲には頭が下がります。
メス犬もいまや半分くらいの犬が脚をあげて排尿しています。

なんとか自分の臭いを残そうと屋外マーキングをしている犬たちの目的は何でしょうか。
これは犬が社会的な動物であるということの表現方法でもあります。

移動の際に排泄でマーキングをすれば、自分がそこを通行して一定の縄張りを持っていることを他の犬に知らせることになります。
犬の場合にはテリトリーは重なりやすくなっているので、他の犬の臭いも嗅ぐことになります。


それが自分よりも優位な犬であるのか、もしくは弱い犬であるのかは犬たちにはすぐにわかるようです。たとえ高さで主張したとしても、やはり弱い犬の臭いは弱いようです。実際に嗅げないのでなんともいえませんが、犬たちの排泄の順番や行動を観察すると、排泄物を直接嗅がなくてもお互いの力加減というのはわかっているように思えます。

力というとすぐにケンカするためかと思われますが、そうではありません。

すべての動物は同種での攻撃性が高いのです。
犬は人よりも犬に対して攻撃したり逃げたりして、社会的な緊張が高いのです。

逆に考えるとだからこそ、同種間の攻撃をいかに回避してうまく生きていくかという術を見につける必要もあります。犬と犬の移動中のテリトリーが重なっていれば、緊張も高くなります。
回避するためには相手の情報をまず知っておき、自己主張が強くトラブルになりそうな場合にはその犬のテリトリーを歩きたがらないこともあるかもしれません。
安定したボス的な犬が近所の中にいたら、その存在を認めることでその地域は安定した犬の規律を持つ地域になるかもしれません。

脚を上げてする排尿がすべて自己主張というわけではないのです。社会的に安定した関係をもつ犬でも、同じ場所に排泄をします。
少し違いますがわかりやすい例でいうと、子犬はテリトリーを離れるということがほとんどありませんが、もしそうなった場合にはグループの管理犬の犬の排尿の後にしか排尿をしません。これは群れ全体を守る犬のルールです。
同じ理由での脚上げ排尿をしていることもあります。
同じような排尿なのでわかりにくいですが、前後の行動や管理犬の行動をみているとその違いも少しわかります。

といっても、数頭の犬の上にきちんと立てるような犬はあまりいません。
地域に1頭いたらいい程度でしたがこれは理にかなっています。
実際地域に1頭いたら十分なのでしょうが、今はそれ以上に少なくなっています。

犬の排泄マーキングがとても不安定になっている理由は他にもあります。
犬と犬は自由に行動しておらず、関係をつくることをも相手を認めることも苦手です。
自由行動ができず拘束され続ける生活が、犬のマーキングを異様にしているようにも感じます。

縄張りマーキングを重要視する犬は、生活のスペースである室内や庭の中心部では排泄行動をしません。犬によって個体差があり、中には室内は庭の中央で排泄をする犬もいます。

さらにテリトリーをつくる作業がくずれてきているからでしょうが、まれに屋外マーキングをするのに、室内でもマーキング排泄をする犬もいます。
屋外でも室内でもマーキングをするとなると不安定な行動です。
排泄行動以外の犬の行動をチェックするとその行動の意味もわかってきます。

犬の排泄行動は社会性を表現する方法でもあるため個体差があるのです。
だからこそ、排泄行動を通して犬を知る機会を得ることもできるということなのですが…。

別の理由でもマーキングは複雑化しています。つまり飼い主との関係性がマーキング行動を高める理由になっています。
この場合は縄張りというよりも一点張りです。これについては明日お話します。

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散歩の引っ張りを治す方法:犬の社会化としつけは環境を整えることが基本

犬の困った行動の相談の中でも「散歩中に引っ張るのを治したい」という相談はやはり多いです。

散歩の相談時にはこのような要望をされることもあります。
「他のことは全く問題がありません。散歩の引っ張りだけがよくなったらいいので簡単に治すことはできないでしょうか。」というものです。

結論からいうと、散歩中の引っ張りだけを治すために、散歩の練習だけをするトレーニングという方法を取り入れることはできません。もっと正確にいうなら、問題行動だけを封じてしまったら、犬が本当に必要としていることを与える機会を失ってしまいます。

散歩中の引っ張りだけを止めさせたければ、行動を矯正するような道具や方法を用いることになります。でも、それでは「散歩中の引っ張り」という行動で犬が表現している、本来の問題が解決されないままになってしまうからです。


散歩中に引っ張る行動が出ている犬は、室内などの散歩以外の環境でも問題となる行動が出ていることが多いです。

例えば、来客時に吠えるとか、庭の前を通行する人に吠えるとか。
他にも、とびつき行動やイタズラ行動が同時に起こっていることもあります。
留守中の行動や日常的な細かい行動チェックになると、もっと多くの犬のメッセージシグナルを見ることができるかもしれません。

犬の「どの行動」を飼い主が問題と捉えるかは、飼い主によってかなり違っていることがあります。なかには、来客への吠えとか、庭を通行する人に吠えることはあまり気にならないという方もいます。家具やじゅうたんをかじられるのは、あまり困っていないとか、犬だからテーブルにとびつくのは当たり前のことと思われていることもあります。

地域差はあるでしょうが、あまり人を自宅に招く習慣がなかったり、もしあったとしても気の知れた知人や親戚くらいなので、少し吠える程度は問題なしとされるのでしょう。室内での小さなイタズラは犬だから当たり前と見られることもあるようで、これらの行動は飼い主の関心を引かないこともあります。


散歩中の引っ張り行動をはじめとする、散歩中の様々な散歩が上手くいっていないのは、犬の環境への適応性が育っていない=犬の会性が十分に発達していない状態を知らせています。

社会性が十分に発達していないというのは、もっと単純な言葉でいうと「社会化していない」といことです。
社会化はしている、していないという白黒ではありません。こうした表現は誤解を招くかもしれませんが、社会化していないといった方が理解を得られると思いますのでここでは使わせていただきます。


犬の社会化はかなり誤解されて受け取られているようです。


社会化は散歩に出た外環境での学習だと思っていませんか?

そのように思うと、外に出て学習させることだけが社会化だと思ってしまいます。
たくさんの人に会わせるとか、たくさんの犬に会わせるとか、いろんな場所に連れていくというのは、社会化をすすめる方法ではありません。

散歩に出て、いろんな人や犬と出会う経験や、いろんな場所に出向く経験は社会化のチャンスではありますが、回数を重ねればいいというものではありません。
多くの人や犬に接触しすぎて、社会性が難しくなっている犬が増えてます。
飼い主が良かれと思ってやったことが、子犬のころには分からないのですが成犬になって思わぬ形で帰ってきます。
これはとても危険な方向です。


社会化の最も大切な部分が忘れ去られているように思えます。

どちらかという深く考えずにネットや本に書いてある犬のしつけや社会化のさせ方を実践されている方が多いようにも感じます。まず、書いてあることもよく考えてから実践されることをお勧めします。


以前はワクチン接種による拘束期間が長く、社会性の未発達の犬が増えて吠えや咬みつきの問題が非常に多くおきていました。
そのため、最近では以前よりも幼い年齢で散歩に出ることが推奨されるようになりました。体の健康も大切だけど、社会性の発達は犬の心と行動の両方に影響します。
その重要性が認められた結果ではあるでしょう。

幼い年齢から散歩に出たとしても、ただ散歩に連れ出すだけでは社会性は発達しないのです。

社会性を育てるために最も大切なのは、飼い主との生活環境です。
物理的な環境や接し方を含め、家庭が基盤になるのは人の子と同じです。

子供よりも難しいのは、犬が人でない種の異なる動物であるということです。

犬にとって必要な環境、接し方、コミュニケーションや過ごし方を理解することが
犬を、特に子犬を育てる上で何よりも大切なことです。

飼い主との関係性をつくることが社会化の基盤になります。
この部分がしっかりとしていれば、子犬の頃にパピーパーティに連れていく必要はありません。むしろこのことが、犬に対して興奮しやすい経験をさせてしまう場所になっていることも多いのです。

ところが子犬のころの社会化の経験学習が行動に出てくるまでには一年近くかかってしまいます。一歳近くになって急に散歩中に引っ張るようになったり、吠えたり、逃げたり、物に執着するようになったのは、急に性格が変わったからではありません。

今まで過ごした一年間の学習結果が、ちゃんと表現されているということです。

散歩中の引っ張り行動を改善したければ、散歩のやり方だけを変える対処法ではもったいないです。

せっかく犬が発している行動というメッセージを受け取り、ぜひ根本解決を目指してください。

人も犬も、どんなに小さなことであっても、環境を少しでも変えるというのはあまり得意ではありません。習慣になっているので、それを変えると落ち着かなくなるからです。
たとえばクレートの位置を移動させることすら違和感を覚えることがあるでしょう。


でも、前進したいという気持ちがあるなら、犬と共に安心できる暮らしを獲得したいという気持ちがあるなら、まずは一歩を踏み出してください。

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ゴールデンリトリバーによる子供の死亡事故について:もっと深く考えることで見えてくる犬の姿2

昨日のブログの続きです。

動物にとって重要な防衛行動をすることができない犬が、なぜ防衛行動することができにくい性質になってしまったのかという要因については、主に二つがあげられます。
ひとつめは、遺伝的な要因
ふたつめは、環境学習、経験学習による要因

ひとつめの遺伝的な要因は、人為的繁殖による影響が強いです。

昨日のブログでも説明したとおり、他者が近づいてくることに対する防衛行動は、吠える、唸る、ときには咬みつく行動に発展します。人が犬を愛玩として飼う場合には、人が犬を室内で飼育したり人の要求によって触ったり撫でたり抱きしめたり抱っこしたりすることに対して防衛をしない犬を必要とします。犬の愛玩化はこれらの人の接触を拒否せずに受け入れる犬を繁殖することにつながっています。

純血種の愛玩化された犬でも小型の場合には、吠えたり唸ったり咬みついたりする行動も、あまり問題視されません。
特定の人には依存して抱っこされる性質であることが多いため、家族には吠えるが自分には吠えないという状態であったり、そもそも犬が小さいので吠えることもあまり気にならないし、落ち着きなく行動しても抱っこしてしまえば大人しくなるからという理由もあるかもしれません。

愛玩犬でも大型犬の場合には抱きあげることができません。そのため活動性が低く防衛しない犬が、大人しく人が好きな犬と評価され繁殖されてしまいます。きちんと防衛できず居場所を獲得できない犬の中には過剰防衛が生じることがあります。その場合にも特定の飼い主には依存的にべったりとした行動をしますので、飼い主にとっては大人しく言う事をきく扱いやすい犬なのです。ただこれらの犬たちは外では手が終えないため次第に社会生活は縮小していき飼い主とだけの小さな社会になってしまいます。

過剰防衛にもいたらずただ防衛することもなく、居場所の獲得はできないけれど他者との距離感もないとなると、受け入れ先がある場合にはだれにでも接触したり体の一部に入ろうとします。脇の下、手の下、股の間など人間の空いているスペースに体を突っ込んでくる大型犬は依存傾向が強いといえるでしょう。
他にも、パーソナルスペースを持たず守ることのできない犬は、クレートからなかな出てこないとか、布団にもぐりこむ、コタツの中に入ってしまう、穴掘り行動をくり返すなどの行動をすることもあります。この場合は、過剰防衛ではなく過剰に隠れる行動をするようになるからです。

人の中にスペースを見出すと常に接触を求めます。座っていると接触するように寝る、人の座っている椅子に体をつけて寝る、手をかけてくる、触ってとせがむなどあらゆる方法で人のスペースの中に自分のスペースを確保しようとします。いわゆる分離不安状態です。これが拒否されれば、その辺に寝転んでしまいますが、かといって環境を十分に把握しているわけではありません。

見知らぬ物体が犬に近づいてきることで犬が警戒モードに入った場合、犬はスペースがあれば距離をとりながら対象を観察して情報を得ながら、さらに警戒をする必要があるかどうかを確かめます。警戒が溶けなければもっと距離をとるかもしくはクレートに入るなどの篭城作戦をとるでしょう。

クレートなどの逃げ場もなければ、吠える、唸るの防衛行動に転じます。
自分も逃げる体制をとりながら吠えるので葛藤した横とび行動をしながら吠えることもあるかもしれません。
それでも相手が後退せずに向かってくるときには、対象に歯を軽くあてる空咬みをします。逃げるタイミングを計るものなのでしっかりとは掴みません。そして相手がひるんだすきに逃げるのです。

しかし、逃げることもできないし防衛もできないとなると、犬はパニック行動を起こします。
突発的な攻撃に転じるため、少し強く咬みつく行動に至ったり、興奮して吠え続けたり、急に走り出したりすることもあります。

先ほど「見知らぬ物体」と書きました。赤ちゃんや子供が近づいてきたらそれは見知らぬ物体ではないのかと思われるでしょうか。
それは私たち人間にとって理解のできるものであり、犬が同じようにその対象を認識していると思ってしまうのは正しい犬への理解ではないと思います。

犬が対象を知るためには認知という「対象が何であるかを知る」という活動が必要です。
この必要な活動が生じないので認知も起こりにくいというわけです。

子犬の認知につながることについては、こちらのブログ記事を参考にしてください。
吠える犬にならない、犬との接し方

認知するためには対象を調べる必要があります。
調べるためには対象に近づいたり離れたりしながら、危険を回避しながら臭いをとる必要があります。犬の認知は臭いの世界で成り立っています。遠くから視覚的に見せるだけで認知していると思ってしまうのは人の誤解です。それは鼻の退化した人の視覚に中心をおいた認知の世界であって犬のものではありません。

行動ができない犬は認知力が低い傾向があります。近づいたり離れたりして距離感を保つことができないので、興奮して近づきすぎたり近づけなかったりしてしまうからです。特にその対象が動いている場合には、生物か非生物かの区別もついていないので、緊張感も高まります。

ハイハイをしているような赤ちゃんは明らかに人とは行動のパターンも違い、さらに子供は臭いも特別です。四つ足の動物のように受け取ってしまったり、例えば動く犬のオモチャを見せたときにも、そのオモチャに歯をあててしまうような行動をする犬はいるのです。

赤ちゃんに咬みつきが起きるとすぐに「犬が嫉妬した」という受け取り方をします。
嫉妬というのは感情的なレベルの話であって、動物の行動としての科学的分析にはかけています。
赤ちゃんへの咬みつき事故が犬の嫉妬として片付けられないことを願います。

認知に関して補足すると、最初に犬が人と会ったときに、その犬が自分に興奮してとびつくもしくはなかなか近づいて臭いをとろうとしない場合には、社会的にかなり緊張が高く認知力も育っていないことがわかります。こちらがじっとして立っていても、ついには臭いを取りに来ない犬も増えています。これは人に対して明らかに無力になりつつある犬の行動であり、生活環境や飼い主さんとの関係の影響を受けている結果です。

また、ここで間違えていただくないのは、犬が近づくものすべてに近づけていいというはなしではありません。特に認知力が育っていない子犬や成犬の場合には、対象に対していきなり近づいてしまうことがあります。好奇心だけでなく人との関係性が確立できていない場合には社会的ストッパーがかからないからです。もし野生の犬科動物であれば、子犬がストップをかけられないうちはあらたな環境に接する機会を制限しますし(たとえば猟や移動に同行させないなど)、他者が近づこうとしたら他者のほうに距離をとるように促すこともあるでしょう。こうした判断は種もことなり成長する環境も異なる人にはなかなか理解し難いものです。
とりあえず、認知をすすめる社会化は接触させることが大切なのではなく、環境制限と関係性が必須なのだということを考えてください。

というのは、社会化練習としてたくさんの人や犬に合わせた結果、社会性が確立できず興奮しやすい犬や、過剰防衛する犬になってしまうことがあるからです。犬のしつけやトレーニングが方向性を失うとこのようになってしまいます。

さて、この防衛できず居場所の獲得もできない犬に必要なのは、環境を十分に管理するということ、つまり犬が理解できないような刺激を与えないということ、そして何よりも大切なのは、犬自身がパーソナルスペースを確立して上手に距離を図る防衛力を発揮し、室内や庭環境であっても変化する環境に適応する本来の社会化を発達させるように飼い主が導くことです。

環境を管理することは物理的に可能でしょう。
来客に対する制限、新しいものに対する制限、クレートや境界をつくる物理的なものの利用。
まず最初はここからスタートするしかありません。

ただ、管理だけとなり行き過ぎてしまうと、結果として犬はほとんど監獄のような生活を強いられます。
動物の飼育には管理は必要ですが、家庭犬にはもっと大切なことがあります。

社会性を発達させる機会を得ることは、犬の生き方と過ごし方を決めます。
そして、その社会性の発達の機会は飼い主にゆだねられているというのは過言ではありません。



最後に、ネットに掲載される記事や、メディアで報道される内容を鵜呑みにしないようにすること、
このブログの内容もよく考える機会として使っていただき、各自が考えることが大切であるということを強く訴えます。

犬と人がより良い関係になるために、犬のことを考える時間がみなさんにとってより楽しい時間になりますように。




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Posted in 犬のこと

ゴールデンリトリバーによる子供の死亡事故について:もっと深く考えることで見えてくる犬の姿

先週、国内でゴールデンリトリバーが赤ちゃんに咬みつき死亡するという事故がありました。
亡くなった小さな命には哀悼の意を表します。
またご家族など関係のある方々の深い哀しみがいつか癒されることを願っています。

この事故についてたくさんの方にご質問やコメントをうけました。
犬と暮らす方もそうでない方も関心の深い事故だったのだと思うとともに、私たち人間がいかに犬のことに対する理解にかけているのかということを思い知らされることにもなりました。それは周囲の方のコメントだけでありません。メディアやネットで公開される内容のすべてを確認していませんが、現時点でその多くは科学的な分析にかけており感情的なレベルが先行しているように感じます。

この事故について直接的に解説をすることはできません。なぜなら、現場がどのような状況であるのか、犬がどのように飼育されていたのか、犬の個体の性質を得る情報など、正確な状況を知ることができないからです。ニュースで公開されている情報も正確なものであるかどうかはわかりません。

ただ、少しでもこうした不幸な事故が起きないようにするためには、ひとりひとりが「犬を動物として正しく理解すること」しかありません。

今日は似たようなケースや部分的な状況を上げることで、犬の行動の読み取り方や環境が犬に与える影響、現在の犬たちに起きている問題点についてお話ししていきます。
長くなりますので、分かるところから読み解いてみてください。

まず、ゴールデンリトリバーの咬みつき(咬傷)事故を聞いてもビックリするようなものではありません。ゴールデンリトリバーをふくめ周囲から「おとなしい犬」を思われている犬が赤ちゃんに咬みつく事故というのは実際にときどき起きています。

犬は犬種により行動の似たような特徴が見られます。
本来は犬を活動させる使役犬、競技犬、スポーツ犬としてヨーロッパを中心に純血種の繁殖が繁殖されたためで、現在では顔がかわいいとか変わっているという趣味の世界に入ってきていますがそれでも長い人為的繁殖のくりかえしによって根付いた特徴のある行動のパターンがあります。

ゴールデンリトリバーの主な性質は活動性が低く警戒吠えなども出にくく防衛が低いことが「飼いやすい」というのが一般的な評価です。補助犬や警察犬といった使役犬としてまれに活動していますが服従性はあまり高くないためその多くは家庭犬として飼われています。

ですが咬みつき事故など他の面においても個体としての犬について話す場合には、ゴールデンリトリバーがという説明にはなりません。なぜなら、個性は犬種の性質を超えるからです。
他の例になると、柴犬はすぐに咬みつくとか、ミニチュアダックスは吠えるという犬種と行動と直接的に結びつけて行動の評価を下してしまうのは犬種でした犬の個性をみない差別的行為になります。

周囲から「おとなしい犬」といわれ、人に吠えたことも咬み付いたこともない、いつもからだを触らせてくれるような犬がなぜ赤ちゃんに咬み付いたのかという風に考えてみます。

「この犬はおとなしいんです。」といわれる時、どこが大人しいといわれているのかわからないことがあります。大人しい犬といわれやすい犬は、吠えない、咬みつかない、とびつかない、走り回らないという感じでしょうか。もしくは「大人しくいつも抱っこされている犬」なのかもしれません。今回は大型犬に絞りたいので大人しい大型の犬ということにします。

大人しい犬といわれる犬は、活動量が少ないです。あまり動かないでじっとしていることが多かったり動くときもゆっくりであったりします。活動性が低い理由はふたつに分かれます。超大型犬では活動するのに血液が循環するのに一定の時間が必要になりゆっくりとした動きになります。通常の犬で活動性が低い犬の多くの犬が活動することができない犬になっています。

動物は動いて活動することで生命の維持をしています。活動する必要のあるときには常に活動します。そうしなければ死んでしまうからです。家庭犬は人から餌をもらい繁殖行動もしなくなり人為的繁殖により愛玩化が進んでいますので、活動をする必要がなくなり野生動物よりも活動性は低いなります。

それでも活動しなければいけない理由があるとすれば、その一番は防衛です。環境の変化を察知しその状況に応じて自分の身を守るために必要な行動をとります。その中には立ち上がる、唸る、吠えるという行動があります。もしくは戦えないと思うと逃げる行動にも転じます。これは動物の基本行動なので愛玩化した犬にもまだ残っていることが多いですし、動物としては正常な行動です。全ての動物は「闘争」と「逃走」を抑制しつつもうまく使いながら、全ての動物との距離を保っています。

これらのお互いの距離感があることは反対の側面からみれば自分の居場所を確保しているための重要な活動です。ところが愛玩化によりこれらの正当防衛できなくなってしまった犬は自分の居場所を確保することができません。
犬と犬の対面シーンで想像してください。ある犬が大人しい犬に近づきました。その大人しい犬は顔を背けたり下がることもなく、服従行動を見せることもなくじっと立ちすくみただハアハアと言っています。近づいてきた犬が自分のテリトリーを主張しているとしたら、闘争に制御のかかりに犬の場合には牙をあてる空咬み行動に発展することもあります。「なにもしていないのに咬みつかれた」という例です。しなければいけないことをしないとお互いの距離や関係性が保てないため、そのことが相手の咬みつきを引き出した例です。

これらの、自己防衛ができずにテリトリーもつくれず居場所を確立していない犬は、飼い主のスペースに依存します。飼い主がいないと落ち着かない、鼻をならす、ものを壊す。飼い主がいるとそばをついて回る、手をかける、撫でることを要求する、構うことを要求するなどの行動がでます。分離不安傾向のある犬なので分離不安に関する過去のブログ記事も参考にしてください。

ラジオ番組「月下虫音」で分離不安の話をしたこと

大型犬で分離不安傾向のある犬は飼い主にべったりとくっついてきたり、手の下、脇の下、またの間など体の一部に自分の顔を押し付けたり押し込んだりする行動を繰り返します。人が触っているとその人のスペースの中に入ることになるので、触られていると居場所ができるため落ち着いてきます。そのことが触られるのが好きな人好きの犬という勘違いをされる理由にもなります。好きなものには近づく、嫌いなものからは離れるのが行動のパターンなのでそう思うのも無理はありません。
ただ、関係性においては「好き嫌いは妄想の産物。」好きは一瞬で嫌いになることを経験されたことはないでしょうか。人と犬の関係の中には好き嫌いといった曖昧な表現は現状把握を曇らせます。

人の心理学のコトバを借りていえばパーソナルスペースを確保できない犬は人への接触が多くなり、人好きな犬と勘違いをされやすいという事実を認識します。


続きはまた明日。




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恐怖行動<おびえる犬>への接し方と依存と社会性の違いについて

犬を飼っていない友人と話をする機会を得ました。
友人が言うには彼女が知人宅を訪ねたときに、保護施設から迎えた小型犬を飼われているご主人が、犬をずっと抱っこして散歩にも行けないし奥さんが触ることもできないような状態だといのうです。ご主人がいうには犬は殴られるなど虐待を受けていたのだというのですが、友人は散歩も抱っこで常にビクビクとしているような犬にはしてあげられることはないのだろうかと感じていたらしいのです。

こうした「おびえる行動を示す犬」に対して少し誤解が生じ、その接し方が問題を難しくしていることがあります。

犬をペットショップで購入するという方法とは別に、保護施設などから引き取るという選択があります。少しずつですが動物保護施設や動物愛護団体などから、飼い主が飼えなくなった犬や心無いブリーダーが放棄した犬を家族として迎えてくださる方も増えているようです。こうした犬を保護施設から迎える選択が増えることを願っていますが、同時に注意しなければいけなこともあります。

今日は、施設に収容された犬を犬を保護施設から迎えた飼い主さんや一時預かり先のご家庭で、特に注意していただきたいことについてお話しします。

保護された犬の多くは「おびえる」行動を示すようになりやすいという事実があります。
この行動の要因について分析していきましょう。
「おびえる」行動を具体的に説明すると以下のようなものです。

震える
硬直する
尾を巻き込む
逃げる
隠れる
手をかけてくる
抱きついてくる
とびつく
体を接触させてくる
耳を倒す
小さく唸る
失禁する

犬がこのようなおびえ行動を表現しているのに接する飼い主さんに対して、犬がどのように行動しているのかを尋ねると、ほとんどの方が「「ビクビクしている」とか「怖がっている」という風に答えられます。冒頭の友人が接した飼い主さんも同じような感想を持っていたようです。

これらの行動の中には恐怖行動が含まれています。犬が恐怖を感じたときに表現するコミュニケーションの方法です。尾を巻き込む、失禁する、硬直する、震えるなどは動物病院ではよく見られる行動です。動物病院が悪いのではなく、犬という動物は何か独特の雰囲気を察知してしまうということなのでしょうが、動物病院で一度も処置を受けたことのない犬でもこのような恐怖行動を示すことがあります。これらの行動は恐怖行動であり犬が怖がっていると人が受け取るのは当然のことですしその表現方法についても誤解はありません。

上記にあげた行動リストをもう一度見てください。恐怖行動の他に少し違う傾向の行動も含まれています。
「逃げる」という行動は恐怖行動と同時に出現しますので、逃げる行動も恐怖行動と同じ扱いをうけやすいものです。上記の動物病院の例でも、診察台の上では震えたり硬直している犬が、診察台を下りると逃げようとする行動をすることがあります。犬は同じ状態ですが状況が変わると「逃げる」という行動に転じるということです。

リストには恐怖行動や闘争行動とは少し違う行動もあげています。例えば「抱きついてくる」「体を接触させてくる」という全く別の行動が入っているように見えます。恐怖行動を示している犬が、飼い主もしくは特定の人に対して表現している行動なので人はこれらの行動を「怖がっているのね、私に助けを求めている、かわいそうに」と犬を抱きしめたりさすったりしているのをよく見かけます。
この対応には大変問題があります。これらの接し方が犬に与える影響については、のちほど説明します。

これらの方向性の違う二つの行動は犬の同じ状態です。対象や事象によって反応が違うというだけで、犬の状態としては同じことになります。ひとつは「逃走行動」ひとつは「闘争行動」と、どちらも犬のストレスを表現する行動です。犬が環境から受ける刺激(音、ものの存在を知ること、対人、対犬などいろいろ)に対してストレスを表現います。犬はストレスを感じている状態であるということがわかります。

このストレス行動は犬の日常生活の中では見られるものですが、これらの行動が多発する状態になると犬は常にストレスにさらされていることになり、そのおびえるような行動も日常化していきます。

ここで重要な行動の見方の間違いについてあげます。
恐怖行動やストレス行動として表現される犬のおびえる行動を、怖がっている、ストレスを感じていると受け取ることは間違いのないことは前述しました。ただ、この犬の行動に犬の感情を重ね合わせるようにして対応してしまうと、犬の今後の行動はますます難しいものになってしまいます。具体的には問題のある犬への接し方としてあげた「怖がっているのね、かわいそうに」と犬を抱きしめたりさっすったりしてなだめる人の対応です。
これは犬を擬人化したことでおきてしまう対応です。すべての人が同じようにするかどうかは不確定ですが、怖がっている人がいたらさすってなだめてあげる傾向は人という動物には多少なりともあります。子供が怖がっていたら、かわいそうにと撫でたり抱きしめたりすることでしょう。

犬に対して接するときにはまず犬が人と同じような行動をしたとしても同じような感情を持っているかどうかはいつもグレーの状態でいてほしいものですが、もし同じ感情を持っていると断言される方がいたとしても特にそのこと自体は問題ありません。
問題なのは、こうしたなだめる接し方をされ続ける犬が、その後どのような社会性を身に付けていくのかという経験学習です。おびえている犬をさすったり抱きしめてなだめる人の話を聴くと、「人の愛情を知ればこの犬も心を開いてくれる、そして人が大好きになるに違いない」と思うことからそのような接し方をされているようです。
ところが現実はどうでしょうか。特に子犬のころからこのような接し方をされて成長した犬の社会的な行動について冷静に観察してみてください。
それらの犬たちは次のような行動をしていないでしょうか。

特定の人にはなついているが特定の人飛びついて甘える
特定の人抱っこをせがむ
その人がいないと落ち着かなくなる、鼻をならす

と特定の人には甘えるような依存的行動を見せ始める反面、他の人にはおびえや吠える(逃走もしくは闘争行動)をするようになり、周囲の物音にも敏感になり警戒吠えも高くなり、他の犬にも吠えたり逃げるなどの行動を示すようになります。
これは冒頭の友人があった飼い主であるご主人がいつも抱っこしているのに、奥さんにはなつかず部屋の中を逃げ回っている状態と同じです。

こうした状態にいたったときに犬になつかれたように思ってしまう特定の人(飼い主もしくは保護犬の預かり者)は、この犬は他人は信用しないけれど自分にだけ心を開いてくれる、小さいころに怖い思いをしたのだから他人を怖がるのも無理はない、といったいろんな理由をつけて、犬の社会性が発達しないことを正当化してしまいます。

実はこれは大きな勘違いです。
わかりやすくいえば、特定の人にはなついているけど他者には逃げたり攻撃したりする犬の社会性は発達していません。特定の人に対する行動は社会的に開かれ発達した社会性のある行動ではなく、依存的、執着的行動です。その人がいないと落ち着かなくなる、鼻を鳴らす、クレートから出てこないのに、その人が来るととびつく、接触してくる、膝にのる、手をかける、なめるなどが起きるのです。人に依存したり執着する行動は、人に対する社会性のある行動と間違えられることがあります。なぜなら、これらの依存行動を「わたしのことが好き」と勘違いしてしまうからです。

これって社会性が発達するという社会化じゃないの?じゃあ何が社会化なの?と思いますか。
人におびえている犬がいてその犬が特定の人との接触によりその人と社会的な関係を築いていき、その犬の社会化が少し発達してきたとします。実はその社会化は、他の社会的な経験を後押しするものになるのです。本当の社会化とは、ひとりの人に接して人に対する社会性が発達をすると、別の人に対する社会的行動にも変化を及ぼします。つまり別の人に接するときのおびえ行動が減っているという行動の変化を見ることができます。特定の人との関係がテリトリーを同じくするグループ内で行われたものであれば、周囲の物音や刺激にたいするおびえも減ってくるため、その犬の社会化の過程を十分に観察することが可能です。

依存や執着と社会化は違う。

社会性という発達についてもう少し客観的に見ていくと違った風景が見えてきます。

付け足しになりますが、保護犬がおびえを示すようになったのは、必ずもたたかれるなどの暴力による虐待を受けたわけではないことがあります。中には、元の飼い主のところで飼育放棄状態になり、ケイジから出されず満足な餌を与えられる事もない経験を経た犬もいます。。暴力的ではないのですが精神的ストレスを与える虐待であり、こうしたネグレクトという状態の方が多数発見されています。
また、そうした経験がなくとも、保護施設や愛護団体などで多数の犬を収容するような環境で成長した犬の一部はおびえを示すようになります。人がどのようにやさしく接しても、その収容施設という環境が犬に与える影響が強いため、犬はストレス過多となるからです。動物の収容施設といってハード面でストレスをできるだけかけないようにと建設された施設は国内でもごくわずかしかありません。新しく建設された動物保護施設を見学したときも、せっかく莫大な資金を投入して施設を作ったのになぜこのような構造なのだろうかと疑問を感じることばかりです。資金のない施設では工夫を凝らして環境整備を行っています。それでも、社会化の確立していない子犬がそのような多頭を飼育する施設に収容されれば、必ず影響を受けてしまいます。
子犬、特に生後4ヶ月齢までの犬に必要なのは社会性を発達させる家庭的環境です。

保護犬を迎えられた方でおびえのある犬の社会性について真剣に取り組みたい方は、ぜひ犬の行動を観察して行動から犬の状態を理解することを身につけその犬の社会性の発達についてサポートをしていただくことを提案します。

※ブログの更新について→長文の行動学に関するブログを理解していただくためには数回くり返し読んでいただく必要がありますので、翌日のブログは写真のみ、もしくはお休みさせていただくことがありますのでご了承ください。
ブログをご覧になって何か疑問が生まれたりもう少し犬の行動学について学んでみたいと思われた方はぜひ「犬語セミナー」や「カウンセリングクラス」をご利用ください。

mde

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犬の認知:環境把握が犬の行動に与える影響について

都心で車を運転中にヒヤリとしました。
車線の多い大通りを通行中に車の前をカラスが低空飛行で横切ったのです。
その瞬間、自分の感覚ではギリギリでカラスとの衝突を避けられたと感じました。実際のところはカラスの方に余裕があったでしょう。カラスは歩道の他のカラスが先に見つけて食事にありついていた場に着地したのです。カラスの方は私や他の車が移動していてその速度も予測した上で、自分が車にぶつからずにその餌場に到着することを計算した上でのことだったのでしょう。
こうした野生動物の周囲の環境を把握した上での行動に接すると、人の環境把握のレベルはそれほど高くないように思ってしまいます。

環境把握というのは、自分の周囲を取り巻いている環境を把握するということです。これは動物にとってはとても重要な認知の作業です。私たちは生活している空間の中にある物体その他の環境を把握しているから行動をすることができます。屋外環境は刻々と変化しています。その変化する環境を予測することも環境把握に含まれます。

先のカラスと車の接近にしてもそうです。私もカラスもお互いに変化する環境を把握しながら移動していました。私は車を運転しながら前後左右の車や歩行者や信号が青から赤に変わることのすべてを予測して運転をしています。急に人が車の目の前に飛び出してくるようなことがあったらすぐにブレーキを踏む必要があります。運転席から見える範囲内の動いているもので自分の車に接近する恐れのあるものには注意を払っていたのです。ところが右上空からいきなり車の前にあわられたカラスを把握することができませんでした。本当はいきなりではなく右上から左下へと降下して来たのですが、その速度が非常に速いため自分にとっては突然目の前にあわられたように感じ対応に遅れてビックリしたのです。

カラスは毎日車の移動を観察していますので、車を環境の因子のひとつとしてとらえ、それが自分の行動を妨げるものになるかという計算を自然に行ってしまうわけです。車がカラスを捕食する動物ではなく、いきなり咬みついて来ないことも知っています。当然、都心は自然環境よりも移動しているものが多いため環境の中で自分の行動に影響を及ぼすものを認知していくことは大変なことのように思うのですが、逆に隠れた場所からいきなり現れない限りは上空から行動の範囲内である街を見下ろすカラスにとっては対したことではないのかもしれません。中には年をとって認知や行動が不安定になってしまったり、性質的に能力が十分に発達できないカラスもいるでしょう。そのようなカラスは事故にあってしまうのでしょうが、それでもこれだけたくさんのカラスが街中にいるのに道路で轢かれているカラスがほとんどいないのですから、その環境把握力は対したものです。

環境把握は全ての動物が生きていく上で重要な能力であるはずですが、この環境を把握する力の落ちている犬たちが増えてきているような気がしています。

環境把握は室内でも必要です。まず、部屋の間取りを覚えていたり、どのものがどこにおいてあるかを覚えていたりするものです。しかし年齢によっては物忘れが生じます。「あのポストカードどこに置いたかな?」などと、保管したはずのものをどこに片付けたのか忘れてしまうことがあります。それがしばらく使っていないものであれば問題ありませんが、よく使うものについていつも置いてある場所を忘れてしまうようになると、そろそろ自分の認知にも疑問を持つ必要が生じます。

室内での環境把握はほとんどが非生物であり動くことがありません。室内環境は屋外環境のようには変化しないのです。テラスでアイスクリームを食べているときには上空のトンビがそのご馳走をさらっていくことを予測しておくことは環境把握のひとつになりますが、室内でアイスクリームを食べていても何もおきません。
時に、室内に動くオブジェのようなものが登場したときにも、その物体が生物ではなく非生物であるという認知力があれば、そのオブジェにおびえる必要はありません。ところが犬の中には、クリスマスツリーに吠え続ける犬もいます。ツリーに吊り下げているオブジェが少し揺れようものなら大騒ぎになったりするのです。扇風機のヘッド部分が回ることに吠える犬もいます。こうした非生物の取扱いについては、そのうちに非生物であることを認知できるようになり、次第に吠えなくなるという時間の経過による学習が進みます。ところがまたよくシーズンになるとその学習は消え去り同じように吠えるという行動が出てしまいこともあるのです。これは極小数の犬の反応ですが、こうした傾向は少しずつ強まっているようです。

犬にとって屋外環境が室内環境と大きく異なるのは、臭いがほとんど一定であることです。室内でする強い臭いといえば、食べ物の臭い、アロマなどの臭い、洗剤の臭いくらいでしょうか。特に洗剤の強い香のものを使ってある場合は、室内はほとんど洗剤の臭いに満たされています。新しい臭いといえば、外出した人が洋服につけてくる臭いくらいなので、臭いの量としては少なく環境把握に鈍感な犬は、外出した飼い主の洋服を臭いこともありません。

屋外環境は都心と自然環境では臭いが全く異なります。都心でも中心部はほとんどが食べ物と排気ガスのにおいで満たされています。環境把握ができにくく犬は不安を感じやすいか、もしくは環境把握そのものをできないストレス状態に陥ってしまいます。

自然環境は臭いがほとんどないのですが、風が抜けるためたくさんの情報の臭いが漂っています。例えば、夜になるとウロウロする野生動物の臭いは風を通してたくさん嗅ぐことができるということです。環境把握を自ら行える力のある犬は、自然環境での環境把握を得意としますので動物の臭いで動けなくなったりすることはありません。その野生動物を以下に回避して接触しないようにするのかを決めるのが犬という動物です。自ら行動が基本の選択と行動ですので、拘束時間の長い現代の犬にはなかなか難しいものです。

この中間にあたる郊外では車の通行する時間以外は過剰な臭いにさらされることなく、環境把握ができるのではないかと思います。実際に自分で嗅ぐ能力がないので、犬の行動を見ながらその把握の状態を探っています。しかし、前に説明したように環境を把握するというのは、その環境に応じて自分がどのように行動する必要があるのか、もしくはないのかを決定付けるということなので、そもそも自ら行動することができない状態に置かれれば、環境把握も意味を持たないことになり、それすらもできなくなっているというのが現実のようです。

たとえば、こんなことがありました。庭で木をかじっている犬の2メートルくらい横に小鳥が飛び降りました。小鳥はしばらく地面をウロウロとして何かを探していたようです。犬は小鳥に気づいていたかどうかもわかりませんが、木をかじるのを止めて伏せたままでいました。その直後に小鳥が地面から飛び立ちます。犬はビックリしていきなり立ち上がり尾を下げて小鳥の飛び立った方角に顔を向けています。それからしばらくは動きません。動くことができなかったといったほうが正確なのかもしれません。予期せぬ環境の変化に戸惑い、行動の動機をしばらくは放棄したようです。

このような光景を人によっては「犬がかわいい」と見るのかもしれません。
感情を置いて冷静に見るとしたらどうでしょうか。これだけ犬という動物の環境把握力は落ちてきているということです。こうした行動の例が増えています。
なぜなら、行動を起こすことができない犬を人が求めているからです。室内で長時間の留守番と家の近くを少し散歩する程度であれば、ほんの少しの行動さえできればいいのです。犬が行動を起こさなければ問題も起きません。インターホンに吠えるということもないし、咬みつくこともないのです。問題が起きるとしたら身体的な部分におきるだけです。

動物は行動をするから動物になりました。
植物が長い間、食べて休むけど動かない状態であったのに、ついに動物は動き始め、その行動に必要な環境を把握する能力も身につけてそして動物として世界を楽しんでいます。
犬は動物です。犬という動物が持つ大切な機能が失われないことを、そしてその機能を十分に活かして生きることを楽しめることを願っています。


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人のクシャミや咳に反応する犬たち2

昨日のブログ「人のクシャミや咳に反応する犬たち」に引き続いてお話しします。

ブログに細かな犬の行動に観察する意味について書き重ねているためか、実際に細かく観察する方が増えているようでうれしく思います。人のクシャミや咳に対する反応についてもそれぞれに観察されたり新たな発見があったかもしれませんね。
昨日のブログに上げたような行動を確認できた犬もいたでしょう。

復習します。
人のクシャミに反応する犬の行動例として以下のものをあげてみました。

・クシャミによって立ち上がる

・クシャミによって立ち上がりウロウロする

・クシャミによって立ち上がり鼻を鳴らす

・クシャミによってとびあがる、とびつく

・クシャミによって駆け出す

・クシャミによって吠える

・クシャミによってクレートに入る

・クシャミによって部屋から出て行く

これらの行動の共通点を挙げながら行動分析を行ってみましょう。

いくつかの行動は、犬が驚いたときに示す強い行動です。
犬は刺激に対して驚いたときにするいくつかの反応を持っています。弱い反応は音のする方に顔を向ける、ひとつ上になると体を向けるといった行動です。
上記の反応はこれらの驚きの行動よりもさらに強い反応で、とびあがる、立ち上がるという行動です。

ウロウロすると鼻をならすことは同じ分類に入ることがあります。これらの行動は犬が不安を感じているときに、状態としては不安定な状態に陥るときに出る行動です。

クレート入ると部屋から出て行くの共通は、人とテリトリーを分ける行動であることです。人のいる部屋というテリトリーから出ること、クレートという個体のテリトリーの中に入るという行動で境界線ができます。

駆け出すと吠えるの行動の共通点は、ストレス行動の逃走もしくは闘争行動で同じストレスのレベルを表現しています。どちらも移動の距離は数十センチです。小型犬では数メートル駆け出すケースを目撃したこともありますがこれは極端な例でしょう。

ここまででまとめると、行動は次のいずれかになります。驚愕反応、不安緊張行動、逃走OR逃走行動、人のスペースから離れるもしくは犬のテリトリーに戻る行動、になります。

さらに詳しく分析してみます。

驚愕反応はクシャミという大きな音に驚いて出た行動のようにも思えますが、そうとも言えない部分を残しています。犬が立ち上がり反応をする程度の音に対する刺激であれば、回数を重ねていくと「馴れる」という学習が生じてくるため、なんどもクシャミを聞いていればそのうちに反応はなくなってしまいます。
人のクシャミを単なる「音」の刺激であれば「馴れる」学習が起こり反応はなくなるが、実際には反応はいつも同じようなものであるので犬によっては人のクシャミを単なる音としては認識していないということがわかります。

人のクシャミを「音」ではなく人の「声」ととらえると受け取り方は異なります。

多くの哺乳動物が声のコミュニケーションを使います。人も犬もその音の種類と目的は違っても、発声がコミュニケーションの方法であるという点で共通しています。人の発声はコトバというコミュニケーションに置き換えられますが、もし共通の言語を持っていなかった人同士の場合には、音の高さや強さで自分の状態を相手に伝えることができ、これらは世界共通で他人への理解を得ることができます。
犬と人も声という音の使い方も実は少し似ているところがあって、男性は太い声を出すとか、女性は高い声を出すということが、犬の場合には、強いものは太い声を使い、弱いものは高い声を発するという違いになりますが、一定の音は犬に特定の影響を与えます。

クシャミや咳は音の高さとしては個体差が大きいのですが、発声のパターンとしては「飛ばす」という性質を持ちます。これは、クシャミは咳といった生理的反応が体内に入れなくないものは入っているものを外に出そうとする自己防衛的な行動であるからでしょう。そのためより遠くに飛ばす必要があり、声質もそのような質になります。普通の話し言葉や掛け言葉よりももっと遠くに音を飛ばしているわけです。

犬にとって音を飛ばすように出すときは、犬が防衛的に自分のテリトリーを守るときです。番犬吠えをする犬は大変少なくなりましたが(多くの犬は番犬吠えではなくパニック吠えや飼い主の気をひくための要求吠えをしているため)、テリトリーを防衛するために声を飛ばすように吠えるのがいわゆる番犬吠えです。

クシャミや咳によって人が自分のスペースを防衛するように吠えてしまう声に対して過度に反応を示す犬は、人のスペースに対する関心が高いか、もしくは依存的関係によってスペースが人と重なっていると考えられます。これは私の個人的な見方ですが他にもこれらの行動について何か思いつかれた方はぜひ教えてください。

現在では多くの犬が人のスペースに入り込むように依存して生活をしていますので、自律性の高い犬の行動を比較することができにくいのですが、引き続き小さな行動も観察を続けていきたいと思います。

dav




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