グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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人のクシャミや咳に反応する犬たち

自分がクシャミをしたときに、犬が何かの反応をすることはありませんか?

人のクシャミに反応を示す犬がいるといます。全ての犬ではありません。極一部の犬なはずなのですが、統計を取っているわけではありませんが、最近は増えてきているような気がします。
クシャミに対する反応とはどのような意味があるのでしょう。なぜ犬の中には人のクシャミに対して反応を示すものがいるのかを考えてみました。


まず、人のクシャミに反応を示す犬の行動にはこのようなものがあります。

・クシャミによって立ち上がる

・クシャミによって立ち上がりウロウロする

・クシャミによって立ち上がり鼻を鳴らす

・クシャミによってとびあがる、とびつく

・クシャミによって駆け出す

・クシャミによって吠える

・クシャミによってクレートに入る

・クシャミによって部屋から出て行く

他にも反応の例はあるかもしれませんが、主にこのような反応を確認できました。
異なる犬の行動ではありますが、同じ人のクシャミという刺激に対する反応です。
これらの行動を見て何か共通するものを見つけることができれば、このクシャミに対する反応は一定の犬たちに同じ影響を与えているということになります。

ブログをご覧いただいている熱心な飼い主のみなさんにも少し考えていただきたいので(他者の考えを聞いてしまうと、せっかくの自分の考えが閉ざされることがあります)、この行動の共通点については明日のブログで説明します。

もうひとつの側面は、全ての犬が人のクシャミに反応するわけではない、言い換えれば、特定の犬たちが人のクシャミに反応を示しているのだということです。

そして、この特定の犬たちのクシャミへの反応以外の行動を比較することで、このクシャミに反応する犬のグループの共通点を探すことができます。

ブログの題目にあるとおり、人のクシャミに反応をする犬の多くは人の咳にも同じ反応を示す傾向があります。このことも行動を評価する上での重要な情報です。
クシャミと咳、人の生理的反応ではありますが、犬の立場から見ると人の発する特定の音と捕らえると情報はシンプルです。

さらに、この行動に関する情報としては、人は犬の社会的な対象であるということです。社会的対象であるなら、同じ社会的対象である対犬に対しても同じ反応を示すのかということです。犬はあまり咳をすることはなく、気管支炎になったときに空咳のようなものをする程度でわかりにくいものです。ただクシャミをすることはあります。小さな犬の発するクシャミはわかりにくいですが、大きな犬のクシャミはかなり迫力のあるものです。これらの犬のクシャミに社会的関係をもつ犬が上記のような反応を示すでしょうか。
これについては、大きなクシャミに対して若干の反応を示すことはあっても、人のクシャミに対する反応と「同じ反応」を示すものではありませんでした。犬の状態によっては同じような反応を示すことがあるかもしれませんが、同じようなと同じとは異なりますので、もし身近にこのような例があればよく観察していただき情報のひとつとしていただきたいです。

こんな小さな行動を取り上げるのはなぜかというと、犬の行動は犬の状態や性質に関連する情報だからです。トレーニングクラスでは飼い主さんから全ての情報を聞き出すことはできませんが、目の前で犬の行動をみると見逃すことができません。ところが、ほとんどの人がこのような日常的な細かな行動に関心がありません。
飼い主さんが関心があるのは、人の合図に対する反応、言うことを聞くか聞かないか、ゴハンを食べるか、どんな遊びをするのかといったことのようですが、もっと犬の真実に迫る犬の行動を見逃していることがもったいないと思います。

いろいろと観察しクシャミの影響を受けている犬たちの行動の質についてぜひ考えてみてください。

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犬のごほうびトレーニングのしくみ:報酬が犬に与える影響について

ごほうびトレーニングとは、行動学の中では陽性強化トレーニングといわれるものです。
欧米から入ってきてここ15年くらいは大変流行り、現在でも犬のトレーニングの中に多く取り入れられているトレーニングの手法です。

今日はこのごほうびトレーニングのしくみと、行き過ぎたごほうびトレーニングが犬の行動や犬と人の関係に与える影響についての副作用についてお話しします。


まず、陽性強化トレーニング(ごほうびトレーニング)のしくみは次のとおりです。

犬がある行動をするとごほうび=(報酬)を得られる
報酬を得られる行動の回数は上昇する
という陽性強化という学習心理によって構成されています。

学習心理で説明するときには以下の公式となります。

条件刺激(特定刺激) → 犬が行動 → 報酬の出る合図(イイコとかグッドなど) → 報酬(ごほうび)

これを具体的な行動に当てはめてみましょう。

オスワリという → 犬が座る → イイコ(グッドやクリッカー音) → 報酬(オヤツなど)

陽性強化トレーニングを使って行動を固定させていたくためには、報酬の出る合図が行動の直後に必要だということと、報酬を不定期=ときどきにすることによって行動の強化を高めていくという手順で行われます。
報酬をときどきにする必要性は、パチンコ方式と考えてください。
実はごほうびは出たり出なかったりする方が行動を固定させていくことができます。
次はごほうびが出るかもしれないという予測を継続させることになり、パチンコ台に座り続けるのと同じような現象が犬にも起きるからです。

陽性強化は学習心理学者のBFスキナー氏がオペラント条件付けを発表したことでその認識が広まりました。
心理学の分野では陽性強化を正の強化といいます。行動学では陽性強化の法が一般的のようです。
人を含める動物の行動を学習心理というものを軸にして考える学習主義のさきがけにあたるでしょう。
動物の行動の要因が学習がすべてとはいわないものの、ごほうびと罰で動物を操作することの可能性を模索したことは、実際には現在でも模索し続ける学習心理トレーニングは今も研究が進められています。

陽性強化トレーニングが犬の世界に入り込んだ大きな理由は、それまでの犬のトレーニングが罰(正しくは陰性強化法)を用いて行われるものが多かったため、動物への罰を減らしたいという理由と、罰よりもごほうびの方が受ける動物の副作用が少ないとみられることからではないかと考えます。

30年以上前になりますが自分の経験の中でも、犬のトレーニングの現場で働き始めたときに使用していた道具はチョークチェーンといわれる鉄製の閉まる首輪でした。これは現在でも使用されている道具です。軍用犬の訓練で使われ始め、戦後日本の訓練施設で多く使われるようになりました。簡単に説明するとチョークチェーンは陰性強化というやはりオペラント条件付けのうちのひとつの学習心理を利用して、犬に行動をさせることを目的としています。

チョークチェーンなどの陰性強化の道具は一旦犬が不快に思う刺激を受けるため、使い方を間違えると虐待になりかねません。アメリカは日本よりもより多くの大型犬の問題行動が発生して咬みつきなどの事故も多発しているため、これらの行動を抑えるために一般の飼い主がチョークチェーンを誤って使用すれば、犬の行動は抑えられるどころかますます過剰となり問題が悪化することは道具のしくみと犬という動物の性質を理解できるものであればわかることです。

ところが事実は少し違います。道具の普及は早かったものの学習心理学を教える機関が十分でなかったことから、道具は誤って使われるようになりました。昔の訓練の現場は「見習い」といって、ただ長い時間経ってみているだけでその技術を奪い取れというようなものだったのです。もしかしたら今でも訓練士見習いという言葉はあるのかもしれません。ただ見ているだけなので、机上で学習心理のしくみについて説明をうけることもありません。道具の意味を知識として理解する機会も与えられていません。今は少し改善されているのかもしれませんが、チョークチェーンが広まった当時はその土台がなかったので、道具だけが広まり多くの犬たちは強い刺激を受け続けて苦しい思いをしたことでしょう。

そこに陽性強化トレーニングが広まりました。オペラント条件付けには強化の法則が二つあります。陰性強化、そして陽性強化です。強化とは行動の回数をあげていくということですから、犬に行動をおこさせたければ、陰性強化ではなくて陽性強化を用いたほうがいいと考えるのは自然な発想ですし実際効果も高いです。陽性強化はごほうび=報酬を使うため、強化処置を与える人を報酬と関連付けます。良い方に受け取れば人に近づきやすくなります。もちろん報酬には副作用があります。これについては最後に説明します。

陰性強化や陽性強化といったオペラント条件付けによる学習心理トレーニングが長い間継続しているのは、この分野での研究が大変進んでいることと、人が理解しやすいという側面があります。なぜなら、学習心理の過程は人と犬という異なる動物であっても、動物として共通のルールであるからです。

学習の基本的な過程は種を超えて共通する

この大原則が学習心理トレーニングを普及させた大きな理由でしょう。そして、その学習させたい行動とは、最初は基本的な生活のルールではなく、特殊な作業を行う作業犬のためだったことを忘れてはいけません。これらの学習心理トレーニングを受けて行動を見につけさせる必要があったのは、警察犬、盲導犬、競技会犬といった使役犬たちです。これらの犬は犬が日常的に行う作業として訓練を受けています。この中でも最も生活とは異質に行動しなければいけないのは競技会に出る犬たちです。服従訓練の競技などは日常生活で必要な動作とはちがって、その座り方伏せ方、脚側の仕方などが型にはまって美しくある必要があるため動作も細かく仕上げていく必要があります。逆に、警察犬や盲導犬といった犬の仕事は型にはまるとできず、応用を要求される日常生活に近いものです。盲導犬などはすばやく座るよりもゆっくり座ってもらったほうがいいような仕事ですから学習心理トレーニングもトレーニングのうちのわずかにしか当てはまりません。

これらの特殊犬に使用されていた学習心理トレーニングはそのうち家庭犬のトレーニングにも応用されることになりました。ですが、家庭犬のトレーニングに学習心理トレーニングを過剰にいれてしまうことには大きな副作用が潜んでいます。
犬に特定の行動を学習させるということは、次に起きる行動を予測もしくは誘導し、行動をコントロールすることです。
犬にオスワリを陽性強化で教えるときには、オスワリをしたら声で強化、そのあと報酬を与えたり与えなかったりします。オスワリを知らない犬にはオスワリの合図のあとに犬をオスワリの行動をさせるように誘導する必要があります。犬がオスワリすることが予測できて(誘導できて)はじめてこのトレーニングは成立します。

犬は行動をしたらごほうびをもらえていい事が起こるのだから、陽性強化には何の問題もないように思えますが、実際には陽性強化の多用は犬の行動と性質に影響を与えてしまいます。

例をあげましょう。
例1
オヤツを使ってオスワリ、マテを教えた
オスワリマテができるようになったはずなのに
インターホンがなるとオスワリマテができない

例2
オヤツをつかってオスワリを教えた
オヤツを持っているとオスワリの合図に応える
オヤツを持っていないとわかるとオスワリはしない

どちらもよく起きる例です。
例2のオヤツをもっていないとオスワリしない犬の場合には、陽性強化トレーニングをされている方なら、報酬は時間差で与えるルールや、最初の条件刺激の中にオヤツも入ってしまった結果であるため、そもそもトレーニングとして失敗していることを気づくはずです。

例1のインターホンのとき犬がオスワリをしないのは、犬にとっては報酬を得ることよりも、環境に影響がある警戒モードの方が優先するため当然の結果であるといえます。オスワリ=報酬と条件づけすぎたために起きる間違いです。

報酬を使ったトレーニングの副作用はもっとひどい状態になってあわられます。
陽性強化は人と報酬を結びつけるために人に対して関心を示しやすくなる事が利点のひとつになっています。これは作業犬のトレーニングから家庭犬のしつけに転向したときに自ら感じたことです。家庭犬のしつけの難しさは、犬の人に対する関心の低さです。特に問題行動を生じている落ち着きをなくし始めているような状態では、人の存在がストレスとなり人を回避しようとするため人の呼びかけに対しても応答がなくなっていきます。陽性強化で食べ物を使うと食べ物の存在が関心をひきつけるようになり、結果教えたいことが早く教えられるという利点は確かにあります。

ただこのことが裏を返せば陽性強化トレーニングの欠点にもなります。人=報酬による人に対する過剰な関心は依存となり犬の行動をコントロールしやすくなります。人に依存していて人の要求に常に応えようとする犬は、傍から見れば飼い主さんをずっとみている問題ない犬であることは間違いありません。ただ、そのことで犬が失うものは犬の自律性です。
犬は人がいないと生きていけません。食べるものを獲ることもできないからです。社会的には人が飼わない犬は存在することを許されていないという理由もあります。ただ他者がいないと生きていかないのは自分も同じです。毎日食べているものを自分で作ることすらできませんし、着るものだって通信手段や移動の手段であれすべて他者に頼っています。そうした動物も自律性というのをもっています。犬にも自律性があります。それを育てる環境はなかなか整わないというのが現実ではありますが、はじめから犬の自律性について考えないというのはフェアではないと思います。犬の自律性について最もわかりやすい例は、犬の社会的行動についての多くが誤解されているということです。一昨日のブログに書いた子犬に応答しない成犬の例も自律性を失った犬の行動の例です。


同時に失ってしまう大きな損失は、飼い主が犬という動物について理解する機会を失うということです。
インターホンでマテやハウスに入ることを犬が優先させるためには、人との特定の関係を結ぶ必要があります。これは学習心理によって行われるのではなく、犬の習性や本能の理解によって行われる行動です。

犬の行動と心理は結びついています。行動は心理の働きをふくみ、心理(気持ち)を知るきっかけになるのです。
行動=心理 つまり 行動は心理なのです。
ところが、学習心理は動物の心理と等しくありません。

なぜなら、次の法則があるからです。

動物(犬)の行動は同種の動物(犬)に対するときと
異種(人)や非生物(もの)に対するときでは異なる
動物は種ごとに異なる世界を持っている

これは最も大切な真実です。

陽性強化法を犬のトレーニングに用いるなら、オスワリという言葉と座る動作の関連付け、フセマテという言葉とその動作の関連付けにとどめ、社会性を培う経験学習とは区別されるといいでしょう。陽性強化といっても依存性の
高まる食べものではなく他のものを使ってもいいのです。誘導には手やオモチャを使えますし、依存性の低いものの方が副作用も低く報酬の予測もおこりにくくなります。合図と行動の関連付けがおわったら、あとは生活のルールに取り入れて制御の必要に応じて合図を使っていきます。

これらの合図いに反応させることは、犬に行動の制限をかけなければいけないときに行うものです。
その行動の制限すら犬への理解を脇においてしまえば、本末転倒になってしまいます。
犬を飼うということは異なる種の動物の不思議にふれる最大に楽しい時間です。そして犬は他のどのような動物とも違う人との関係を持っています。その関係性は犬の方からではなく、人の主体性によってつくられるものです。わたしたちが犬とどのような関係を気づいていきたいのか、まだ迷っている方も分からない方も、まずは犬の行動を理解することからはじめてみてはいかがでしょうか。


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「うちの犬は大丈夫」は何が大丈夫なのか?子犬に応答しない成犬

犬にまつわる飼い主同士の会話や関係の中で、最近よく聞かれるようになった言葉でこれは危険だと思うことがあります。
「うちの犬は大丈夫」発言です。
「うちの犬は大丈夫」というときに、何をもって大丈夫といっているのかがよくわかりませんが、よく飼い主さんから訴えられることは、散歩中に「うちの犬は大丈夫です」と言ってリードをつけた状態で近づいてくる人がいるので困るということでした。

「うちの犬は大丈夫」にはいろいろな例があるため、一例をあげて紹介します。

飼い主さんは数ヶ月の子犬を飼っています。
その子犬に大型犬の成長した犬の飼い主が散歩中に近づいてくるとのことでした。
子犬は他の犬との関係やコミュニケーション作りに飢えています。犬をじっと見ていたり、犬の臭いを嗅ぎたいという欲求がありますから、近づける要素があれば一気に近づいてしまいます。そして成犬にとびつき行動をします。子犬のとびつき行動は成犬への要求のいりまじった興奮行動です。
その大丈夫といわれる成犬は、子犬のとびつきに無反応とのことでした。
そうすると子犬は腹部を見せてひっくりかえります。今度はあらたな要求行動をはじめます。
この腹部を見せる行動に対しても成犬は無反応とのことでした。

映像であればもっとわかりやすいのですが、イメージできたでしょうか。子犬が興奮しても要求しても、または強い服従行動を示しても成犬は無反応、つまり「子犬を相手にしない」ということです。
成犬の多くは子犬を相手にしたくありません。子犬は臭いがつよく近くにいって確かめるまでもなく子犬臭がプンプンとしています。子犬は成犬とみると自分の世話を要求するような興奮をします。長らく犬に接していないと興奮してとびついてきたりします。

多くの犬は子犬を相手にはしたくないのですが、子犬に威嚇行動をとって子犬を遠ざけようとします。もちろんこの威嚇行動は子犬にとっては打撃が大きいものです。子犬が同種の動物から威嚇されるということは、人でたとえるなら幼稚園生の子供が大人に近づいてきておばちゃんとでも言おうものならその幼稚園生をおばちゃんが突き倒したのと同じ意味を持ちます。幼稚園生は大人に対しておびえ、人に対して強い警戒心を持つようになるかもしれません。成犬が子犬に対して威嚇行動をするのがいけないということは多くの方にわかっていただけると思います。威嚇行動を成犬の教育と間違えられる場合があるのですが、行動をよくみるとそれは教育ではなく威嚇行動であることがわかります。この違いについても、ぜひ知っていただきたいと思います。

前述の子犬のとびつきや腹部をみせる行動に無反応の成犬の場合はどうでしょうか。成犬が子犬の相手をしようとしないのに遠ざける威嚇行動もしない無反応的は対応は、子犬にとって威嚇行動よりも衝撃的な反応です。子犬の存在を認めない、子犬がその成犬のなかでは「なかったことにしている」ということです。

この成犬の行動も人を例にあげて説明しましょう。幼稚園の子供がおばちゃんに近づいてきて「おばちゃん」といっていきなり抱きついたとします。大人は子供を見ることもない、話しかけることもない、何事もなかったかのように立ちすくんだままで、この幼稚園生の子供に対して無反応=無視をするという反応をします。子供はおばちゃんから少し離れて上目遣いでおばちゃんの顔を見上げて言葉を待ちます。それでも大人は無反応=無視をします。このような反応をされた幼稚園生が人と良い社会性を培う経験を得たとは思えません。幼稚園生は大人に対して警戒し、もしくは避けるようになるかもしれません。

子犬のとびつき行動や腹を見せる行動に対して無反応な成犬の与える影響はこのようなものなのです。子犬は犬としてのコミュニケーションや関係性に不安を抱えます。これは種の異なる人と上手くいかないことよりも、子犬にとってもっと強いストレスになります。子犬は自分の生活圏の中で飼い主により依存行動をするようになったり腹部を見せて転がったり、自分の居場所を過剰に守ったりする青年期の犬に突入していく危険性も控えています

では、子犬に適切に応答してくれる成犬の反応とはどのような状態なのかでしょうか。
子犬を引き受ける成犬は、まず子犬の臭いを嗅ぎます。場合によっては腹部の下に自分の鼻をいれることもあります。このとき子犬は後ろの片足をあげるバレリーナみたいな姿勢をとるでしょう。これが受動的服従行動といって、成犬にたいして服従を受け入れる行動です。臭いを嗅がれると子犬は興奮してとびつきそうになります。その際成犬は小さな唸り声でこれを制するか、首を交わしてとびつきを回避します。さらに興奮してとびつきそうになると威嚇もしますが、この威嚇は対立を示すものではなく、子犬に落ち着きを求めるものです。子犬は興奮を抑えるために若干からだを低くして耳を倒し、成犬の近くをウロウロとすることもあります。そのうちに次第に落ち着いてきます。この成犬と子犬の関係では、成犬のテリトリーの範囲内で子犬が行動をし、子犬の安全を成犬が守ることになります。成犬はつねに子犬を監視する状態になります。子犬がテリトリーから離れようとすると立ち上がってそれを抑えるような行動もとります。

現実的にいえば、このような対面や関係をつくる機会を子犬に与えることは難しいと思ってください。なぜなら、そうした性質をもつ成犬の数は非常に少ないからです。個体の性質としても限られている上に、成犬として成熟して成長する機会を与えられておらず、犬が自律した行動をとれるようになっていなければ、この子犬の世話や教育行動は不可能なのです。また、子犬が家庭でストレスを抱えている場合には犬に対面したときの興奮やおびえが非常に高くなり、成犬の抑制は効かない状態となり成犬には過度の負担をかけてしまいます。

成犬と子犬の対面について可能性のある機会としては、成犬と子犬の飼い主がきちんとした関係性を持っていること、成犬と子犬の飼い主があって関係性をつくっておくこと、そのゆるいグループ性を保ちながら、成犬のテリトリーの中に子犬を迎えることなどができるときです。もちろんこのときにはリードをつけずに対面させる必要もあります。リードをつけての犬と犬の対面はおすすめしませんが、これについてはまた後日のブログで説明します。

子犬に対面させても「うちの犬は大丈夫」といわれた反応ない成犬ですが、どうしてこのようになってしまったのかの経緯についてはよくわかりません。考えられることとしては、リードをつけて逃げられない状況下の中で多くの犬と接触をさせた影響によるものがあります。刺激をたくさん与えられそれがストレスになると、結果その刺激(対象)に対して三つの反応を示すようになることが考えられます。
そのうちの二つは過剰に反応する場合の攻撃行動です。過剰に吠える興奮して近づきとびつくという反応がこれにあたります。
過剰反応のうちのもうひとつは、逃走行動です。犬との距離が縮まる前に逃げる行動に移ります。
そして三つ目がこの無反応という状態です。コミュニケーションを獲得できない場合には、その対象をなかったことにするという反応になります。最初のふたつの行動は攻撃か逃走になるため、他の犬に対して社会的行動を見につけられなかったことがわかります。ですが、三つ目の無反応については一般的な飼い主さんであれば「おりこうさん」と評価をさせることでしょう。

無反応な行動を示したり飼い主にずっと注目して合図に反応し続けるという依存的な行動をとる犬が「お利口さん犬」と評価されるようになったのは、多くの人がこうした犬を求めた結果です。人が定めた評価基準ですから、これらの犬がお利口といわれることは間違ってはいないでしょう。ただ、こうした犬の反応が犬として社会的に適切な社会性の高い状態であるかどうかと問われるとこれは社会性の高い状態とはいえません。犬が機能的に備える真の社会性を否定するものでもあり、犬の本来もつ機能を低下させることにもつながっています。

犬を人として考えすぎると擬人化につながり間違いにも陥りやすいものです。今日紹介した社会的行動の例は、犬と人が社会的な動物であるということを踏まえたうえでの類似として捉えてください。こうして疑いをかけると難しいと思われる犬の行動は、実はとてもシンプルで簡単なものであるのです。

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柴犬を「いずれ」外飼いにしたいのですが…

今日の題目は、犬を屋外で飼育するいわゆる「外飼い」を希望されている飼い主さんからよくうける質問です。

柴犬をいずれは外飼いにしたいと思っているのだけど、いつ頃から外飼いにしたらいいのでしょうかという質問を受けたとします。40年前なら外飼いにする子犬は生まれたときから外飼いでした。外飼いしている犬が軒下で子犬を生み、その子犬たちが歩けるようになって、つまり生後1ヶ月半くらいで庭先をウロウロするようになります。そしてそのまま外飼いの親犬が面倒を見て大きくなり、新しい家庭でも外飼いということで、生涯屋内を知ることがなく飼われていたということです。

ところが、純血種の犬をペットショップで購入するようになってから、子犬は最初は室内で飼育するというように、犬の飼い方に変化がみられるようになってきたようです。ペットショップで購入したときには、子犬はしばらく外に出さないようにというアドバイスを受けられることでしょう。これには訳があるのですが、子犬は集団から離れると免疫力が落ちてしまいます。また子犬はひとりで暖をとることができず、何か暖かいものを近くに置く必要があります。屋外に急にひとりで置いてしまうと免疫力が下がって病気に感染するリスクが上がってしまいます。こうしたことを避けるために、子犬はしばらく室内に置いて成長を待つという方法が推進されるようになりました。

いずれは外飼いの犬も子犬の頃は室内飼いというようになったのは他にも理由があります。子犬に混合ワクチン接種をすることが一般的になったのも30年くらい前からだと思います。
3種混合とか、5種混合、最近では9種混合ワクチンというように入っている薬の数も増えていますが、混合ワクチン接種を受けることはもう一般的になっています。子犬のころに動物病院でワクチン接種を受けたときに、摂取後数週間は屋外に出さないようにという指導を受けるため、やはり子犬のころは室内飼育という風に変化してきたのでしょう。

混合ワクチンは合計で少なくとも2回、もしくは3回にわたって摂取します。ワクチン接種が終わって落ち着けるようになるのは子犬が生後4ヶ月を過ぎたくらいになってしまいます。ですがこの月齢まで人の生活環境の中に子犬を飼育してしまうと、子犬を外飼いにするのは大変なことになります。

現在はもっと問題が複雑になっています。子犬のころの室内飼育といっても、当初は玄関の土間などに子犬のスペースを設けて室内には上げずに飼育されているケースが多かったように思えますが、現在はリビングに子犬のスペースを設けてサークルなどを置き、その中に子犬をいれて育てときには抱っこしてあやすような赤ちゃん扱いをする誤った子犬育てが増えています。

こうした室内でのサークルの利用や子犬を抱っこしながら育てる飼育方法を取り入れていると、子犬は着実に分離不安の状態に近づいていきます。たとえば飼い主が離れると鼻をならす、飼い主にとびつき興奮する、飼い主が見ていないと排泄を失敗したり食糞をする、サークルに飛び上がって興奮するなど、不安行動の例はたくさんありますが、まとめていうなら飼い主に興奮したり落ち着きをなくすような行動が増えているときには危険信号だと受け取ってください。

ではどうすればいいのかについてお話します。

まず、外飼いを予定していてまだ子犬を迎えていない家庭、もしくは迎えたばかりというご家庭では、子犬の飼育環境をリビングから離れた位置に設けてください。人の通行のない裏側の土間やテラスの近くや縁側の近くでも構いません。この際にはサークルの中にクレートをおく一般的な飼育場所を設けていただいて構わないのですが、サークルの上と柵には境界線になるような板やダンボールなどをきちんと設置して無防備な空間ではなく、巣穴のような囲いができるように準備してください。
サークルの中には一応トイレトレーを置いておきますが、清潔な子犬はこの中では排泄をしません。排泄をさせる場所はサークルの前にもうひとつのスペース、もしくは土間のどこかに設置します。テラスが近い場合にはテラスや排泄場所を庭に出たときにさせるということでも大丈夫です。生後2ヶ月になる子犬であれば、一日のうちに数時間ずつ排泄のできる庭に出せば、室内に準備した寝床には排泄は行いません。

子犬を一日に何回も排泄に出すことのできない場合には…という話をしたいところですが、子犬を数時間以上ひとりで置いておくような環境に子犬を迎えることはおすすめできません。子犬はひとりぼっちでは安定して成長できません。1日を通して世話をする必要があるため、子犬を飼育できる環境そのものが限られているということになります。子犬といえば生後5~6ヶ月の乳歯の抜けるくらいまでです。人の年齢でいうと小学生くらいまでの年齢を子犬といっています。

働いているなどの理由でどうしてもお世話が難しい方には、子犬が5ヶ月になるくらいまではペットシッターのお世話になるなどの方法をとられることがベストです。ペットシッターも家族ではありません。飼い主さんが在宅する環境とは違いがありますが、この大切な時期に子犬を一日中部屋の中に留守番させるような環境で育てれば、子犬はコミュニケーション障害を持ちやすくなり性質も不安定になってしまいます。子犬を留守番させられるのは1日に3時間程度でしょうか。子犬が昼寝をしている間に買い物を済ませるといったものです。

子犬育ては人が在宅している環境の中ですすめられるとしたとしても、子犬を屋外に出す時期を遅くする必要はありません。ワクチン接種後に安定させたいときには、子犬を夜間や日中に休ませたいときには室内や土間に設置した子犬スペースに寝かせます。

子犬に排泄をさせたり子犬と遊んだりコミュニケーションをとるためには、戸建ての方は庭環境を使ってください。他の犬が入り込まないような庭であれば、子犬の病気の心配をするよりも子犬の精神的健康の配慮のために庭でいっしょに遊んだ方が子犬の免疫力は高まります。子犬の土に触れさせ草の臭いをかがせ、風のとおる外空間で空間認知力を培う必要があります。
その広い空間で人との距離感を学ぶこともできるのです。なにより、庭環境は子犬がいずれ生活する犬にとっての生活空間になります。その庭空間を把握し日常的な環境の変化を受け入れておかなければ少しの物音で吠えたり、鳥や蝶など動くものがあるたびに追うようになります。動くものがあると追うのは、遊び行動ではなく環境の中に新しく入ってくるものに対する好奇心が強く欲求を抑えきれないことで起きますが、こうした刺激も子犬の狭い環境把握の中で時間をかけて受け入れるようになってくると過剰反応する危険性も少なくなります。

ここまでは、外飼いをしようとするご家庭には「庭はあるもの」というつもりでお話ししてきました。外飼いをするつもりだけど庭がないとしたら、家の前に犬小屋だけがあるという環境になるでしょうか。最近では庭を小屋や駐車場に建て替えされているところも多く、家と犬小屋だけといった不自然な環境で犬を迎えられることもあります。犬小屋はあってもその周囲にスペースがなくすぐに道路という環境では、犬は環境の安定に不安を抱えやすく、環境学習をする機会もまったく失われてしまいます。残念ながら通行人に過剰に吠えるようになったり、来客への吠えもひどくなったりしてご近所から苦情が来ることになるかもしれません。このような環境も犬を飼う環境としては適切ではありませんので、犬を飼うことをあきらめるか、駐車場を別に確保して庭を復活させるかなにかの、環境改善をする必要があるでしょう。

とにかく、子犬をいつ外飼いにするかというのは、いずれではなく「今」であるということです。病気やワクチンのことでいったん室内というときには、室内に屋外飼育を想定した延長線上になるような空間をつくると考えた方がいいかもしれません。特に柴犬などの日本犬を最近は室内飼育される方が増えています。人の飼い方の変化によって柴犬の性質は愛玩化してしまい、人との距離を保てる忠実な犬ではなく、抱っこされる愛玩的犬に変わっていくのかもしれません。犬という動物がすごい速さで変わり始めています。人の求めるように変わる、それが人に飼われる犬という動物の運命であると思うと、人は犬に何を求めているのかを改めて考える必要性がありそうです。

dav


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犬のストレスを機械で測定する必要性はあるのか?

2017年2月18日付けの共同通信の記事に「犬のストレス状態が心拍の変動から分かる手法を開発したと、大阪府立大の島村俊介准教授(獣医学)のチームが18日、発表した。」という記事がありました。

要は機材を犬に装着して心拍の変動を記録し、その数値からストレスの状態を知る手がかりを掴んだというらしいのですが、心拍を記録する機材は人用に開発されており同チームがつかんだのは、犬の心拍の変動と自律神経(交感神経と副交感神経)の変動を因果つけることで、心拍数から自律神経の動きをしり、そのことからストレスの高さを把握しようというものらしいのです。

率直な感想を述べると、犬と人の距離もここまで離れてしまったのだろうかという気持ちでした犬の心拍とストレスの関係性を研究されている大学の先生方の研究成果は、犬の病気の早期発見などに役立てられることになるのかも知れません。ただ、犬のストレスを数値で知ることに偏ってしまうことは、犬と人の距離を遠ざけてしまうことになりそうです。

同じ屋根の下に暮らしている家族を例にとりましょう。家族である子供の状態を気にかけているのは親の役割でもあり、子供を愛する気持ちから自然に生まれる共感の世界です。その子供のストレス値を機材を装着して数値で測ろうとするでしょうか。心拍数を数値で測り自律神経のバランスを測定することが可能だとしても、子供に対してそれを行おうという親はいないのではないでしょうか。共に生活をしていれば、その表情は言動からストレスをどの程度子供が抱えているかを完全には理解できなくとも、知りたいと思うのが親の気持ちではないでしょうか。

犬は人とは異なる種の動物です。その表情や言動は人のものとは異なり、感情の世界も人が持っているものとは異なります。その種の違う動物のコミュニケーションを読み取るのは一見すると難しいもののように思われがちで、逆に擬似化による読み違いというのも生じてしまいます。

だからこそ、犬の行動をよく観察したり行動について学んだりしながら、少しでも犬の状態からその気持ちを知りたいと努力してたくさんの時間を使うことになります。難しいものではないのですが、時間がかかることは確かです。ただ、これらの犬を理解するために必要な時間は、犬とのコミュニケーションや生活そのものであるため、どれだけ時間を使っても惜しいと思うことはありません。あーでもない、こーでもないと考えたり悩んだりして、いろんな現象や行動がつながって「あ、そうだ、こうかもしれない。」と確信に近づいてきたときなどはドキドキします。

この観察を続けて対話を楽しみながら犬を理解する過程の中で、犬という動物に対する共感性も育ってきます。前よりも一歩ずつ犬のことを知ることになり、犬が本当にすばらしい動物であると確信せざるを得ませんし、同時に人が犬に与えている大変強い影響についても目をそらさずに見る必要も迫られます。

この多くの時間から得られるものが、犬に装着した数値と同等であるとは思いません。犬のストレスについて知りたければ、犬に真剣に向き合いながら共に生きましょう。これはきれいごとではなく、地味で目立たず他人の評価を得ることもありません。そうであっても、犬とのつながりを心で感じる唯一の方法であると信じています。

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参考までに、ネット掲載された共同通信の記事はこちらからご覧いただけます。

共同通信記事「犬のストレスわかります。」

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今年はじめてのウグイスの声と犬たちの春山

春風の心地よく吹く季節に今年はじめてのウグイスのなき声を聞きました。
毎年耳にするこの声を聞くとやっぱり春が来たのだなと感じます。
山で季節の移り変わりを体感するようになって、季節というのは自分が思っているよりも早いのだということを感じられるようになりました。2月といえばまだ積雪もするし寒さも厳しいです。それでも2月の節分をすぎることになると、春になったなと感じるようになりました。

山の動物たちも活発に活動をはじめているようで、山歩きの犬の動きも少し変わってきます。地面に鼻をつけている時間がながくなったり、歩いている道からちょっとだけ脇のほうに臭いにいったりして動物の動きを調べています。

都心で長らく生活している犬たちにとって野生動物は自律した特別の存在です。ほとんどの犬は野生動物の臭いに対してビクビクしています。落ち着きなくウロウロと歩くようになったり、臭いを嗅ぎ続けることも恐れを抱いている証拠です。こうした落ち着きのない行動は興奮行動のひとつですが、興奮のレベルとしては「不穏」といったところでしょうか。読んで字のごとく穏やかさを失っている状態で、警戒心が高まり危機感を感じ始めている状態です。

このような行動を遊び行動と間違ってしまうことがよくあります。山に入るとウロウロとしていたり臭いに執着しはじめたり走り出そうとしたりするときは不穏な状態、これを越すと走り回り行動が始まり、わたしが言葉にするときには「きれ走り」という専門用語でもありませんが、切れて走り回る状態につながっていきます。これらは大変危険な興奮行動であるため、不穏がそれ以上の興奮にならないように興奮のレベルを落としていく必要があります。

犬を抑制するための方法としてみなさんはどんな方法を使われるでしょうか。トレーニングの中でとても多く見受けられるのは号令や合図といった特定の行動をさせる落ち着かせです。確かにこれも落ち着かせの働きがあり、オスワリマテやフセマテ、もしくはマテといった合図によって動いている行動を一旦止めることができます。言い方をかえれば合図をかけなければ行動が止まらない場合や状態もあります。

この合図をかけて落ち着かせることは、興奮している犬によって影響を受ける社会的対象(人や犬)がある場合には、他者の迷惑をかけないためにも必要な処置です。犬の生活空間は刺激が多い環境であることも多いため、ぜひ身につけていただきたい落ち着かせの方法であると思います。

即効性のあるこの合図による落ち着かせには欠点もあります。それは、落ち着くという犬に必要な状態の変化を犬自身が引き出すことができず人に依存しがちになるということです。犬はいつも人と離れていることはないのだから、常に人が落ち着かせればいいではないかという価値観もあると思いますが、犬の自律性を育てて犬として生きる時間を大切にして欲しいという立場に立つと、犬が自律的に落ち着きを取り戻す練習は合図による落ち着かせよりもずっと大切な成長のための練習です。

山歩きの中では合図による落ち着かせを使いません。環境を整えながら犬が自律的に落ち着いてくるのを待つことを学びます。待つといってもただじっとしているわけではありません。合図を使う場合には行動をゼロにしてしまう依存的な方法になりますが、本来の落ち着かせは行動のパターンをかえながら気持ちを安定させてくるものです。
たとえば、犬の落ち着かせ行動には次のようなものがあります。あくび、耳をふる、体をかく、身震いする、ゆっくりあるく、口をなめる、舌を出すなどです。これらの行動は犬が自らを落ち着かせていくための行動ですが、こうした行動を経てやっと本来の落ち着きにむかっていきます。この落ち着かせ練習は山歩きの環境ならではの練習で、こうした時間や環境を持てるということはとても貴重なです。

ゆっくりと山を歩いたあとは設置したばかりの薪ストーブの上でパンを焼いていただきました。同時に薪割りも少しお手伝いしていただきました。薪割りは身体の芯がゆがんでいると刃の入りが上手くいかずなかなかうまく割れません。身体のバランスはリードを持っているときの犬の行動に影響しますので、これもまた学びのひとつです。生活のどんなことも犬と関連付けていけるのですが、それは犬のためにというよりそうであることが自分にとっても心地よいものであるため、むしろ心身を健康にしてくれる犬に対して感謝の気持ちが生まれます。

寒さもあと少しです。薪ストーブももう少し活躍してくれそうです。

dav



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犬の擬人化:動物の動画配信に思うこと

先日、知人からある動画を見せてもらいました。なんでも、大変人気のある動画で職場でも人気があるということでした。その動画は、動物たちの実写の動きに人の音声で会話をかぶせてある、よくあるパターンの動画でした。音声の内容がいろんな地域の方言を使われているということで、面白みがあって楽しめるといったことのようです。
その動画配信については個人の楽しみになるかどうかは価値観の違いがありますから、楽しいという方は趣味のひとつとされるでしょうし、関心がないとか不快だと思われる方は生活から遠ざけるということなのでしょう。

時代の流れの中でも、子供のころにテレビでみた名犬ラッシーやフランダースの犬、あらいぐまラスカル、ムーミンの中でてくる動物たちもそれぞれにある程度擬人化されたキャラクターでした。中には動物が人の言葉を話して会話するというファンタジーの世界のひとつとして、子供の世界を広げてくれて空想の中で遊ぶということを豊かにしてくれたもののひとつではありました。

動物をキャラクターとして表現することについては、製作の側にそれなりの目的をもって作られたもので人の成長や生活にとって確かに豊かさをもたらしてくれるものであれば価値を感じられます。アニメのキャラクターや、ぬいぐるみを来たご当地キャラが商業を高めるために貢献していることは間違いのない事実ですし、アニメといった2次元の空間やぬいぐるみという存在の中での動物のキャラクター化は人の楽しみ方のひとつとしてより良く活用していただきたいです。ただ、少し見方を変えればこれらも全て動物を擬人的に表現したものであるひとつの人の楽しみ方だと思います。

これとは別に動物を直接的に擬人化人して扱うという世界があります。この場合は、実際の動物の写真や画像に人の言葉を置き換えるように使われています。ネットが普及する前にもテレビ番組でこれらの手法はよく用いられ始めました。歴史的に見れば少しずつエスカレートしていますので、人の動物を使った楽しみ方が変化してきた人のつくった文化のひとつなのでしょう。たとえば、ソフトバンクホークスのお父さん犬のような扱いがキャラクターとして受け入れられるようになったのは時代の変化ではないでしょうか。50年前であればこうした扱いについては拒否反応が出ていたようなものが、この時代には「変わっている」「何かよくわからいないけど面白い」「ただかわいい」といった評価に代わり動物を面白おかしく取り扱う一定のルールはかなり不明確になってきています。

本当に怖いのはこれらの動物、特に身近な動物である犬に対する擬人化が実生活の中でも起きてしまうということです。家庭の中に生活する家庭犬や、知人が飼っている犬、街中ですれ違う犬に対して、テレビで扱われているような擬人的なキャラクターを当てはめようとする傾向が始まっています。犬の動画に音声やコメントがつけられていないような動画に説明が加えられたようなものの多くは、犬の行動を擬人的に見て説明をされています。その説明には「ではないか?」という疑問が付けられることもなく決定付けられています。赤ちゃんを助けようとした犬の動画とか、お風呂に入る前にお風呂の上で泳いでいる犬の動画などなど、きりがありません。

動画を配信した方に悪意はなく、ただ犬という動物を擬人化する見方しかできず、そこに愛情があるということを感じられることは確かです。そしてこれらの犬を擬人化した愛情にあふれる動画が、かわいい、犬が愛されているから幸せという風に笑顔で見ている方々もたくさんいることでしょう。その見方で、本当に犬は幸せになれるのでしょうか。幸せになっているのは、そうやって笑顔で見ている人側だけではないでしょうか。そこに、人が幸せだから人を幸せにしてくれる犬も幸せだという思い込みが存在していると思います。

動物の幸せがどこにあるのかというのはどこまでも議論する必要があります。まだ途中段階ではあると思います。ただどの時点でもずっと続いてきたことは、この犬という動物が本当に必要としていることは何かを考えるということです。その犬の必要性の中で、これは絶対だと思えるものがひとつあります。それはその犬にもっとも関わることになる飼い主という存在の犬に対する理解です。犬は人とは異なる種です。だから簡単に理解することはできません。一旦わかったと思ってもいや待てよ別の見方もできるかもしれないと何ども観察したり考えたりすることを積み重ねながら、少しずつその身近な犬について、犬という動物として、その犬という個体として理解を深めていくしかありません。動画ですれ違うだけの犬であっても「本当にそうなの?もっと別の見方もあるんじゃないかな。」とその犬について考えたり思ったりすることが、身近な犬への理解にもつながってきます。

冒頭に述べた動物の動画配信の音声は悪ふざけのコメントのようなものばかりでした。その動画を見て不快感を覚えてしまうほどです。ファンタジーは境界線を越えるとどこかで実生活に影響を及ぼします。目の前に生命のある生き物がいます。犬、猫、鳥、野生動物、虫たちなど、ファンタジーを繰り広げなくてもわたしたちをワクワクさせてくれる存在がたくさんいます。これらの命ある生き物と同じ空間で生きていることをお互いを知るという行為を通して楽しめる方が増えることを願っています。

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雪の日の犬たちのお預かりクラス

今年2回目の積雪です。今回は長い。前回のが降り積もらなかったというならば、今日はしっかりと積もりました。最高ではないけれど、柵の上に10センチ以上、地面には20センチ程度の積雪ですから積雪といえるレベルの降り方です。そして、現時点でもまだ降り続けています。

今季2回あった積雪ですが、そのどちらもが犬たちの預かりクラスのために七山校にとどまることになりました。顔見知りの2頭の犬といっしょに山篭りしています。

昨日の朝は積もった雪がアイスバーンになってしまい、庭でもすべりそうなゴチゴチの地面になっていました。犬も滑りやすく動きもゆっくりになります。ふんわりした積雪とは違って足裏の冷たさも相当のものなのか、すぐに部屋にはいってきました。

今朝はふんわりで真っ白の雪のじゅうたんですが、その下には昨日凍ったアイスバーンが。
やはりゆっくりとすすみますが、さすがに少し興奮してきたようです。

dav
若い犬なら走り回るところですが、さすがに年をとると興奮度もそれほどではなく、緊張すると一旦大人しくなるというところですね。こういう時は、室内に入ったらとたんに興奮することがあります。落ち着かせはどんなときにも有効ですが、自分で自分を落ち着かせることのできる自律した犬は少なくなりました。かといって、放置しておけば興奮は増すばかりです。人の管理による環境制限や特定の合図などで落ち着かせるしかありません。

動物は生物ではありません。よく活動するようにできています。動きながら調べる、動きながら学習し経験し、動きながら活動することを生きるというのでしょう。人も動物ですが、他の動物とは少し動きが異なります。人は他の動物と比較すると圧倒的に大脳皮質を発達させた動物です。人のいう活動というのは、体を動かさずに大脳を動かすことを含みます。そういう意味では人も犬と同じようにいつも活動しています。

テレビを見ている、ゲームをしている、スマホをみている、ipodで音楽を聴いている、パソコンで文字を打っているなど、常に大脳を活動させています。

犬は体を活動させ環境を探索する動物であったはずですが、室内での生活では活動することを制限されています。人がテレビをみていても犬はテレビをみないしゲームもしません。妄想もしないし、音楽をかけていても人のように聴いているわけではありません。屋外で暮らす犬たちもつながれたままなので活動できず、犬という動物にストレスがたまっていくのも当然のことです。

家の中や限られた場所で犬を動かそうとすれば、柵の中でするスポーツや犬とおどるダンス、室内で芸やトリックを教えるといった事しかできません。こうした特定の動きは犬の本来の活動ではありませんが、一定のエネルギーを消耗してくれるので犬はすぐに疲れて寝てしまいます。私も以前はクラスの中でトリックの教え方などの練習をしていたこともあります。ですが今は積極的にはしません。

なぜかというと、犬が生きていく中でする権利のある本当に必要なことを取り上げておいて、人の都合にあわせて消耗させてしまうのはやはり不公平だと感じるからです。犬本来の活動をする学習の機会を犬に与えるなら、都心で生活する飼い主さんは多大な時間と労力を必要とすることでしょう。飼い主さんが自分の生活が忙しくどうしてもそれは無理だと感じられるなら、限られた人の作った空間の中で犬を人の号令によって活動させることで他の世界を教えないというのも仕方なしとして受け入れます。飼い主さんの価値観はそれぞれですし、必要な世話をする人には犬を飼う権利は与えられています。

この考えとは別に、犬と暮らし犬を愛する全ての人に対して、犬が本当に必要としている「犬の欲求」を知っていただきたいのです。その上で自分にできることを考え、できないことはできないとして切り捨てていただいて構いません。ただ犬が旅立ってしまってから「犬のことを知らなかった」という残念な気持ちを抱いてほしくないのです。どのような飼い主さんにも犬のことを知る権利があると思って伝えているのはそうした思いから発しています。

長い間自然から遠ざかっていた犬や知らない場所に連れてこられた犬は、最初はなかなか環境になじまず落ち着かず、自然に探索することもできません。人に行動や自分を守ることすら依存していますので、行動に自律性がなく不安定になるのは当然のことです。車椅子に乗っているクララにハイジが立って歩くことを促したようなものです。クララは車椅子から立ちあがろうとしても怖がり何ども車椅子に逃げ帰ってしまいます。クララの家庭教師は「かわいそうに」とクララをかばいますが、やがてクララは本当に自分の脚で立ちたいと思い、そしてその自律をハイジやその仲間と自然が見守り続けます。

自然にはじめて接した犬を見ると、まるで車椅子のクララをみているような思いです。そして、犬が汚れることを不快に思ったり、かわいそうにと思う飼い主の存在中では、犬の自律行動を促すことは無理なので、飼い主さんができる範囲内にとどめたほうがいいと思います。

犬の飼い主といっても、現代ではいろんな飼い方や暮らし方があるのだなと思います。
犬にとってどれが幸せかと考えるなら、自分だったらとまず考えてください。どれが正しくでどれが間違っているということもありません。ただいえるとすれば、その犬が中身から輝いているときにはドキドキするほど美しいものだということです。難しい、わからないという方は犬の瞳の輝きを見てください。人と同じく瞳の輝きは幸せの基準です。



dav

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犬を見る眼、思い込みがつくる「歩けない」という事実

今までにいろんな犬のことについてご相談を受けた内容の中には、明らかに思い込みによって犬の行動を制限してしまうということがいくつもありました。犬の行動に制限がかかることや犬が拒否していることのすべてが飼い主の思い込みだということではありません。ただ、ビックリするような思い込みによる制限というのは、本当にあるのだなという事実をご紹介します。

以前、盲導犬育成施設のパピーウォーカー指導を担当していたことがあります。パピーウォーカー制度についてはずい分とメディアでも紹介されていますのでご存知の方も多いでしょう。パピーウォーカーは盲導犬育成団体が繁殖をしたり盲導犬候補生として準備した生後2ヶ月齢ほどの子犬を、1歳くらいまで家庭の中で育てていただくボランティアのことをいいます。

パピーウォーカーのご家庭には必要な条件がありますので、申込後も書類の審査や家庭訪問での環境チェックなどを経て一定の条件をクリアされた方にお願いすることになります。子犬を預けるときには、子犬飼育規定がありますのでその内容に沿って育てていただき、私が担当していた当時は月に1回の家庭訪問もしくは講習会を開催して、勉強を重ねていただいていました。子犬育てについての質問は随時受け付けしていますが、家庭訪問や講習会の際には指導員が子犬の成長が順調かどうか、身体的な面から社会的な発達も含めてチェックが行われます。

この講習会のときにパピーウォーカーさんのおひとりから相談を受けました。
「自宅の家の前から道路に出るまでに2メートルくらいのわずかにスロープがあります。そのスロープを歩くことができないので、いつも抱っこして道路に出し、帰りも抱っこしてスロープを越えています。問題ではないでしょうか。」とのことでした。
家庭訪問をしていますのでお家周辺の状況は頭の中に入っています。確かに家の前に2歩くらいで渡れるスロープがありました。地面はコンクリートで安定はあり特に問題のない環境でした。

犬は確かにコンクリートなどの固い路面の坂道があまり得意ではありません。子犬はバランスが悪いため、脚に力が入ってしまいます。固い路面では指先や爪を地面に食い込ませるストッパーが働きにくいため、子犬は坂道になるとひっぱりが強くなったりストレスにより拾い喰いをしたり地面を臭いながら歩くような行動をすることもあります。

このスロープを全く歩けないとなると確かに問題です。

ちょうど講習会を開催していた場所の外側に、車が通行する道がスロープになって作られていました。
昔はビデオみたいな機器はありませんでしたらから、実際に歩かない行動を見せてもらうために、試しにこのスロープを使ってみましょうということになったのです。

子犬をつれたパピーウォーカーさんがスロープ近くまで平面の地面を歩いていきます。いざスロープにさしかかると子犬は全く動かずパピーウォーカーさんはリードいっぱいまで離れて呼びますがそれでも動きません。
今度は下り坂ではどうだろうと子犬をスロープの途中まで抱き上げて移動させてもらい、そこから下りのスロープを歩いてもらいますがやはり子犬は動きません。

ところが見ていると子犬は動こうとして動けないという行動を全くとっていないのです。
パピーウォーカーがスロープにさしかかると止まり、そして歩こうとチャレンジもしないのでバランスを崩すこともありません。これは歩けないのではなく歩かないだけではないのかな、という疑問でした。
それでリードを持つことを私に代わっていただき、子犬にいっしょに歩くことを促しました。

すでに結果はおわかりでしょうが、スロープを普通に歩行します。上りも普通に歩き、下りも普通にいっしょに歩いて下りてきます。途中で方向を変えることも可能です。
もちろん、見ていたパピーウォーカーさんはビックリです。私がどんな魔法を使ったのかと思ったでしょうが、私は特別に何もしていません。

「歩きますね。」といって再びパピーウォーカーさんにリードを渡しました。
子犬は何事もなかったかのように(子犬にとっては何事もなかったのでしょうが)、パピーウォーカーさんとスロープを歩いていました。そのときのパピーウォーカーさんは本当にビックリしたという表情でした。

おそらくですが、最初はスロープに多少抵抗を示したのでしょう。リードをつけての歩行になれていないのに、テリトリーを離れる緊張や、坂道というなれない場所であるという事実はあります。そこでパピーウォーカーさんがその場所を抱っこするという処置を行ったため、子犬にとってはここは抱っこする場所という風に学習した可能性があります。さらにパピーウォーカーさんの方には、このパピーはスロープを歩けないという思い込みモードにはまってしまい、どこかで犬に制限をかけた可能性も十分にあります。

犬の世話をしている飼い主やパピーウォーカーが、犬ができないと思っていることが実は普通にできたりすることだという事実はたくさんあるのです。ハウストレーニング中に、ハウスには絶対に入らないし入れると暴れるといわれて連れてこられた小型犬を、私がハウスに入ることを促したあとは、全く吠えずに静かにしていて、その後は自宅でも車でも入り口を閉めても落ち着いていられるようになったという例もありました。

思い込みという世界は、犬を見る眼だけではないと思います。
他にももっとたくさんの思い込みで自分を制限したり、周りを制限していることがあるのかもしれません。犬にできないことを期待するのはエゴですが、犬ができることを最初から認めないことも犬への信頼を損うことです。

犬への思いが強すぎて思い込みが激しくなる、そういうときはどこかで犬がやりたくないことを楽しんでいると思い込むことも起きてしまいます。犬の行動は真実です。行動をしっかりと見ることができるようにこれからも勉強します。



dav






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子供に犬のリードを持たせてはいけない理由

子供に犬のリードを持たせたことによって事故が発生した話を、偶然にもおふたりの方から聞きました。
街中で最近ずい分と増えた危険な行動だなと思っていた矢先だったので、ブログで取り上げたいと思います。

ひとつは生徒さんがラジオで聴いたそうです。パーソナリティが歩いているときに、子供にリードを持たれた大型犬が近づいてきて太ももを咬まれたという話でした。ずい分痛かったようで少しパニックになられたようです。救急車を呼びたいけど番号を思い出せないというような話だったそうです。子供が何才だったのか、犬がどのくらいのサイズであったのかは不明ですが、太ももに咬みつかれたのであれば、中型犬以上のサイズの犬だったのでしょう。咬まれたご本人は怖い思いをされたことでしょう。

もうひとつの話は、幼稚園の年齢の子供さんに小型犬のリードを持たせて歩いていたところ、庭先につながれている日本犬がいて小型犬がかみつかれたという知人の知人の実話でした。庭先につながれているその庭に少し立ち入ったのでしょうね。幼稚園生の飼い主さんはそばにいたようです。小型犬は12歳以上の老犬とのことでした。リードの引っ張りもなかったから小さな子供さんにリードを持たせたのかもしれませんが、4歳の幼児にはできない仕事です。

子供に犬のリードを持たせるべできはないと思います。法律での規制はありませんが、子供ができないことはさせないというのはあまりにも当たり前のことだと思うのです。
何才になったらリードを持ってもいいのかといわれても年齢で区切ることはできません。
一定のラインを設けるならこのように個人的な意見を提案します。

犬のリードを持ってもいいのは、中学生以上の自制のできる大人として成長した人であることです。
中学生であっても親に頼りがちな生活になりやすいため、何かあったときには対応できません。
ですから、中学生になったら親が見ている範囲内でリードをもって散歩にいく練習をするという程度に考えています。
さらに付け加えると、体重が15キロ以上の中型犬については、18歳を過ぎてからと考えます。

おそらくみなさんが考えているよりもずっと年齢が高いと思われるでしょう。
これにはいろんな犬の習性から見る行動学的な意味を含みます。

犬にとっての散歩はただのリラックス運動ではないからです。犬にとっての散歩はもっと大きな意味を持ちます。

散歩はイヌの群れ行動です。

生活圏のテリトリーに最も近い緊張すべき場所を見回りしながら歩くという行動です。
小さくなりすぎた小型犬たちは見回り行動はしていないかもしれませんが、多くの犬が散歩中に他の犬の臭いをとりたがったり、多くのメス犬がオス犬と同様に脚を上げて排尿するようになっていることを見ると、犬たちのなわばり主張は一昔前よりもずっと厳しいものになっているように感じます。
犬は散歩を楽しんでいるということよりも、犬たちにとっての散歩は社会活動の必須であるところが多く、その分緊張も高いのです。この緊張感の高い散歩の時にリードを持っている人は、まさに犬をリードする人です。犬は拘束されており自由行動ができません。リードを持っている人を信頼していなければ、散歩は緊張の連続になってしまいます。リードを持つべき人は犬の緊張や興奮を上手に抑制する力を持つ、家族の中での親的な存在です。

この理由だけでもリードを「誰が」持つべきなのかは限られてきます。お父さん、お母さん、社会人のお兄ちゃん、お姉ちゃん、体力と知覚の衰えのないおじいちゃん、おばあちゃんといったところでしょうか。ご家族の中で、誰がリードをもって散歩に行くかによって犬の散歩中の行動が変化するのであれば、それはまさに犬と家族ひとりひとりの関係の表れです。たとえば、室内ではしょっちゅうオヤツをくれるお父さんにべったりなのに、いざ散歩に連れ出すと人や他の犬に興奮したり吠えたりするという状態であれば、その人と犬の関係は信頼関係とはいえません。行動はすべて犬からのメッセージですが、散歩の時の犬の行動を家族毎にチェックしてみるのも、犬を理解するきっかけになるかもしれません。

リードで拘束された状態で歩かなければいけない犬が信頼関係を築けていない人に連れられて歩いた場合には、環境に適応する力を伸ばす社会化がなかなか発達できず、年齢を追うごとに散歩嫌いになったり、散歩中に興奮するようになってしまいます。

ここまでは犬の立場の方から子供がリードを持ってはいけない理由を述べました。

逆に子供の立場から考えてみましょう。
犬のサイズが大きければ、子供がリードをひっぱられて事故にあう可能性を考えるため、犬のリードを持たせない親(=飼い主)はいるでしょう。犬のリードのひっぱりによる危険性は、普段はリードを引かずに歩くことのできる犬でも、犬が刺激に対して突発的に起こす行動の可能性、つまり危険性を最大限に見積もるとより慎重な判断が必要になります。

では、体重の軽い小型犬のリードなら危険がないから子供に持たせてもいいと思うのでしょうか。実際、小型犬のリードを持って散歩している子供が多いことからも、飼い主さんは子供の危険性を考えて小型犬なら引っ張られることがないから大丈夫という気持ちで、子供にリードを持たせてしまうのかもしれません。
中には、子供に動物と関わり情緒を育てる動物愛護の教育の一環として、積極的に子供にリードを持たせる親もいるのかもしれません。残念ながら、この教育は子供の情緒を育てる教育にはなりません。なぜなら、情緒とは環境に接して湧き上がる喜びや悲しみといった豊かな感情のことを指すのだと認識しています。その感情のさまざまは、人や自分に近い存在である動物との共感性と共に育まれるべきだと思うからです。
子供にリードを持たれた犬の表情や行動をよく観察してください。緊張感や恐怖に溢れ、興奮している犬もいます。ストレスで落ちているものを口にいれてしまう犬も多いでしょう。右に左にとリードをひっぱって逃走しようとしている犬の姿も見たことがあります。これらの犬の精神的なストレスを、親である飼い主も共感していないのに子供に動物との共感が生まれるのだろうかと疑問を感じます。

子供が豊かな情緒を生み出す動物との関わりは、その動物が動物としての本来の習性的な行動を発達したり発揮することができ、基本的な欲求を満足して成長していくその安定した動物の精神との関わりなのではないでしょうか。そして、この動物の健全は精神の発達はイヌからすると環境の乏しいこの都市空間で実現させるのは、本当に困難なことだと感じています。

子供達がこれ以上動物の心と離れてしまわないためには、動物たちと距離をとって触りたいという欲求を抑えて、自分が本当に知るまで、考え観察して待つことだと思うのです。昔は砂場遊びのときにはゲンゴロウが出てきたりしていました。遊び場の中にいつも生き物や動物がいて、それらと距離をとりながらでも毎日毎日たくさんのある子供時間を使って、動物との関わりを深めていったのではないでしょうか。その時間と空間が今の子どもたちにはありません。だからといって、手っ取り早そうだけど明らかに違っている動物との関わりを情緒教育として取り入れることには疑問を感じます。

子供達の豊かな未来に、動物との本当の共感の世界ができることを願って止みません。

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