グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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散歩の引っ張りを治す方法:犬の社会化としつけは環境を整えることが基本

犬の困った行動の相談の中でも「散歩中に引っ張るのを治したい」という相談はやはり多いです。

散歩の相談時にはこのような要望をされることもあります。
「他のことは全く問題がありません。散歩の引っ張りだけがよくなったらいいので簡単に治すことはできないでしょうか。」というものです。

結論からいうと、散歩中の引っ張りだけを治すために、散歩の練習だけをするトレーニングという方法を取り入れることはできません。もっと正確にいうなら、問題行動だけを封じてしまったら、犬が本当に必要としていることを与える機会を失ってしまいます。

散歩中の引っ張りだけを止めさせたければ、行動を矯正するような道具や方法を用いることになります。でも、それでは「散歩中の引っ張り」という行動で犬が表現している、本来の問題が解決されないままになってしまうからです。


散歩中に引っ張る行動が出ている犬は、室内などの散歩以外の環境でも問題となる行動が出ていることが多いです。

例えば、来客時に吠えるとか、庭の前を通行する人に吠えるとか。
他にも、とびつき行動やイタズラ行動が同時に起こっていることもあります。
留守中の行動や日常的な細かい行動チェックになると、もっと多くの犬のメッセージシグナルを見ることができるかもしれません。

犬の「どの行動」を飼い主が問題と捉えるかは、飼い主によってかなり違っていることがあります。なかには、来客への吠えとか、庭を通行する人に吠えることはあまり気にならないという方もいます。家具やじゅうたんをかじられるのは、あまり困っていないとか、犬だからテーブルにとびつくのは当たり前のことと思われていることもあります。

地域差はあるでしょうが、あまり人を自宅に招く習慣がなかったり、もしあったとしても気の知れた知人や親戚くらいなので、少し吠える程度は問題なしとされるのでしょう。室内での小さなイタズラは犬だから当たり前と見られることもあるようで、これらの行動は飼い主の関心を引かないこともあります。


散歩中の引っ張り行動をはじめとする、散歩中の様々な散歩が上手くいっていないのは、犬の環境への適応性が育っていない=犬の会性が十分に発達していない状態を知らせています。

社会性が十分に発達していないというのは、もっと単純な言葉でいうと「社会化していない」といことです。
社会化はしている、していないという白黒ではありません。こうした表現は誤解を招くかもしれませんが、社会化していないといった方が理解を得られると思いますのでここでは使わせていただきます。


犬の社会化はかなり誤解されて受け取られているようです。


社会化は散歩に出た外環境での学習だと思っていませんか?

そのように思うと、外に出て学習させることだけが社会化だと思ってしまいます。
たくさんの人に会わせるとか、たくさんの犬に会わせるとか、いろんな場所に連れていくというのは、社会化をすすめる方法ではありません。

散歩に出て、いろんな人や犬と出会う経験や、いろんな場所に出向く経験は社会化のチャンスではありますが、回数を重ねればいいというものではありません。
多くの人や犬に接触しすぎて、社会性が難しくなっている犬が増えてます。
飼い主が良かれと思ってやったことが、子犬のころには分からないのですが成犬になって思わぬ形で帰ってきます。
これはとても危険な方向です。


社会化の最も大切な部分が忘れ去られているように思えます。

どちらかという深く考えずにネットや本に書いてある犬のしつけや社会化のさせ方を実践されている方が多いようにも感じます。まず、書いてあることもよく考えてから実践されることをお勧めします。


以前はワクチン接種による拘束期間が長く、社会性の未発達の犬が増えて吠えや咬みつきの問題が非常に多くおきていました。
そのため、最近では以前よりも幼い年齢で散歩に出ることが推奨されるようになりました。体の健康も大切だけど、社会性の発達は犬の心と行動の両方に影響します。
その重要性が認められた結果ではあるでしょう。

幼い年齢から散歩に出たとしても、ただ散歩に連れ出すだけでは社会性は発達しないのです。

社会性を育てるために最も大切なのは、飼い主との生活環境です。
物理的な環境や接し方を含め、家庭が基盤になるのは人の子と同じです。

子供よりも難しいのは、犬が人でない種の異なる動物であるということです。

犬にとって必要な環境、接し方、コミュニケーションや過ごし方を理解することが
犬を、特に子犬を育てる上で何よりも大切なことです。

飼い主との関係性をつくることが社会化の基盤になります。
この部分がしっかりとしていれば、子犬の頃にパピーパーティに連れていく必要はありません。むしろこのことが、犬に対して興奮しやすい経験をさせてしまう場所になっていることも多いのです。

ところが子犬のころの社会化の経験学習が行動に出てくるまでには一年近くかかってしまいます。一歳近くになって急に散歩中に引っ張るようになったり、吠えたり、逃げたり、物に執着するようになったのは、急に性格が変わったからではありません。

今まで過ごした一年間の学習結果が、ちゃんと表現されているということです。

散歩中の引っ張り行動を改善したければ、散歩のやり方だけを変える対処法ではもったいないです。

せっかく犬が発している行動というメッセージを受け取り、ぜひ根本解決を目指してください。

人も犬も、どんなに小さなことであっても、環境を少しでも変えるというのはあまり得意ではありません。習慣になっているので、それを変えると落ち着かなくなるからです。
たとえばクレートの位置を移動させることすら違和感を覚えることがあるでしょう。


でも、前進したいという気持ちがあるなら、犬と共に安心できる暮らしを獲得したいという気持ちがあるなら、まずは一歩を踏み出してください。

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ゴールデンリトリバーによる子供の死亡事故について:もっと深く考えることで見えてくる犬の姿2

昨日のブログの続きです。

動物にとって重要な防衛行動をすることができない犬が、なぜ防衛行動することができにくい性質になってしまったのかという要因については、主に二つがあげられます。
ひとつめは、遺伝的な要因
ふたつめは、環境学習、経験学習による要因

ひとつめの遺伝的な要因は、人為的繁殖による影響が強いです。

昨日のブログでも説明したとおり、他者が近づいてくることに対する防衛行動は、吠える、唸る、ときには咬みつく行動に発展します。人が犬を愛玩として飼う場合には、人が犬を室内で飼育したり人の要求によって触ったり撫でたり抱きしめたり抱っこしたりすることに対して防衛をしない犬を必要とします。犬の愛玩化はこれらの人の接触を拒否せずに受け入れる犬を繁殖することにつながっています。

純血種の愛玩化された犬でも小型の場合には、吠えたり唸ったり咬みついたりする行動も、あまり問題視されません。
特定の人には依存して抱っこされる性質であることが多いため、家族には吠えるが自分には吠えないという状態であったり、そもそも犬が小さいので吠えることもあまり気にならないし、落ち着きなく行動しても抱っこしてしまえば大人しくなるからという理由もあるかもしれません。

愛玩犬でも大型犬の場合には抱きあげることができません。そのため活動性が低く防衛しない犬が、大人しく人が好きな犬と評価され繁殖されてしまいます。きちんと防衛できず居場所を獲得できない犬の中には過剰防衛が生じることがあります。その場合にも特定の飼い主には依存的にべったりとした行動をしますので、飼い主にとっては大人しく言う事をきく扱いやすい犬なのです。ただこれらの犬たちは外では手が終えないため次第に社会生活は縮小していき飼い主とだけの小さな社会になってしまいます。

過剰防衛にもいたらずただ防衛することもなく、居場所の獲得はできないけれど他者との距離感もないとなると、受け入れ先がある場合にはだれにでも接触したり体の一部に入ろうとします。脇の下、手の下、股の間など人間の空いているスペースに体を突っ込んでくる大型犬は依存傾向が強いといえるでしょう。
他にも、パーソナルスペースを持たず守ることのできない犬は、クレートからなかな出てこないとか、布団にもぐりこむ、コタツの中に入ってしまう、穴掘り行動をくり返すなどの行動をすることもあります。この場合は、過剰防衛ではなく過剰に隠れる行動をするようになるからです。

人の中にスペースを見出すと常に接触を求めます。座っていると接触するように寝る、人の座っている椅子に体をつけて寝る、手をかけてくる、触ってとせがむなどあらゆる方法で人のスペースの中に自分のスペースを確保しようとします。いわゆる分離不安状態です。これが拒否されれば、その辺に寝転んでしまいますが、かといって環境を十分に把握しているわけではありません。

見知らぬ物体が犬に近づいてきることで犬が警戒モードに入った場合、犬はスペースがあれば距離をとりながら対象を観察して情報を得ながら、さらに警戒をする必要があるかどうかを確かめます。警戒が溶けなければもっと距離をとるかもしくはクレートに入るなどの篭城作戦をとるでしょう。

クレートなどの逃げ場もなければ、吠える、唸るの防衛行動に転じます。
自分も逃げる体制をとりながら吠えるので葛藤した横とび行動をしながら吠えることもあるかもしれません。
それでも相手が後退せずに向かってくるときには、対象に歯を軽くあてる空咬みをします。逃げるタイミングを計るものなのでしっかりとは掴みません。そして相手がひるんだすきに逃げるのです。

しかし、逃げることもできないし防衛もできないとなると、犬はパニック行動を起こします。
突発的な攻撃に転じるため、少し強く咬みつく行動に至ったり、興奮して吠え続けたり、急に走り出したりすることもあります。

先ほど「見知らぬ物体」と書きました。赤ちゃんや子供が近づいてきたらそれは見知らぬ物体ではないのかと思われるでしょうか。
それは私たち人間にとって理解のできるものであり、犬が同じようにその対象を認識していると思ってしまうのは正しい犬への理解ではないと思います。

犬が対象を知るためには認知という「対象が何であるかを知る」という活動が必要です。
この必要な活動が生じないので認知も起こりにくいというわけです。

子犬の認知につながることについては、こちらのブログ記事を参考にしてください。
吠える犬にならない、犬との接し方

認知するためには対象を調べる必要があります。
調べるためには対象に近づいたり離れたりしながら、危険を回避しながら臭いをとる必要があります。犬の認知は臭いの世界で成り立っています。遠くから視覚的に見せるだけで認知していると思ってしまうのは人の誤解です。それは鼻の退化した人の視覚に中心をおいた認知の世界であって犬のものではありません。

行動ができない犬は認知力が低い傾向があります。近づいたり離れたりして距離感を保つことができないので、興奮して近づきすぎたり近づけなかったりしてしまうからです。特にその対象が動いている場合には、生物か非生物かの区別もついていないので、緊張感も高まります。

ハイハイをしているような赤ちゃんは明らかに人とは行動のパターンも違い、さらに子供は臭いも特別です。四つ足の動物のように受け取ってしまったり、例えば動く犬のオモチャを見せたときにも、そのオモチャに歯をあててしまうような行動をする犬はいるのです。

赤ちゃんに咬みつきが起きるとすぐに「犬が嫉妬した」という受け取り方をします。
嫉妬というのは感情的なレベルの話であって、動物の行動としての科学的分析にはかけています。
赤ちゃんへの咬みつき事故が犬の嫉妬として片付けられないことを願います。

認知に関して補足すると、最初に犬が人と会ったときに、その犬が自分に興奮してとびつくもしくはなかなか近づいて臭いをとろうとしない場合には、社会的にかなり緊張が高く認知力も育っていないことがわかります。こちらがじっとして立っていても、ついには臭いを取りに来ない犬も増えています。これは人に対して明らかに無力になりつつある犬の行動であり、生活環境や飼い主さんとの関係の影響を受けている結果です。

また、ここで間違えていただくないのは、犬が近づくものすべてに近づけていいというはなしではありません。特に認知力が育っていない子犬や成犬の場合には、対象に対していきなり近づいてしまうことがあります。好奇心だけでなく人との関係性が確立できていない場合には社会的ストッパーがかからないからです。もし野生の犬科動物であれば、子犬がストップをかけられないうちはあらたな環境に接する機会を制限しますし(たとえば猟や移動に同行させないなど)、他者が近づこうとしたら他者のほうに距離をとるように促すこともあるでしょう。こうした判断は種もことなり成長する環境も異なる人にはなかなか理解し難いものです。
とりあえず、認知をすすめる社会化は接触させることが大切なのではなく、環境制限と関係性が必須なのだということを考えてください。

というのは、社会化練習としてたくさんの人や犬に合わせた結果、社会性が確立できず興奮しやすい犬や、過剰防衛する犬になってしまうことがあるからです。犬のしつけやトレーニングが方向性を失うとこのようになってしまいます。

さて、この防衛できず居場所の獲得もできない犬に必要なのは、環境を十分に管理するということ、つまり犬が理解できないような刺激を与えないということ、そして何よりも大切なのは、犬自身がパーソナルスペースを確立して上手に距離を図る防衛力を発揮し、室内や庭環境であっても変化する環境に適応する本来の社会化を発達させるように飼い主が導くことです。

環境を管理することは物理的に可能でしょう。
来客に対する制限、新しいものに対する制限、クレートや境界をつくる物理的なものの利用。
まず最初はここからスタートするしかありません。

ただ、管理だけとなり行き過ぎてしまうと、結果として犬はほとんど監獄のような生活を強いられます。
動物の飼育には管理は必要ですが、家庭犬にはもっと大切なことがあります。

社会性を発達させる機会を得ることは、犬の生き方と過ごし方を決めます。
そして、その社会性の発達の機会は飼い主にゆだねられているというのは過言ではありません。



最後に、ネットに掲載される記事や、メディアで報道される内容を鵜呑みにしないようにすること、
このブログの内容もよく考える機会として使っていただき、各自が考えることが大切であるということを強く訴えます。

犬と人がより良い関係になるために、犬のことを考える時間がみなさんにとってより楽しい時間になりますように。




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ゴールデンリトリバーによる子供の死亡事故について:もっと深く考えることで見えてくる犬の姿

先週、国内でゴールデンリトリバーが赤ちゃんに咬みつき死亡するという事故がありました。
亡くなった小さな命には哀悼の意を表します。
またご家族など関係のある方々の深い哀しみがいつか癒されることを願っています。

この事故についてたくさんの方にご質問やコメントをうけました。
犬と暮らす方もそうでない方も関心の深い事故だったのだと思うとともに、私たち人間がいかに犬のことに対する理解にかけているのかということを思い知らされることにもなりました。それは周囲の方のコメントだけでありません。メディアやネットで公開される内容のすべてを確認していませんが、現時点でその多くは科学的な分析にかけており感情的なレベルが先行しているように感じます。

この事故について直接的に解説をすることはできません。なぜなら、現場がどのような状況であるのか、犬がどのように飼育されていたのか、犬の個体の性質を得る情報など、正確な状況を知ることができないからです。ニュースで公開されている情報も正確なものであるかどうかはわかりません。

ただ、少しでもこうした不幸な事故が起きないようにするためには、ひとりひとりが「犬を動物として正しく理解すること」しかありません。

今日は似たようなケースや部分的な状況を上げることで、犬の行動の読み取り方や環境が犬に与える影響、現在の犬たちに起きている問題点についてお話ししていきます。
長くなりますので、分かるところから読み解いてみてください。

まず、ゴールデンリトリバーの咬みつき(咬傷)事故を聞いてもビックリするようなものではありません。ゴールデンリトリバーをふくめ周囲から「おとなしい犬」を思われている犬が赤ちゃんに咬みつく事故というのは実際にときどき起きています。

犬は犬種により行動の似たような特徴が見られます。
本来は犬を活動させる使役犬、競技犬、スポーツ犬としてヨーロッパを中心に純血種の繁殖が繁殖されたためで、現在では顔がかわいいとか変わっているという趣味の世界に入ってきていますがそれでも長い人為的繁殖のくりかえしによって根付いた特徴のある行動のパターンがあります。

ゴールデンリトリバーの主な性質は活動性が低く警戒吠えなども出にくく防衛が低いことが「飼いやすい」というのが一般的な評価です。補助犬や警察犬といった使役犬としてまれに活動していますが服従性はあまり高くないためその多くは家庭犬として飼われています。

ですが咬みつき事故など他の面においても個体としての犬について話す場合には、ゴールデンリトリバーがという説明にはなりません。なぜなら、個性は犬種の性質を超えるからです。
他の例になると、柴犬はすぐに咬みつくとか、ミニチュアダックスは吠えるという犬種と行動と直接的に結びつけて行動の評価を下してしまうのは犬種でした犬の個性をみない差別的行為になります。

周囲から「おとなしい犬」といわれ、人に吠えたことも咬み付いたこともない、いつもからだを触らせてくれるような犬がなぜ赤ちゃんに咬み付いたのかという風に考えてみます。

「この犬はおとなしいんです。」といわれる時、どこが大人しいといわれているのかわからないことがあります。大人しい犬といわれやすい犬は、吠えない、咬みつかない、とびつかない、走り回らないという感じでしょうか。もしくは「大人しくいつも抱っこされている犬」なのかもしれません。今回は大型犬に絞りたいので大人しい大型の犬ということにします。

大人しい犬といわれる犬は、活動量が少ないです。あまり動かないでじっとしていることが多かったり動くときもゆっくりであったりします。活動性が低い理由はふたつに分かれます。超大型犬では活動するのに血液が循環するのに一定の時間が必要になりゆっくりとした動きになります。通常の犬で活動性が低い犬の多くの犬が活動することができない犬になっています。

動物は動いて活動することで生命の維持をしています。活動する必要のあるときには常に活動します。そうしなければ死んでしまうからです。家庭犬は人から餌をもらい繁殖行動もしなくなり人為的繁殖により愛玩化が進んでいますので、活動をする必要がなくなり野生動物よりも活動性は低いなります。

それでも活動しなければいけない理由があるとすれば、その一番は防衛です。環境の変化を察知しその状況に応じて自分の身を守るために必要な行動をとります。その中には立ち上がる、唸る、吠えるという行動があります。もしくは戦えないと思うと逃げる行動にも転じます。これは動物の基本行動なので愛玩化した犬にもまだ残っていることが多いですし、動物としては正常な行動です。全ての動物は「闘争」と「逃走」を抑制しつつもうまく使いながら、全ての動物との距離を保っています。

これらのお互いの距離感があることは反対の側面からみれば自分の居場所を確保しているための重要な活動です。ところが愛玩化によりこれらの正当防衛できなくなってしまった犬は自分の居場所を確保することができません。
犬と犬の対面シーンで想像してください。ある犬が大人しい犬に近づきました。その大人しい犬は顔を背けたり下がることもなく、服従行動を見せることもなくじっと立ちすくみただハアハアと言っています。近づいてきた犬が自分のテリトリーを主張しているとしたら、闘争に制御のかかりに犬の場合には牙をあてる空咬み行動に発展することもあります。「なにもしていないのに咬みつかれた」という例です。しなければいけないことをしないとお互いの距離や関係性が保てないため、そのことが相手の咬みつきを引き出した例です。

これらの、自己防衛ができずにテリトリーもつくれず居場所を確立していない犬は、飼い主のスペースに依存します。飼い主がいないと落ち着かない、鼻をならす、ものを壊す。飼い主がいるとそばをついて回る、手をかける、撫でることを要求する、構うことを要求するなどの行動がでます。分離不安傾向のある犬なので分離不安に関する過去のブログ記事も参考にしてください。

ラジオ番組「月下虫音」で分離不安の話をしたこと

大型犬で分離不安傾向のある犬は飼い主にべったりとくっついてきたり、手の下、脇の下、またの間など体の一部に自分の顔を押し付けたり押し込んだりする行動を繰り返します。人が触っているとその人のスペースの中に入ることになるので、触られていると居場所ができるため落ち着いてきます。そのことが触られるのが好きな人好きの犬という勘違いをされる理由にもなります。好きなものには近づく、嫌いなものからは離れるのが行動のパターンなのでそう思うのも無理はありません。
ただ、関係性においては「好き嫌いは妄想の産物。」好きは一瞬で嫌いになることを経験されたことはないでしょうか。人と犬の関係の中には好き嫌いといった曖昧な表現は現状把握を曇らせます。

人の心理学のコトバを借りていえばパーソナルスペースを確保できない犬は人への接触が多くなり、人好きな犬と勘違いをされやすいという事実を認識します。


続きはまた明日。




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恐怖行動<おびえる犬>への接し方と依存と社会性の違いについて

犬を飼っていない友人と話をする機会を得ました。
友人が言うには彼女が知人宅を訪ねたときに、保護施設から迎えた小型犬を飼われているご主人が、犬をずっと抱っこして散歩にも行けないし奥さんが触ることもできないような状態だといのうです。ご主人がいうには犬は殴られるなど虐待を受けていたのだというのですが、友人は散歩も抱っこで常にビクビクとしているような犬にはしてあげられることはないのだろうかと感じていたらしいのです。

こうした「おびえる行動を示す犬」に対して少し誤解が生じ、その接し方が問題を難しくしていることがあります。

犬をペットショップで購入するという方法とは別に、保護施設などから引き取るという選択があります。少しずつですが動物保護施設や動物愛護団体などから、飼い主が飼えなくなった犬や心無いブリーダーが放棄した犬を家族として迎えてくださる方も増えているようです。こうした犬を保護施設から迎える選択が増えることを願っていますが、同時に注意しなければいけなこともあります。

今日は、施設に収容された犬を犬を保護施設から迎えた飼い主さんや一時預かり先のご家庭で、特に注意していただきたいことについてお話しします。

保護された犬の多くは「おびえる」行動を示すようになりやすいという事実があります。
この行動の要因について分析していきましょう。
「おびえる」行動を具体的に説明すると以下のようなものです。

震える
硬直する
尾を巻き込む
逃げる
隠れる
手をかけてくる
抱きついてくる
とびつく
体を接触させてくる
耳を倒す
小さく唸る
失禁する


犬がこのようなおびえ行動を表現しているのに接する飼い主さんに対して、犬がどのように行動しているのかを尋ねると、ほとんどの方が「「ビクビクしている」とか「怖がっている」という風に答えられます。冒頭の友人が接した飼い主さんも同じような感想を持っていたようです。

これらの行動の中には恐怖行動が含まれています。犬が恐怖を感じたときに表現するコミュニケーションの方法です。尾を巻き込む、失禁する、硬直する、震えるなどは動物病院ではよく見られる行動です。動物病院が悪いのではなく、犬という動物は何か独特の雰囲気を察知してしまうということなのでしょうが、動物病院で一度も処置を受けたことのない犬でもこのような恐怖行動を示すことがあります。これらの行動は恐怖行動であり犬が怖がっていると人が受け取るのは当然のことですしその表現方法についても誤解はありません。

上記にあげた行動リストをもう一度見てください。恐怖行動の他に少し違う傾向の行動も含まれています。
「逃げる」という行動は恐怖行動と同時に出現しますので、逃げる行動も恐怖行動と同じ扱いをうけやすいものです。上記の動物病院の例でも、診察台の上では震えたり硬直している犬が、診察台を下りると逃げようとする行動をすることがあります。犬は同じ状態ですが状況が変わると「逃げる」という行動に転じるということです。

リストには恐怖行動や闘争行動とは少し違う行動もあげています。例えば「抱きついてくる」「体を接触させてくる」という全く別の行動が入っているように見えます。恐怖行動を示している犬が、飼い主もしくは特定の人に対して表現している行動なので人はこれらの行動を「怖がっているのね、私に助けを求めている、かわいそうに」と犬を抱きしめたりさすったりしているのをよく見かけます。
この対応には大変問題があります。これらの接し方が犬に与える影響については、のちほど説明します。

これらの方向性の違う二つの行動は犬の同じ状態です。対象や事象によって反応が違うというだけで、犬の状態としては同じことになります。ひとつは「逃走行動」ひとつは「闘争行動」と、どちらも犬のストレスを表現する行動です。犬が環境から受ける刺激(音、ものの存在を知ること、対人、対犬などいろいろ)に対してストレスを表現います。犬はストレスを感じている状態であるということがわかります。

このストレス行動は犬の日常生活の中では見られるものですが、これらの行動が多発する状態になると犬は常にストレスにさらされていることになり、そのおびえるような行動も日常化していきます。

ここで重要な行動の見方の間違いについてあげます。
恐怖行動やストレス行動として表現される犬のおびえる行動を、怖がっている、ストレスを感じていると受け取ることは間違いのないことは前述しました。ただ、この犬の行動に犬の感情を重ね合わせるようにして対応してしまうと、犬の今後の行動はますます難しいものになってしまいます。具体的には問題のある犬への接し方としてあげた「怖がっているのね、かわいそうに」と犬を抱きしめたりさっすったりしてなだめる人の対応です。
これは犬を擬人化したことでおきてしまう対応です。すべての人が同じようにするかどうかは不確定ですが、怖がっている人がいたらさすってなだめてあげる傾向は人という動物には多少なりともあります。子供が怖がっていたら、かわいそうにと撫でたり抱きしめたりすることでしょう。

犬に対して接するときにはまず犬が人と同じような行動をしたとしても同じような感情を持っているかどうかはいつもグレーの状態でいてほしいものですが、もし同じ感情を持っていると断言される方がいたとしても特にそのこと自体は問題ありません。
問題なのは、こうしたなだめる接し方をされ続ける犬が、その後どのような社会性を身に付けていくのかという経験学習です。おびえている犬をさすったり抱きしめてなだめる人の話を聴くと、「人の愛情を知ればこの犬も心を開いてくれる、そして人が大好きになるに違いない」と思うことからそのような接し方をされているようです。
ところが現実はどうでしょうか。特に子犬のころからこのような接し方をされて成長した犬の社会的な行動について冷静に観察してみてください。
それらの犬たちは次のような行動をしていないでしょうか。

特定の人にはなついているが特定の人飛びついて甘える
特定の人抱っこをせがむ
その人がいないと落ち着かなくなる、鼻をならす

と特定の人には甘えるような依存的行動を見せ始める反面、他の人にはおびえや吠える(逃走もしくは闘争行動)をするようになり、周囲の物音にも敏感になり警戒吠えも高くなり、他の犬にも吠えたり逃げるなどの行動を示すようになります。
これは冒頭の友人があった飼い主であるご主人がいつも抱っこしているのに、奥さんにはなつかず部屋の中を逃げ回っている状態と同じです。

こうした状態にいたったときに犬になつかれたように思ってしまう特定の人(飼い主もしくは保護犬の預かり者)は、この犬は他人は信用しないけれど自分にだけ心を開いてくれる、小さいころに怖い思いをしたのだから他人を怖がるのも無理はない、といったいろんな理由をつけて、犬の社会性が発達しないことを正当化してしまいます。

実はこれは大きな勘違いです。
わかりやすくいえば、特定の人にはなついているけど他者には逃げたり攻撃したりする犬の社会性は発達していません。特定の人に対する行動は社会的に開かれ発達した社会性のある行動ではなく、依存的、執着的行動です。その人がいないと落ち着かなくなる、鼻を鳴らす、クレートから出てこないのに、その人が来るととびつく、接触してくる、膝にのる、手をかける、なめるなどが起きるのです。人に依存したり執着する行動は、人に対する社会性のある行動と間違えられることがあります。なぜなら、これらの依存行動を「わたしのことが好き」と勘違いしてしまうからです。

これって社会性が発達するという社会化じゃないの?じゃあ何が社会化なの?と思いますか。
人におびえている犬がいてその犬が特定の人との接触によりその人と社会的な関係を築いていき、その犬の社会化が少し発達してきたとします。実はその社会化は、他の社会的な経験を後押しするものになるのです。本当の社会化とは、ひとりの人に接して人に対する社会性が発達をすると、別の人に対する社会的行動にも変化を及ぼします。つまり別の人に接するときのおびえ行動が減っているという行動の変化を見ることができます。特定の人との関係がテリトリーを同じくするグループ内で行われたものであれば、周囲の物音や刺激にたいするおびえも減ってくるため、その犬の社会化の過程を十分に観察することが可能です。

依存や執着と社会化は違う。

社会性という発達についてもう少し客観的に見ていくと違った風景が見えてきます。

付け足しになりますが、保護犬がおびえを示すようになったのは、必ずもたたかれるなどの暴力による虐待を受けたわけではないことがあります。中には、元の飼い主のところで飼育放棄状態になり、ケイジから出されず満足な餌を与えられる事もない経験を経た犬もいます。。暴力的ではないのですが精神的ストレスを与える虐待であり、こうしたネグレクトという状態の方が多数発見されています。
また、そうした経験がなくとも、保護施設や愛護団体などで多数の犬を収容するような環境で成長した犬の一部はおびえを示すようになります。人がどのようにやさしく接しても、その収容施設という環境が犬に与える影響が強いため、犬はストレス過多となるからです。動物の収容施設といってハード面でストレスをできるだけかけないようにと建設された施設は国内でもごくわずかしかありません。新しく建設された動物保護施設を見学したときも、せっかく莫大な資金を投入して施設を作ったのになぜこのような構造なのだろうかと疑問を感じることばかりです。資金のない施設では工夫を凝らして環境整備を行っています。それでも、社会化の確立していない子犬がそのような多頭を飼育する施設に収容されれば、必ず影響を受けてしまいます。
子犬、特に生後4ヶ月齢までの犬に必要なのは社会性を発達させる家庭的環境です。

保護犬を迎えられた方でおびえのある犬の社会性について真剣に取り組みたい方は、ぜひ犬の行動を観察して行動から犬の状態を理解することを身につけその犬の社会性の発達についてサポートをしていただくことを提案します。



※ブログの更新について→長文の行動学に関するブログを理解していただくためには数回くり返し読んでいただく必要がありますので、翌日のブログは写真のみ、もしくはお休みさせていただくことがありますのでご了承ください。
ブログをご覧になって何か疑問が生まれたりもう少し犬の行動学について学んでみたいと思われた方はぜひ「犬語セミナー」や「カウンセリングクラス」をご利用ください。



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Posted in 犬のこと

犬の認知:環境把握が犬の行動に与える影響について

都心で車を運転中にヒヤリとしました。
車線の多い大通りを通行中に車の前をカラスが低空飛行で横切ったのです。
その瞬間、自分の感覚ではギリギリでカラスとの衝突を避けられたと感じました。実際のところはカラスの方に余裕があったでしょう。カラスは歩道の他のカラスが先に見つけて食事にありついていた場に着地したのです。カラスの方は私や他の車が移動していてその速度も予測した上で、自分が車にぶつからずにその餌場に到着することを計算した上でのことだったのでしょう。
こうした野生動物の周囲の環境を把握した上での行動に接すると、人の環境把握のレベルはそれほど高くないように思ってしまいます。

環境把握というのは、自分の周囲を取り巻いている環境を把握するということです。これは動物にとってはとても重要な認知の作業です。私たちは生活している空間の中にある物体その他の環境を把握しているから行動をすることができます。屋外環境は刻々と変化しています。その変化する環境を予測することも環境把握に含まれます。

先のカラスと車の接近にしてもそうです。私もカラスもお互いに変化する環境を把握しながら移動していました。私は車を運転しながら前後左右の車や歩行者や信号が青から赤に変わることのすべてを予測して運転をしています。急に人が車の目の前に飛び出してくるようなことがあったらすぐにブレーキを踏む必要があります。運転席から見える範囲内の動いているもので自分の車に接近する恐れのあるものには注意を払っていたのです。ところが右上空からいきなり車の前にあわられたカラスを把握することができませんでした。本当はいきなりではなく右上から左下へと降下して来たのですが、その速度が非常に速いため自分にとっては突然目の前にあわられたように感じ対応に遅れてビックリしたのです。

カラスは毎日車の移動を観察していますので、車を環境の因子のひとつとしてとらえ、それが自分の行動を妨げるものになるかという計算を自然に行ってしまうわけです。車がカラスを捕食する動物ではなく、いきなり咬みついて来ないことも知っています。当然、都心は自然環境よりも移動しているものが多いため環境の中で自分の行動に影響を及ぼすものを認知していくことは大変なことのように思うのですが、逆に隠れた場所からいきなり現れない限りは上空から行動の範囲内である街を見下ろすカラスにとっては対したことではないのかもしれません。中には年をとって認知や行動が不安定になってしまったり、性質的に能力が十分に発達できないカラスもいるでしょう。そのようなカラスは事故にあってしまうのでしょうが、それでもこれだけたくさんのカラスが街中にいるのに道路で轢かれているカラスがほとんどいないのですから、その環境把握力は対したものです。

環境把握は全ての動物が生きていく上で重要な能力であるはずですが、この環境を把握する力の落ちている犬たちが増えてきているような気がしています。

環境把握は室内でも必要です。まず、部屋の間取りを覚えていたり、どのものがどこにおいてあるかを覚えていたりするものです。しかし年齢によっては物忘れが生じます。「あのポストカードどこに置いたかな?」などと、保管したはずのものをどこに片付けたのか忘れてしまうことがあります。それがしばらく使っていないものであれば問題ありませんが、よく使うものについていつも置いてある場所を忘れてしまうようになると、そろそろ自分の認知にも疑問を持つ必要が生じます。

室内での環境把握はほとんどが非生物であり動くことがありません。室内環境は屋外環境のようには変化しないのです。テラスでアイスクリームを食べているときには上空のトンビがそのご馳走をさらっていくことを予測しておくことは環境把握のひとつになりますが、室内でアイスクリームを食べていても何もおきません。
時に、室内に動くオブジェのようなものが登場したときにも、その物体が生物ではなく非生物であるという認知力があれば、そのオブジェにおびえる必要はありません。ところが犬の中には、クリスマスツリーに吠え続ける犬もいます。ツリーに吊り下げているオブジェが少し揺れようものなら大騒ぎになったりするのです。扇風機のヘッド部分が回ることに吠える犬もいます。こうした非生物の取扱いについては、そのうちに非生物であることを認知できるようになり、次第に吠えなくなるという時間の経過による学習が進みます。ところがまたよくシーズンになるとその学習は消え去り同じように吠えるという行動が出てしまいこともあるのです。これは極小数の犬の反応ですが、こうした傾向は少しずつ強まっているようです。

犬にとって屋外環境が室内環境と大きく異なるのは、臭いがほとんど一定であることです。室内でする強い臭いといえば、食べ物の臭い、アロマなどの臭い、洗剤の臭いくらいでしょうか。特に洗剤の強い香のものを使ってある場合は、室内はほとんど洗剤の臭いに満たされています。新しい臭いといえば、外出した人が洋服につけてくる臭いくらいなので、臭いの量としては少なく環境把握に鈍感な犬は、外出した飼い主の洋服を臭いこともありません。

屋外環境は都心と自然環境では臭いが全く異なります。都心でも中心部はほとんどが食べ物と排気ガスのにおいで満たされています。環境把握ができにくく犬は不安を感じやすいか、もしくは環境把握そのものをできないストレス状態に陥ってしまいます。

自然環境は臭いがほとんどないのですが、風が抜けるためたくさんの情報の臭いが漂っています。例えば、夜になるとウロウロする野生動物の臭いは風を通してたくさん嗅ぐことができるということです。環境把握を自ら行える力のある犬は、自然環境での環境把握を得意としますので動物の臭いで動けなくなったりすることはありません。その野生動物を以下に回避して接触しないようにするのかを決めるのが犬という動物です。自ら行動が基本の選択と行動ですので、拘束時間の長い現代の犬にはなかなか難しいものです。

この中間にあたる郊外では車の通行する時間以外は過剰な臭いにさらされることなく、環境把握ができるのではないかと思います。実際に自分で嗅ぐ能力がないので、犬の行動を見ながらその把握の状態を探っています。しかし、前に説明したように環境を把握するというのは、その環境に応じて自分がどのように行動する必要があるのか、もしくはないのかを決定付けるということなので、そもそも自ら行動することができない状態に置かれれば、環境把握も意味を持たないことになり、それすらもできなくなっているというのが現実のようです。

たとえば、こんなことがありました。庭で木をかじっている犬の2メートルくらい横に小鳥が飛び降りました。小鳥はしばらく地面をウロウロとして何かを探していたようです。犬は小鳥に気づいていたかどうかもわかりませんが、木をかじるのを止めて伏せたままでいました。その直後に小鳥が地面から飛び立ちます。犬はビックリしていきなり立ち上がり尾を下げて小鳥の飛び立った方角に顔を向けています。それからしばらくは動きません。動くことができなかったといったほうが正確なのかもしれません。予期せぬ環境の変化に戸惑い、行動の動機をしばらくは放棄したようです。

このような光景を人によっては「犬がかわいい」と見るのかもしれません。
感情を置いて冷静に見るとしたらどうでしょうか。これだけ犬という動物の環境把握力は落ちてきているということです。こうした行動の例が増えています。
なぜなら、行動を起こすことができない犬を人が求めているからです。室内で長時間の留守番と家の近くを少し散歩する程度であれば、ほんの少しの行動さえできればいいのです。犬が行動を起こさなければ問題も起きません。インターホンに吠えるということもないし、咬みつくこともないのです。問題が起きるとしたら身体的な部分におきるだけです。

動物は行動をするから動物になりました。
植物が長い間、食べて休むけど動かない状態であったのに、ついに動物は動き始め、その行動に必要な環境を把握する能力も身につけてそして動物として世界を楽しんでいます。
犬は動物です。犬という動物が持つ大切な機能が失われないことを、そしてその機能を十分に活かして生きることを楽しめることを願っています。


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人のクシャミや咳に反応する犬たち2

昨日のブログ「人のクシャミや咳に反応する犬たち」に引き続いてお話しします。

ブログに細かな犬の行動に観察する意味について書き重ねているためか、実際に細かく観察する方が増えているようでうれしく思います。人のクシャミや咳に対する反応についてもそれぞれに観察されたり新たな発見があったかもしれませんね。
昨日のブログに上げたような行動を確認できた犬もいたでしょう。

復習します。
人のクシャミに反応する犬の行動例として以下のものをあげてみました。

・クシャミによって立ち上がる

・クシャミによって立ち上がりウロウロする

・クシャミによって立ち上がり鼻を鳴らす

・クシャミによってとびあがる、とびつく

・クシャミによって駆け出す

・クシャミによって吠える

・クシャミによってクレートに入る

・クシャミによって部屋から出て行く

これらの行動の共通点を挙げながら行動分析を行ってみましょう。

いくつかの行動は、犬が驚いたときに示す強い行動です。
犬は刺激に対して驚いたときにするいくつかの反応を持っています。弱い反応は音のする方に顔を向ける、ひとつ上になると体を向けるといった行動です。
上記の反応はこれらの驚きの行動よりもさらに強い反応で、とびあがる、立ち上がるという行動です。

ウロウロすると鼻をならすことは同じ分類に入ることがあります。これらの行動は犬が不安を感じているときに、状態としては不安定な状態に陥るときに出る行動です。

クレート入ると部屋から出て行くの共通は、人とテリトリーを分ける行動であることです。人のいる部屋というテリトリーから出ること、クレートという個体のテリトリーの中に入るという行動で境界線ができます。

駆け出すと吠えるの行動の共通点は、ストレス行動の逃走もしくは闘争行動で同じストレスのレベルを表現しています。どちらも移動の距離は数十センチです。小型犬では数メートル駆け出すケースを目撃したこともありますがこれは極端な例でしょう。

ここまででまとめると、行動は次のいずれかになります。驚愕反応、不安緊張行動、逃走OR逃走行動、人のスペースから離れるもしくは犬のテリトリーに戻る行動、になります。

さらに詳しく分析してみます。

驚愕反応はクシャミという大きな音に驚いて出た行動のようにも思えますが、そうとも言えない部分を残しています。犬が立ち上がり反応をする程度の音に対する刺激であれば、回数を重ねていくと「馴れる」という学習が生じてくるため、なんどもクシャミを聞いていればそのうちに反応はなくなってしまいます。
人のクシャミを単なる「音」の刺激であれば「馴れる」学習が起こり反応はなくなるが、実際には反応はいつも同じようなものであるので犬によっては人のクシャミを単なる音としては認識していないということがわかります。

人のクシャミを「音」ではなく人の「声」ととらえると受け取り方は異なります。

多くの哺乳動物が声のコミュニケーションを使います。人も犬もその音の種類と目的は違っても、発声がコミュニケーションの方法であるという点で共通しています。人の発声はコトバというコミュニケーションに置き換えられますが、もし共通の言語を持っていなかった人同士の場合には、音の高さや強さで自分の状態を相手に伝えることができ、これらは世界共通で他人への理解を得ることができます。
犬と人も声という音の使い方も実は少し似ているところがあって、男性は太い声を出すとか、女性は高い声を出すということが、犬の場合には、強いものは太い声を使い、弱いものは高い声を発するという違いになりますが、一定の音は犬に特定の影響を与えます。

クシャミや咳は音の高さとしては個体差が大きいのですが、発声のパターンとしては「飛ばす」という性質を持ちます。これは、クシャミは咳といった生理的反応が体内に入れなくないものは入っているものを外に出そうとする自己防衛的な行動であるからでしょう。そのためより遠くに飛ばす必要があり、声質もそのような質になります。普通の話し言葉や掛け言葉よりももっと遠くに音を飛ばしているわけです。

犬にとって音を飛ばすように出すときは、犬が防衛的に自分のテリトリーを守るときです。番犬吠えをする犬は大変少なくなりましたが(多くの犬は番犬吠えではなくパニック吠えや飼い主の気をひくための要求吠えをしているため)、テリトリーを防衛するために声を飛ばすように吠えるのがいわゆる番犬吠えです。

クシャミや咳によって人が自分のスペースを防衛するように吠えてしまう声に対して過度に反応を示す犬は、人のスペースに対する関心が高いか、もしくは依存的関係によってスペースが人と重なっていると考えられます。これは私の個人的な見方ですが他にもこれらの行動について何か思いつかれた方はぜひ教えてください。

現在では多くの犬が人のスペースに入り込むように依存して生活をしていますので、自律性の高い犬の行動を比較することができにくいのですが、引き続き小さな行動も観察を続けていきたいと思います。

dav




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人のクシャミや咳に反応する犬たち

自分がクシャミをしたときに、犬が何かの反応をすることはありませんか?

人のクシャミに反応を示す犬がいるといます。全ての犬ではありません。極一部の犬なはずなのですが、統計を取っているわけではありませんが、最近は増えてきているような気がします。
クシャミに対する反応とはどのような意味があるのでしょう。なぜ犬の中には人のクシャミに対して反応を示すものがいるのかを考えてみました。


まず、人のクシャミに反応を示す犬の行動にはこのようなものがあります。

・クシャミによって立ち上がる

・クシャミによって立ち上がりウロウロする

・クシャミによって立ち上がり鼻を鳴らす

・クシャミによってとびあがる、とびつく

・クシャミによって駆け出す

・クシャミによって吠える

・クシャミによってクレートに入る

・クシャミによって部屋から出て行く

他にも反応の例はあるかもしれませんが、主にこのような反応を確認できました。
異なる犬の行動ではありますが、同じ人のクシャミという刺激に対する反応です。
これらの行動を見て何か共通するものを見つけることができれば、このクシャミに対する反応は一定の犬たちに同じ影響を与えているということになります。

ブログをご覧いただいている熱心な飼い主のみなさんにも少し考えていただきたいので(他者の考えを聞いてしまうと、せっかくの自分の考えが閉ざされることがあります)、この行動の共通点については明日のブログで説明します。

もうひとつの側面は、全ての犬が人のクシャミに反応するわけではない、言い換えれば、特定の犬たちが人のクシャミに反応を示しているのだということです。

そして、この特定の犬たちのクシャミへの反応以外の行動を比較することで、このクシャミに反応する犬のグループの共通点を探すことができます。

ブログの題目にあるとおり、人のクシャミに反応をする犬の多くは人の咳にも同じ反応を示す傾向があります。このことも行動を評価する上での重要な情報です。
クシャミと咳、人の生理的反応ではありますが、犬の立場から見ると人の発する特定の音と捕らえると情報はシンプルです。

さらに、この行動に関する情報としては、人は犬の社会的な対象であるということです。社会的対象であるなら、同じ社会的対象である対犬に対しても同じ反応を示すのかということです。犬はあまり咳をすることはなく、気管支炎になったときに空咳のようなものをする程度でわかりにくいものです。ただクシャミをすることはあります。小さな犬の発するクシャミはわかりにくいですが、大きな犬のクシャミはかなり迫力のあるものです。これらの犬のクシャミに社会的関係をもつ犬が上記のような反応を示すでしょうか。
これについては、大きなクシャミに対して若干の反応を示すことはあっても、人のクシャミに対する反応と「同じ反応」を示すものではありませんでした。犬の状態によっては同じような反応を示すことがあるかもしれませんが、同じようなと同じとは異なりますので、もし身近にこのような例があればよく観察していただき情報のひとつとしていただきたいです。

こんな小さな行動を取り上げるのはなぜかというと、犬の行動は犬の状態や性質に関連する情報だからです。トレーニングクラスでは飼い主さんから全ての情報を聞き出すことはできませんが、目の前で犬の行動をみると見逃すことができません。ところが、ほとんどの人がこのような日常的な細かな行動に関心がありません。
飼い主さんが関心があるのは、人の合図に対する反応、言うことを聞くか聞かないか、ゴハンを食べるか、どんな遊びをするのかといったことのようですが、もっと犬の真実に迫る犬の行動を見逃していることがもったいないと思います。

いろいろと観察しクシャミの影響を受けている犬たちの行動の質についてぜひ考えてみてください。

dav






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犬のごほうびトレーニングのしくみ:報酬が犬に与える影響について

ごほうびトレーニングとは、行動学の中では陽性強化トレーニングといわれるものです。
欧米から入ってきてここ15年くらいは大変流行り、現在でも犬のトレーニングの中に多く取り入れられているトレーニングの手法です。

今日はこのごほうびトレーニングのしくみと、行き過ぎたごほうびトレーニングが犬の行動や犬と人の関係に与える影響についての副作用についてお話しします。


まず、陽性強化トレーニング(ごほうびトレーニング)のしくみは次のとおりです。

犬がある行動をするとごほうび=(報酬)を得られる
報酬を得られる行動の回数は上昇する
という陽性強化という学習心理によって構成されています。

学習心理で説明するときには以下の公式となります。

条件刺激(特定刺激) → 犬が行動 → 報酬の出る合図(イイコとかグッドなど) → 報酬(ごほうび)

これを具体的な行動に当てはめてみましょう。

オスワリという → 犬が座る → イイコ(グッドやクリッカー音) → 報酬(オヤツなど)

陽性強化トレーニングを使って行動を固定させていたくためには、報酬の出る合図が行動の直後に必要だということと、報酬を不定期=ときどきにすることによって行動の強化を高めていくという手順で行われます。
報酬をときどきにする必要性は、パチンコ方式と考えてください。
実はごほうびは出たり出なかったりする方が行動を固定させていくことができます。
次はごほうびが出るかもしれないという予測を継続させることになり、パチンコ台に座り続けるのと同じような現象が犬にも起きるからです。

陽性強化は学習心理学者のBFスキナー氏がオペラント条件付けを発表したことでその認識が広まりました。
心理学の分野では陽性強化を正の強化といいます。行動学では陽性強化の法が一般的のようです。
人を含める動物の行動を学習心理というものを軸にして考える学習主義のさきがけにあたるでしょう。
動物の行動の要因が学習がすべてとはいわないものの、ごほうびと罰で動物を操作することの可能性を模索したことは、実際には現在でも模索し続ける学習心理トレーニングは今も研究が進められています。

陽性強化トレーニングが犬の世界に入り込んだ大きな理由は、それまでの犬のトレーニングが罰(正しくは陰性強化法)を用いて行われるものが多かったため、動物への罰を減らしたいという理由と、罰よりもごほうびの方が受ける動物の副作用が少ないとみられることからではないかと考えます。

30年以上前になりますが自分の経験の中でも、犬のトレーニングの現場で働き始めたときに使用していた道具はチョークチェーンといわれる鉄製の閉まる首輪でした。これは現在でも使用されている道具です。軍用犬の訓練で使われ始め、戦後日本の訓練施設で多く使われるようになりました。簡単に説明するとチョークチェーンは陰性強化というやはりオペラント条件付けのうちのひとつの学習心理を利用して、犬に行動をさせることを目的としています。

チョークチェーンなどの陰性強化の道具は一旦犬が不快に思う刺激を受けるため、使い方を間違えると虐待になりかねません。アメリカは日本よりもより多くの大型犬の問題行動が発生して咬みつきなどの事故も多発しているため、これらの行動を抑えるために一般の飼い主がチョークチェーンを誤って使用すれば、犬の行動は抑えられるどころかますます過剰となり問題が悪化することは道具のしくみと犬という動物の性質を理解できるものであればわかることです。

ところが事実は少し違います。道具の普及は早かったものの学習心理学を教える機関が十分でなかったことから、道具は誤って使われるようになりました。昔の訓練の現場は「見習い」といって、ただ長い時間経ってみているだけでその技術を奪い取れというようなものだったのです。もしかしたら今でも訓練士見習いという言葉はあるのかもしれません。ただ見ているだけなので、机上で学習心理のしくみについて説明をうけることもありません。道具の意味を知識として理解する機会も与えられていません。今は少し改善されているのかもしれませんが、チョークチェーンが広まった当時はその土台がなかったので、道具だけが広まり多くの犬たちは強い刺激を受け続けて苦しい思いをしたことでしょう。

そこに陽性強化トレーニングが広まりました。オペラント条件付けには強化の法則が二つあります。陰性強化、そして陽性強化です。強化とは行動の回数をあげていくということですから、犬に行動をおこさせたければ、陰性強化ではなくて陽性強化を用いたほうがいいと考えるのは自然な発想ですし実際効果も高いです。陽性強化はごほうび=報酬を使うため、強化処置を与える人を報酬と関連付けます。良い方に受け取れば人に近づきやすくなります。もちろん報酬には副作用があります。これについては最後に説明します。

陰性強化や陽性強化といったオペラント条件付けによる学習心理トレーニングが長い間継続しているのは、この分野での研究が大変進んでいることと、人が理解しやすいという側面があります。なぜなら、学習心理の過程は人と犬という異なる動物であっても、動物として共通のルールであるからです。

学習の基本的な過程は種を超えて共通する

この大原則が学習心理トレーニングを普及させた大きな理由でしょう。そして、その学習させたい行動とは、最初は基本的な生活のルールではなく、特殊な作業を行う作業犬のためだったことを忘れてはいけません。これらの学習心理トレーニングを受けて行動を見につけさせる必要があったのは、警察犬、盲導犬、競技会犬といった使役犬たちです。これらの犬は犬が日常的に行う作業として訓練を受けています。この中でも最も生活とは異質に行動しなければいけないのは競技会に出る犬たちです。服従訓練の競技などは日常生活で必要な動作とはちがって、その座り方伏せ方、脚側の仕方などが型にはまって美しくある必要があるため動作も細かく仕上げていく必要があります。逆に、警察犬や盲導犬といった犬の仕事は型にはまるとできず、応用を要求される日常生活に近いものです。盲導犬などはすばやく座るよりもゆっくり座ってもらったほうがいいような仕事ですから学習心理トレーニングもトレーニングのうちのわずかにしか当てはまりません。

これらの特殊犬に使用されていた学習心理トレーニングはそのうち家庭犬のトレーニングにも応用されることになりました。ですが、家庭犬のトレーニングに学習心理トレーニングを過剰にいれてしまうことには大きな副作用が潜んでいます。
犬に特定の行動を学習させるということは、次に起きる行動を予測もしくは誘導し、行動をコントロールすることです。
犬にオスワリを陽性強化で教えるときには、オスワリをしたら声で強化、そのあと報酬を与えたり与えなかったりします。オスワリを知らない犬にはオスワリの合図のあとに犬をオスワリの行動をさせるように誘導する必要があります。犬がオスワリすることが予測できて(誘導できて)はじめてこのトレーニングは成立します。

犬は行動をしたらごほうびをもらえていい事が起こるのだから、陽性強化には何の問題もないように思えますが、実際には陽性強化の多用は犬の行動と性質に影響を与えてしまいます。

例をあげましょう。
例1
オヤツを使ってオスワリ、マテを教えた
オスワリマテができるようになったはずなのに
インターホンがなるとオスワリマテができない

例2
オヤツをつかってオスワリを教えた
オヤツを持っているとオスワリの合図に応える
オヤツを持っていないとわかるとオスワリはしない

どちらもよく起きる例です。
例2のオヤツをもっていないとオスワリしない犬の場合には、陽性強化トレーニングをされている方なら、報酬は時間差で与えるルールや、最初の条件刺激の中にオヤツも入ってしまった結果であるため、そもそもトレーニングとして失敗していることを気づくはずです。

例1のインターホンのとき犬がオスワリをしないのは、犬にとっては報酬を得ることよりも、環境に影響がある警戒モードの方が優先するため当然の結果であるといえます。オスワリ=報酬と条件づけすぎたために起きる間違いです。

報酬を使ったトレーニングの副作用はもっとひどい状態になってあわられます。
陽性強化は人と報酬を結びつけるために人に対して関心を示しやすくなる事が利点のひとつになっています。これは作業犬のトレーニングから家庭犬のしつけに転向したときに自ら感じたことです。家庭犬のしつけの難しさは、犬の人に対する関心の低さです。特に問題行動を生じている落ち着きをなくし始めているような状態では、人の存在がストレスとなり人を回避しようとするため人の呼びかけに対しても応答がなくなっていきます。陽性強化で食べ物を使うと食べ物の存在が関心をひきつけるようになり、結果教えたいことが早く教えられるという利点は確かにあります。

ただこのことが裏を返せば陽性強化トレーニングの欠点にもなります。人=報酬による人に対する過剰な関心は依存となり犬の行動をコントロールしやすくなります。人に依存していて人の要求に常に応えようとする犬は、傍から見れば飼い主さんをずっとみている問題ない犬であることは間違いありません。ただ、そのことで犬が失うものは犬の自律性です。
犬は人がいないと生きていけません。食べるものを獲ることもできないからです。社会的には人が飼わない犬は存在することを許されていないという理由もあります。ただ他者がいないと生きていかないのは自分も同じです。毎日食べているものを自分で作ることすらできませんし、着るものだって通信手段や移動の手段であれすべて他者に頼っています。そうした動物も自律性というのをもっています。犬にも自律性があります。それを育てる環境はなかなか整わないというのが現実ではありますが、はじめから犬の自律性について考えないというのはフェアではないと思います。犬の自律性について最もわかりやすい例は、犬の社会的行動についての多くが誤解されているということです。一昨日のブログに書いた子犬に応答しない成犬の例も自律性を失った犬の行動の例です。


同時に失ってしまう大きな損失は、飼い主が犬という動物について理解する機会を失うということです。
インターホンでマテやハウスに入ることを犬が優先させるためには、人との特定の関係を結ぶ必要があります。これは学習心理によって行われるのではなく、犬の習性や本能の理解によって行われる行動です。

犬の行動と心理は結びついています。行動は心理の働きをふくみ、心理(気持ち)を知るきっかけになるのです。
行動=心理 つまり 行動は心理なのです。
ところが、学習心理は動物の心理と等しくありません。

なぜなら、次の法則があるからです。

動物(犬)の行動は同種の動物(犬)に対するときと
異種(人)や非生物(もの)に対するときでは異なる
動物は種ごとに異なる世界を持っている

これは最も大切な真実です。

陽性強化法を犬のトレーニングに用いるなら、オスワリという言葉と座る動作の関連付け、フセマテという言葉とその動作の関連付けにとどめ、社会性を培う経験学習とは区別されるといいでしょう。陽性強化といっても依存性の
高まる食べものではなく他のものを使ってもいいのです。誘導には手やオモチャを使えますし、依存性の低いものの方が副作用も低く報酬の予測もおこりにくくなります。合図と行動の関連付けがおわったら、あとは生活のルールに取り入れて制御の必要に応じて合図を使っていきます。

これらの合図いに反応させることは、犬に行動の制限をかけなければいけないときに行うものです。
その行動の制限すら犬への理解を脇においてしまえば、本末転倒になってしまいます。
犬を飼うということは異なる種の動物の不思議にふれる最大に楽しい時間です。そして犬は他のどのような動物とも違う人との関係を持っています。その関係性は犬の方からではなく、人の主体性によってつくられるものです。わたしたちが犬とどのような関係を気づいていきたいのか、まだ迷っている方も分からない方も、まずは犬の行動を理解することからはじめてみてはいかがでしょうか。


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「うちの犬は大丈夫」は何が大丈夫なのか?子犬に応答しない成犬

犬にまつわる飼い主同士の会話や関係の中で、最近よく聞かれるようになった言葉でこれは危険だと思うことがあります。
「うちの犬は大丈夫」発言です。
「うちの犬は大丈夫」というときに、何をもって大丈夫といっているのかがよくわかりませんが、よく飼い主さんから訴えられることは、散歩中に「うちの犬は大丈夫です」と言ってリードをつけた状態で近づいてくる人がいるので困るということでした。

「うちの犬は大丈夫」にはいろいろな例があるため、一例をあげて紹介します。

飼い主さんは数ヶ月の子犬を飼っています。
その子犬に大型犬の成長した犬の飼い主が散歩中に近づいてくるとのことでした。
子犬は他の犬との関係やコミュニケーション作りに飢えています。犬をじっと見ていたり、犬の臭いを嗅ぎたいという欲求がありますから、近づける要素があれば一気に近づいてしまいます。そして成犬にとびつき行動をします。子犬のとびつき行動は成犬への要求のいりまじった興奮行動です。
その大丈夫といわれる成犬は、子犬のとびつきに無反応とのことでした。
そうすると子犬は腹部を見せてひっくりかえります。今度はあらたな要求行動をはじめます。
この腹部を見せる行動に対しても成犬は無反応とのことでした。

映像であればもっとわかりやすいのですが、イメージできたでしょうか。子犬が興奮しても要求しても、または強い服従行動を示しても成犬は無反応、つまり「子犬を相手にしない」ということです。
成犬の多くは子犬を相手にしたくありません。子犬は臭いがつよく近くにいって確かめるまでもなく子犬臭がプンプンとしています。子犬は成犬とみると自分の世話を要求するような興奮をします。長らく犬に接していないと興奮してとびついてきたりします。

多くの犬は子犬を相手にはしたくないのですが、子犬に威嚇行動をとって子犬を遠ざけようとします。もちろんこの威嚇行動は子犬にとっては打撃が大きいものです。子犬が同種の動物から威嚇されるということは、人でたとえるなら幼稚園生の子供が大人に近づいてきておばちゃんとでも言おうものならその幼稚園生をおばちゃんが突き倒したのと同じ意味を持ちます。幼稚園生は大人に対しておびえ、人に対して強い警戒心を持つようになるかもしれません。成犬が子犬に対して威嚇行動をするのがいけないということは多くの方にわかっていただけると思います。威嚇行動を成犬の教育と間違えられる場合があるのですが、行動をよくみるとそれは教育ではなく威嚇行動であることがわかります。この違いについても、ぜひ知っていただきたいと思います。

前述の子犬のとびつきや腹部をみせる行動に無反応の成犬の場合はどうでしょうか。成犬が子犬の相手をしようとしないのに遠ざける威嚇行動もしない無反応的は対応は、子犬にとって威嚇行動よりも衝撃的な反応です。子犬の存在を認めない、子犬がその成犬のなかでは「なかったことにしている」ということです。

この成犬の行動も人を例にあげて説明しましょう。幼稚園の子供がおばちゃんに近づいてきて「おばちゃん」といっていきなり抱きついたとします。大人は子供を見ることもない、話しかけることもない、何事もなかったかのように立ちすくんだままで、この幼稚園生の子供に対して無反応=無視をするという反応をします。子供はおばちゃんから少し離れて上目遣いでおばちゃんの顔を見上げて言葉を待ちます。それでも大人は無反応=無視をします。このような反応をされた幼稚園生が人と良い社会性を培う経験を得たとは思えません。幼稚園生は大人に対して警戒し、もしくは避けるようになるかもしれません。

子犬のとびつき行動や腹を見せる行動に対して無反応な成犬の与える影響はこのようなものなのです。子犬は犬としてのコミュニケーションや関係性に不安を抱えます。これは種の異なる人と上手くいかないことよりも、子犬にとってもっと強いストレスになります。子犬は自分の生活圏の中で飼い主により依存行動をするようになったり腹部を見せて転がったり、自分の居場所を過剰に守ったりする青年期の犬に突入していく危険性も控えています

では、子犬に適切に応答してくれる成犬の反応とはどのような状態なのかでしょうか。
子犬を引き受ける成犬は、まず子犬の臭いを嗅ぎます。場合によっては腹部の下に自分の鼻をいれることもあります。このとき子犬は後ろの片足をあげるバレリーナみたいな姿勢をとるでしょう。これが受動的服従行動といって、成犬にたいして服従を受け入れる行動です。臭いを嗅がれると子犬は興奮してとびつきそうになります。その際成犬は小さな唸り声でこれを制するか、首を交わしてとびつきを回避します。さらに興奮してとびつきそうになると威嚇もしますが、この威嚇は対立を示すものではなく、子犬に落ち着きを求めるものです。子犬は興奮を抑えるために若干からだを低くして耳を倒し、成犬の近くをウロウロとすることもあります。そのうちに次第に落ち着いてきます。この成犬と子犬の関係では、成犬のテリトリーの範囲内で子犬が行動をし、子犬の安全を成犬が守ることになります。成犬はつねに子犬を監視する状態になります。子犬がテリトリーから離れようとすると立ち上がってそれを抑えるような行動もとります。

現実的にいえば、このような対面や関係をつくる機会を子犬に与えることは難しいと思ってください。なぜなら、そうした性質をもつ成犬の数は非常に少ないからです。個体の性質としても限られている上に、成犬として成熟して成長する機会を与えられておらず、犬が自律した行動をとれるようになっていなければ、この子犬の世話や教育行動は不可能なのです。また、子犬が家庭でストレスを抱えている場合には犬に対面したときの興奮やおびえが非常に高くなり、成犬の抑制は効かない状態となり成犬には過度の負担をかけてしまいます。

成犬と子犬の対面について可能性のある機会としては、成犬と子犬の飼い主がきちんとした関係性を持っていること、成犬と子犬の飼い主があって関係性をつくっておくこと、そのゆるいグループ性を保ちながら、成犬のテリトリーの中に子犬を迎えることなどができるときです。もちろんこのときにはリードをつけずに対面させる必要もあります。リードをつけての犬と犬の対面はおすすめしませんが、これについてはまた後日のブログで説明します。

子犬に対面させても「うちの犬は大丈夫」といわれた反応ない成犬ですが、どうしてこのようになってしまったのかの経緯についてはよくわかりません。考えられることとしては、リードをつけて逃げられない状況下の中で多くの犬と接触をさせた影響によるものがあります。刺激をたくさん与えられそれがストレスになると、結果その刺激(対象)に対して三つの反応を示すようになることが考えられます。
そのうちの二つは過剰に反応する場合の攻撃行動です。過剰に吠える興奮して近づきとびつくという反応がこれにあたります。
過剰反応のうちのもうひとつは、逃走行動です。犬との距離が縮まる前に逃げる行動に移ります。
そして三つ目がこの無反応という状態です。コミュニケーションを獲得できない場合には、その対象をなかったことにするという反応になります。最初のふたつの行動は攻撃か逃走になるため、他の犬に対して社会的行動を見につけられなかったことがわかります。ですが、三つ目の無反応については一般的な飼い主さんであれば「おりこうさん」と評価をさせることでしょう。

無反応な行動を示したり飼い主にずっと注目して合図に反応し続けるという依存的な行動をとる犬が「お利口さん犬」と評価されるようになったのは、多くの人がこうした犬を求めた結果です。人が定めた評価基準ですから、これらの犬がお利口といわれることは間違ってはいないでしょう。ただ、こうした犬の反応が犬として社会的に適切な社会性の高い状態であるかどうかと問われるとこれは社会性の高い状態とはいえません。犬が機能的に備える真の社会性を否定するものでもあり、犬の本来もつ機能を低下させることにもつながっています。

犬を人として考えすぎると擬人化につながり間違いにも陥りやすいものです。今日紹介した社会的行動の例は、犬と人が社会的な動物であるということを踏まえたうえでの類似として捉えてください。こうして疑いをかけると難しいと思われる犬の行動は、実はとてもシンプルで簡単なものであるのです。

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柴犬を「いずれ」外飼いにしたいのですが…

今日の題目は、犬を屋外で飼育するいわゆる「外飼い」を希望されている飼い主さんからよくうける質問です。

柴犬をいずれは外飼いにしたいと思っているのだけど、いつ頃から外飼いにしたらいいのでしょうかという質問を受けたとします。40年前なら外飼いにする子犬は生まれたときから外飼いでした。外飼いしている犬が軒下で子犬を生み、その子犬たちが歩けるようになって、つまり生後1ヶ月半くらいで庭先をウロウロするようになります。そしてそのまま外飼いの親犬が面倒を見て大きくなり、新しい家庭でも外飼いということで、生涯屋内を知ることがなく飼われていたということです。

ところが、純血種の犬をペットショップで購入するようになってから、子犬は最初は室内で飼育するというように、犬の飼い方に変化がみられるようになってきたようです。ペットショップで購入したときには、子犬はしばらく外に出さないようにというアドバイスを受けられることでしょう。これには訳があるのですが、子犬は集団から離れると免疫力が落ちてしまいます。また子犬はひとりで暖をとることができず、何か暖かいものを近くに置く必要があります。屋外に急にひとりで置いてしまうと免疫力が下がって病気に感染するリスクが上がってしまいます。こうしたことを避けるために、子犬はしばらく室内に置いて成長を待つという方法が推進されるようになりました。

いずれは外飼いの犬も子犬の頃は室内飼いというようになったのは他にも理由があります。子犬に混合ワクチン接種をすることが一般的になったのも30年くらい前からだと思います。
3種混合とか、5種混合、最近では9種混合ワクチンというように入っている薬の数も増えていますが、混合ワクチン接種を受けることはもう一般的になっています。子犬のころに動物病院でワクチン接種を受けたときに、摂取後数週間は屋外に出さないようにという指導を受けるため、やはり子犬のころは室内飼育という風に変化してきたのでしょう。

混合ワクチンは合計で少なくとも2回、もしくは3回にわたって摂取します。ワクチン接種が終わって落ち着けるようになるのは子犬が生後4ヶ月を過ぎたくらいになってしまいます。ですがこの月齢まで人の生活環境の中に子犬を飼育してしまうと、子犬を外飼いにするのは大変なことになります。

現在はもっと問題が複雑になっています。子犬のころの室内飼育といっても、当初は玄関の土間などに子犬のスペースを設けて室内には上げずに飼育されているケースが多かったように思えますが、現在はリビングに子犬のスペースを設けてサークルなどを置き、その中に子犬をいれて育てときには抱っこしてあやすような赤ちゃん扱いをする誤った子犬育てが増えています。

こうした室内でのサークルの利用や子犬を抱っこしながら育てる飼育方法を取り入れていると、子犬は着実に分離不安の状態に近づいていきます。たとえば飼い主が離れると鼻をならす、飼い主にとびつき興奮する、飼い主が見ていないと排泄を失敗したり食糞をする、サークルに飛び上がって興奮するなど、不安行動の例はたくさんありますが、まとめていうなら飼い主に興奮したり落ち着きをなくすような行動が増えているときには危険信号だと受け取ってください。

ではどうすればいいのかについてお話します。

まず、外飼いを予定していてまだ子犬を迎えていない家庭、もしくは迎えたばかりというご家庭では、子犬の飼育環境をリビングから離れた位置に設けてください。人の通行のない裏側の土間やテラスの近くや縁側の近くでも構いません。この際にはサークルの中にクレートをおく一般的な飼育場所を設けていただいて構わないのですが、サークルの上と柵には境界線になるような板やダンボールなどをきちんと設置して無防備な空間ではなく、巣穴のような囲いができるように準備してください。
サークルの中には一応トイレトレーを置いておきますが、清潔な子犬はこの中では排泄をしません。排泄をさせる場所はサークルの前にもうひとつのスペース、もしくは土間のどこかに設置します。テラスが近い場合にはテラスや排泄場所を庭に出たときにさせるということでも大丈夫です。生後2ヶ月になる子犬であれば、一日のうちに数時間ずつ排泄のできる庭に出せば、室内に準備した寝床には排泄は行いません。

子犬を一日に何回も排泄に出すことのできない場合には…という話をしたいところですが、子犬を数時間以上ひとりで置いておくような環境に子犬を迎えることはおすすめできません。子犬はひとりぼっちでは安定して成長できません。1日を通して世話をする必要があるため、子犬を飼育できる環境そのものが限られているということになります。子犬といえば生後5~6ヶ月の乳歯の抜けるくらいまでです。人の年齢でいうと小学生くらいまでの年齢を子犬といっています。

働いているなどの理由でどうしてもお世話が難しい方には、子犬が5ヶ月になるくらいまではペットシッターのお世話になるなどの方法をとられることがベストです。ペットシッターも家族ではありません。飼い主さんが在宅する環境とは違いがありますが、この大切な時期に子犬を一日中部屋の中に留守番させるような環境で育てれば、子犬はコミュニケーション障害を持ちやすくなり性質も不安定になってしまいます。子犬を留守番させられるのは1日に3時間程度でしょうか。子犬が昼寝をしている間に買い物を済ませるといったものです。

子犬育ては人が在宅している環境の中ですすめられるとしたとしても、子犬を屋外に出す時期を遅くする必要はありません。ワクチン接種後に安定させたいときには、子犬を夜間や日中に休ませたいときには室内や土間に設置した子犬スペースに寝かせます。

子犬に排泄をさせたり子犬と遊んだりコミュニケーションをとるためには、戸建ての方は庭環境を使ってください。他の犬が入り込まないような庭であれば、子犬の病気の心配をするよりも子犬の精神的健康の配慮のために庭でいっしょに遊んだ方が子犬の免疫力は高まります。子犬の土に触れさせ草の臭いをかがせ、風のとおる外空間で空間認知力を培う必要があります。
その広い空間で人との距離感を学ぶこともできるのです。なにより、庭環境は子犬がいずれ生活する犬にとっての生活空間になります。その庭空間を把握し日常的な環境の変化を受け入れておかなければ少しの物音で吠えたり、鳥や蝶など動くものがあるたびに追うようになります。動くものがあると追うのは、遊び行動ではなく環境の中に新しく入ってくるものに対する好奇心が強く欲求を抑えきれないことで起きますが、こうした刺激も子犬の狭い環境把握の中で時間をかけて受け入れるようになってくると過剰反応する危険性も少なくなります。

ここまでは、外飼いをしようとするご家庭には「庭はあるもの」というつもりでお話ししてきました。外飼いをするつもりだけど庭がないとしたら、家の前に犬小屋だけがあるという環境になるでしょうか。最近では庭を小屋や駐車場に建て替えされているところも多く、家と犬小屋だけといった不自然な環境で犬を迎えられることもあります。犬小屋はあってもその周囲にスペースがなくすぐに道路という環境では、犬は環境の安定に不安を抱えやすく、環境学習をする機会もまったく失われてしまいます。残念ながら通行人に過剰に吠えるようになったり、来客への吠えもひどくなったりしてご近所から苦情が来ることになるかもしれません。このような環境も犬を飼う環境としては適切ではありませんので、犬を飼うことをあきらめるか、駐車場を別に確保して庭を復活させるかなにかの、環境改善をする必要があるでしょう。

とにかく、子犬をいつ外飼いにするかというのは、いずれではなく「今」であるということです。病気やワクチンのことでいったん室内というときには、室内に屋外飼育を想定した延長線上になるような空間をつくると考えた方がいいかもしれません。特に柴犬などの日本犬を最近は室内飼育される方が増えています。人の飼い方の変化によって柴犬の性質は愛玩化してしまい、人との距離を保てる忠実な犬ではなく、抱っこされる愛玩的犬に変わっていくのかもしれません。犬という動物がすごい速さで変わり始めています。人の求めるように変わる、それが人に飼われる犬という動物の運命であると思うと、人は犬に何を求めているのかを改めて考える必要性がありそうです。

dav


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