グッドボーイハートは人と犬が共に成長して調和することを目指すドッグトレーニング・ヒーリングスクールです。

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犬語セミナー:子犬のコミュニケーション力

犬語セミナークラスを開催しました。犬語セミナーは犬の行動を観察して分析するクラスです。犬のどのような行動に焦点をあてるのかは、ビデオの素材によっていろいろと変わってきます。ビデオもクラスや日常的に撮影した目的のないものなので、見るビデオによってセミナーの内容が変化していくのも面白さのひとつでもあります。

今回題材となったビデオは子犬と8才の成犬がはじめて会うという対面シーンのビデオでした。成犬と子犬の社会的行動の違いは、成犬は経験を積んで発達がなされてきているために個体の性質がある程度固定されているという行動の特徴があります。わかりやすくいうと1頭の犬が他の犬に対してみせる社会的なコミュニケーションはある程度予測がたつということです。散歩中に他の犬とすれ違ったりであったときに生じる行動にもパターンがあることがその表現にもなっています。全ての犬に吠えるとか、特定の犬には反応する、その反応する犬のタイプはこれこれでとか、他の犬をじっと見ているとか、そうした他の犬に対する行動は、成犬の場合にはある程度一定してきます。もちろんこの社会的行動には飼い主や飼育環境が大きく影響するため、飼い主が変わる、飼育の方法が変わるということにより変化はしてきます。ただ成長に応じた大きな変化は子犬は違うということです。

子犬期を永久歯が生える前の生後5~6ヶ月までとします。この時期の子犬を成犬に対して必ずしなければいけない行動というのがあります。これは自分の親犬でなくても、万が一親犬にはぐれて他の成犬に出会ったとしても子犬に備わっているひとつの能力であるともいえます。それは二つあります。ひとつめは、成犬が子犬の臭いを嗅いで正体を調べようとするときにじっとして動かないでいることです。子犬であるということを知られることで成犬の緊張を解くことができます。攻撃のできる永久歯を持たない子犬はとても無力な存在だからです。

ふたつめは、服従行動を示すということです。服従行動にも少し幅があります。この対面で有効な服従行動は自分が下であることを示し、相手の領域を侵さないということを伝えることだけです。先のじっとして臭いを嗅がせるという行動もこの意味を含みます。あとは顔を背けたり、体を低くしたり尾を低めに振ったりするというだけで十分です。そけい部の臭いを嗅がれる際に後ろ脚を上げる行動(バレリーナみたいになりますね)も成犬の行動を尊重する行動です。

これよりも積極的な服従行動になると臭いを嗅がれているときに腹部を見せるとか、口をなめようとする、軽くピョンピョン飛ぶといった行動は成犬が受け入れない場合があります。これらの行動に対して、子犬を受け入れる気のない成犬はこの子犬から離れたり、少し唸ったりして拒否行動を取るでしょう。これは、子犬として面倒をみよという要求行動です。成犬にもいろいろと器量があり子犬の世話を引き受けない犬も多いため、拒否行動が出る場合には子犬はこれを取り下げる必要も出てきます。今回のビデオに出てきた子犬は生後4.5ヶ月くらいになっていました。この取り下げに影響を与えているのは犬と飼い主の関係になるため、あまりにも早い月齢で受け入れ拒否の成犬をあわせることは子犬にとってよい影響とはなりませんが、生後2ヶ月から飼い主と暮らしていて生後4.5ヶ月になっていれば、十分に可能な年齢です。もちろん飼い主さんの飼い方はとても大切です。接し方、飼い方によってはすでに依存が始まる月齢です。

飼い主への依存が始まってしまうと犬に対するコミュニケーション力は育たないばかりか、大変後退した状態になります。犬を見て逃げる、おびえる、硬直するといった行動が出てしまうときには、子犬のコミュニケーション力はその環境の中では育てられておらず、飼い主との関係もかなり不安定です。このコミュニケーション力には性質のベースも大切です。大人しいお人形のように反応の低い犬を人が求めすぎる傾向があります。おそらく、反応が少なく飼いやすいということと容姿についてもぬいぐるみのようになってきているため「かわいい」と思ってしまうからでしょう。こうした犬たちは反応が少ない、つまりコミュニケーション力の未熟な犬であることも多いのです。

犬をみて「かわいい」と感じられるのは、犬が犬としてコミュニケーションを一生懸命に発揮しているその真剣な姿勢を見るときです。
表情やコミュニケーション力の低い犬がどのような世界で生きているのかをよく知る機会をもってみてください。

犬のコミュニケーション力は犬の社会的な力。犬の社会的な力は犬の財産です。
どんな動物も自分のもっている財産を奪われることは脅かされていることを意味しています。
人が幸せに暮らせるのは自分の身が安全で人としての財産(大切で価値のあるもの)を守り続けることができるからではないでしょうか。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 数年前の12月13日。今年はまだ一度も積雪していません。


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ラジオ番組「月下虫音」で分離不安の話をしたこと

ラブFMの番組「月下虫音(げっかちゅね)」に出演しました。聴いてくださったみなさんありがとうございます。

いつものように、DJの大田こぞうさんと取り留めもなくワイワイと盛り上がりました。
犬の話しになると、わたしよりも大田さんの方がずっと興奮度が高いんですよ。
打ち合わせしすぎるとそこで話が出つくからということで、テーマを「分離不安」にしようねということだけを決めておいて、今回はほとんど打ち合わせなしで本番にいどみました。

番組の中では、犬のわかりやすい分離不安行動のいくつかをご紹介しました。
簡単に述べると「飼い主が犬から離れると吠えて騒いだり、鼻をならしたり、落ち着きをなくしたりする」という状態では程度の差はあっても分離不安傾向があるということです。落ち着きをなくしている状態が、飼い主と離れている環境、室内飼育のお留守番という状況で起こりやすいため、留守中に吠えたり排泄の失敗をしたり、ものを壊したり家具をかじったりしている行動が分離不安としてよく取り上げられます。

留守中に安定しているかどうかは、留守中の部屋の乱れだけでなく、飼い主と再会したときの行動にあわられます。飼い主が離れると落ち着きをなくす分離不安行動は、飼い主が帰宅したときに興奮するという行動として表現されるのです。飼い主が帰宅したら戸口にまっていて、部屋に入るととびつき口をなめる、部屋を走り回る、興奮して走る、おもちゃをくわえてくるなどのテンションの高い行動をする場合には、飼い主との分離が不安定、つまり飼い主と犬の関係性には不安定ですね、というメッセージです。外出の際には騒ぐことがなくても、帰宅したときにこれらの行動が出るときには分離不安傾向はあると考えてください。

犬の行動はすべてにつながりを持っているため、飼い主と犬の関係性が不安定なことは、犬が他の犬や人と接するときの行動にも現れてしまいます。この不安定行動にはいくつも種類があり全てをあげることができませんが、いくつか例を挙げるとするとこんなものも入ります。
人に対してお腹を見せる。
人に対してとびつく。
人に対してマウンティングをする。
人の口をペロペロとなめる。
人の膝の上にのってきたり、体重をかけてよりかかってくる。
他の犬の声におびえる。
他の犬(相手に攻撃の要素がないのに)に吠えたり追い立てたりする。
散歩中に他の犬に近づいていこうとする。

こうした人や他の犬に対する社会的な行動にまで影響をしているのが、飼い主と犬の関係性です。

行動は全てつながっていきます。分離不安というくくりを設けることや診断を下すことに大きな価値があるとは思いませんが、「分離」という心理学の言葉が人と犬の関係性をよりわかりやすくしてくれるという意味では活用しています。犬のことを赤ちゃんと思っていませんか?という質問には、母経験のある飼い主さんは反応が高いです。子育ての経験のある母親なら一度もしくは数回は通った道なので赤ちゃんとの一体化した関係はすごくわかりやすいからです。赤ちゃんはみんな母と同一化しています。もともといっしょだったのですからね。そこからひとりの人として自律していくために最初に必要なことは母親との分離です。お母さんは自分とは違う存在、そして自分は自分なのです。

他の犬に極端におびえたり、拒否反応を示したり、走り回る興奮行動をしやすい犬の飼い主さんは「自分の犬は、自分のことを人だと思っているから犬を怖がるのだ」ということがあります。ですが冷静にみるとこれは逆ですね。犬だからこそ犬に対しては他の動物とは異なる反応を示してしまうのです。反応のあるときはまだ大丈夫です。犬はまだ自分が犬であることを忘れてしまってはいません。犬でなくなったときには目の輝きもうせてしまい、他の犬への反応もなくなってしまいます。他の犬がそばにいても、見えていないのではないかというほど視界に入っていないかのように振る舞います。犬の扉は固く閉まってしまったように。

犬をみておびえたり拒否反応をしたり興奮する犬は、犬である世界にいる犬たちです。お互いに「人」と「犬」として関係性を作っていくことで見えてくることがたくさんあります。人のことが好き、あの犬のことが好き、そんな小さな世界を一歩飛び出してみてください。好き嫌いは妄想の世界というコトバを聴いたことがあります。犬はファンタジーの世界の動物ではなくアニメのキャラクターでもないのですから、妄想の世界で見ていては変化の可能性のあるものにもフタをしてしまい変わっていくことすら許されなくなってしまいます。「うちの犬は先生のことが好きなんです。」といわれると、「いやいや違いますよ。」と思いますが、「うちの犬は先生といるときはいつもと違うんです。」といわれると、そのとおりだと感じることがあります。これは好き嫌いの世界ではないのです。

世界はひとりひとり自分たちの価値観で作られている。
見える人には見えるし、見えない人には見えない。

犬が犬である瞬間がなによりもすばらしいと感じると思う方、たくさんいると思います。
ぜひそんな時間を犬とともに過ごしてください。


グッドボーイハート七山へ向かうの道沿いにはお正月を迎える立派な門松が飾られています。
この季節、七山にはクリスマス的な色も雰囲気も一切ありません。
街中は明るく楽しくクリスマス一色。それはそれで個人の楽しみとしてはいいのだと思います。
山では受け継いてきたことを大切に守りぬいていく、そんな凛とした姿勢を感じます。
人と犬の関係は新しい文化ではなく、本当はすごく古い文化であると思うのです。

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犬との引越し:犬との暮らしで協力を得たいこと

転勤族といういい方は、地域で働きとおすのではなく転勤するという仕事が増え始めたときに使われた古い用語でしょう。わたしも転勤族の親の子でした。そのため、小さいころは動物と暮らすことができませんでした。犬を飼う理由のひとつに「飼いたかったけど今まで引越しが多く飼えなかった。ようやく落ち着いたから。」というものがあります。引越しは犬に負担をかけるためにできるだけ飼わないというのも人の責任として尊重します。

ところが、引越しを予定していなかったのに引っ越すことになってしまったということもあります。それが、マンションから戸建てにやっと暮らせるようになったのだという、犬にとって過ごしやすい環境に変わるのであれば、環境の変化によるストレスもさほど気にはなりません。逆に、戸建てに住んでいたのにマンションに引っ越す必要が生じた場合には、犬は今までと異なる生活空間の変化に戸惑いを見せることでしょう。

それでも、飼い主さんの仕事上、止むを得ない場合には、犬を連れて引っ越すしかありません。
引越しの際にどのような場所を選んだらよいのかは個々の犬により差はあるものの、共通するチェック項目もあるので参考までにあげておきます。

・エレベーターを使わずに入れる部屋もしくは下の階に。
小型犬の場合には階段が苦手かもしれません。キャリーバッグにいれてエレベーターに乗ることができるのであれば、小型犬はあまり高くない階下をお勧めします。人は鈍感なので気づきにくいですが、高層マンションはゆれています。わたしはかなり敏感な方なのか、ゆれているのに気づいてしまいます。動物はもっと敏感ですので低い階層をお勧めします。

・上の足音が響かない。
は横側よりも上下の音の響きの方が強いようです。特に上の階の人の足音は犬にとっては強いストレスになります。動物にとって上の空間はとても大切なのです。上からの物音や振動は犬を不安定にします。犬のケイジを重ねて使っている風景を見ることがありますが、あれは強いストレスになるためしてはいけないことです。引越しとなると賃貸マンションです。そこまで配慮されたマンションも少ないかもしれませんが、チェック項目としていれておいてください。

・目の前が道路ではない。
たとえば1階で小さな庭付きというマンションも最近ではよく見かけます。ただ残念なのは、その前が道になっていると通行人に常にテリトリーをさらされることになります。犬ばかりでなく人も落ち着かなくなります。人だけでなくバイクや車も通るため振動も伝わりやすいです。
理想は、窓の向こうは何もない、もしくは広場、人のあまり来ない公園とか、となりのマンションの裏側で人や他犬の気配のない部屋を選びたいです。

・中心部よりも郊外に。
マンションの立地は都心部よりも少しはなれた郊外をおすすめします。子供にとってと考えても郊外を選ばれるでしょう。犬も同じです。理由は臭いです。都心部は排気ガスや密集した人の生活臭、レストランからの臭い、コンビ二の臭いなどで大変臭いです。福岡でも博多の中心から40分くらい車を走らせれば、空気はずい分と変わります。1時間も走ればかなり違いが分かります。臭くない、これは犬にとっては安心安全を知らせるメッセージなので大切です。もちろん。お父さんの通勤負担を考慮した上でということです。

ここまでは共通項目です。


他に引越しでできることは、室内をいかに整えるのかということ。
これはいくつも考えることができます。犬が安心して生活するために必要なことを考えます。

そして、引越しの作業のときに犬に負担をかけないためにはどうすればいいのかということ。
荷物の運び出しの作業のときは犬は落ち着かなくなります。テリトリーがなくなってしまうわけですから不安になります。家族に協力して預かってもらうなどするのが良いと思います。

引越しは犬にとっても人生の転機です。
犬は人が飼う動物ですから、人の都合によりストレスを受けるのは仕方のないことではありますが、
いかに犬に配慮できるかということでは、面倒なことでも犬を飼う楽しみとして犬をサポートしてあげてください。





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犬のゴハンはいつ与えるのか?

犬のトレーニングやしつけ方についての情報があふれすぎています。
本でもあちこちから集めたような雑用知識本いわゆるハウツー本として出版されている内容の曖昧なものもある上に、ネットの情報となると個人の価値観や自分はこうやったという、不安定な情報が拡散されています。

たとえば「犬のゴハンは人の後に与えなければいけない。」と思って取り入れている飼い主さんが結構いるようです。

「犬のゴハンは私たちの食事の後に与えるようにしています。」ときっぱりいわれます。
「なぜ、人が食事を済ませなければ犬に与えられないと思うのですか?」と尋ねます。
すると、飼い主さんはたいてい「え?」という感じになります。
それもそうですね。今まで信じていたことが、違うのかもしれないと言われる瞬間なのでビックリするでしょう。

実際には人が先に食事を済ませる必要がある理由を応えられない方も多いのです。ネットに「人が先に食べるほうがいいと書いてあった」といわれる曖昧な答えです。ただ、ネットに書いてあるとおりにやってしまうというのは、とても怖いことだと思います。食事をどちらが先に食べるかというのは、犬には全く影響を与えません。そのため、この順番を守っていたとしても犬に良い影響もでなければ、悪い影響も出ないということでしょう。ですが内容によっては、犬との関係性や犬の成長と発達に強く影響を残してしまうこともあります。良かれと思ってやってきたことなので、できるだけ間違いは避けたいものです。

本に書いてあったという理由の中には、オオカミは強い方が先に食べてから弱いものが食べるからというものがありました。似たような状態を人の生活で説明するなら、武家社会でお父さんの食べるものには少し特別なものが添えられているということでしょうか。実際、父親よりも下のものが先に食事に手をつけることはありません。

人と犬の食に関する影響はこれとは全く違うものです。大切なのは、犬は人が与えたものを食べるという事実です。
人が与えないと食べられないのです。勝手に冷蔵庫から食べ物を出してきて、他の家族よりも先に食事を済ませてしまう子供とは違います。みなで協力して行った狩によって獲物を得たオオカミの群れでもありません。まず、人が与えるという行為だけで十分に犬に優先していることを理解してあげましょう。

注意して欲しいのは、食べ物の受け取り方のほうです。
食べ物を与えられなければ受け取れないのは子オオカミも同じです。親オオカミが吐き戻しをして子オオカミに食べ物を与える行動は、子オオカミが親オオカミの口をなめる行動によって引き出されておきる行動です。幼少動物が権利をもつ「要求行動」です。

食べ物の受け取り方の間違いのひとつは、犬の要求行動によって飼い主が犬に食べ物を与えているということです。
「人が先に食べてから犬にゴハンを与えています。」という飼い主さんが、その食事の前に犬が吠えたり飛び跳ねたりする犬の要求行動に応えるように犬にゴハンを与えています。これでは犬は自分と飼い主との関係性を、犬が要求し飼い主がそれに応じる存在だと認識してしまいます。

ゴハンの順番はあまりというより、全く関係性には影響をしません。
お腹を空かせている犬のために早く食事を済ませる必要も全くありませんので、安心して人より先に犬にゴハンを与えてください。

犬のしつけ方については、本やネットの情報はあまりにも曖昧です。
犬のしつけは「いれる」ものではありません。
犬のしつけは「犬が必要な行動を自らできるように、飼い主が環境を整え学ぶチャンスを与える。」ということです。
飼い主が環境を整え犬をサポートしていることを犬は理解します。その過程で作り上げられたもののも人と犬の関係性に影響します。

犬のしつけはハウツーではない。
ぜひ、犬との関係作りを楽しんでください。

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犬の遠吠えを聞いたことがありますか?

預かりクラス利用中の犬が、昼に放送される音楽にあわせて遠吠えをしたので、久しぶりに生遠吠えをききました。七山の里山の地域の犬の中には、昼のこの音楽にあわせて遠吠えをする犬がいましたが、最近引っ越してしまい、しばらく聞くことがありませんでした。
しかも、預かりクラス利用中の犬もなんどもこの音をここで聞いたはずなのに、今までは一度も遠吠えをしたことがなかったため、予期せぬことでビックリしました。

予期せぬことというのは、すべての犬が遠吠えをするわけではないからです。
遠吠えをしない犬は、生涯この吠え方をすることはありません。
そのため、あれ君も遠吠えするのね~と思ったのです。

遠吠えを聞いたことがありますか?
遠吠えとは、「うぉーーーーーん、うぉーーーーん」という非常に長くて少し高めの音を出し続ける音のコミュニケーションです。イヌ科動物の中でもっとも鮮明にこのコミュニケーションの機能を発揮しているのはオオカミです。オオカミに続いてイヌです。

イヌといっても、私たちの生活する環境の中に存在するのは家イヌ、つまり「犬」なので、その犬たちはオオカミのような見事な遠吠えをすることはありません。そして、その遠吠えは、コミュニケーションというよりも、遠吠えの際に出される音のピッチや長さが同じようなものであればその音に「共鳴」というシステムで反応してしまいます。そのためこのとき犬に「遠吠えでコミュニケーションをとる意志」はありません。この共鳴システムですが、他の音のコミュニケーションでは使われないのに、遠吠えのときだけは共鳴して行動が出るのは不思議なことです。

とても気に入っている写真があります。オオカミのグループが円陣を組み、互いに顔を向け合って立ったまま顔をあげて遠吠えをしているというものです。私が今までに見たオオカミの遠吠えはほとんどが立ったままで行うというものでした。犬は座ったまま、伏せたままでも遠吠えをしているのを見たことがあります。オオカミと犬では遠吠えの中に含まれる意味合いが異なるでしょう。

声質もずい分違います。家犬はオオカミのように高低のある音を使いこなせていないこともあります。もしくは顔や形の変形により、そもそも音がきちんと出ないようになってきている傾向が強いです。オオカミの遠吠えのCDをたまに聴くことがありますが、オルゴールの音への共鳴反応とは違い、静寂の中にひびく豊かな音として心に染み入ります。

救急車やオルゴール、車の宣伝の音などで反応してしまう犬の遠吠え。
意味のないコミュニケーションだとしても、動物として生きてきた時代の名残を感じます。

今回遠吠えした犬くんも、「うぉーー」あれ、なんで声が出る、という感じで途中でやめてしまい、再び「うぉーーー」あれれ、自分の意志とはちがって声が出るよ、という感じでいちいち戸惑うように首をかしげながらやめようとしているけど止められないという表情と行動がとても可愛らしく感じました。そしてそれを見ている私に対して、なにやら恥ずかしそうに顔を背けてなかったことにしようとしている落ち着かせ行動も見逃せません。そうね。犬がイヌであることを忘れようとしても、その中に流れる血がイヌであることを思い出そうとしているのかもしれないね。

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犬とのテントクラス開催しました:犬と山の関わりに触れる大切な時間

山肌がすっかり茶色に染まってきました。
ようやく色づいた秋が終わり冬が始まろうとしているのだと感じ、身の引き締まる思いと少しだけワクワクしてしまいます。この枯葉色のカモフラージュが大好きです。いつまで見ていても見飽きることがありません。茶色なのにいろんな茶色が混じっていて、心が落ち着きます。

色味に興味のない犬たちも、風の冷たさと北からふく新しい風の臭いをとりながら、夏とはちがってやっぱり落ち着いていくような気がするのは気のせいでしょうか。


今年最後のテントクラスを週末に開催し無事に終了しました。

毎年どのくらい寒かったかとか記憶になくなってしまいますが、12月の3週目の寒さは厳しすぎますね。昼間の暖かさにごまかされてしまい、夜の冷え込みは、芯から冷えるとはこういうことかというほどでした。今回は預かりクラスの犬もいっしょにテントに宿泊するイレギュラークラスで、犬が多いほうが暖がとれるからと少し油断もしていました。

暑い季節のときは、犬たちが自分の体温を下げるために一気に熱を体から放出させるのでテントの中が蒸してしまい、夜遅くにならないとテントの中に入りたいとは思わないほどです。ところが、寒い季節になると犬は丸まって自分の体温を温存させようとしますので、犬のそばにいても暖かさを全く感じることができません。狭いテントなので人と犬はひっついた状態で寝ているのですが、暖かいというよりは、枕にしないで、という気持ちの方が高くなります。

朝になると木々の少ない場所では地面が白くなっています。霜ですね。
歩くとジャリ、ジャリと音がしています。朝になるとうさぎやアナグマの歩いたばかりの気配に鼻を奪われてオロオロとする犬もいました。

犬とテントに泊まる時間はとても好きです。
お酒や食べ物を持ち込んで騒ぐようなキャンプには関心はありません。

自然の空間の中で犬と人が過ごすときは、いつもとは違う時間になります。なかでは場所とりやらなにやらでワイワイいいますが、テントの中では食べ物もない、テリトリーもない、お互いに対等です。テントの出入り口を人が管理しているので境界線は人の方ですね。環境の受け取りに関しては、感覚の鈍い人の方が無力です。最近の犬たちはお家っこになっていますので、動物の気配などに少し緊張しすぎる犬もいるようですね。人との関係性がしっかりしていないと、犬としての機能をしっかりと使うチャンスもなくなってしまいます。犬は尾根をいく動物。山の中で最も見晴らしの良いところを歩き、その周辺を隠れながら別の動物たちが動いている。そして人という最強の友を見つけたのだから、しっかりしようよとエールをおくります。

来年のテント解禁は4月ころでしょうか。

改名したばかりの尾歩山(おぽさん)の冬景色がこれから楽しみです。

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22日ラジオ出演します。

ラブFMの大田こぞうさんがパーソナリティをつとめる番組「月下虫音(げっかちゅうね)」に出演する日がきまりました。

12月22日木曜日です。番組は22時~23時30分なので、その中のどこかに出演します。


今回のテーマは、大田さんとも話し合って「犬の分離不安行動について」ということになりそうです。
いつもあちこちへと話しが飛んでしまうので、あくまで予定ということでお伝えしておきます。

分離不安という言葉は、もともと幼児の発達の過程で、主に母親に対して生じる心理的状態とその状態を表現する行動をさします。
愛着をもっている人が自己とは異なる存在であることを理解し始めると同時に、離れる事に対しての不安を示し対象に対して執着するという心理的状態やその心理からくる行動や身体的な変化を含むものです。

犬のしつけの社会で、分離不安という言葉がいつ頃から使われ始めたのか記憶にありませんが、30年くらい前にはこのような言葉は用いられていなかったように思えます。犬の行動問題は「しつけが悪い」という表現で収められていたように思い返します。
犬が飼い主に執着して起きる行動を「分離不安症」として扱うようになったのは、飼い主が犬を幼児同様に扱ってしまい、いわゆる飼い主と犬の分離が十分にできていないという風に考えると、いろいろな行動が理解できやすいとは思います。幼児の状態と犬の状態を比較して説明することは、犬の心理を伝えやすいというメリットが十分にあります。

ただ、ここには落とし穴も潜んでいます。幼児の分離不安については、犬の不安状態を比較するために用いた例であって、犬が幼児と同じ状態ではないことをもっとシンプルに理解する必要があるからです。飼い主が飼い始める子犬は生後約2ヶ月齢です。それよりも早い1ヶ月半くらいの犬も中にはいるかもしれません。子犬は単独でたって歩いたり排泄行動ができる状態であり、社会的コミュニケーションが発達する時期です。人の年齢の成長と比較すると幼稚園くらいだと考えられるといいでしょう。幼児が愛着のある対象である母親に分離不安状態に陥るのはもっと低い年齢のときです。幼稚園にいきたくないと泣いてしまう幼児もいるとは思いますが、他の社会的な対象、幼児からみると他人とのコミュニケーションがとれるようになっている状態で、幼児は幼稚園に預けられています。

子犬にも社会的コミュニケーションの発達や、子犬としてのテリトリーの構築が見られる時期なのですが、ここに異種である人が介入するその介入のし方が犬の不安行動を強くしてしまう要因になっています。単に「うちのわんちゃんは私のことが大好きなの」という説明では済まされないような行動が生じています。犬の飼い主と分離されるときに生じる不安行動は、犬の年齢限らずいつでも生じる可能性があり、そしてそれは生涯続く可能性もあるのです。愛玩動物として飼われることになった犬の場合には、可愛がられる事がその目的になります。その可愛がるという行為が実際には犬の不安を高めストレス状態に追いやっているとすればどうでしょうか。

飼い主に対する執着、分離に関して犬がかかえる問題とその行動は、飼い主が冷静に見極める必要のある重要な行動です。
そんな「分離不安」というテーマでお話できればと思っています。
次回は打ち合わせ時間が短いためぶっつけトークになりそうです。
反省することは多いですが、それはそれで本音ということで、ぜひ楽しんで聴いてください。

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犬の臭いが気になりますか?犬の体臭について

七山校で犬のお預かりクラスをしているときに気づく事。
お預かり日数が3日目くらいになると、犬の体臭がかなりなくなっていることです。

環境の変化に敏感な犬の場合には、1日で毛質がずい分と変わってしまいます。すごく柔らかくなるのです。臭いも減ってきます。臭いに関しては、当初は「自分の鼻が臭いになれたのかな。」と思っていましたが、何どもお預かりをくり返していくうちに、やはり犬の体臭が変化しているのだという確信にいたりました。毛質の柔らかさといった変化については、飾り毛の犬はわかりにくいのですが、それでもあきらかに毛が柔らかくなっています。

犬の体臭は一番が犬の状態の臭いです。犬は自分の状態を臭いとして表現することで、自分が今どのような状態かを周囲に知らせることができます。ストレスのレベルが上がってくると、体内ではその状態を臭いとして周囲に知らせることになります。ストレスがあまりない環境だと、臭いを出す必要がなくなります。そのため体臭はかなり減ってきます。シャンプーやアロマで臭いつけをする必要はありません。

都市環境で犬の体臭が強く感じられるのは、空気の汚れや排気ガスが犬の毛についてしまうということもありますが、同時にその汚れた環境に犬がストレス値を上昇させていく結果なのです。

動物は体臭が臭いと思われているでしょうか。
動物にとって体が臭いということは大変危険なことです。動物はいつも身を隠す必要があります。気配を隠しても臭いがプンプンと漂っていれば、そこにいることがばれてしまいますね。
野生動物が臭いと思われているのは、人に捕獲されたときに危険信号のストレス臭を一気にはなつためです。動物園が臭いのは、まさにそこにいる動物達がストレスをかかえて飼育されているからです。最近は動物園には行っていませんが、動物園は今でも臭いのでしょうか。

どんな動物も狭い場所でつなぎっぱなしにすればストレスはかかります。また狭い場所で隠れられないような柵の中に入れられてしまえば、それも大変なストレスです。犬も同じです。屋外飼育であれ、室内飼育であれ、犬はストレスを感じると臭いは強くなります。臭いは犬のメッセージです。だからそれをシャンプーやアロマスプレーで消さないで欲しいのです。

子犬の飼い主さんから「まだシャンプーに連れていっていないんですけど…。もう連れていってもいいんですか?」といわれました。
「臭いが気になりますか?」と尋ねると、
「いや、そういうわけではないのですが、連れて行かなくてもいいんですか?」というお答え。

犬をシャンプーしなければいけないという思い込みでしょうか。
少なくとも自然や毛や多少の飾り毛の犬で毛が抜ける普通の犬は、体臭が気にならない限りシャンプーの必要はありません。都市環境でほこりや排気ガスで毛が汚れてしまうため、体を毎日拭いてあげるくらいの配慮をしてあげるといいでしょう。

皮膚は保湿が一番大切です。人だったら強い石けんで洗って、そのあとクリームを塗って保湿ということなので、犬にも同じことをしようと考えてしまうのかもしれません。

動物には動物のもっている体の機能というものがあり、できるだけその機能が発達できるように支援するのは動物を飼育している人、犬と暮らしている人つまり飼い主の役割です。シャンプーしすぎると犬の皮膚の機能性は落ちてしまいます。健康で楽しく愉快な犬は、体臭はほとんどありません。シャンプーをしなくても、犬の背中に顔をくっつけて(もちろん犬に了解をとってください)思いっきり臭いをかいで臭くないと感じるのでしたら、どうぞ安心してください。

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北風に強い元気な犬たち

福岡でも少しだけ冷たい風を感じるようになってきました。

山の冬をもう9回くらい越してきたので、博多の北風がそよ風くらいにしか感じられなくなっているようです。

北風が吹くときに犬の様子を見ながらいつも関心をすることがあります。

風が真っ向から吹いてくると、犬は胸を開き顔をまっすぐに上げて風に立ち向かうように進みます。

人は肩をすくめたり、腕を組んだり、頭を下げたりしながら歩く姿を多くみかけます。
そういうわたしも、つい顔を下げて肩をすくめがちになってしまいます。

犬がなぜこのように強い姿勢を取るのかとても不思議でした。
個体差が多く生じる行動なら、多くの犬が北風に立ち向かうようにして歩いたりはしないでしょう。
教えられてもいないことを、多くの犬が同じようにするには、動物として意味のある行動だと感じました。

自然の中で暮らしてみて知ったことは、動物は自然の力に負けてしまっては終わりだということではないだろうかということです。自然の強い力に対して、立ち向かうか潔く隠れるか、その選択は大変早いもののように思えるのです。

強い日差しからは穴をほったり日陰を捜して隠れ、北風に対しては立ち向かって歩き続ける。
しかし、雪の吹雪の日となると移動することはせずに、やはり静に隠れている。
自然に対する態度はわりとはっきりとしたものであるのではないでしょうか。

だから、犬が北風をまっこうから受けても胸を向けて歩いている姿を見ると、自分もそうありたいと背筋を伸ばしてしまうものです。都心のビル風も肌あたりは強いですが、いくつもの山を越えてきた山の中の北風は本当に力強くその冷たさは肌身に沁みます。

今年はどこまでがんばれるか、今のところ北風には負けそうにありません。
吹雪が来るまであと1ヶ月。胸を張って歩いている犬の姿をしばらくはたくさん見たいものです。

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犬の恐怖心、不安を考える

それはひと月ほど前に起きました。

庭に続く山の笹林の手入れをしていたときです。
その日は小雨がふっておりコンディションが悪かったのですが、時間がとれなかったため、今日のうちにやってしまえと思ったのです。
少し前に切り倒したばかりの笹が横倒しに倒れており、その上の踏みながら歩かなければいけません。倒れた笹はまだ若いために踏みつけることもできず、笹の重なりがばねのようになってしまい、とても歩きにくく、濡れてすべりやすくなっていました。
夕方で作業を早く終わらせたいという気持ちのあせりもありました。それで、うっかりと脚を滑らせて後ろ向きに倒れたのです。背中が倒れている場所は平地ではなく下り坂なので90度倒れるよりもっと大きく、180度に近いほど後ろに倒れることになりました。

不思議なことはこの瞬間に起こりました。

あ、倒れると思ってから背中が地面に着地するまでの間が、スローモーションだったのです。
倒れてしまった瞬間に普通の速度に戻っていました。
倒れて怪我をしなくてよかったと思うよりももっと前に「今、見たものがスローモーションに見えたのはなぜか」と思ってしまったのを鮮明に覚えています。

映画の事故などの危険なシーンを直前にしたときに映像がスローモーションになるのはそのように見た人がいるからなのだと、今さらですが自分が体験してはじめて真実であることがわかったのです。

ネットではありますが少しだけ調べてみました。今年千葉大学が「危険なときには視覚能力が高まり事態がスローモーションのように感じる」という研究結果を出していることがわかりました。科学的に説明されればさらに納得がいくのでしょうが、実際にその体験をしたことがある人たちが証言すれば、それも信憑性のうちといえるのでしょう。

生徒さんにこの体験を話したところ「私の友人も遊具から落ちる瞬間にスローモーションになったといっている」という話を聞きました。同じような体験をした人がいて安心すると同時に、こうした不思議な動物の能力はきっと、いや確実に犬に備わっているに違いないと思えたのです。

なぜかというと、危険を感じる能力は動物の方が人よりも圧倒的に高いからです。それは動物が脅かされているという意味ではありません。動物は危険を感じたらそれに対してみずから行動する力を持っているという意味です。人は自律して行動しているようで、意外にそうではありません。自立や独立はしているのだと思いますが、いざというときに必要に体が動く人はそれほど多くないと思うのです。人はあらゆる道具と科学の力を駆使して安全を獲得したと思っているため、危険に対して鈍感になりすぎていると思うのです。

犬も同じかもしれません。危険なものを危険だと犬が認識してしまうと、人は犬を飼うことが難しくなります。犬を人のそばでたやすく飼う方法として、危険なものを見せないごまかす、認知力の低い動物にしてしまうことで危険を感じにくい自律しない犬をつくっているのかもしれないのです。周囲の環境を把握するよりも、ごほうびを選ぶ行動を取るなどです。

あのゆっくりとたおれる瞬間、何かをつかまなければと思ったのですが、つかめるものが周りになく、そのまま倒れてしまいました。唯一できたのは、背中が着地したとき頭を手前に引き上げて衝撃と怪我を和らげる事ぐらいでした。でもそれすらも、スローモーションになっていなければできなかったのかもしれません。

オポのお墓のすぐ近くの出来事でした。


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